最初のアトラリアの歴史は、対照的な二人の指導者が、お互いを干渉することなく、ポセイド二アを再建していくという、奇妙な縮図で幕を開けた。
事実を知るはずのエネシスでさえも、その真意を推し量るのは、とても困難だった。
しかし、それぞれの指導者達は、己の信念に忠実であり続けた。
一方の指導者となった、トリトン・アトラス。
彼が、アトラリアでまず行ったことは、荒れた大地に、自身が夢見ていた美しい森を再現することだった。
後に、その森は、“テグノスの森”といわれるようになった。
トリトンは、その森を拠点にして、ラムセスに対抗した。
そして、アクエリアス一族が統治する平和で美しい、第二のポセイド二アの再現に力を注ごうとした。
対する、もう一人の指導者ラムセス。
彼は、ひき続き、オリハルコンの力にこだわり続けた。
城を拠点にしながら、元のポセイド二アの街を、急ピッチで再建していった。
ようやく生きのびた市民達は、ラムセスが命じた無理な圧政のもとで、重税と労役に苦しんだ。
だが、その犠牲があって、ポセイド二アは、奇跡とも思える速さで復興を遂げた。
そうして築かれた都市は、ラムセスの意のままのものだった。
しかし、数ヶ月たったある日。
この微妙な均衡が、破られる事件が起きたー。
テグノスの森には、ラムセスの圧政から逃れた人々が、しだいに集まってきた。
貧しい市民や農民達。
当初は、十数名ほどしかいなかったトリトン・アトラスの仲間が、いつの間にか、百数十人ほどに膨れ上がった。
その時、トリトンはラムセスに対し、ついに戦いの火の手をあげた。
この数ヶ月、ラムセス政治に便乗して、にわかに富を蓄えた成金者や、ラムセスに味方する貴族達が横行するようになっていた。
トリトン達は、そんな彼らを襲撃した。
そうして略奪した富を、貧しい者達に分け与えていった。
子供とはいえトリトンに対して、いいしれぬ怒りを感じたラムセスは、この時から、トリトン打倒に執念を燃やすようになった。
ラムセスは、幾度かにわたって、兵隊をテグノスの森に差し向けた。
しかし、あらゆる知恵を駆使して、トリトン・アトラスはラムセスの作戦に打ち勝った。
ある時は、子供だましの悪戯で。
ある時は、切れる頭脳を武器にした、大人顔負けの作戦で。
トリトンは、ラムセス一派を、ことごとく引っ掻き回した。
テグノスの森には、シールドが張り巡らされている。
近づいたラムセス兵達は、死んだアエイドロスや一族の亡霊達と遭遇し、恐れをなして逃げ帰った。
そのために、人々は、テグノスの森を“魔の森”と称して、恐れるようになった。
トリトンは兵士達と戦う一方で、相変わらず、略奪行為を繰り返した。
神出鬼没のトリトンの一団に、怯える者もいれば、進んで味方する者も現れた。
やや遅れをとったものの、トリトンもしだいに権力を蓄え、着実に勢力を拡大していった。
だが、いつまでも、トリトンのいいようにさせておくラムセスではなかった。
やがて、ラムセス自らが陣頭に立ち、テグノスの森の反乱分子を一掃するために、総攻撃を開始した。
ラムセス軍は、テグノスの森を焼き払い、農民やトリトン側の兵士達を、容赦なく抹殺していった。
もはや、今までのような小細工は通用しない。
トリトン・アトラス達は、捨て身の抵抗で、ラムセス軍を相手に応戦した。
しかし…。
壮絶な戦いを制したのは、攻め入ったラムセス軍だった。
トリトン・アトラスの一団は、圧倒的な数の差で壊滅し、ちりじりに四散した。
トリトンは、手痛い怪我を負った。
危ういところを救われたトリトンとアルティアは、エネシスと従者達の手によって、森から落ち延びた。
そして、彼らは、さらなる別空間“アクアの海底”に身を隠し、トリトンとアルテイアをかくまった。
負傷したトリトンは、数日間、生死の世界をさまよい続け、ようやく意識をとりもどした。
そこは、エネシスが築いた洞窟の中だった。
トリトンは、意識をなくしてからの経緯を、従者達から聞いた。
トリトンはひどく傷ついた。
自分自身の愚かさを嘆き、憤りを覚えた。
「くそっ…。結局、僕は三度もラムセスに負けて、やつに背を向けてしまった…。それで、僕だけが、生き残ってしまうなんて…。」
「あなたは、よくやった。」
エネシスが、励ますように声をかけた。
トリトンはかぶりを振った。
「気休めなんかたくさんだ…。僕は、間違っていた…。そのために、罪のない人々が、大勢犠牲になったんだ…。僕がみんなを…殺してしまった…。」
「皆、あなたのおかげで、生きる勇気を持てました。」
従者の一人が、口を開いた。
「あなたは、これからも生き続けなくてはいけません。人はまた集まってきます。すべての人が殺されたわけではないのですから。」
「お願い…。今は何も考えずに、ゆっくりと体を休めてください…。」
アルテイアが切ない声で訴えた。
トリトンは、うつろに呟いた。
「僕は、何よりも人を助けたかった…。ラムセスのせいで、苦しむ人々を救いたかった…。だけど、ラムセスを倒すことの方が重要だった…。あいつを先に倒さなきゃ…。じゃないと、何度も、同じことが繰り返されてしまう…。」
「民は喜んでいます。あなたの行いを…。」
従者に続いて、エネシスが口を開いた。
「あれだけの人数でも、十分、ラムセスに抗することができたのだ。次は、きっとラムセスを倒すことができる。その前に、早く、その傷を治されることだ。」
「そうですよ。トリトン・アトラス。」
神官が穏やかな声でいった。
「あなたは、我々、アトラスの王です。りっぱな、父王の遺志を受け継がれた王なのです。」
エネセスが言葉を続けた。
「ここ、“アクア”は、大地の下の別空間です。すでに、その狭間は封印済みです。さすがのラムセスも、ここまでは追って来れぬでしょう。今は、ゆっくりと養生されるがいい…。元気になれば、何でもやれるようになる。けっして、焦らぬように…。よろしいか?」
トリトンは落ちついた表情で、一同を見返した。
そして、囁くようにいった。
「しばらく、アルテイアと二人っきりで話がしたい…。いいかな…?」
顔を見合わせたエネシス達は、ややあって、トリトンの申し出を受け入れると、その場を離れていった。
アルテイアと二人っきりになってから、トリトンは、呟くようにアルテイアに語りはじめた。
「ねえ、アルテイア。僕達は、どうしてこんなことをしているんだろう…。だって、僕は最初、あれだけ王になるのが嫌だったのに…。いつの間にか、民衆を率いて、ラムセス一派と戦っているなんて…。」
「だって、あなたは王の子よ。そうするのが運命なの…。」
アルテイアは、そっと声をかけた。
すると、トリトンは表情を曇らせた。
「僕は、まだ王になりたくないと思っている…。この石の国だって、本当は大嫌いだ…。けど、気がついたら、またあの石の国を作ろうとしていた。まったく同じ国を…。こんなに嫌いなのに…。こんなに、この世界から出て行きたいと思っているのに…。」
アルテイアは、トリトンに呼びかけた。
トリトンは頷くと、搾り出すような声で言葉を続けた。
「僕は、もう一度、旅がしたい…。ダーナの船に乗って…。自由な海原をどこまでも航海して…。あの時のように、違う世界に行ってみたい…!
」
トリトンの瞳から涙があふれる。
アルテイアは、かろうじて涙をこらえると、トリトンに優しく声をかけた。
「本当は、あなたは、誰よりもアトランティスのことが好きなの…。だから、同じ国を作ろうとしたのよ…。あの、アエイドロスの時代にあった平和なアトランティスを…。だって、私達は、そのアトランティスで生まれ育ったの…。アトランティスこそ、私達の懐かしい故郷なのだから…。」
「だからかな…?」
トリトンが囁くようにいった。
「僕は、そのアトランティスに緑が欲しかったから、森を作った…。鳥や生き物に住んでほしいと思ったから、大地と空を作った…。」
「そうよ。そうなのよ…。」
アルテイアは何度も頷いた。
トリトンは、しばらく沈黙して嗚咽をこらえた。
そして、感情を抑えると、アルテイアに静かに語りだした。
「僕ね…。さっきまで夢を見ていたんだ…。ダーナの船に乗せてもらって、ずっと海を航海している夢を…。君もいたよ、アルテイア。みんなもいた…。ミラオも父王も母王も…。城の人達も…。みんな明るく笑っていた…。潮風が気持ちいいって…。みんなで話し合って…。みんなで楽しそうに…。」
「トリトン…?」
アルテイアは、目を見張った。
トリトンは泣き笑いの顔をして、呟いた。
「それでね、いろんな国を見て回るんだ。そこには、いろんな人達がいたよ。色の黒い人や、黄色い肌の人達とか…。みんなが、僕達のことを大歓迎してくれて、宴まで開いてくれた…。そして、持ちきれないくらいの、山のようなみやげ物をもらってさ、そうして、また次の旅に出て行くんだ…。君は、陸の野原を自由に飛び回っていたよ…。そうだ…。僕は、海にも潜ったっけ…。とても綺麗な魚達がいっぱいいて、イルカ達とずっと泳ぎまくった…。あんな楽しい夢を見たのは初めてだよ…。でも、どうして覚めちゃったんだろう…。ずっと、見ていたかったのに…。どうして…。」
「トリトン…!」
アルテイアは涙をあふれさせると、トリトンにすがった。
もう、止めることはできなかった。
トリトンも泣きながら、アルテイアを抱きしめた。
そうやって、二人は、ずっとお互いを思いやり続けた。
やがて、気持ちが落ち着いてくると…。
トリトンは、アルテイアの顔を覗き込んで、ぽつりといった。
「…結婚しようか。アルテイア…。」
「えっ?」
アルテイアは、びっくりしたように言葉をなくす。
トリトンは、わずかに照れながら言葉を続けた。
「本当は、もっと大人になって、平和な国を作ってからだなんて考えていたけど…。僕には、今しかないような気がして…。時間が、もう、ないように思えてしかたがないんだ…。」
アルテイアの顔がひきつった。かぶりを振ると、激しく訴えた。
「何をいってるの? そんなの、まるで遺言みたいじゃない…! あなたはまだ生きるわ!
ずっと、これからも…! 私はあなたについて行きます。そう決めたもの…! だから、そんな言い方はやめて…!」
「アルテイア…。」
トリトンは、アルテイアの艶やかな髪に触れると、優しくすきながら答えた。
「もう、僕には君だけだ…。君とはずっと一緒にいたい。これから先も、ずっと…。けっして離れたくない…。だから、そのために…。」
トリトンの言葉に耳を傾けていたアルテイアは、表情をしだいに和ませた。
そして、トリトンの唇を、すっと人差し指でおさえた。
目を丸くしたトリトンに、アルテイアは、にこやかに応じた。
「結婚しましょう。私達…。」
アルテイアは、トリトンとそっとキスを交わした。
そして、そのまま、トリトンにその身を預けた…。
瞬間、エネシスは、オリハルコンの異様な増加を、感じずにいられなかった。
まさかと思って、洞窟の奥に視線を注いだ。
すると、細胞復活の能力で、傷を完治させたトリトンと、手を携えたアルテイアが現れた。
「まさか、あなた方は…。」
「何も聞くな。」
トリトンは厳しい表情でいうと、エネシス達に口を開いた。
「エネシス。そして、みんなも…。これから、僕のいうとおりにしてほしい。今から、僕はラムセスとの最後の決着をつけに行く。」
「何ですと?」
「何を考えておられる?」
驚く一同に向かって、トリトンは、区切るように話しはじめた。
「一つの国に二人の指導者はいらない。ラムセスとは、『さし』で勝負をしたい。一対一での神聖な戦いだ。負けたものは勝者に従う。二度と、たてつかないという公約をとりつけて。」
「無茶ですぞ!」
従者の一人が反論した。
だが、トリトンは強く言い返した。
「これ以上、誰も犠牲を出したくない。」
「しかし、あなたが負けるようなことにでもなれば…!」
いいかけた従者を、トリトンは鋭く睨みつけた。
「僕がラムセスに負けるとでも…?」
「いえ。けっしてそのようなことは…。」
神官が弁解しながら訴えた。
「しかし、なぜ、急にそんな提案を…。事を急ぎすぎますと、良い結果は得られません。」
「これは、アルテイアと十分に話し合った結論だ。諸悪の根源はラムセスだ。僕は必ずあいつを倒す! この戦いは長引かせてはいけない。ますます、やっかいになってくる。」
「私もトリトン・アトラスに賛同します。」
アルテイアが凛とした声でいった。
トリトンが言葉を続けた。
「今、オリハルコンは、もっとも安定した状態にある。今後、千年以上、この状態が持続されるはずだ。あのラムセスだって、一度に吸収することはできないだろう。」
「まさか、あなた方はそのために…。」
絶句しかけるエネシスに、トリトンは首を横に振った。
そして、手に持っていた小さな小瓶を渡した。
エネシスは息を飲んだ。
トリトンがいった。
「『アクエリアス・アテビズム』。その中に入っているのは、僕とアルテイアの髪の毛と血液だ。ここを僕達が出発したら、すぐに始めてほしい。」
言葉をなくした一同を見返しすと、トリトンは明るい声で言い返した。
「そのくらいの覚悟がなくっちゃ! かっこよく、一騎打ちなんかやれないよ! 必ず僕は勝利してもどってくる! 見ててくれ!」
エネシス達は息を飲んだ。
しかし、トリトンの心情を察して、精一杯の笑顔を浮かべた。
トリトンは表情を引き締めると、真剣な様子で語った。
「僕もアルテイアも、未来を目指して生きていきたい。僕達は、けっして死なない。無事にもどってくる。その時こそ、このアトラリアを。僕らの第二の故郷を、みんなで協力して作っていこう。待っててくれるよね?
その時まで…。」
従者の中には、感極まって涙を流すものもいた。
トリトンは、彼らに元気よく言い返した。
「ここにもどってきたら、今度は、絶対に旅に出て、土のある世界に行くからね!
王族の僕だけに自由がないなんて不公平だ! 石の国に、このまま一生居座るなんて、真っ平御免だぜ!」
「トリトン・アトラス…。」
エネシスが、まぶしそうにトリトンを見返す。
そのエネシスは、トリトンの秘力で、巨大な海亀の姿に変えられた。
「ラムセスが次に狙うのは、エネシス、あなただ。あなたには生きて、このアトラリアを守り続けてほしい。僕が戻ってくるまでの辛抱だ。我慢してくれ。」
「お役に立てないことを、お許しください…。」
エネシスは、揺るがない忠誠をトリトンに誓った。
その一方で。
アルテイアが、一同に声かけを行った。
「みなさん。トリトン・アトラスと私は行ってきます。勝手は承知しています。ご迷惑をおかけますが、後のことを、よろしくお願いいたします。」
トリトン・アトラスとアルテイアは、ラムセスの居城を目指した。
だが…。
二人は、二度と、従者達のもとへもどることはなかった…。