9.深 淵 1

 廃墟となったアトラリアの街並み。
 わずかな建物の名残があちらこちらに散在し、いたるところに瓦礫が散乱している。
 まるで、空爆にでもあったかのような惨状。
 さらに、日にちがたつにつれて、あたりに異臭が漂い始めた。
 泥と土と埃で視界が奪われ、足場も悪く、動き回るのは不便この上ない。
 そんな悲惨な現場の中を。
 かろうじて生き残った市民たちが、昼夜を問わずに、必死で復旧活動を続けていた。
 地球人のメンバーもその現状を聞かされて、街の救援に参加することになった。
 特に、肉市場のあたりがひどかった。
 誰もが感じた。
 原因はトリトンの力だ。
 トリトンの怒りが、この惨状を生み出したのだと。
 しかし、それを口に出すものはいない。
 与えられた目の前の仕事を、黙々とこなしていく。
 すでに数日が経った。
 だが、救援活動は遅々として進まない。
 メンバーのうち、男性陣だけが現場に残った。
 女性達は、怪我人の介護を森で行うために、二手に分かれた。
 過酷な労働に、さすがのメンバー達にも疲れが見え始めた。
 そろそろ、彼らにも休息が必要だった。


 数日たったにも関わらず。
 まだ、生存者の可能性が残されている。
 鉄郎は、瓦礫の下敷きになっている男性の救助に力を貸していた。
 言い出したのは鉄郎だ。
 一人でも多くの人を助けたい。
 誰もがそう思っていても、すべて手作業によるこの世界では、どうしても無理な場面につきあたる。
 この時もそうだった。
 瓦礫の上に、さらに別の大きな瓦礫がおぶさるように重なり合っている。
 ショベルカーのような大型の重機がなければ、とうてい動かすことができない。
 しかも、ヘタに手を出せば崩落の危険もある。
 一か八かの判断を要するケースだった。
 しかし、鉄郎は一同を強く促した。
 テコの原理で注意深くやれば、可能性はあると。
 口でいうほど単純な作業ではないことは、誰にでもわかる。
 だが、鉄郎の意志と情熱は、そんな人々をつき動かした。
 呻き苦しむ人を早く助け出してあげたい。
 その思いを募らせて、男達が一つにまとまった。
 作業は慎重に、しかし、堅実に行われた。
 汗だくになりながら、男達は力を合わせる。
 声をかけあい、励ましあいながらの苦闘。
 そして、一時間後…。
 ようやく、一人の生存者を瓦礫の中から救出することができた。
 男達は、一気に脱力してその場にへたりこむ。
 鉄郎も、崩れるように座り込んだ。
 助け出された男は、すぐさまタンカーで別の場所に運ばれていく。
 がっくりとしながらも、その光景を見送った彼らは安堵の笑みをこぼしあった。
 そんな鉄郎の前に、スッと濡れタオルが差し出される。
 目を見張った鉄郎は、その人物を見上げた。
 仲間の一人、島村ジョーだ。
「お疲れさん。ここでも、よくがんばるな。」
「だって…。助けて欲しいっていってる人を…。見過ごせないよ…。」
 鉄郎は、息を吐きながら答える。
 ジョーは、苦笑した。
「休憩していいそうだ。休むか?」
「了解…。」
 鉄郎は答えた。
 それから、ジョーの足元に目線を向けた。
「ところで、お前、怪我してるよ。足に。」
「はあ?」
 鉄郎にいきなりいわれて、ジョーは視線を落とした。
 すると、目立たない太股の後ろを裂傷して、血を流していた。
「またか。作業していると、知らない間にやっちまうな。」
 露出度が大きいアトラリアの服のままだと、傷だらけになるのは当たり前だ。
 もう、一箇所や二箇所の擦り傷も気にならなくなってくる。
 鉄郎は、それでもいった。
「せめて、テープを張っとけよ。ばい菌が入っちまうぜ。」
 わかったよ、といいたげにジョーは笑う。
 鉄郎は立ち上がろうとした。
 すると、腕に鈍い痛みが走って顔をしかめた。
「イテテ…。肩に身がいっちゃった…。」
「現代人向きじゃない…。」
 鉄郎を助けてやりながら、ジョーはぼやくようにいった。
 二人は、現場から少し離れた木陰に移動した。
 そこで腰を下ろしながら、しばしの休息をとった。
「これじゃ、いっこうに終わりが見えないな。」
 復旧のめどがたたない惨状を眺めながら、ジョーはぽつりといった。
「これが、本当にトリトン一人の力のせいで起こったことなのか?」
 ジョーにそう聞かれると、鉄郎は重い口調で答えた。
「たぶん…。あいつの力はアキのそれを超えている…。」
「で、そいつは、まだ戻ってきてないか…。」
 ジョーは、他人事のような口調で呟いた。
「鉄郎、お前はどう思う?」
「・・・・・・・・」
 しかし、鉄郎は何も答えない。
 ジョーは、深くため息をつくと、鉄郎に視線を向けた。
「お前、先にテグノスの森に帰れ。そして、姫さんと、ちゃんと話をつけてこい。」
 鉄郎は、驚いたようにジョーの顔を見返した。
「この街を放っておいてか? できるわけないだろ、そんなの。」
「トリトンがもどってきたら、話す機会をまたなくすぞ。お前、まだ、一度もまともに話しあってないんだろ?」
 ジョーも口調を強めた。
 鉄郎はムキになった。
「そうだけど…。仕方がないじゃないか。すぐに借り出されて、余裕がなかったんだから。」
「いいわけなんか、聞きたくないぞ。」
 ジョーにきつく返されて、鉄郎は呆然とした。
 表情を緩めたジョーは、うんざりしたようにいった。
「お前はいつもそうだ。人の世話ばかり焼いて自分のことは後回し。それで、気がついた時には自分を追いこんで、どうしようもなくなっている。挙句はズタボロだ。」
 鉄郎は、困惑した顔でかすかに頷いた。
 ジョーは冷たく言い放った。
「だったら、さっさと行動しろ。昔のことを蒸し返すつもりはないが、このままじゃ俺も申しわけがたたない。徹也さんに対してな。」
「お前がアキへのこだわりを捨てられないのは、徹也さんとの約束のため…。いわれなくても解ってる。」
 鉄郎は自嘲気味に答えた。
 ジョーは、さらに語気強く言い返した。
「お前は、徹也さんに、姫さんのことを託された。」
「でも、もう、その徹也さんは死んでしまった…。」
 鉄郎は、小さな声で呟いた。
 ジョーは、空を見上げた。
「お前にとっては、すでに過去の出来事か…。」
「過去って…。そこまではいわないけど…。」
 鉄郎はぼそりと呟くと、顔をそむけた。
「今の俺に、いったい何ができるんだ?」
「意外だよ。」
 ジョーは、呆れたようにいった。
「お前たちがそんな薄っぺらい関係だったなんて…。そういい続けて、ずっと二人は離れてこなかった。離れようと思えば、いくらでも離れられたはずなのに…。」
 ジョーは、おもむろに鉄郎にいった。
「だったら、どうしてシンディさんと別れた?」
「そんなこと、お前に関係ないだろ!」
 鉄郎は、焦ってわめいた。
 そして、かすかな声で答えた。
「彼女とは、ただの馴れ合いだ。恋愛とか、そんなんじゃない…。俺は、彼女にふられた。蒸し返すな。終わったことなんだから…。」
「お前がふられたかったんだろ。彼女との関係は“終わった”といえるんだな。」
「何がいいたいんだよ、さっきから。」
 鉄郎は身を乗り出した。
 ジョーは真剣な顔つきで鉄郎を見返した。
「人のことはどうでもいい。お前のことだけを考えろといってるんだ。一番重要なのは、お前自身の気持ちだ。」
 鉄郎は何も言い返せない。
 ジョーは続けた。
「誰も、お前と姫さんの関係が終わったなんて思っちゃいない。お前は、今でも姫さんを守り通そうとしている。いったいどうしてだ?」
「それは…。」
鉄郎は、ややあって口を開いた。
「アキを、“姉貴”のような目にあわせたくないと思っているから…。でも、俺はアキを守ることなんかしていない。…やめよう。休憩になってないよ、こんなの。」
「逃げるな。」
 ジョーは、鉄郎の消極的な態度を責めた。
「姫さんも同じだ。お前を徹也さんのようにさせたくないと思っている。そうやって、お前達は繋がりを持ち続けてきたんだろ。それに、お前らしくない。力のあるなしで、逃げるようなヤツじゃないと思っていたけどな。」
「違う!」
 鉄郎は、大声で反論した。
「なら、それでいい。悪いが俺は姫さんじゃない。彼女とやりあえ。こういう話は。」
 ジョーは突き放すような口ぶりで返した。
「自分からふってきたくせに…。」
 鉄郎はふてくさった。
 ジョーは、おもむろに草地に寝転んだ。
「お前がバカ正直すぎる。それと、とことん不器用だ…。」
 鉄郎は草を一掴み毟り取ると、思わず放り投げた。
「俺は、お前のような恋愛の達人じゃない。」
 鉄郎が投げやりに答えると、ジョーは鼻をならした。
「俺のは“つきあい”だ。お前ほど、のめりこんじゃいない。“達人”の意味が違う。」
「どこまで事情通なんだか…。」
 鉄郎は押し黙った。
 と、そこへ、ロバートが倉川ジョウを伴って、二人のもとにやってきた。
「ここにいたのか。」
「何かあったの?」
 鉄郎は目を見張る。
 ロバートは、鉄郎にレポートの束を手渡した。
「これをニトルに届けろ。支援物資の追加リストと被害報告書だ。」
「俺が届けるの?」
 鉄郎がそういうと、ロバートは当然のようにいった。
「交渉事は、お前の専売特許だろ。」
「交渉事なら、倉川ジョウのほうが俺よりも向いてる。」
 すると、倉川ジョウは手を大きく広げた。
「俺はあのオッサンが大の苦手だ。最初に、あのオッサンを言いくるめたのは、鉄郎、お前だぜ。」
「みんなして。そんなに、俺を森に帰したいのか?」
 鉄郎がムキになりかけると、ロバートが逆に言い返した。
「森に帰ると、何かヤバいことでもあるのか?」
「えっ…。」
 鉄郎は絶句する。
 ロバートは事務的に事をついだ。
「ここの街の市長がついに折れてきた。森に立てこもる連中の力を貸してほしいそうだ。わかるな。この意味が。」
「それって…。」
 鉄郎は息を飲む。
 倉川ジョウがいった。
「ここの市長は、ラムセスの息がかかったヤツだ。しかし、そっちとの縁をきって、仮の新政府の方針に従い、その一員に加わることを了承した。ただし、ニトルのオッサンがそれを認めるかはまったくの未知数だ。」
「だから、俺はお前を推薦した。救援本部のリーダーも、お前にその役目をまかせたいといっている。」
 ロバートが言葉を続けた。
 鉄郎はいぶかしんだ。
「どうして、俺を…?」
「お前は、ここの連中の気持ちを一つにまとめあげるのに一役買ったんだぞ。それすらも気がついてないのか? 他人の世話を焼きすぎるお前の人徳だな。」
 島村ジョーが口をはさんだ。
 鉄郎は呆気にとられるだけで、何も言い返せない。
 ロバートは、鉄郎を急かした。
「わかったら早く行け。ここの連中もニトルも、お前には強い信頼を寄せている。その期待に答えてこい。」
「うん…。」
 鉄郎はうつろに頷いた。
「馬を用意した。あいつに乗っていけ。」
 ロバートの指差す方向に馬の姿が見える。
 鉄郎は戸惑うようにいった。
「だけど、馬はここの現場に必要な道具だ。歩いていけるよ、森までなら。」
「事は急を要する。お前にも馬は必要だ。」
「うん…。」
 鉄郎は、仕方なくロバートの言葉に従った。
 木陰を離れると、草を食べながらのんびりとしている馬に近づいた。
 馬の気性は穏やかそうで、鉄郎が近づいてもゆったりとしている。
 鉄郎は安堵した。
 美しいブラウンの毛並みをそっと撫でながら、鉄郎は声をかけた。
「よろしく頼むな。」
 そして、軽乗鞍にゆっくりとまたがった。
 そうして去っていく鉄郎を見送りながら、ジョーがぼつりといった。
「あいつ、馬にも乗れたのか。」
「乗馬も、たしなむ程度に教えてやった。」
 ロバートは、さらりと返した。
「これで、うまくいってくれるといいが…。」
 ジョーが呟くと、倉川ジョウは呆れたようにいった。
「どうせ、説教でもしてたんだろ? 神経が磨り減っちまう。そんなのに関わっていたんじゃ。」
「あいつとは、それだけ付き合いが長いんだ。」
 ジョーが答えると、倉川ジョウはフンと鼻をならした。
「お前も相当なお人よしだ。」
 ロバートが二人の会話に割り込んだ。
「鉄郎のことだ。何とかするだろう。しかし、あいつまで道を踏み外したら、俺たちもたちまち道ずれだ。それだけは避けなくてはならん。」
 そして、二人に続けて指示を出した。
「レーサーさん、あんたにもお呼びがかかっている。交代だ。」
「人使いが荒いぜ。まったく。」
「とにかく、今日一日手伝えば、とりあえずのお役御免だそうだ。がんばってこい。」
「やれやれ。」
 ジョーはいいながら、その場を立ち去った。
 代わりに腰を下ろした倉川ジョウとロバートは、配給された水筒の水を飲み干した。
「所詮、俺たちはよそ者だ。ここの連中は、俺達をやっかみ扱いしている。そいつが気にくわねぇ。」
「トリトンとお姫さんの身内ということで、大目にみてもらってる。二人に感謝しろ。」
 ロバートは皮肉めいた口調で言い返した。
 倉川ジョウは鼻をならした。
「俺達は、あのガキの家来じゃない。うんざりだ。そういうのは。」
 愚痴をたれる倉川ジョウを見やりながら、ロバートは苦笑した。
 だが、その表情は、すぐに厳しいものになった。
 これからのことを考えると、けっして楽な道のりではない。
 どうしようもない事態に、どう対処していけばいいのか。
 回答が引き出せない現状に、苛立ちをおさえることができなかった。