“アクア”の海上…。
そこは、地上とまったく変わりがなかった。
果てしなく広がる水平線。群れる鳥。群青の空。
そして、本当の太陽ではないが、降り注ぐ明るい光に照らされて、海面が輝き、波が揺れている。
ただ違うのは、恐いくらいに海は澄みわたり、伝説の人魚や海獣が生息していることだろう。
気がつくと、アキは大きな岩の上に佇み、そんな光景をぼうっと見つめていた。
「こ、ここは…。」
我に戻って周囲を見回すと、仲間達もアキのように岩の上に立ち尽くしている。
全員が、それまで意識がなかったみたいに、呆気にとられながら首をめぐらした。
彼らの耳に、落ち着いた感じの、年寄りの声が聞こえてきた。
「気がつかれましたか?」
驚いた一同は、声がした方向を見やった。
すると、その視線の先に、キリンのような首が持ち上がってきて一同を睥睨した。
腰を抜かしそうになっている一同に向かって、声の主は優しく話しかけた。
「驚かせてしまって申し訳ない…。私がエネシス。“あなた方を招いた者”です。」
「エネシス…。あの化石の…?」
トリトンがハッとした。
エネシスはスッと首を垂れた。
「あなたのお力で、私は復活することができました。トリトン・アトラス。」
「俺の力…?」
トリトンはいぶかしんだ。
「そうですー。」
エネシスが言を継ごうとした。
そこに、ケインがわりこんだ。
「亀だろうが、魚だろうが、何だって構わないわ。こんなわけのわからない所に呼び込まれて、あたしらは迷惑してるの! さっさと元の世界に帰してちょーだい!」
「あなた方の世界でオリハルコンが狙われている…。あなた方は、そのオリハルコンを守るために、ここにやってきたのだ。」
エネシスは重い口調で告げた。
「守るなんてしんないわ!」
ユーリィが色をなした。
「あたし達は真相を究明に来ただけよ! しかも、派遣されて仕方なくね!」
「オリハルコンは貴重です。それが、どのような世界であろうと、定められたものは変わりません。」
エネシスは告げた。
「古代アトラスの時代から、オリハルコンはそうやって守られ続けてきた。オリハルコンは、この世界以外に存在しません。守っていただくために、この世界に来ていただくしか方法がございませんでした…。」
ロバートが呆れた。
「話がおかしい。このベルモンドは、オリハルコンを狙っている連中の一味だ。こんな所に連れて来ちまったら、みすみす教えてやっているようなものだ。」
ベルモンドの顔がひきつった。
エネシスは低く笑った。
「その者の心に、悪意は感じられない…。改心したのであろうな…。」
「何…?」
ロバートはベルモンドを見返した。
すると、その向こう側にいる鉄郎も、同時に視界の中に入る。
ロバートは小さく笑った。
「こっちの事情をかなり解ってくれているようで、話がしやすいよ。俺も同意見だ。もどしてくれるのは、あなたしかいない。そうしてくれないか?」
トリトンが口を開くと、エネシスはそっけなく応じた。
「戻りたいと思われるのであれば、ご自分の力で戻られることだ。」
トリトンは言葉をなくす。
一同の反感のまなざしがエネシスに向けられた。
「そんなの理屈になってない! どんな方法があたしらにあるっていうの!」
裕子が怒り出した。
エネシスは淡々と続けた。
「方法はいくつかある。トリトン・アトラスが更なる力を身につけること。または、そちらのアルテイアと結ばれるかだ…。」
「やめて下さい!」
アキが叫んだ。
「あなたもラムセスと同じです! あたしはアルテイアではない!」
「オリハルコンがそんなに重要なものなのか?」
鉄郎がいった。
「大きな力があることは認めよう。しかし、そんな物をめぐって、争いや世界が破壊されてしまうようなトラブルしか生まれないのだったら、消滅した方がいい。」
「オリハルコンに関わって、俺達はいい事に恵まれた試しはない。」
倉川ジョウが口をはさんだ。
「おまけに、使用する人間は、生体エネルギーを吸収されてしまう。生命の危険まで冒さなきゃならないなんて、おせじでも、役に立つエネルギーとはいいがたい。」
ジョウの発言を受けて、鉄郎は強い口調でいった。
「なぜ、アトラス人はそうまでして、オリハルコンにこだわり続けたんだ? 人間らしく、自然に生きる道を選択しようとしなかった? このアトラリアという世界は、一見、俺達が住む世界と変わりがないように思える。だけど、所詮は人工的に造られた世界だ。美しいものと醜いものが混在しすぎている。自然の世界はこんな世界じゃない。」
エネシスは無言のまま、一同の訴えに耳を傾けていた。
そして、ぽつりといった。
「おっしゃりたい事はそれだけですか?」
「何?」
鉄郎がカッとなりかけたのを、ジョーが肩をすくめて止めさせた。
「熱くなるな。」
「だけど、あたし達のいうことを、まるで聞こうとしないのよ。あの亀!」
レイコが口をとがらせる。
「聞いておるとも…。」
レイコはビクリとした。
一同はもう一度、エネシスを見上げた。
エネシスはゆっくりとかぶりを振った。
「しかし、この世界は、オリハルコンに頼らなくては生きていけないのです。あなた方の世界にもあるだろう。その国、その地方の民族の特徴というものが…。この世界には古よりオリハルコンが存在した…。そして、特定の選ばれし能力のある者だけが、育て、守り、使うことを許されてきた。それがこの国の特色であり、風習でした。それが、自然なことだと、長年にわたって受け入れられてきたのです。」
一同は呆然とした。
そんな中で、トリトンが口を開いた。
「オリハルコンと俺達の関係って、いったい何だ?」
「お答えしましょう。」
当然だといいたげに、エネシスは語りはじめた。
「オリハルコンの別名は“生命の源”。その言葉のとおり、正しく使用すれば、何もない所でも、生命が生まれる環境を創造できる力があるということは、お解かりいただけたはず…。しかも、オリハルコンは“意志”を持つエネルギーです。」
「“意志”?」
トリトンは目を見張る。
エネシスは大きく頷いた。
「さよう。」
エネシスの口調が強まった。
「オリハルコンの方が望んでいるのです。自分自身を正しく使用してくれる相手に巡り合えることを…。ラムセスはふさわしい人間ではなかった。己の欲求だけを求めて、野心のみにオリハルコンを使用した。オリハルコンはラムセスを拒絶した。だからこそ、ラムセスが王座についた時、オリハルコンは自らの意志で力を収縮させて減少していったのです。」
「そんなことが…。」
トリトンは息を飲んだ。
エネシスは続ける。
「ラムセスの思想を植えつけられた市民ですら、オリハルコンにとっては疎ましい存在だ。今のオリハルコンは、アトラリア全体の絶滅を望んでいる。」
一同は言葉を失った。
レイラがトリトンの腕にすがった。
「だからこそ、あなたが必要なんです。元の世界にもどるなんて、いわないでください。」
「レイラ、落ちついて。」
トリトンがなだめようとした。
様子を見ていたエネシスが言い聞かせた。
「結論を急ぎなさるな。オリハルコンは、自らの望みを叶える相手にトリトン・アトラスを選んだ。ロジャースという名のトリトンがこの世界にやってきた時、その気配をオリハルコンは感じ取った。お前さんが新しい力に目覚めることを、オリハルコンも予見していた。そして、オリハルコンは、お前さんを媒体にして秘力を放出しようとしているのだ。」
「俺は、選ばれるような人間じゃない…。」
トリトンは呟くように応じる。
しかし、エネシスは公然と主張した。
「いいや。オリハルコンは知っていた。自分をもっとも正しく使ってくれる相手がトリトン・アトラスだと。そして、その者の血を受け継いだお前さんこそが、ふさわしい相手だとな。」
トリトンは絶句した。
言葉が出ないトリトンの代わりに、アキが声をかけた。
「教えてください。どうして、あたし達がそんな血を継いでしまったのか…。あたし達は普通の人間とは違うのですか?」
エネシスは穏やかなまなざしでアキを見つめた。
「心を痛めておいでのようだ…。しかし、その傷はいえましょう。話は変わりますが、お答えします。まずは、“アクエリアス”という力についてです。」
エネシスは、そう前置きしてから、ゆっくりとした口調で語り始めた
「先ほどの話の中で、『特定の選ばれし能力者がオリハルコンを守る』とお教えした。その能力者が身につけていた秘力のことを指します。能力者とは、アトランティスにおいて、建国の王アトラスの血を受け継いだという王族。もしくはそれに近い身分の高官達のことでした。王の直系種族を“ポセイドニア一族”。それからはずれた傍系種族を“クイマ一族”という名で分類した。それらを称して“アクエリアス一族”といったのです。アトランティスは海神ポセイドンを崇める海洋国家。アトラスの言葉で“アクエリアス”とは、“海の子ら”という意味がございます。」
「それ、初耳。知ってた?」
ユーリィがトリトンを見た。
トリトンはかぶりを振った。
「親父の資料にもなかったし、ジリアスの遺跡にも語られていなかった…。」
トリトンはエネシスを見上げた。
「“アクエリアス”は凶事をもたらすともいわれていた。俺やアキの存在は、いったい…。」
「真実は、この私が語ることのみです。」
エネシスがいった。
「『凶事をもたらす』といわれたのは、オリハルコンの力と結びつけられたからだ。オリハルコンは世界を滅ぼすパワーすら秘めている。アトランティスが、周囲の列強国に恐れられていたのはそのためだ。まして、オリハルコンを操る“アクエリアス”の能力者は、畏怖と恐れの対象でもあった…。」
エネシスはトリトンを見つめた。
「また、『正反対の力』ともいわれ続けた。それは、“特異なアクエリアス”だからだ…。」
「特異…?」
トリトンは首をかしげる。
「話をもとにもどすとしよう…。」
エネシスはトリトンの戸惑いを無視すると、話を進めた。
「意味については、そのくらいでよかろう…。力、そのものの秘力も知っての通り。人の気であるオーラを高め、感情を外部に放出する方法で秘力を使う…。秘力のパターンは、個人差によって優劣が生じるものの、攻撃、防御、自然との感応、人の対話、治癒能力に分類される。そして、何よりも、“アクエリアス”の秘力は、その個人の成長過程に比例して増大していく…。」
「成長過程ですか?」
アキが聞いた。
エネシスは頷いた。
「そうです。その血を受け持つ者は、成人近くになれば、自然に力が覚醒する。トリトンの年代に開花するのは平均的なものだ。むしろ、アルテイアの年代になっても開花せぬ場合は、成長過程に問題があると解釈せねばなりますまい…。」
「生理現象だったのですか…?」
アキは声を震わせた。
羞恥が増した。
予想もしなかった答えに一同は何もいえない。
エネシスの説明が深くなった。
「ここからが本題です。」
一同の表情が変わる中、エネシスの説明が続いた。
「トリトンとアルテイア。お二人にその血が流れたということは、アトラスの歴史に深い関わりがある。だが、それ以上にお二人の今後の生き方をも左右するとても重要な事柄です。心して聞くこと。そして、前向きな精神力を保つこと。そうでなければ、これ以上のお話をするわけには参りません。よろしいですかな?」
エネシスのまなざしが一同に降り注がれる。
トリトンとアキは目と目を合わせた。
決心を確認しあうと、トリトンが口を開いた。
「構わない。聞かせてくれ。その本題を…。」
「わかりました。」
エネシスは頷くと、再び語り始めた。
「お二人の血は、隔世遺伝によって受け継がれた、極めて純粋な、血筋の中では最上位に位置づけられるほどに色濃いものです。あなた方の秘力は、特に優れた力だと申し上げておきましょう。先ほど、『特異な』と申し上げたのは、そのためです。」
「…………」
「隔世遺伝の仕組みはご存知ですな? ただ、あなた方の遺伝は何十代、何百代と遡ったところに繋がります。しかも、それはまれにみる純度の高い血筋となって伝わった。私達は、その遺伝を“アテビズム”と称しています。そして、お二人に伝えた相手が、あなた方の前世の姿だとなのる少年達です。」
「アテビズム現象か…。」
トリトンは目を細めた。
「それは、アトラス人が遺伝子操作で作り出したことだろう? その技術が優れたものであるのは認めよう。でも、生き方を左右するといわれても、それじゃ、あなた方の手の平で、俺達は弄ばれているような感じがする。俺は納得できない。一般論でも何でもない。それは、非道な人権損害行為だ。」
「それも道理ですが、あなたのご意見には、無理なこともございます。」
エネシスは、冷静な姿勢で会話を続けた。
「確かに、トリトン・アトラスとアルテイアの復活に、私達が手を加えたことは認めます。しかし、それがお二人に受け継がれるのか、否かというのは、誰にも保障できません。それは、あなた方でなかったかもしれない。血筋の濃さまで、計画することはできません…。」
「…………」
トリトンは無言だった。
エネシスは昂然といった。
「すべて、あなた方自身が“自らの運命”として受け入れて生きていくしかない。そうでなければ、命を絶つしかないのです。私は、お二人にそういう意味で了解を願い出ました。ご不満なら、これ以上、続けるわけにはいきません。しかし、トリトン。あなたの反論は不満ではない。自分自身への不安と恐れだ。私は、あなた方の不安を取り除くために、話しているということを、お忘れにならぬように…。」
「わかったよ。」
トリトンは肩をすくめた。
「ようするに、こんな運命を背負っちまった、俺やアキへのアフターケアなんだろ? だったら、最後まであなたの話を聞くしかない…。」
「ありがとうございます。」
エネシスは頭を下げた。
「誰にでもあるでしょう。それぞれの運命というものが…。自分では望まなくても、そうやって生きていくしかないということが…。生きていくのを、ましてや人というものを、やめるわけにはいかないのです。与えられた運命とうまく共存できる知恵を身につける。それが心の持ち様というもの。それこそが、精神力と呼ばれるもの。」
「確かにその通りだ。」
一同の顔を見回したロバートが、相槌を打った。
エネシスはトリトンとアキを見つめた。
「あなた方には、アクエリアスの力がある。そして、その力の意味を知らねばならない。意味をわけ知って使うのと、無心に巨大な力を使うのとでは、まったく違った結果が現れる。無防備に力を使用すれば、力は暴走し、自分自身も破壊しかねない事態に陥ってしまう。だが、力の意味を知ることで抑制が効く。コントロールできる能力が発揮されて、自分の力に恐怖心を感じることが少なくなるのです。」
二人は小さく頷いた。
エネシスは、穏やかなまなざしを浮かべた。
「オリハルコンもそうです。今のままではお二人とも、オリハルコンからも見放されてしまいますぞ。あの、ラムセスのように…。」
トリトンとアキは、顔を見合わせると、困ったように眉をひそめた。
「それって、最高のパートナーを失うってことだよな…。できれば、嫌ってほしくないんだけどな…。」
突然、エネシスが笑い始めた。
トリトン達は驚いてしまう。
エネシスは笑いをおさえると、こう続けた。
「申しわけございません。あまりに懐かしい言葉を聞いてしまったのもので…。昔のトリトン・アトラスも同じことをいっておりました。『オリハルコンは、最高の友である』と。オリハルコンを人のように例えたのは、あなたも同じです。」
「オリハルコンの意志って…。」
トリトンが口を開いた。
「それは、人の感情に近いものじゃなかったのか? なのに、ラムセスは、オリハルコンをただの普遍的なエネルギーとしか、解釈しなかった。だから、オリハルコンはラムセスに反応を示さなかった。違うのか?」
「それは、また後に触れましょう。話を先にすすめます。」
そういわれたら、トリトン達はエネシスの話に聞き入るしかない。
ケインは口元を歪めた。
「反論しようとすると、逆にこっちが指されるんだもの。ほとんど、大学の講義セミナーだわ。」
他の仲間達も同意見だった。