顔にチラチラと光線があたる。
       暖かく穏やかな外の光だ。
       トリトンは、何度もまぶしそうに顔をしかめた。
       まだ、トリトンの意識は夢の中にあった。
       アキの介抱を受けてから、丸二日、トリトンは泥のように眠り続けた。
       だが、ようやく、その意識がもどりかけてきた。
       やがて、ぼんやりと、トリトンは目を見開いた。
       ぼやけた視界に、木造の小屋の天井が映った。
「ここは…。」
       トリトンは、かすかな声で呟いた。
       ツインのベッドだけが置いてある簡素な部屋。
       しかし、漂う手作りの温もりが、とても心地よく感じられた。
       トリトンは体を起こした。
       傷ついた体がすっかりと癒え、ボロボロだった服も新品のように直っている。
「あんなにひどかったのに…。」
       周囲を見回すと、隣の無人のベッドに、はずれたマントがたたんで置いてある。
       トリトンは、迷わずにマントを身につけた。
       ゆっくりとした足どりで、トリトンは小屋の外に出る。
       それだけで、活気ある人々の生活の息吹を感じとった。
       平和と、人々の笑顔が渦巻く、村のにぎわい。
       人々の理想の故郷。
       トリトンは確信した。
       やっと、テグノスの森にもどってこられたと。
       そうしていると、すぐ目の前を通り過ぎようとした、村の男が驚いたように叫んだ。
「トリトン様!」
       トリトンは息を飲んだ。
       声をかけた男が、急いで、トリトンのもとに走り寄ってくる。
       すると、次から次へと、村人が集まってきて、トリトンは、あっという間に人垣の中に埋もれた。
「トリトン様、お怪我はもういいのですか?」
「お願いします。世界を…。私達をお救いください。」
「オリハルコンの力でお願いします。」
「トリトン様! トリトン様!」
「あの…。」
       老若男女、さまざまな村人達が、すがるようなまなざしで、トリトンに訴えはじめた。
       彼らの危機迫る様子に、トリトンは、ただ困惑するだけだ。
       と、そこへ。
       大急ぎで、ニトルとケイン、そしてユーリィがやってきた。
「いったいこれって…」
       トリトンが問いかける前に、ニトルが大声で村人達を制した。
      「落ち着け! トリトン様は、たった今、お目覚めになったばかりだ。何も、この村の実情をご存知ではない。これからのことは、私達で段取りを進めていく。この場は速やかに持ち場に戻り、各々の作業を進めてもらえないだろうか?」
「そうよ! トリトンが困ってるの、あなた達にはわからないの? でないと、また天罰が下るわよ!」
       ユーリィが脅すと、全員が身を引いた。
「わかったら、さっさとお行き!」
       ケインが、とどめの啖呵を切ると、村人達は雲の子を散らすように離れていった。
      「何も、あそこまでいわなくても…。」
       トリトンがそういうと、ユーリィが溜息をついた。
「いいのよ、でないと、あっさりと聞き分ける連中じゃないもの。」
      「ところで。」
       ケインがにこりとした。
      「私達はいつ、もとの世界にもどれるの?」
「いや、それは…。」
「何、戻れないの?」
       ケインがいさまくと、ユーリィが肩をすくめた。
「それじゃ、ここの連中と同じだわ。」
      「トリトン様。」
       ニトルが口調を変えて、提案を持ちかけた。
      「どうでしょう。朝食を食べながら後の話をされてみては…。こちらとしても、いろいろとご報告したいことがあります。丸二日、意識をなくされていたのです。きっと、ひどい空腹でいらっしゃるでしょう…。」
      「丸二日…。だとしたら、あれから十日以上もたってることに…。」
       トリトンが、そういいかけたとたん、腹の虫が大きく鳴り響いた。
       思わず赤面するトリトンを見つめて、ケインがにやけた。
「体は正直ね〜。なんなら、私を食べてみる…?」
「今は…。食あたりを起こしそうだから…。」
       トリトンが声を震わせると、ケインはキッと睨みつけた。
「なんですって?」
      「ケイン! おふざけはなしよ!」
「とにかく参りましょう。」
       冷や汗を流しながら、ニトルがトリトンを促した。
       トリトンは、それに従った。
      
      
       委員会の本部小屋。
       トリトンは、ニトルやケイン、ユーリィと一緒にテーブルを囲んで、ミーティングを始めた。
       テーブルの上には、焼きたてのパン、小麦を原料にして作ったおいしそうな菓子、新鮮な果実にジュース、そして栄養満点の豆のスープと、一通りのコースが並んでいる。
       彼らはバイキングスタイルで、食べたいものを小皿にとって、それらを口に運んだ。
       食事のセッティングと世話をしたのは、レイラだ。
       テーブルの周りを、忙しそうに動き回っている。
       さらに、その席には、事務の手伝いと称して、地球人のベルモンドが加わった。
       ケインはブスッとしている。
       レイラとベルモンドが気に食わないのだ。
「なんで、こいつらがここにいるのよ!」
「いいじゃないか。二人とも協力してくれてるんだから。」
       トリトンがたしなめると、ケインがジロリと睨んだ。
「あんたは甘いの!」
       ケインの足元に寝そべっていたクァールのムギが、低く唸り声をあげた。
       ちょうど、トリトンのそばにやってきたレイラを威嚇しだした。
「ムギ!」
       ムギを叱りつけて、思わず身を引いたレイラに、トリトンは優しく声をかけた。
「ごめん。ムギは人間の言葉がわかる生き物だから。けっして悪さはしないよ。」
      「い、いいのよ。」
       レイラはにこやかに応じた。
      「大事なお話の邪魔になりますから。私は、これで失礼しますね。」
       レイラはそういって小屋を出て行った。
       残念そうに肩を落とすトリトンの一方で、ケインはベッと舌を出した。
「ざまぁみろ!」
「子どもみたいな真似をして…。」
       ユーリィは何もいう気がしない。
       ベルモンドが、おどおどと口を開いた。
      「私は…その…。地球人の代表として…。」
      「はいはい。」
       ユーリィが、軽くあしらうように相槌をうった。
      「いてもいなくても、どーでもいいわ。」
       すると、ベルモンドは、ますます体を小さくした。
       しかし、態度を崩さず、しぶとく居座り続ける構えだ。
       そんな調子で、何度か話がそれかけるのを、ニトルはじっと我慢した。
       そうしながら、トリトンに不在だった村と、街の様子を話して聞かせた。
       ただし、街が壊滅した原因が、暴発したトリトンの力のせいだという事実だけは、けっして明かさなかった。
       それは、ケインとユーリィの申し出だ。
       トリトンがその事実を知って、ショックを受けるのはわかりきっている。
       トリトンは、なんの疑いもなく、彼らの話を信じ込んだ。
「そうだったのか…。オリハルコンの勝手な暴走があったなんて…。」
       トリトンは少し暗い顔をした。
「だから、あんなに村に人があふれていたのか…。まるで難民キャンプのようだ…。」
      「復興は、市民達の手で時間をかけて行えば、いつかは達成できます。しかし、人々の苛立ちが表面化してくると、今後は暴動に発展しかねません。事態は一刻を争います。」
       ニトルは説明した。
      「残念なことに、憲法原案を練る時間も、あまりとれないのが実状です。」
      「そっちはどうだったの? 亀のじいさん、もとのじいさんに、もどることができたんでしょ?」
       ケインが口をはさむと、トリトンは肩をすくめた。
「それが…。まだ、亀のまんまなんだ…。」
      「それって、オリハルコンが、何も働いてないってこと?」
       ユーリィが目を丸くする。
       トリトンは首をすくめながら頷いた。
      「よくわからない…。何か、変化があるのを期待して、もどってきたんだけど…。」
      「それじゃ、私達はどうなるんですか? あなたがもどってきたら、すぐに、私達はもとに戻れると思っていたのですよ…!」
       ベルモンドがわめいた。
       ユーリィが頭を押さえつけた。
      「あんたは、それしか考えてないじゃない!」
      「十日間も、いったい何をしていたの?」
       ケインが呆れる。
       トリトンは溜息をついた。
      「力を高める訓練。決闘みたいなことばかり、させられていた。」
「それで、あなた自身はどうなのです?」
       ニトルが聞くと、トリトンは目を伏せた。
      「それなりに、実力はついたと思う。後は、自分自身で精神力を高めるように、指導を受けました。」
      「前世のトリトン・アトラスが予告した日は、残り二週間と少し。それまでに、どうにかしないといけません。」
「もちろんだ。」
       トリトンは頷いた。
      「試したいことがあります。ケイン、ユーリィ。<リンクスエンジェル>と、ムギを借りたい。いいかな?」
「それは構わないけど…。」
       ケインは投げやりな態度で、しゃあしゃあといった。
      「そんな面倒なことをするより、あんたがお姫さんを口説いて、『お出かけ』しちゃえば、それで簡単に解決するじゃない…。」
      「お断りだよ。こっちは、ケインみたいな尻軽じゃないからね…。」
       ケインが鼻を鳴らした。
      「いってくれるわぁ。あんた、もともと、そんなに硬派じゃないでしょ? それに、これは、ただの浮気と訳が違うのよ。反対する方が憎まれるんだから。むしろ、お得な条件じゃない♪」
      「ケイン! 茶化しはなしだ。真剣な話だ。口を挟むな。」
       トリトンの態度が急変した。
       語気も荒く、顔つきもきつくなる。
       さらに、オーラが噴き出した。
       それは、アキの怒りの姿に似ている。
       ケインは気勢をそがれた。
「もう。力で脅しをかけてこないでよ〜。まるで、誰かさんにそっくり…。」
      「トリトン。こちらも、真剣に話をしてるのよ。」
       ユーリィが真摯な態度で口を開いた。
      「この世界の人達も、それを強く望んでいる。立場を重んじたい気持ちもわかるわ。でも、それも重要な選択肢の一つよ。それに対しては、あたし達が正当性を証明するわ。誰も、文句はいわせないから。」
「気持ちは嬉しいけど…。」
       少し気持ちを落ちつかせてから、トリトンは口を開いた。
      「俺は、そうなることを望んでいない。それ以外の方法を考えたい。」
       トリトンはニトルに視線を向けた。
      「村の人達には、こう伝えてください。俺が、全力でこの世界を救ってみせるから、冷静に行動してほしいって。それよりも、一つの目標を達成することに、力を注いでほしい。それは、当初の目的と何も変わらない。」
      「そんな、カッコつけちゃって。あなた一人で、どこまでやれるの?」
       ケインが不審そうに言葉を投げかけた。
       すると、トリトンは、毅然とした態度で答えた。
      「もちろん、手伝ってもらう時には声をかける。可能性がないわけじゃないから、それに賭けてみたいんだ。」
      「わかりました。あなたが戻ってきたことで、市民達の気持ちも、ある程度、抑えることができます。あなたを信頼いたしましょう。午後にでも召集をかけて、報告することにします。」
       ニトルはいった。
       トリトンは笑顔をこぼした。
「ありがとうございます。」
       そういいながら、トリトンはニトルに握手を求めようとした。
       手を差し出しかけて、ふと、動きが止まった。
       トリトンの脳裏に、フッと、何かの感覚が駆け抜けた。
       とたんに、どうしようもない焦りが、こみあげてくる。
       居合わせた四人は、トリトンの異変を不思議そうに見つめた。
       トリトンはハッと首をめぐらすと、小屋の外に視線を向けた。
「この感じは…」
       トリトンは、呆然としながら立ち上がった。
「どうされました?」
       ニトルが聞くと、トリトンは頭を下げた。
「気になることがあります。少しの間、席をはずします。」
       トリトンはスッと移動すると、小屋から無言で出て行った。
「何があったのですか?」
       ベルモンドが呆けたように口を開きながら、ケインとユーリィを見つめた。
       同じように、ケインとユーリィも唖然としていた。
「あたしらに聞かないで!」
       ケインは同時に席をたった。
      「何か、異変が起きたのかもしれないわ。あたしも、様子をみてくる。」
      「ケイン、あたしもいくわ!」
       ケインの後に、ユーリィも続いた。
「困りましたな…。」
       後に残されたニトルは、そう表現するしかなかった。
      
      
       診療所内では、いつものように、アキが患者に「細胞復活」を施していた。
       と、ここまでは、当たり前の光景だったのだが…。
       それは、突然、起こり出した。
「どうして! 力が止まらない!」
       いきなり響いたアキの絶叫で、周囲にいた人達が、それに気がついた。
       患者は癒されるどころか、激しく苦しみはじめた。
「アキ、何をやってるの!」
       レイコが蒼白した。
       しかし、アキの反応は激しくなるばかりだ。
       オーラの輝きが変動し、大きく波を打ちはじめた。
       その中で、アキはパニックを起こした。
      「だめ、止まらない!」
       スーが、急いでレイコの手を引っ張った。
      「レイコ、ここにいてはだめ! アキから離れなさい!」
      「でも!」
       レイコはかぶりを降る。
       スーは、強引に、レイコを隣の部屋に連れ出した。
       アキのオーラは壁を作り出した。
       周囲と隔絶し、別空間にアキと患者を追いやった。
       そのうち患者が悲鳴をあげた。断末魔の叫びだ。
「いや!」
       アキも絶叫する。
       そこに。
       トリトンが飛び込んできた。
「アキ、よせ!」
       驚いたトリトンは、アキを抑制しようとした。
「できない。止まらない!」
       アキは涙声でわめきちらす。
「くそっ!」
       トリトンは業をにやした。
       オーラを放出する。
       その状態で、アキのオーラの中に飛び込んだ。
       一瞬、力同志がぶつかった。
       衝撃で光があふれた。
       圧力で生じた爆風が吹いたが。
       すぐに収まった。
       トリトンが、アキのシールドを突き破ることに成功した。
       トリトンは精神を集中させる。
       すると、右手に、オーラのエネルギーが集まる。
       その手でアキの脇に当て身を打つと。
       アキは衝撃で倒れた。
       とたんに、アキのオーラも消滅する。
       トリトンは、アキに代わって、患者に「細胞復活」を試みた。
       柔らかなブルーのオーラが、患者に放射されると。
       徐々に、患者の苦痛がとりのぞかれて、改善しはじめる。
       トリトンは冷や汗をぬぐいながら、ホッと胸をなでおろした。
「トリちゃん、もう、大丈夫なの?」
       恐々と近づいたレイコが尋ねると、トリトンは小さく頷いた。
「「細胞復活」をやりすぎると、かえって細胞の老化を早めてしまう。そうすると、相手を老衰させてしまう。」
       トリトンはレイコを見つめた。
「こんなことは初めてだ。いったい、どうしたんだ?」
「わかんない。今まで一度もなかったわ。」
       そこへ、遅れてやってきた、ケインとユーリィが口をはさんだ。
「いったい、ヒメさんはどうしちゃったの?」
      「ねえ、ケイン。この子、様子が変だわ。」
       ユーリィが、倒れたアキの変化に気づくと、声をあげた。
       ハッとしたレイコは、アキを見返した。
「アキ、どうしちゃったの? アキ!」
       レイコが抱き起こそうとした。
       しかし、意識をなくしたまま、アキはピクリとも動かない。
       トリトンが、アキの体に触って声を震わせた。
      「自我崩壊…。どうして、こんなにひどいダメージを…。」
「あなたの力のせいじゃないの?」
       スーが問いかけると、トリトンは慌てて否定した。
「まさか。俺が与えたのは軽いショックだ。」
      「力の暴走に自我崩壊…。普通じゃないわね…。」
       ユーリィが冷静に口を開くと、ケイが呆れたようにいった。
      「落ち着いてる場合? この子が元にもどらなかったら、それこそ一大事よ!」
「何か、変わったことがなかった? どんなことだっていい。レイコさん!」
       トリトンがレイコを見つめると、レイコはかぶりを振った。
「昨日まで…。いえ、さっきまで、何ともなかったんだから。私に心当たりなんて…。」
「じれったいわね! “パープリン娘”に聞くほうが無駄よ。」
       ケインがそういうと、レイコはキッと睨みつけた。
       それを無視して、ケインは昂然と断言した。
      「この子に多大な影響を与えてる子が、もう一人いるでしょう…。その子に聞くほうが、早いんじゃない?」
      「ちょっと! 鉄郎を疑ってるの?」
       レイコが慌てて口をはさむ。
       ケインはあっさりと言い返した。
      「彼を責めてるわけじゃないわ。だけど、一番、原因を知っていそう、っていう意味よ。」
「鉄郎の居場所は?」
       トリトンがレイコを見つめた。
       鋭い視線に、レイコは、わずかに身を震わせた。
「あの…。みんなと…。小屋作りの手伝いをしてるはずだけど…。」
「ありがと…。」
       トリトンはそれだけいうと、診療所からサッと立ち去った。
       ケインとユーリィもその後に続く。
「お姫様はどうなるの?」
       スーはレイコを見つめた。
       レイコは口を開いた。
「私も気になるからいってくる。アキを見ててもらえますか?」
      「いいけど…。これじゃ、看護の続行はできないわ。」
      「ごめんなさい。彼女達を放っておけないの。」
       レイコは固い表情で答えると、すぐに、三人の後を追いかけた。
       スーはため息をついた。