9.深 淵 6

 しばらく作業を休んだアキが、再び、怪我人の介護をやりはじめたのが三日後のこと。
 この日で、トリトンがもどってこない日が、10日を過ぎた。
 その間に、テグノスの森での作業は、ますますあわただしくなった。
 市内の復旧に携わっていた一部の男達が森に戻り、今度は、被害者のための災害援助に協力することになった。
 難民キャンプを確保し、食料を調達し、さらには、仮設住宅の建築にも着手しなくてはならない。
 怪我人の数も、当初よりさらに増えて、どこも人手不足の状態だ。
 こうなると、憲法の法案どころではない。
 ニトルを中心に結成された暫定政府のメンバーと、ケイン、ユ−リィの二人も、人助けに奔走した。
 それでも、すべてに行き渡らず、市民達からは不平不満の声があがった。
 人々は、しだいに、トリトンを求め始めた。
 アトラスの神が生み出した奇跡の力。
 その信仰の源はオリハルコン。
 トリトンは、オリハルコンを操る救世主。
 彼らの救いの声は、日に日に高まっていった。


 村の中を、憮然とした顔つきで、倉川ジョウが歩いている。
 その日の彼の仕事は、仮設住宅を作るための材料、木の切り出しだ。
 しかし、仕事どころではなくなった。
 やっきになって、鉄郎を捜し求めた。
 鉄郎は、村のはずれの広場で、集められた物資の手分け作業を手伝っている。
 ジョウは、鉄郎を見つけると、真っ先に口を開いた。
「ここにいやがった。鉄郎、姫さんに聞いてくれ。トリのガキが、いつ、ここにもどってくるのか。姫さんなら、知ってるはずだ。」
「な、何だよ、いきなり…。」
 鉄郎は思わす身を引く。
 ジョウはかぶりをふった。
「周囲の連中は、そればかりが気になるらしい。何度でも同じことをいわれて、耳にタコができちまった。」
「そんなこと、自分で聞けばいいじゃないか。アキのやつ、避難所で怪我人を診てるから。」
「んなことたぁ、わかってるよ! それができれば、お前にわざわざ頼みにきやしねぇっ。」
 ジョウはムキになった。
 鉄郎は身をすくませる。
 ジョウは言葉を続けた。
「俺はヒメさんが苦手だ。お前が、ヒメさんの担当だろうが。」
「担当ってなんだよ、それ…。」
「対等に、彼女と話し合えるのはお前だけだ。」
 いきなり、後ろから声がした。
 鉄郎は硬直した。
 声の相手は島村ジョーだ。
 鉄郎はめげた。
「もう、二人して何だよ〜;; ああっ。どこまで確認できたのか、わかんなくなっちゃった〜;;」
「痺れを切らしたケインとユ−リィが、姫さんの所に殴りこみにいった。その状況を止められるのは、お前しかいない。」
「それも、俺の担当…?」
 鉄郎が口を尖らせると、ジョーコンビは、そろって大きく頷いた。
 鉄郎はうな垂れた。
「勘弁してよ…。」
「姫さんと話しあったんだろうが。」
 倉川ジョウが突っ込むと、鉄郎は首をすくめた。
「ま、まあ…。話しあったっていうか…。その…。いろいろと聞いたけど…。」
「じゃあ、嫌がる理由はねぇな。」
 倉川ジョウはニヤリと笑う。
「でも、ケインとユ−リィは俺だけで止められないよ…。ジョー、頼むから一緒に…。」
「ここの仕事を代わりに引き継いでやる。それで貸し借りなしと♪」
 にやけた島村ジョーは、鉄郎から、物資のリストをとりあげた。
「ずるっ!」
 鉄郎が慌てる。
 倉川ジョウは、溜息をついた。
「俺が同行してやる。なら、行くんだろ?」
「ジョウ〜♪」
「お前に甘えられても、嬉しいとも思わねぇ。」
 倉川ジョウは呆れた。
「バカをやってるな!」
 島村ジョーが、睨みをきかせる。
 本気の顔だ。
 鉄郎は、げんなりと肩を落とした。
「話がこじれてなきゃいいけどな…。」
 倉川ジョウは、他人事のように呟いた。
 ケインとユ−リィの性格がわかるだけに、修羅場になっているのは、容易に想像できる。
 さて、その頃。
 問題の避難所では…。
 苛立ちを露にしながら、ケインとユ−リィが、アキに突っかかっていた。
 誰もが遠巻きに見ている中で、アキは平然と患者の状態を診ている。
 その態度が、ケインとユ−リィの癇に障った。
「お姫さん、ここでは話ずらいから、外に出て。」
 ユ−リィが低いトーンで命じた。
 しかし、アキは、患者の前から離れようとしない。
「ここで聞きます。今は、この人達の前から離れるわけにはいきません。」
「あんたのその態度が、気に食わないの!」
 ケインが睨みつけた。
「私らだって、病院の中で事を荒らげたくないのよ。その配慮をくんでほしいわ。」
「だったら後で話を聞きます。今は、この人達を救うことが先決ですから。」
「そうよ。」
 スーが口をはさんだ。
「二人のいいたいことはよくわかるわ。でも、お姫様にも、わからないことがあるんだから…。」
「あんたは黙ってて。ペテン薬剤師の出る幕じゃないわ。」
「ペテンってどういうこと?」
 ケインの容赦がない返しに、スーも、顔を引きつらせた。
「ケイン、ユ−リィ。スーの薬師としての腕は一流です。今のは謝ってください。」
「うるさいわね!」
 ケインは一喝した。
「あの…。私は…。」
 患者の女性が、身をすくませる。
 アキは笑顔で、患者の女性に声をかけた。
「二人のことは気にしないでくださいな。それよりも、すぐにすませますからね…。」
「ちょっと…!」
 ケインが、強引に、アキの手をとろうとした。
 みかねたレイコが、ケイの手を掴んで、アキから離れさせた。
「まあまあ、ね。ここは…。さっきもいったとおり、病院だし〜。二人の気持ちもわかるけど〜。」
「悠長なことをいってる場合じゃないわ。今すぐに、トリトンを取り返してもらわないと…。」
 ユ−リィが、レイコの体を押しのけた。
 アキは溜息をついた。
「わかっています。でも、エネシスから何も返答はありません…。トリトンのことも何も感じない…。今は、それ以上のことができないわ。」
「それで、ここの連中の気が収まると思ってんの?」
 ケインが詰め寄ろうとした時。
 やっと、ジョウと鉄郎が、診療所の中にやってきた。
 ジョウは、ケインとユ−リィを抑えると、背中を押した。
「はい、そこまでだ。二人とも。いいたいことは、外で思いっきりぶちまけろ。」
「何よ!」
「ヒメさんの肩を持ちすぎよ。あんた達!」
 ケインとユ−リィは騒ぐのをやめない。
「ヒメさん、もう、ここの連中、どいつも限界を超えてる。それには、トリがもどってくるしかねぇ。頼む。どうか、君の力を貸してくれ。」
「ええ、そのつもりよ。」
 アキが頷くと、ジョウは逃げるように、ケインとユ−リィを押し出し、外に出て行った。
 あまりの素早さに、鉄郎は呆れた。
「さっきと態度が違うじゃん。しかも、ちゃんといえてるし…。」
「鉄郎。」
 アキが声をかけた。
 鉄郎が振り返ると、アキは笑顔を浮かべた。
「ありがとう。」
「そっちは大丈夫?」
「うん…。」
 アキは頷いた。
「よかったじゃない。あの二人、理解しあえたんだ…。」
 スーが、レイコにそっと声をかける。
 しかし、レイコの表情は、少しも明るくない。
「表向きはね…。」
 スーは、レイコの用心深い態度に首をかしげた。
 その後、鉄郎が出て行って、診療所の中は落ち着きを取り戻した。
 患者達の誘導もスムーズに行きかけたとき、突然、アキの手が止まった。
 まるで、何かにとらわれたかのように、アキは呆然としている。
 それを目ざとく見つけたのはレイコだ。
「どうしたの?」
 アキは顔をあげた。
 レイコに早口で訴えた。
「トリトンがもどってくる。ここ、悪いけど、頼まれてくれる?」
 いきなり立ち上がると、レイコに交代を迫った。
 レイコは焦りだした。
「そんなの、私にできるわけないじゃない〜。」
「大丈夫。スーの指示どおりにすればいいから。」
 それだけ言い残して、アキは診療所を飛び出した。
「なんなの、急に…。」
 スーはキョトンとしている。
 レイコは頬を膨らませた。
「いつもの悪いクセ! もう、あたしに何をやらせんのよ〜!」
 レイコは地団駄を踏んだ。