映像が消えた。
消えるとすぐに。
霧が晴れるように、オーラの輝きが薄れてなくなった。
透明な“アクア”の海上。
澄みきった空。
そよぐ風。
穏やかに海上を漂う、エネシスの甲羅の背中ー。
現実がもどってきた。
しかし、一同は、幻覚との間を、まださまよっている。
あの光景が、脳裏にこびりついたまま離れない。
それほど、受けた衝撃が大きすぎた。
ワッと泣き崩れたレイコと裕子以外の仲間は、心の中で手をあわせ弔いの祈りを捧げた。
トリトン・ウイリアムとアキは、力を出しきったとたんに、その場に崩れた。
二人とも、精神的ダメージを強く受けた。
二人は動揺している。
アキは、悲しみをこらえて身を震わせ、トリトンは、怒りでエネシスの甲羅を殴りつけた。
「ラムセスのやつ、あんなに簡単に、ぶっ殺すんじゃなかったぜ…!」
ケインとユ−リィ、ジョーコンビが心配して、二人に駆け寄ろうとした。
しかし、アキは、
「そっとしておいて…。」
と呟き、また、トリトンの方も、
「力を出しすぎただけだ…。」
といったので、四人は、引き下がるしかなかった。
エネシスは彼らの様子を見守っていたが、ぽつりと、衝撃的な言葉を告げた。
「ラムセスは、まだ、生きている…!」
一同は、えっと表情を変えて、ラムセスの方を見上げた。
立ち上がったトリトンが、かぶりを振りながら、激しく反論した。
「嘘だ! あの男は、俺がこの剣で確かにやっつけた! あいつの肉体は、オリハルコンで消滅したはずなのに…。」
そう断言しかけて、トリトンは、思わず息を飲んだ。
「…まさか…! 俺が倒した相手は影武者? そういうことなのか? エネシス…!」
「いいえ。ラムセス本人です。」
エネシスは静かにいった。
「しかし、アクエリアスの血筋を引き継いだ人間を、甘く見てはいけません。肉体と精神を切り離すことができます。」
「前世のトリトン・アトラスとアルテイアみたいにか…。」
目を細めながら、呟いた倉川ジョウは、かぶりを振った。
「やっかいな相手だ。」
「そうよね〜。同じ力を持っているはずの、前世の坊や達があんなに苦戦したのよ。簡単に倒せる相手じゃないっていうのも、わかる気がするわ。」
冷静な口調で、そういったのはユーリィだ。
「相手は幽霊よ。そんなヤツを、倒せる方法がちゃんとあるの?」
ケインがエネシスを睨みつける。
エネシスが口を開いた。
「ヤツは、オリハルコンのエネルギーを必要とする生命体です。オリハルコンが少ない現状では、ヤツのほうも動きようがない。それに、前世のトリトン・アトラス、アルテイアの力は、今の二人の、六部から七部でしかありませんでした…。」
「あれで、六部から七部なの〜?」
ケインが呆れる。
エネシスが頷いた。
「そうです。あの映像は、真の力を知ってもらうためにお見せしました。“アクエリアス”の力は、個人の精神的、肉体的成長に比例します。前世の二人は、追いつめられていた。十四歳の若さで、それ以上の能力を引き出してしまったのだ。身を滅ぼすことを覚悟の上で…。気の毒なことをさせました…。」
エネシスはやや言葉を置くと、一同に昂然と主張した。
「だが、今のあなた方には、そうなってほしくない。能力を知り、その能力を無理なく引き出すことができれば、ラムセスなど恐れる相手ではありません…。」
「その言葉、真に受けていいの?」
ユーリィが口を開いた。
「あなたの理屈だと、オリハルコンが増大してくると、ラムセスが復活してくることになるわ。」
エネシスは、静かに断言した。
「その時、オリハルコンがどういう力を示すのか、トリトン・ウイリアムなら理解できるはずだ…。」
「………」
トリトンは、何も答えない。
エネシスは、トリトンを見返した。
「トリトン・ウイリアム。あなたには、克服すべき幾つもの課題がある。これ以上、時間を割く余裕はありません。残り一ヶ月。オリハルコンが復活できるかどうかは、すべて、あなたにかかっている。それが、しいては、あなたの仲間を守ることになります。」
トリトンはため息をついた。
肩をすくめると、うんざりしたようにいった。
「どうしても、俺に、トリトン・アトラスの尻拭いをさせたいらしいな。」
「お嫌ですか?」
エネシスが聞くと、トリトンは大きくかぶりを振った。
「当然だろ。いきなり現れたと思ったら、理不尽な話を吹き込まれて、世界を救えだなんていわれても…。納得出来るほうがおかしい…。」
「ならば、私がした話はすべて無駄になる。早々に、この場からお引取り願いましょう。ただし、この世界からは、あなた方は出て行けません。トリトン、たった今、あなたがそう選択した。私は、そのあなたの選択に、是非を問う立場ではありません。」
「それじゃ、脅迫だ!」
トリトンは反論する。
すると、ロバートは口を開いた。
「いや、筋がとおっているんじゃなのか? 亀のじいさんの方が。」
トリトンは、えっと表情を変える。
ロバートがいった。
「お前がどう嫌がろうと、現状は何も変わらない。生まれついた境遇に文句たれたって、誰も、代わってやれないんだぞ。」
「………」
トリトンは呆気にとられた。
ロバートは、思わせぶりな笑みを浮かべると、トリトンに言葉を重ねた。
「坊や、お前がいった、あの言葉は嘘だったのか? 」
「言葉?」
「そうだ。“期待を裏切らない”って。俺が聞いた言葉は、幻聴だったかな…。」
トリトンは言葉をなくした。
ロバートは、無言でたたずむ鉄郎に視線を向けると、声をかけた。
「鉄郎。お前ならどうする? この坊やの立場だったら…。」
「どうして、俺にそんなことを聞くんだ?」
鉄郎は、困惑したように口を開いた。
ロバートは、区切るような口調で言い返した。
「お前も当事者だ。この坊やを信頼した責任がある。でなきゃ、お前の相棒どもまで、一緒に路頭に迷わせることになる。そうは思わないか?」
「そう…だね…。」
鉄郎は何度も頷いた。
そして、トリトンにいった。
「トリトン、俺達のためにがんばってもらえないだろうか…。君ならやれると、俺は信じたい…。」
「鉄郎に、頭を下げられるなんて、思わなかったよ。」
トリトンは、両手を大きく広げてみせた。
「本心じゃないでしょ? 俺が、アキを奪いとっていいわけだ。それ、あなたは認められるの?」
「お前…。」
鉄郎が反論しかける。
と、トリトンは、皮肉の込もった笑みを浮かべた。
「心にもないこと、軽々しく、口にしないほうがいい。そのくらいの判断、あなたなら、ついていると思っていたけどな…。」
「トリ。いいすぎだぜ。そいつは。」
倉川ジョウが、トリトンをたしなめた。
一方で、島村ジョーが、鉄郎に視線を送った。
「鉄郎、姫さんと話あったほうがいい。でなきゃ、トリトンにも伝わらない。」
鉄郎は、頷くような仕草をした。
そして、こういった。
「ここで、いうべきことじゃない。後で彼女と話し合うから。心配させて悪い…。」
アキは顔を伏せたまま、何も答えようとしない。
鉄郎は、アキの方を、できるだけ見ないようにしている。
エネシスが、再び口を開いた。
「トリトン・ウイリアム。あなたはひどい誤解をされています。今のあなたの能力は、あまりに未熟。まずは、精神力を高めることが、最重要課題です。アルテイア以上の若さが、なによりのハンディです。そんな状態で、アルテイアの力を得ようとすることは、無謀という意外、何も申せません。」
全員が唖然とする中、ケインが、いきり立ったようにわめいた。
「ふざけんじゃないわ! そんなの、一言も説明しなかったじゃない!」
「いえ。真実だけを、お伝えしております。」
エネシスは、淡々と語り続ける。
「ラムセスに勝つ方法があるとするならば。力を身につけることが先決です。だが、その道のりも甘くはない。途中の挫折は認めません。その目標に達するまで、厳しい鍛錬をつんでいただきます。覚悟してください。」
トリトンは肩をすくめた。
「まったく…。ひでぇ、貧乏くじを引かされた!」
トリトンの反論は、それ以上続かない。
「とんだ食わせもんのじいさんだ。」
うんざりしたように、倉川ジョウがぼやいた。
その時、一同に衝撃が走った。
トリトンの周囲で、全員の短い悲鳴が上がる。
トリトンがあわてて見返すと、一同の姿はなく、トリトン一人しか残っていない。
「いったい何をした?」
叫ぶトリトンに、エネシスは、平然とした口調で返した。
「皆さんには、テグノスの森にもどっていただいた。彼らにも、それぞれの役割がある。」
「勝手すぎるだろ!」
トリトンは憤った。
だが、エネシスはトリトンを無視すると、その周囲に結界を張り巡らせる。
周囲には、さっき、倒したはずのペイモスと同じ半魚人が現れた。
トリトンは呆れて言い返した。
「こいつらは…。あれは、あんたのやらせだったのか?」
「いえ。あれは、確かにラムセスの罠です。しかし、今は、それを利用させていただきます。」
半魚人の一人が剣を手にして、トリトンに斬りかかってきた。
トリトンは慌ててかわすと、エネシスを睨みつけた。
「エネシス、こいつらと戦わせるつもりか?」
「最初の試練です。手は抜きません。本気でやっていただきます。」
エネシスは、かすかな笑顔をつくった。
「あなたには、このくらいの強引さが必要だ。あなたの性格は、前世の頃より、存じあげております。」
トリトンは舌打ちした。
「トリトン・アトラスは、あなたのことを、かなり嫌っただろうな。」
「なぜ、解ります?」
「俺が、そうだからだ。あんたは性質が悪すぎる!」
トリトンは言い捨てた。
半魚人達は、トリトンに容赦なく、斬りこんでくる。
仕方なく、トリトンは、彼らに飛びかかっていくしかない。
トリトンがテグノスの森に戻ってきたのは、それから十日後のことだった…。