8.過去への旅 8

 映像が消えた。
 消えるとすぐに。
 霧が晴れるように、オーラの輝きが薄れてなくなった。
 透明な“アクア”の海上。
 澄みきった空。
 そよぐ風。
 穏やかに海上を漂う、エネシスの甲羅の背中ー。
 現実がもどってきた。
 しかし、一同は、幻覚との間を、まださまよっている。
 あの光景が、脳裏にこびりついたまま離れない。
 それほど、受けた衝撃が大きすぎた。
 ワッと泣き崩れたレイコと裕子以外の仲間は、心の中で手をあわせ弔いの祈りを捧げた。
 トリトン・ウイリアムとアキは、力を出しきったとたんに、その場に崩れた。
 二人とも、精神的ダメージを強く受けた。
 二人は動揺している。
 アキは、悲しみをこらえて身を震わせ、トリトンは、怒りでエネシスの甲羅を殴りつけた。
「ラムセスのやつ、あんなに簡単に、ぶっ殺すんじゃなかったぜ…!」
 ケインとユ−リィ、ジョーコンビが心配して、二人に駆け寄ろうとした。
 しかし、アキは、
「そっとしておいて…。」
 と呟き、また、トリトンの方も、
「力を出しすぎただけだ…。」
 といったので、四人は、引き下がるしかなかった。
 エネシスは彼らの様子を見守っていたが、ぽつりと、衝撃的な言葉を告げた。
「ラムセスは、まだ、生きている…!」
 一同は、えっと表情を変えて、ラムセスの方を見上げた。
 立ち上がったトリトンが、かぶりを振りながら、激しく反論した。
「嘘だ! あの男は、俺がこの剣で確かにやっつけた! あいつの肉体は、オリハルコンで消滅したはずなのに…。」
 そう断言しかけて、トリトンは、思わず息を飲んだ。
「…まさか…! 俺が倒した相手は影武者? そういうことなのか? エネシス…!」
「いいえ。ラムセス本人です。」
 エネシスは静かにいった。
「しかし、アクエリアスの血筋を引き継いだ人間を、甘く見てはいけません。肉体と精神を切り離すことができます。」
「前世のトリトン・アトラスとアルテイアみたいにか…。」
 目を細めながら、呟いた倉川ジョウは、かぶりを振った。
「やっかいな相手だ。」
「そうよね〜。同じ力を持っているはずの、前世の坊や達があんなに苦戦したのよ。簡単に倒せる相手じゃないっていうのも、わかる気がするわ。」
 冷静な口調で、そういったのはユーリィだ。
「相手は幽霊よ。そんなヤツを、倒せる方法がちゃんとあるの?」
 ケインがエネシスを睨みつける。
 エネシスが口を開いた。
「ヤツは、オリハルコンのエネルギーを必要とする生命体です。オリハルコンが少ない現状では、ヤツのほうも動きようがない。それに、前世のトリトン・アトラス、アルテイアの力は、今の二人の、六部から七部でしかありませんでした…。」
「あれで、六部から七部なの〜?」
 ケインが呆れる。
 エネシスが頷いた。
「そうです。あの映像は、真の力を知ってもらうためにお見せしました。“アクエリアス”の力は、個人の精神的、肉体的成長に比例します。前世の二人は、追いつめられていた。十四歳の若さで、それ以上の能力を引き出してしまったのだ。身を滅ぼすことを覚悟の上で…。気の毒なことをさせました…。」
 エネシスはやや言葉を置くと、一同に昂然と主張した。
「だが、今のあなた方には、そうなってほしくない。能力を知り、その能力を無理なく引き出すことができれば、ラムセスなど恐れる相手ではありません…。」
「その言葉、真に受けていいの?」
 ユーリィが口を開いた。
「あなたの理屈だと、オリハルコンが増大してくると、ラムセスが復活してくることになるわ。」
 エネシスは、静かに断言した。
「その時、オリハルコンがどういう力を示すのか、トリトン・ウイリアムなら理解できるはずだ…。」
「………」
 トリトンは、何も答えない。
 エネシスは、トリトンを見返した。
「トリトン・ウイリアム。あなたには、克服すべき幾つもの課題がある。これ以上、時間を割く余裕はありません。残り一ヶ月。オリハルコンが復活できるかどうかは、すべて、あなたにかかっている。それが、しいては、あなたの仲間を守ることになります。」
 トリトンはため息をついた。
 肩をすくめると、うんざりしたようにいった。
「どうしても、俺に、トリトン・アトラスの尻拭いをさせたいらしいな。」
「お嫌ですか?」
 エネシスが聞くと、トリトンは大きくかぶりを振った。
「当然だろ。いきなり現れたと思ったら、理不尽な話を吹き込まれて、世界を救えだなんていわれても…。納得出来るほうがおかしい…。」
「ならば、私がした話はすべて無駄になる。早々に、この場からお引取り願いましょう。ただし、この世界からは、あなた方は出て行けません。トリトン、たった今、あなたがそう選択した。私は、そのあなたの選択に、是非を問う立場ではありません。」
「それじゃ、脅迫だ!」
 トリトンは反論する。
 すると、ロバートは口を開いた。
「いや、筋がとおっているんじゃなのか? 亀のじいさんの方が。」
 トリトンは、えっと表情を変える。
 ロバートがいった。
「お前がどう嫌がろうと、現状は何も変わらない。生まれついた境遇に文句たれたって、誰も、代わってやれないんだぞ。」
「………」
 トリトンは呆気にとられた。
 ロバートは、思わせぶりな笑みを浮かべると、トリトンに言葉を重ねた。
「坊や、お前がいった、あの言葉は嘘だったのか? 」
「言葉?」
「そうだ。“期待を裏切らない”って。俺が聞いた言葉は、幻聴だったかな…。」
 トリトンは言葉をなくした。
 ロバートは、無言でたたずむ鉄郎に視線を向けると、声をかけた。
「鉄郎。お前ならどうする? この坊やの立場だったら…。」
「どうして、俺にそんなことを聞くんだ?」
 鉄郎は、困惑したように口を開いた。
 ロバートは、区切るような口調で言い返した。
「お前も当事者だ。この坊やを信頼した責任がある。でなきゃ、お前の相棒どもまで、一緒に路頭に迷わせることになる。そうは思わないか?」
「そう…だね…。」
 鉄郎は何度も頷いた。
 そして、トリトンにいった。
「トリトン、俺達のためにがんばってもらえないだろうか…。君ならやれると、俺は信じたい…。」
「鉄郎に、頭を下げられるなんて、思わなかったよ。」
 トリトンは、両手を大きく広げてみせた。
「本心じゃないでしょ? 俺が、アキを奪いとっていいわけだ。それ、あなたは認められるの?」
「お前…。」
 鉄郎が反論しかける。
 と、トリトンは、皮肉の込もった笑みを浮かべた。
「心にもないこと、軽々しく、口にしないほうがいい。そのくらいの判断、あなたなら、ついていると思っていたけどな…。」
「トリ。いいすぎだぜ。そいつは。」
 倉川ジョウが、トリトンをたしなめた。
 一方で、島村ジョーが、鉄郎に視線を送った。
「鉄郎、姫さんと話あったほうがいい。でなきゃ、トリトンにも伝わらない。」
 鉄郎は、頷くような仕草をした。
 そして、こういった。
「ここで、いうべきことじゃない。後で彼女と話し合うから。心配させて悪い…。」
 アキは顔を伏せたまま、何も答えようとしない。
 鉄郎は、アキの方を、できるだけ見ないようにしている。
 エネシスが、再び口を開いた。
「トリトン・ウイリアム。あなたはひどい誤解をされています。今のあなたの能力は、あまりに未熟。まずは、精神力を高めることが、最重要課題です。アルテイア以上の若さが、なによりのハンディです。そんな状態で、アルテイアの力を得ようとすることは、無謀という意外、何も申せません。」
 全員が唖然とする中、ケインが、いきり立ったようにわめいた。
「ふざけんじゃないわ! そんなの、一言も説明しなかったじゃない!」
「いえ。真実だけを、お伝えしております。」
 エネシスは、淡々と語り続ける。
「ラムセスに勝つ方法があるとするならば。力を身につけることが先決です。だが、その道のりも甘くはない。途中の挫折は認めません。その目標に達するまで、厳しい鍛錬をつんでいただきます。覚悟してください。」
 トリトンは肩をすくめた。
「まったく…。ひでぇ、貧乏くじを引かされた!」
 トリトンの反論は、それ以上続かない。
「とんだ食わせもんのじいさんだ。」
 うんざりしたように、倉川ジョウがぼやいた。
 その時、一同に衝撃が走った。
 トリトンの周囲で、全員の短い悲鳴が上がる。
 トリトンがあわてて見返すと、一同の姿はなく、トリトン一人しか残っていない。
「いったい何をした?」
 叫ぶトリトンに、エネシスは、平然とした口調で返した。
「皆さんには、テグノスの森にもどっていただいた。彼らにも、それぞれの役割がある。」
「勝手すぎるだろ!」
 トリトンは憤った。
 だが、エネシスはトリトンを無視すると、その周囲に結界を張り巡らせる。
 周囲には、さっき、倒したはずのペイモスと同じ半魚人が現れた。
 トリトンは呆れて言い返した。
「こいつらは…。あれは、あんたのやらせだったのか?」
「いえ。あれは、確かにラムセスの罠です。しかし、今は、それを利用させていただきます。」
 半魚人の一人が剣を手にして、トリトンに斬りかかってきた。
 トリトンは慌ててかわすと、エネシスを睨みつけた。
「エネシス、こいつらと戦わせるつもりか?」
「最初の試練です。手は抜きません。本気でやっていただきます。」
 エネシスは、かすかな笑顔をつくった。
「あなたには、このくらいの強引さが必要だ。あなたの性格は、前世せんの頃より、存じあげております。」
 トリトンは舌打ちした。
「トリトン・アトラスは、あなたのことを、かなり嫌っただろうな。」
「なぜ、解ります?」
「俺が、そうだからだ。あんたは性質が悪すぎる!」
 トリトンは言い捨てた。
 半魚人達は、トリトンに容赦なく、斬りこんでくる。
 仕方なく、トリトンは、彼らに飛びかかっていくしかない。



 トリトンがテグノスの森に戻ってきたのは、それから十日後のことだった…。