9.深 淵 7

 診療所の外で、ケインとユ−リィの剣幕に押されながら、鉄郎とジョウが、なだめ役になって応対していた。
 その脇を、アキが全速力で駆け抜けていく。
 さっきまで、頑なに外に出ることを拒絶していたアキが、今になって飛び出してきたから、逆に驚かされた。
「何があったの!」
 ケインが鋭い声を発した。
 アキはサッと振り返ると、四人に声をかけた。
「トリトンがもどってきた!」
「本当か?」
 鉄郎がアキに叫んだ。
「どこだ、あいつは?」
 ジョウが身を乗りだした。
 アキはオーラを放出して、サッと空に舞い上がった。
「ひどい怪我をして、森の中に倒れてる。後から来て!」
 そのまま全速で、アキは飛び去った。
「こうしちゃいられないわ!」
 ユ−リィが真っ先にアキの後を追いかけた。
「お待ち!」
 負けじとケインが、その後に続く。
 鉄郎とジョウはうんざりしながら、二人を追って駆け出した。
 アキの姿をロバート、レイラ、そして裕子、アトラリアの市民達も目撃した。
 ロバート、レイラ、裕子はもちろん、何人かのアトラリア市民も、アキの後を追って森に入った。
 空から見た森は、海のように広がり、大地を美しく染めている。
 そんな壮大な景観の真上を、アキは、素早い速度で飛行する。
 森の中にある小さなポイント。
 その位置だけを、アキの感覚は察知する。
 スッと斜めに降下して、アキは、森の一角に降り立った。
 その目前に、傷だらけになったトリトンが倒れている。
「トリトン!」
 アキは、トリトンに駆け寄った。
 トリトンの状態は、思っていた以上にひどかった。
 全身にひどい裂傷を負い、衰弱もかなり激しい。
 多量の血が水溜りのように周囲に広がり、紅い絨毯のように草木を染めている。
「トリトン、わかりますか? しっかりしてください、トリトン!」
 医療の基本である呼びかけを繰り返しながら、アキは、素早く症状のチェックを行った。
 いくら、呼びかけても、トリトンの意識はもどらない。
 高ぶる気持ちを抑えながら、アキは、応急処置にあたる「細胞復活」を試みた。
 アキの全身から放出される癒しのオーラ。
 柔らかく、透明な輝きがトリトンの全身を包みこみ、じんわりと広がって周囲に散在する。
 穏やかな光は、空気を暖め、安らぎの空間となって世界を埋め尽くしていく。
 そうして。
 少しずつ広がった光は、やがて、一定のリズムを奏でて、細やかな明滅を繰り返した。
 最初は白かった輝きが、しだいに色彩を帯び始める。
 それはグラデーションとなって、微妙に七色に変化する。
 光はリズムとなり、脈打つトリトンの鼓動と同調を始めた。
「トリトン、お願い。もどってきて、この世界へ!」
 呼びかけながら、アキは、さら輝きを強めた。
 遅れてやってきた人間達は、アキの光を頼りに集まってきた。
「トリトン!」
 血相を変えたレイラが駆け寄ろうしたが、アキが鋭い声を発した。
「来ないで。一刻を争うわ。触ってはだめ。」
「でも。」
「この子は医療の知識を持ってるわ。言うとおりにして。」
 裕子がレイラを押さえつけた。
「いったい、エネシスは何をしたの?」
 尋常でないトリトンの状態に、ケインは息を飲む。
「今いえることは、エネシスの試練がよほどのものだった。それを克服したから、トリトンはもどって来られた。この坊やの努力を褒めてやるべきだ。」
 ロバートがいった。
「だめ。血が止まらない!」
 アキが声を震わせた。
「何とかできないの?」
 ユ−リィが叫ぶ。
「アクエリアスの人間だって死ぬことがある。」
「マントで止血だ!」
 ジョウが首をめぐらした。
 急いで、鉄郎と村人達が、自分のマントをはずした。
 布を細く引き裂くと、トリトンの傷口に次々に巻いていった。
 アキがみんなに指示した。
「胸はだめよ。肋骨が折れてるかもしれない。肺に骨が刺さるわ。」
 それだけでは間に合わない。
「だめです。トリトン様!」
 村人の一人が、絶望的な声をあげた。
「心音停止!」
 脈をとっていたユ−リィが叫んだ。
「蘇生装置。ないか?」
 鉄郎が首をめぐらす。
 ケインがわめいた。
「そんなの、ここにはないわよ。」
「心臓マッサージだ!」
 ロバートが声を荒げた。
「離れて。やってみる。」
 アキがいった。
 全員がトリトンから離れた。
 オーラが強まる。
 トリトンの体を刺激した。
 光の振動が、トリトンの体を激しく弾く。
 心音がもどった。
 しかし、また、いつ麻痺するかわからない。
 アキに焦りと絶望感がわいた。
「どうしたらいいの? 手の施しようがない…。」
 突然、オリハルコンの剣が動き出した。
 驚く一同の前で。
 オリハルコンの剣のロッドが、ブルーの淡い光を放つ。
 そして、トリトンの周囲を漂いはじめた。
 不思議な反応に、一同は呆然とした。
 しかし、アキだけは、その動きを目で追うと、剣に話しかけた。
「あなた、トリトンが、どうしたら助かるのか知ってるのね?」
 剣のロッドは、光の強弱を繰り返した。
 まるで、アキに答えているかのような反応だ。
「“水晶の泉”…。生命の再生の力が宿る場所。連れて行って。そこに!」
 アキが訴えた。
 と同時に。
 ロッドの部分が激しく輝いた。
 あふれる青い光。
 それは炎のごとく。
 広がり、一気に燃え上がる。
 一同は悲鳴をあげた。
 あまりのまぶしさに、目も開けていられない。
 あふれた多量の光は、一瞬で消えた。
 しかし、一同の目が元の視界にもどるまで、しばらく時間がかかった。
 落ち着いてから、一同はゆっくりと目を開いた。
 そうなって、さらに驚きが増した。
 目の前に倒れていたトリトンと、トリトンを支えていたアキの姿が消えている。
 オリハルコンの剣もない。
 オーラの光も消滅して、ただの森の風景にもどった。
「なんだったんだ。あれは…。」
 ロバートが呆けたようにいった。
 夢を見ているような感覚だ。
「あたしらのことを、力がないからって遮断したのよ。ふざけてるわ。」
 ケインが顔をひきつらせた。
「アキがいってた、“水晶の泉”って、どこにあるの?」
 裕子が、付き添ってきた村人達に尋ねた。
 しかし、村人達は、みな首を横に振った。
「聞いたこともありません。」
 すると、レイラが口を開いた。
「私はあります。アトランティスの水晶には不思議なパワーがありました。消え行く命を救い、再生させることができる…。それは、オリハルコンが生み出した結晶ともいわれています。古来から、密かにそのパワーが利用されていたとか…。」
「早く、それをいいなさいよ。」
 ケインが睨んだ。
「その泉って、どこにあるんだろう。」
 鉄郎がいった。
 レイラはすぐに答えた。
「わかります。オリハルコンの力をたどっていけばいいわ。こっちよ。」
 レイラが、一同を案内しようとした。
 鉄郎は呆気にとられた。
「君は、オリハルコンを感じることが、できるようになったのか?」
 レイラは、立ち止まった。
 わずかに間を置くと、明るい声でいった。
「彼と、ずっと一緒にいたからだと思います。こちらです。」
「鉄郎…。」
 ジョウが鉄郎を見つめた。
 鉄郎は、不審そうにレイラを見つめている。
 しかし、ジョウに呼びかけられたことで、鉄郎はハッと表情を変えた。
「いや、何でもない。オリハルコンのある場所。いったいどこだろうね…。」
 ごまかすような鉄郎の態度に、ジョウは不自然さを覚えた。
 すでに、レイラの後について、他の人間達が走りだしていた。
 それに続かなければ、トリトンとアキを見失ってしまう。
 鉄郎も、後に続いて駆け出した。
 どこかにひっかかるものを感じながら、ジョウも彼らの後に続いた。


 アキが、オリハルコンの剣で案内された場所。
 森の中にひっそり泉が湧き出している。
 テグノスの森には、そこかしこに泉や小川が流れ、森全体を潤している。
 その豊富な水源の中で、一際清らかで、美しい泉といっても大げさではない。
 磨きあげられた鏡のように、透き通った水面。
 水の底からは、淡い光がゆらりと立ち上り、泉そのものが、幽玄の光で包まれている。
 それは水晶だ。
 水底に無数の水晶の原石が沈んでいる。
 神秘の輝きに照らされた森の木々は、燃えるような緑の葉を芽吹かせ、まるでカーテンのように、泉を取り囲んで外からの視界を遮る。
 生あるものをけっして寄せつけようとしない、自然が作りだした神域。
 水面の上に浮いた状態で、光から解き放たれたアキは、オリハルコンの剣にむかって訴えた。
「どうすればいいの? …トリトンをこのまま泉に浸す…? それだけ…?」
 オリハルコンの剣は、光の信号でアキにそう伝えた。
 いや、アキにはそう感じとれた。
 横たわったままの格好で、トリトンも宙に浮いている。
 アキは、トリトンの体をゆっくりと降ろすと、水にスッと浮かべた。
 アキも一緒に降りて、泉の中に腰までつかる。
 すると、アキのオーラが、泉の水面を弾いて、空中にブワッと巻き上げた。
 弾かれた水流は、細かな粒子となって、空気中に美しく拡散する。
 その時、オーラとは違う光の幕ができて、トリトンとアキをスーッと包み込んだ。
 さらに、水底の水晶も変化した。
 一定の輝きを放っていた透明な輝きが、オーラの光と混ざり合い、いっそう幻想的な光の幕を作りだす。
 暖かく、柔らかい。
 しなやかな光の力。
 オリハルコンのロッドが加わると、まぶしい光の空間が、ハーモニーを奏ではじめる。
 それらすべてが、トリトンの傷ついた体と心を癒しはじめた。
 ゆっくりと確実に。
 たゆとう清流は、トリトンの体を浄化するように洗い流し、傷口を消毒する。
 そして、光が傷口を、じょじょにふさぎはじめる。
 やがて、トリトンの体からも、ゆったりと、ブルーのオーラが吹き上がってきた。
 アキはホッとした。
 トリトン自身の「細胞復活」が始まった。
 トリトンの体力が戻りつつある。
 アキの純白のオーラとトリトンのブルーのオーラ。
 二つのオーラが、ゆっくりと混ざりあい溶け合う。
 光の空間は、ますます清らかに。
 そして、温もりをともない、命の鼓動をつむぎだす。
 まるで、その温もりに誘われるかのように、レイラはたどりついた。
 後から来た一同も、その光景を目撃した。
 彼らは呆然と立ち尽くした。
 空間を埋め尽くす美しいエナジー。
 その光の中心で。
 心優しい女神が、慈しみの力を与えている。
 そして、その神秘の力を受けて、蘇ろうとする神話の少年。
 神秘的で荘厳な光景は、まさに「奇跡」と呼ぶにふさわしい。
 やがて、変化があった。
 清浄の輝きの中で、トリトンが、ゆっくりと意識をとりもどした。
 穏やかな水の流れに緑の髪をゆらめかせ、水面に身をまかせて、優雅に漂うトリトンは、永遠の安らぎの中にいる。
 優しい光は、トリトンのすべてを守ろうとする。
 それは、母親の子宮の中のような穏やかさだ。
 うっすらと見開いた視界の中に、優しいアキの笑顔を確認すると、トリトンは満ち足りた笑顔を浮かべた。
「アキ…。」
 トリトンは手を震わせながら、ゆっくりと右腕を持ち上げた。
 その手を、アキはしっかりと握りしめた。
 トリトンの右手に、はめこまれたオリハルコンの腕輪。
 それすらも、アキの呼びかけに応じるように、淡い輝きを放った。
 オーラの風に、赤い髪をなびかせながら。
 アキは、労わるような優しい口調で、トリトンに話しかけた。
「お帰りなさい。今は何も考えずに、ゆっくりと体を休めてください。」
 トリトンは、ただ黙って頷いた。
 それだけで十分だった。
 周囲の輝きは、いっそう幽玄のゆらめきを帯びて、二人を美しく包みこむ。
 一部始終を見届けた彼らは、現実を忘れた。
 だが、木の葉がかすれる音を聞いて、ジョウは我をとりもどした。
 いつの間にか、隣にいたはずの、鉄郎がいない。
 鉄郎は、無言のまま、その場から離れていった。
「鉄郎のやつ…。」
 ジョウが、鉄郎を追いかけようとした。
 ロバートが、その肩をつかんでやめさせた。
「放っておけ。あいつに答えを出させるんだ。」
 ジョウは不機嫌そうに口を開いた。
「何も好き好んで、他人の恋路に関わりたいとは思わない。」
 ジョウは、ロバートの手を払いのけた。
「しかし、これには世界の存亡がかかっている。へたすりゃ、俺たちも含めて、全部の生命体が犠牲になっちまう。」
「たかが、浮気の一つや二つで、世紀末的な大事になっちゃうなんて。勘弁してほしいわぁ。」
 ケインが呆れたようにいった。
 ユ−リィが肩をすくめた。
「どうして、鉄郎は、あんな娘を選んじゃったのかしら。女の子は他にもいるでしょうに…。」
「そいつは、鉄郎に聞いてみろ。」
 ロバートがいった。
「ただ、あいつも、亀のじいさんから試練を受けることを告げられた。どうやら、こいつがそうらしい。」
 ロバートは肩をすくめた。
「試練を克服するのは、己自身でしかない。そのくらい、あいつだってよく解ってる。」
「まったく。付き合いきれないわ…。」
 裕子はお手上げのポーズをとった。
「俺達も行くぜ。ここにいたって、どうなるわけでもない。」
 ロバートが促した。
 村人達がいきなり慌てはじめた。
「そうでした。聖なる儀式の邪魔をしてしまったら…。」
「また、天罰が下るかもしれません。」
「やめてくれる? そのボケボケの感覚!」
 ケインは彼らを睨みつけた。
「私はもう少しここにいても…。」
 レイラがいいかけたが、ケインが強引に腕をとった。
「あんたもいいわ。召使い女、一緒にいらっしゃい!」
「離して!」
 レイラが急に抵抗をはじめた。
 それを、村人達が強引に連れ出された。
 しかし、レイラの抵抗は納まらない。
「いや、お願い!」
「何なの、あれ?」
 裕子が、レイラの執着ぶりに呆れはてた。
 ジョウが低く唸りながら、ぼそりといった。
「なんか、あの女、クサイな…。」
「ジョウ、彼女に何があるの…?」
「わからん。しかし、なんとなく、行動にひっかかるものを感じる…。」
「これ以上、やっかい事が増えるのは勘弁してほしいわ。」
 一緒に歩き出しながら、ユ−リィが口をはさんだ。


 夜を迎えた。
 とても静かな夜。
 森の中にさえざえとした空気が漂い、ひんやりとした心地よい涼風が吹きぬける。
 かすかに虫の音が響き、どこからか、ふくろうの鳴き声が穏やかに聞こえた。
 昼間の雑然さが一気に収まって、夜の村は、落ち着いた静寂の姿を取り戻す。
 森の一角に、唯一、飲料用に作られた大理石製の小さな噴水がある。
 水がめを手にした美しい女神の彫像。
 その水がめからは、絶えず、清水が流れていて、下の受け皿を潤し続ける。
 やっと倒れたトリトンの処置を終えたアキは、疲れた足取りで噴水がある場所にやってきた。
 精も根も尽き果てた。
 すべてをトリトンに注ぎ込んだ。
 そのツケは、アキの肉体と精神を、限界にまで消耗させた。
 疲労困憊の様子を隠せないまま、アキは、ゆっくりと受け皿の淵に腰かけると体を休めた。
 うな垂れたアキは、そこから動くことができない。
 オーラはまったく出てこなかった。
 アキは上体を折り曲げると、顔を腕の中にうずめた。
 トリトンは、確実に快方に向かっている。
 それは喜ばしい。
 しかし、目の前にある避けようがない現実。
 そのことを考えると、気持ちが塞いで途方に暮れた。
 アキはすべて知っている。
 トリトンを看病している時、みんなが、どう二人を見ていたのか。
 鉄郎が、その場から先に去ったことも…。
 しかし、だからといって、トリトンを放置することはできなかった。
 傷つけたことを自覚しながら、自分に課せられた役割を果たすしか、アキがとるべき方法はなかったのだから…。
 いつものアキなら、すぐに、人の気配に気づくことができる。
 だが、この時は、目の前に濡れたハンカチがさし出されるまで、鉄郎の存在に気づくことができなかった。
「お疲れ様…。」
 ハッとして顔を上げると、静かに笑いかける鉄郎の姿があった。
「ありがとう…。」
 アキは、そのハンカチをゆっくりと受け取った。
 鉄郎がいった。
「トリトンは? 良くなったのか?」
「ええ。」
 アキは小さく頷いた。
「もう心配ないわ。休養をとれば、すぐに元気になるから…。」
「そうか。」
 鉄郎は穏やかな声で応じた。
「悪かったな。ジョーに仕事を押しつけたままだったから、放っとけなくって。」
「いいえ、一人でもなんとかなったから…。」
 そこで、会話が途切れた。
 鉄郎が何かいってくれたら。
 アキは、そう思った。
 しかし、鉄郎は、アキから背を向けると、空を見上げたままで無言だった。
 アキは、足元に視線を向ける。
 時間が流れた。
 重苦しい沈黙の後で…。
 やっと、鉄郎が、静かに言葉をかけた。
「アキ、もう、俺は必要ないだろ…。」
 アキは目を見張った。
 鉄郎は溜息を漏らすと、自嘲するような口ぶりでいった。
「君の居場所は別のところにある。俺から、君はもう離れたんだ…。」
「そんなことはないわ。」
 アキは、鉄郎の背中を見つめた。
 その瞳がかすかに揺れる。
 追いすがりたいと願うまなざしだった。
「私はアルテイアになれない。私の心は、まだ、みんなとともにある。どこにも離れていません。」
「いや、君は選ばれた。」
 鉄郎はアキを振り返った。
「アルテイアとしての自覚を持たなきゃだめだ。」
 鉄郎は、厳しい表情をした。
「鉄郎だけは、私達のことを特別視しない…。そう思っていたのに…。」
「俺のことよりも、トリトンのことを考えてやれ。」
 鉄郎はわずかに語気を強くした。
 アキはムキになった。
「考えてるわ。彼のためにできることを…。だから、私は…。」
「だったらそれでいい。」
 鉄郎の鋭い声に、アキは絶句した。
 鉄郎は続けた。
「君の中に俺はもういない。それは、以前から感じていたことだ。俺達は、過去のしがらみから離れちゃいけないって、強引に、自分達を縛りつけていただけなんだ。」
「違う!」
 アキはかぶりを振った。
「少なくても俺はそうだった…。」
 鉄郎は顔をふせた。
「でも、それは間違っていた。君は誰にも縛られない。自由でいるべきなんだから。」
「私はそんなことを思ったことは一度もなかった…。これまでだって、ずっと自由だったわ…。」
「無理して、気持ちをあわせる必要はないよ…。」
 鉄郎は呟くような声で告げる。
「もういい…。お互いの道を歩もう…。それが、俺達にとって一番ふさわしい生き方だ…。でも、だからといって、今すぐに離れることはできないけど…。」
「鉄郎!」
 アキは、鉄郎を夢中で呼び止めたが…。
 鉄郎は振り返ることもなく、そのままスッと立ち去った。
 アキは、また、噴水の淵に脱力しながら腰を下ろした。
 その姿勢のままで身を震わせる。
 涙がとめどもなくあふれた。
 頬を伝い、膝の上に幾つもこぼれ落ちる。
 後から後からこみ上げてくる悲しみは、どうしても止めようがない。
「私は、アルテイアになれない…。アキでもいられない…。」
 アキの嗚咽する声は、むなしい響きとなって、森の中に反響した。
 そんな二人のやりとりを。
 木陰に潜んだレイラが観察していた。
 その鋭いまなざしは、じっと悲しむアキに向いている。
 レイラの行動は、何を意味するのか。
 その真意は、まだ、深い謎に包まれている…。