尊い徹也の犠牲によって、二人は救われた。
       しかし、それで受けたアキの心の傷は大きい。
       そんなアキを、鉄郎は必死になって支えた。
       それが、徹也と交わした男の約束だ。
       だが、それ以上に。
       鉄郎の素性を知っても、その思いを変えず、逆に、身をもってかばおうとしたアキに、鉄郎は心打たれた。
       それまで同世代の女性を、友達以上に感じなかった鉄郎にとって、アキは、特別な感情を抱ける存在になった。
       それは、アキにとっても変わらない。
       アキは、鉄郎を誰よりも必要とした。
       二人は、互いの心を通わせて絆を結んだ。
       この事件をきっかけに、二人は、ともに歩みはじめた。
       そして、二人のそんな信頼関係は、ゆっくりとした時間の中で、確実に築かれていくはずだった。
       しかし。
       その影で、鉄郎の周囲に、不穏な動きが目立ち始めた。
       祖父、源三の死。
       そして、再び勃発したお家騒動。
       気ままな高校生活を送り続けていた鉄郎に、織野邸に戻るよう連絡が届いた。
       こうして、鉄郎は、またもや身を隠すことを要求された。
       アキに別れを言い残し、去ろうとした直後、鉄郎は、屋敷に連れ戻された。
       自由を奪われ、また、頑丈な鉄の檻の中に閉じ込められた。
       屋敷にもどった鉄郎に突きつけられたもの。
       それは、織野の総長になれという命令だった。
       鉄郎は強く拒絶した。
       しかし、全財産を鉄郎に相続するという、祖父の遺言が鍵になった。
       鉄郎に拒否権は認められない。
       それどころか、怒涛のような取り巻きが、鉄郎を再び飲み込みはじめた。
       もう、時田の力だけで、抑えることができなかった。
       鉄郎は、際限がない孤独のなかに置き去りにされて、一人で苦悩した。
       鉄郎は頑なに心を閉ざし、誰の言葉にも耳を貸そうとしなかった。
       親族たちは、そんな鉄郎をどうすることも出来ずに困り果てた。
       だが、たった一人、鉄郎の叔父にあたる正だけは、鉄郎をいいなりにさせる方法を思いつき、それを実行した。
       その方法とは。
       鉄郎に関わった仲間達を、苦しめていくというものだった。
       その標的にされたのが。
       島村ジョーとアキだ。
       ジョーは過去をほじくられた。
       すでに不良時代から足を洗ったものの、不良仲間とひと悶着を起こさせ、ジョーを退学処分にまで追い込んだ。
       ジョーにとって、過去を蒸し返されることは、最大の痛手になる。
       そして、傷つくジョーの姿を見せられて、さらに、心を痛めるのは鉄郎だ。
       さらに、アキに対しては。
       いや、アキのほうが本命だった。
       その頃、アキは、鉄郎の行方を捜して、心当たりがある場所を尋ね歩いていた。
       鉄郎に一方的に別れ話を持ちかけられてから、アキは不穏な空気を感じとっていた。
       何か、鉄郎の身に起きたに違いない。
       その時、正の部下に、アキは連れ去られた。
       行く先は織野邸。
       アキは、そこで、ようやく鉄郎と対面した。
       鉄郎の方は、アキと再会できたことを、素直に喜ぶことができなかった。
       そんな二人に対して。
       正は、二人に隠された秘密を語った。
       アキには、不思議な能力があること。
       それに目をつけた織野が、アキを利用しようとして狙っていたことを。
       アキは、鉄郎の両親に引き取られて、織野に、一時、預けられたことがある。
       その時、鉄郎と義理の兄妹として育てられた。
       しかし、事件が起きた。
       飼い犬が、まだ赤ん坊だった鉄郎とアキの部屋に押し入り、二人に襲いかかった。
       鉄郎は、飼い犬に噛まれて大怪我を負った。
       奇跡的に命はとりとめたものの、今も、鉄郎の背中には、その時の生々しい傷跡が残っている。
       血まみれになった鉄郎に対し、飼い犬は、アキに近寄ることができなかった。
       赤ん坊だったのにも関わらず、アキは、オーラを放出して飼い犬をあっさりと撃退した。
       この光景を目の当たりにした織野源三は、アキという赤ん坊を徹底的に調べはじめた。
       すると、DNA鑑定で。
       アキは通常の人と、遺伝子形態が違っていることが明らかになった。
       織野は、アキに注目した。
       女の子なら、思春期に成長した時、卵子を放出する。
       その卵子を媒体にして、アキのような人間を生みだすことができたら。
       特殊な遺伝子は、相当な利益を生み出すはずだ。
       織野は、真剣に、そのプロジェクトを推進しようとしていた。
       そんな非人道的なビジネスを阻止しようとしたのが、鉄郎の両親だった。
       その他の織野の違法行為も含めて、両親は、織野の不正を世間に公表しようとした。
       そして、アキは織野から引き離され、鉄郎の父の計らいで、一条家にかくまわれた。
       徹也をはじめ、一条家の家族は、アキを守ろうと力を尽くした。
       アキの父親の突然のリストラ。
       兄、徹也の織野一族に向けられた怒りと執念。
       今になって、一家の人々の行動に重要な意味があったことを、鉄郎は理解した。
       それらは、すべて、鉄郎の父親に対する信頼からくる行為だったのだ。
       アキのショックは大きかった。
       一条家の人々が背負ってきた苦労は、自分のせいだったと知って、ますます悲しみを募らせた。
       正は鉄郎に決断を迫った。
       鉄郎が自由になるためにアキを差し出すか、もしくは、鉄郎が仮の総長となり、正に実権を引渡すのか…。
       鉄郎は気がついた。
       自分が、織野に呼び戻された理由を。
       非人道的ビジネスと、表の友好ビジネスとを融合させながら。
       源三が成し遂げられなかったビジネスを、成功させるつもりだった。
       そのために、正は、アキと鉄郎をうまく利用してやるという自信に満ちあふれている。
       静香を犠牲にした男。
       そして、鉄郎の父親に対するねたみから、鉄郎に憎しみをぶつける男。
       そんな男に、織野の実権を渡せるはずがない。
       その答えに対する正の返答は。
       銃弾だった。
       正の銃弾を受けて、鉄郎は倒れた。
       それを見たアキは、持っていた力を暴走させた。
       命を奪うまではいかなかったものの、正は、アキの力を受けて重傷を負った。
       助け出された鉄郎は、時田や屋敷のスタッフの協力で病院に運ばれた。
       鉄郎は、その時のことを、あまりよく覚えていない。
       しかし、そばに付き添っていたアキは、鉄郎が、ずっとうわ言で、アキの名を呼び続けていることを聞いていた。
       一時は鉄郎の気持ちに不安を抱いたものの、アキは強い確信を持った。
       そして、何があっても、鉄郎から離れないと心に誓った。
       意識を取り戻した鉄郎は、アキの力のおかげで回復したことを知った。
      「私は普通の人間ではないみたい…。でも、私は今までのように、あなたのそばにいたい…。いけませんか?」
       アキの問いかけに、鉄郎は迷うことなく答えた。
      「俺には、そんなの全然関係ない…。そばにいてくれてありがとう。俺には君が必要だ。ずっと、これからも、俺の力になってくれるよね?」
「はい。」
       アキは涙を流して、鉄郎の思いに頷いた。
       鉄郎は決断した。
       そして、病院を飛び出した鉄郎は、アキとともに、正の元に走った。
       まだ、正は療養中だったが、覚悟を決めた鉄郎は、正に銃を向けた。
       それが、最後の和解のチャンスだった。
       しかし、正の考えは変わらない。
       互いに、最後の星野の血筋をもつ者。
       そして、ともに織野一族の汚れた血筋に染まった者。
       その命運は、二人を相容れる者同士として隔てさせた。
       鉄郎は、すべての肉親を失うことをわかりながら。
       正に向けて、銃弾を放った。
       その後、加熱の一途をたどった後継者問題は、残りの親族達との和解によって決着した。
       鉄郎は、大学を卒業するまでは総長代理として、織野での職務を続けることを約束し、日々の平凡な暮らしを取り戻した。
       一族の人間を葬ったという罪の意識を、心の中に秘めながらー。
       ジョーの退学処分は、時田の働きがけもあり、なんとか取り消しになった。
       そして、普通の人間でないことを知らされて、苦悩するアキを。
       鉄郎は、深い思いやりで優しく包み込んだ。
       幾つもの苦難を体験しながら、鉄郎とアキは、こうして確実に、「絆と信頼」を作り上げてきた。
       しかし…。
       そうしてゆっくりと築き上げてきたはずの信頼が。
       気づかない間に、「すれ違い」を引き起こすようになった。
       最初に、鉄郎が、それを感じたのは。
       ジリアスから無事に帰還した直後だ。
       アキとの会話の中で、さまざまな価値観が、鉄郎のものとあわなくなってきた。
       結局、出会っても会話が続かず、沈黙することが多かった。
       最初は、別々の大学に入学して進路が変わったからだと、鉄郎は思いこむことにした。
       しかし、たまに連絡をとって二人で会うと、アキは意識することもなく、トリトンの話題に触れるようになった。
      「結局、私のことを本当に判ってくれるのは、トリトンしかいないのね。」
      「ここで別れよう。しばらく会わないほうがいい…。」
       すると、鉄郎は、苛立ちを隠すことができなかった。
       結局、鉄郎は、自分の目標を優先させて、真っ先にアメリカに留学した。
       その間、アキとは連絡をほとんどとらなかった。
       離れた方が、お互いに冷静になれるだろう。
       鉄郎は、そう考えた。
      
      
※ ※ ※ ※
      
       今、鉄郎とアキは、異世界アトラリアにいる。
       最初の誓いの言葉どおり、鉄郎のそばにアキは存在し、アキもまた、鉄郎を、そのように思っていることだろう。
      ーでも、本当に、俺達はそれでいいんだろうか…。もう、俺にはわからなくなってきた…。ー
       鉄郎は、頭を泉の淵にもたげながら、思いを巡らせる。
       すると、その時、木々がこすれあう音がした。
       鉄郎はビクリとした。
       慌てて後ろを振り返ると、そこには、笑顔を浮かべたアキが立っていた。
       そして、手にした新しい服を差し出した。
「鉄郎、これ、着がえ。」
       鉄郎は呆気にとられた。
       深く溜息をつくと、ぼやくように呟いた。
      「そういうこと…。みんなが強引に俺に風呂を進めるワケがわかったよ…。」
「みんなには心配かけてばかり…。そして、あなたにも…。」
       アキは、泉の淵に腰を落とした。
       鉄郎が口を開いた。
「もういいのか? 動いたりして…。」
「ええ。少し、疲れが出ただけです。」
       アキは、何事もないような口調でいった。
       鉄郎は、わずかに厳しい口調になるのをわかりながら、言葉を続けた。
      「なぜ、あんな無茶をしたんだ? あれじゃ、かえって、みんなに迷惑をかけるだろ?」
      「ごめんなさい。でも、私に出来ることはないか、私なりに考えた結果です。」
「あいつが、一人でがんばっているからか?」
「…………」
       アキは何もいわなかった。
       鉄郎は水面を見つめた。
       静かにゆれる波紋の中に、悲しい表情をしたアキの顔が映る。
       鉄郎は、言葉を抑えると、アキにいった。
      「いつからかな…。君が力を使い出すと、俺はとても不安になる…。やっていけないんじゃないかって…。いつも、そう思う…。」
「鉄郎、お願いです。」
       アキは静かに口を開いた。
      「どうか、私を“一条アキ”のままでいさせてください。私は自分がアルテイアだとは思えない。力を持っているのは確かに私自身…。でも、過去のアルテイアとは切り離したい…。なぜなら、私は地球で育ったから…。二十年以上、私はあそこにいたのよ。私は、このアトラリアにはいないわ。」
「でも、君はトリトンの世界に憧れている。ずっと、あそこに行きたいと思っている。今も、そうだろ。」
       鉄郎はアキの顔を覗き込んだ。
       アキは静かに顔を伏せた。
      「そんなこと、トリトンは望まない…。私も望めない…。理想はそうでも、私は望みたくない…。」
       アキは心を集中させる。
       すると、ゆっくりと、アキの体からオーラの帯が漂いはじめた。
       鉄郎はびっくりした。
「アキ、もういい。これ以上、力を使うな。」
      「鉄郎に伝えたい…。みんなの怪我を治したのは私の力ではないわ。みんなが元々持っている力。生きたい、元気になりたいという希望…。その願いが人を蘇らせる…。私はその望みを叶えるお手伝いをしただけ。治癒能力とは、そういう力よ。」
       光を放ったアキは、服を身につけたままで泉の中に入ってきた。
       鉄郎は焦って身を引こうとした。
       しかし、アキのオーラは、鉄郎の体をそっと包み込む。
       母親の手に抱かれているような優しい感触。
       夢想の世界に誘われて、そのまま現実を忘れてしまいそうになる。
       アキは、鉄郎の腕の中に身を寄せてきた。
「アキ…。」
       鉄郎は息を飲んだ。
       今さら、アキを抱くことに抵抗は感じない。
       一糸まとわぬ姿を見られても、恥ずかしいとは思わない。
       けれども、オーラの光をまともに浴びると、どうしても照れくさくなる。
       それは、アキそのものだから。
       ストレートに、彼女の心を内面で受け止めることになる。
       強引ではない。
       でも、ゆっくりと、アキは、鉄郎の心の中に入ってくる。
       それは、湧き水のように淡々とあふれて、やがて、鉄郎の中でいっぱいになる。
「アキ…。いいよ…。やめてよ…。」
       鉄郎は小さく呟いて身をよじった。
       アキは鉄郎の胸に顔をうずめると、囁くようにいった。
      「私は、早くここからみんなを救い出したい…。彼だけではそれが出来ない…。でも、私の力もまだまだ不足しています。交わることなんてしたくない…。それ以外の方法で…。何としてでも…。」
「それが…目的だったんだね…。だけど、君だっていつかは限界を迎える。いくら、使徒だからって、完璧じゃないんだから…。」
       鉄郎は声を震わせた。
       すると、アキの表情が優しく和らいだ。
「ありがとう…。もう、無茶はしません。約束します…。」
「うん、頼むよ…。」
       鉄郎はかすかに頷いた。
       アキは、鉄郎の肩に手を置いてすっと撫でた。
       目を見張る鉄郎にアキはいった。
「あなたも傷だらけだわ…。」
「みんなそうだよ。復旧活動を手伝っていたんだから…。」
      「今まで何度もあなたに細胞復活をしてきた…。だけど、背中の傷はいつも消えない…。他の傷は、ちゃんと消えるのに、その傷だけがいつも残ってしまう…。」
「一番最初の傷だからじゃないのかな…。あまり、人に見られたくないから、風呂に入りたくなくなっちゃったけど…。」
       鉄郎は自嘲気味にいった。
       アキは静かに口を開いた。
      「私はあなたのそばにいたい…。そして、これからも…。」
       アキの言葉が途切れた。
       ふっと水の中にはまりかけたので、鉄郎は慌ててアキの体を支えた。
「おい…。」
       鉄郎は呼びかけながら、アキの顔を覗き込む。
       アキは意識をなくして眠りはじめた。
       鉄郎は肩をすくめた。
       アキの前髪を、優しくすきながらぽつりといった。
「力を使いすぎたんだ…。でも、こんなところで寝ちゃうなよ…。」
       アキを抱きあげると、鉄郎は泉からあがろうとした。
       その頃には、オーラは完全に消えてしまった。
「絆か…。」
       鉄郎は、溜息混じりの声で呟いた。
       そばにいたい。
       アキはそういったものの。
       鉄郎の心は複雑に揺れた。
       新しい模索の気持ちが生まれつつあるのを、鉄郎は否定できなかった。