テグノスの森でも、村人達は不眠不休の救援活動に追われていた。
毎日、街の方から運ばれてくる、多くの怪我人達の看病に走り回るのは、村に残る女達だ。
近代設備がない中で、怪我人の看病は困難を極める。
その様子は、さながら野戦病院のような壮絶さだ。
一方で、トリトンの申し出を受け入れたニトルによって、選出された暫定政府委員会の村人達が、アトラリア初の憲法原案の構想を練り始めた。
しかし、救護活動を優先しながらでは、その作業も思うようにはかどらない。
状況はアトラリアの街と同じだ。
遅々として進まない中、それぞれの与えられた役目を果たすために、人々は働き続けた。
そんな中で、人々が感じていた唯一の希望。
それが、“アクエリアス”の力だった。
村人の中で、その力を駆使することができるのはアキだけだ。
だからこそ、人々はアキを女神のように敬愛し、その慈悲にすがろうとした。
収容所の一角から漏れ出る柔らかいオーラの輝き。
ゆっくりと広がり、温かく、そして、そっと包み込む。
どこか、懐かしさを感じさせるような癒しの力。
傷ついた人々は、自然とその光に誘われて集まりだした。
さまざまな症状の人々。
命に関わるような重態の患者から、かすり傷程度の患者まで。
アキは、わけ隔てなく公平に、そんな人々の介護に当たった。
それは、昼夜を問わない過酷な労働だ。
そのアキを手助けできる唯一の治療法が、スーが作り出そうとしている新薬の開発だった。
スーは、近いうちに必ず新薬を作り出せると断言した。
アキは、スーを信じて介護に専念した。
ただひたすらに。
惜しげもなく自分の力を分け与え続ける。
その姿は、あのマザーテレサやナイチンゲールを彷彿とさせた。
しかし、その行為は、確実にアキを追いつめていった…。
「姫さま。ありがとうございます。」
アキにそういって何度も頭を下げたのは、街から逃れてきた母子だった。
傷ついた幼いわが子を助けてほしいと、母親はアキに願い出た。
若干、三歳の男の子は瓦礫の下敷きになった。
なんとか助け出されたが、下半身の骨はぐちゃぐちゃで、内蔵の一部もひどく傷いていた。
それは、ちょうど数時間前。
男の子の容態は一刻を争った。
しかし、手当てを受ける順番が、なかなか回ってこなかった。
そして、やっと順番が回ってきたときの母親は気が狂うほどだった。
アキは、その子を助けるために、全身全霊の力を注いだ。
精神を集中させて、穏やかに“癒しの力”を放射し続ける。
じっくりと、そして、確実に。
男の子の怪我は、少しずつ完治していく。
そして、ようやく処置が終わった瞬間、アキの意識がふーっと遠のいた。
遠い場所で、母親の声がかすかに聞こえる。
補助についていた村の女性が、アキの体を支えた。
「姫さま。お気をしっかり。姫さま!」
すると、どうにか意識を保ったアキが、静かに目を見開いた。
「だ…大丈夫です。何でもありません…。」
アキは、囁きに近い声で女達にそういった。
「姫さま…。」
母親は、オロオロしながら、アキに呼びかけた。
最愛の息子が助かったことで緊張の糸が切れたことと、代わりにアキが急変したことで、母親の気力は失くなりかけていた。
アキは、そんな母親に手を差し伸べると、溜息のような声で優しく語りかけた。
「まだ、この子の体力は回復していません。十分、休ませてあげてください。もう、大丈夫ですから…。」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます!」
泣き出した母親は、子どもを抱き上げると、頭を下げながら収容所を出て行った。
母親の姿を笑顔で見送ったアキは、補助の女性に聞いた。
「次の人は…。」
「姫さまの方こそ、しばらくお休みください。」
「そうです。このままでは姫さまが…。」
「私は大丈夫…。まだ、助けを待つ人が大勢います…。お願いです…。」
「いけません!」
女達の叫び声を聞きつけて、地球人メンバーの一人、レイコが収容所に入ってきた。
外に並ぶ患者の世話をしながら、レイコは常にアキの様子を気にかけていた。
レイコは、フラフラになったアキの様子を見返すと、思わず唇をかみ締めた。
「バカだわ。こんなになるまで続けちゃって。何度も忠告したはずよ! やめなさい、今すぐに!」
「そうはいかない…。」
アキは、小さくかぶりを振った。
レイコはアキを睨みつけた。
「その前に、あんたが持たなくなるわ!「細胞復活」はね、いえ、“アクエリアス”の力は、そんな都合のいい力じゃないわ。自分を犠牲にして力をだすんでしょ? あんた、自分が神様か何かになったつもりでいるの?」
「そんなことないわ…。」
アキが口を開こうとした時、騒ぎに気づいたニトルがやってきた。
「いったい、どうしたのですか?」
事の次第を理解しようと、ニトルは質問する。
レイコがニトルに訴えた。
「アキのやつ、とっくに限界を超えてるわ。」
その言葉でニトルは状況を把握した。
そして、すぐに女達に命じた。
「わかりました。早く、アルテイア様を休ませるのだ。」
慌てた女達は、アキの体を支えて立たせようとする。
しかし、アキは女達の手を振り払うと、逆に一同にいった。
「いえ、約束です。スーさんの新薬ができるまで。それまで、私の役目を果たさなくては・・・」
ニトルが強い口調で制した。
「なりません。あなたのお体は、あなただけのものではない。そんなことでは、トリトン様が悲しまれます。無茶はおやめください。」
アキはかぶりを振った。
「彼は関係ありません。これは、私がやらなくてはいけない目標です・・・。」
「何いってんの! あんたは、あんたのできることを世一杯やったんだから。もう十分よ。」
レイコがわめいた。
その時、外で馬の鳴き声が響いた。
首をめぐらしたニトルは、目を細めて様子を窺った。
「ん? あれは、外からの使いですな?」
外の様子を気にするニトルに、レイコは視線を向けた。
「使いって?」
ニトルは頷きながら説明した。
「はい。緊急の場合のみ、馬の伝令をよこすように手配してあります。街のほうで、何か動きがあったのかもしれません。」
「そんなこと、後回しにしてよ!」
レイコは頭にきた。
そのうち、馬から降りた鉄郎が、収容所の中に入ってきた。
ニトルは、それに気づくと声をかけた。
「あなたでしたか。何かありましたか?」
が、とたんに、一緒にいたレイコの顔つきが変化した。
鉄郎は、ニトルの言葉を受けて口を開きかけた。
「ええ。言付けを・・・。」
その直前、鉄郎の前にすっとんできたレイコが、無理やり鉄郎の腕をとった。
「鉄郎ちゃん、ちょうどよかった。こっちに来て!」
「な、何? 急に…。」
「いいから、いらっしゃい!」
「何だよ、いったい!」
わけもわからずに手を引かれて、鉄郎は収容所の奥に入ってきた。
それと同時に、スッとまぶたを閉じたアキの体がグラリと大きく揺れた。
慌てて、控えの女性達がアキの体を抱き止める。
それっきり、アキは意識をなくしたまま動かない。
「いったい、どうなってるんだ?」
戸惑い顔の鉄郎に向かって、レイコが初めて鉄郎に理由を話した。
「アキの奴、不眠不休で力を使い続けて、怪我人を治していたのよ。」
「なんだって?」
「鉄郎ちゃんなら、アキを止めさせられると思ったの!」
レイコはそういいながら、ほっと溜息をついた。
鉄郎は目を見張るだけで精一杯だ。
ニトルは、言葉を失っている。
そこへ、別室にこもっていたスーが姿を現した。
「グッドタイミングで薬ができたわ。これで、患者の治療も少しは楽になるでしょう。」
介助の女達からは、喜びの声があがった。
「お姫さまは、十分がんばってくれたわ。後は、私達で何とかやっていきましょう。」
「スーは医療の知識もあったんだね。」
鉄郎が声をかけると、スーは得意げに答えた。
「一応ね。これが生きていく手段。違法なことでもやっていかないと、女一人だと世の中を渡っていけないのよ。」
「違法なの? それ!」
レイコが目を丸くした。
「臨床試験はこれからだけど、なんとかなるわ。」
「おいおい!」
ニトルが慌てた。
「大丈夫よ、信じなさい!」
スーは胸を張る。
レイコは卑し目を向けた。
「怪しいな〜。この女…。」
鉄郎は何もいえない。
スーは、そんな鉄郎に視線を向けた。
「あなたもたいしたものね。あの頑固なお姫さまが、あなたの顔を見ただけで、子猫のように素直になるんだから。」
「別に、俺は…。」
鉄郎はいいかけて、ハッと表情を変えた。
元々の目的を思い出した。
「そうだ、ニトル。あなたに伝言を伝えるために来ました。いいでしょうか。市長からなんですが。」
「市長から? あの街の…。」
ニトルは、一瞬、驚いた様子で目を見張った。
しかし、すぐに表情を引き締めると、鉄郎に応じた。
「わかりました。その話は別の場所で。」
「はい。」
頷いた鉄郎は、ニトルに続いて足早に外に出ようとした。
レイコは、焦りながらその後を追った。
鉄郎に、気がかりなものを感じた。
「鉄郎、待ってよ。」
呼ばれた鉄郎は足を止めると、ゆっくりと振り返った。
レイコは、すがるように鉄郎に声をかけた。
「アキを、あのままにしておくの?」
「後は、他の人が何とかしてくれるだろう。」
鉄郎はこともなげに返答する。
すると、レイコの表情が寂しげに静んだ。
「前々から思っていたけど…。鉄郎は、アキに厳しすぎる…。」
「えっ…。」
鉄郎は顔をしかめた。
考えてもいなかったことをいわれて、鉄郎は戸惑いを隠せない。
レイコは言葉を続けた。
「鉄郎って、すぐにアキを突き放すような態度をとるよね。それも原因の一つだと思うよ。アキにも悪いところはいっぱいあるけど。」
「俺とアキは…。」
鉄郎は口を開きかけた。
「よく考えなさい。」
レイコは、真剣な顔つきで鉄郎を見つめた。
「鉄郎、それと、もう一つ忠告させて。」
「何だよ…?」
妙な威圧感におされて、鉄郎は一瞬ひるんだ。
レイコはビシッとした態度で、鉄郎に言い放った。
「そばに来ると臭うよ。お願いだから、ちゃんとお風呂に入りなさい。アキにいわれたら、絶対に入るでしょ!」
とたんに鉄郎の顔がひきつった。
鉄郎にとって、それが一番の難題だ。
「よけいなお世話だ!」
鉄郎は、投げやりな態度でわめいた。
ニトルにやや遅れて、鉄郎は、委員会の本部になっている小屋の中に入った。
そこでは、ケインとユーリィが委員会で提案された議事録をチェックし、更正な判断かどうかを選定する役目についている。
二人は、戻ってきた鉄郎の姿を見ると、呆れたように声をかけた。
「もどってきたのはあなたなの? 拍子抜けしたわ。」
「悪かったな。トリトンじゃなくて。」
遠慮のないケインの言葉に、鉄郎は口をとがらせた。
ケインに鼻をならしつつも、ユーリィが事務的な口調で鉄郎に質問した。
「街の様子は?」
「最悪だ。全然、復旧活動が進まない。生存者もだんだんと絶望されかけてきてる。」
「そうですか。ですから、市長がこちらになびいたというわけですな。」
ニトルが口をはさんだ。
「でも、市長は今度のことで、委員会の存在を認め、アトラリアの政治の建て直しに真剣に取り組む構えでいます。」
鉄郎が説明すると、ニトルはわすがに考えこむポーズをとりながら、口を開いた。
「そうしなければ、市民も納得しないでしょう。」
「でも、人手はいるんでしょ? 認めるしかないんじゃないの〜?」
ケインがそういうと、ニトルは小さく頷いた。
「ええ。その通りです。」
「市民達は、けっして腑抜けているわけではありません。ラムセスの勢力が衰えた今だからこそ、彼らの助力は大きな力になります。その力は、きっとオリハルコンを動かす源になるはずです。」
鉄郎は強い口調でニトルにいった。
「わかりました。後日、市長に正式に調印申し入れを申請してみましょう。」
ニトルがいった。
鉄郎は笑顔を浮かべた。
その鉄郎を見つめて、ケインは肩をすくめた。
「そのほうが、あなたにとっても、好都合かもね。」
鉄郎は、ムッとケインを見返しただけで、何もいわなかった。
ユーリィは雰囲気を変えようと、鉄郎に話題をふった。
「あなたは街にもどらなくていいの?」
「ああ。明日には、他のみんなも戻ってくる。今度は、こっちの作業を手伝うことになるよ。」
「ここも人があふれてきてるから、けっこう大変なのよ。」
ユーリィがそういうと、鉄郎が頷いた。
「そうみたいだね。」
すると、いきなりケインが間に割って入った。
「あたしを抜きに会話していいと思ってるの?」
「あんた、何様!」
ユーリィはケインを怒鳴りつける。
しかし、ケインは強引にユーリィをおしのけると、鉄郎との距離を縮めた。
身をすくめようとした鉄郎に、ケインは囁くような声でいった。
「鉄郎、あなた、これからどうするつもり?」
「どうするって…。」
「確かに、トリトンはまだ戻ってきてないわ。でも、それまでに、あなたも何かしらの結論を出さなきゃいけないのよ。」
「結論って…。そんなの、何も考えちゃいないけど…。」
鉄郎は、力なくいった。
すると、ケインは困ったような顔をして鉄郎を見返した。
「そんな…。だめじゃない。あたしが力になったげるわ。鉄郎が苦しむところ、あたしはみたくないもの〜。」
「いや、そういう気遣いは…。」
鉄郎は、苦笑いを浮かべながら身を引いた。
その脇で、ユーリィが溜息をついた。
「また、始まった…。もう、諦めたら? 一度は失敗してるくせに…。」
ケインは、ユーリィの腹に肘鉄を食らわせて、強引に黙らせる。
「鉄郎、あたしには相談できないの? 水臭いわぁ…。」
「いや、そんなわけじゃないけど…。」
が、ケインはいきなり鼻をひくひくさせた。
顔をしかめながら、鉄郎から慌てて身を引いた。
「だめ。ムード、だいなし!」
鉄郎もユーリィもきょとんとした。
ケインは鉄郎を睨みつけた。
「さっきから気になってたのよ。なんか、臭うわね〜って。原因は鉄郎だったのね〜。」
「しゃーないだろ。被災地のほうは水道がなくって、水を確保できない状態なんだから!
みんな、こんな臭いをさせてるよ!」
鉄郎は怒り出した。
しかし、ケインは強固な態度で鉄郎に言い返す。
「許せないわ。今すぐ、体を洗ってきて! でないと、続きがやりずらいじゃない!」
「なんの、続きだよ…。」
思わず鉄郎が脱力した。
ユーリィは、ぼやくような口調で鉄郎にいった。
「ケインって、とことん自分オンリーなのよね〜。鉄郎、悪いけど、目をつけられたあなたが悪いわ。諦めて。」
「俺、何も悪いことしてないだろ!」
「いいえ、あたしのムードをだいなしにしてくれたわ。責任とって!」
ケインが鉄郎に迫った。
鉄郎は嘆きだした。
「知らねぇよ、そんなこと!」
が、次の瞬間、ケインの表情は笑顔になった。
呆気にとられる鉄郎に向かって、ケインはいった。
「と、冗談はここまでにして…。鉄郎、疲れてるんでしょう? 癒してきなさいよ、あなたの身と心。」
「えっ…。」
鉄郎は、言葉をなくした。
「お疲れさまだったわね。でも、逃げることは許さないわよ。あなた自身の問題は、これから解決しなくちゃ。」
「わかってるよ。ありがとう。」
鉄郎は、ほっとしながらかすかに笑った。
「着がえ、後からもってくわ。」
そういったのはユーリィだ。
鉄郎は小さく頷いた。
「うん。」
鉄郎が小屋を出た後、ニトルが勢いにおされながら口を開いた。
「あの、今のはいったい…。」
「気にしないで。ちょっとした軽いコミュニケーション♪」
ケインは肩をすくめると、明るい口調で応じた。
ユーリィが言葉を続けた。
「あの子はトリトンと違って、自分の目的をはっきりさせる子だから。ただ、落ち込んでないか気になったんだけど、大丈夫みたいね〜。」
「はあ…。」
ニトルは何も言い返せない。
ケインは真顔でニトルにいった。
「さあ、時間がないわ。さっきの草案、もう一度練り直して!」
ケインは事務的な口調で、ニトルに指示を与えた。
張り詰めた空気が漂う。
ムードが一変した。