7.アクアの海の攻防 7

 王宮の地下。
 そこは地上の廃墟とは違い、直接、巨人達の攻撃を受けなかった場所だ。
 巨人の攻撃から逃れたラムセス一派は地下に潜伏し、外界の様子を窺っていた。
 神官達に匿われたジオリスは、地下の一室で身を横たえている。
 ジオリスは深い眠りの中にいた。
 その肉体から淡いグリーンのオーラが立ち昇る。
 傷ついたジオリスは、自身の治癒能力を駆使して体を癒していた。
 だが、突然、ジオリスの瞳がカッと見開かれた。
 深い漆黒の瞳が、激しい憎悪のせいで燃えるように輝く。
「トリトン・アトラスが復活する…!」
 苦しい息を吐きながら、ジオリスは、ゆっくりとベッドから起き上がった。
 とたんに、ジオリスはふらついた。
 付き従っていた神官達が駆け寄ると、慌ててジオリスの体を支えた。
「なりませぬ。あなた様のお体は、まだ完全ではございません。どうか、お気をお沈めください。」
「今一度、お休みを…。」
「どけ…!」
 ジオリスは神官達を突き飛ばした。
「ヤツの復活は、何があっても阻止せねばならぬ…! そうでなければ、我らの手には負えなくなってしまう…!」
「そのようなお体では無理です。さあ、寝具へおもどりください。」 
 ジオリスを押しとどめると、神官達は強引に寝かしつけようとした。
 そこへ、伝令役の使者が入ってきた。
 使者は、異変の詳細をジオリスに報告した。
「本当か?」
 ジオリスが身を乗り出すと、使者は深々と頭を垂れた。
「はい。城下の街は全滅とか…。しかも、地上では巨人どもが再び目覚めて、神殿を造りはじめております。」
「恐るべし。トリトン・アトラスの力…。」
 神官達は声を震わせた。
 その時、地下に振動が伝わった。
 突き上げるような、大きな衝撃。
 激しい揺さぶりに、立っていられなくなる。
 壁が崩れた。
 同時に、天井も崩壊しかける。
 一瞬、部屋の周囲に光があふれた。
 淡い輝き。
 オリハルコンの光だ。
「バカな…!」
 目を疑う神官達を静めると、ジオリスは低く呟いた。
「オリハルコンの輝き…。トリトン・アトラスが、オリハルコンを目覚めさせたのだ…。」
 ジオリスは、体を震わせながら立ち上がった。
 ベッドから抜け出ると、神官達に告げた。
「“オリハルコンの間”へ…。私を連れて行け…。」
「しかし…。」
「早くしろ!」
 ジオリスの強い言葉に、神官達は制する術をなくした。
 彼らは、ジオリスを“オリハルコンの間”へと導いた。
 “オリハルコンの間”。
 そこは、限られた者しか立ち入ることを許されない絶対の神域だ。
 地底に深く繋がる石の回廊を下り、幾つもの隠し扉を超えていった先にー。
 王宮の中で、もっとも、広大な空間が広がっている。
 そこには、ストーンヘンジを思わせる石柱のサークルが鎮座していた。
 中心に、巨大な大黒柱を思わせるオリハルコンの柱が天井を突きぬけ、上部までそそり立っている。
 それは、あの「ジリアスの秘宝」によく似ている。
 規模は、ジリアスのものよりも大きいだろう。
 その石柱こそ、アトラリアのオリハルコンの分量を量るバロメーターの役割りを果していた。
 ラムセスが王位についてから、オリハルコンは徐々に減少しだした。
 その時から、石柱の光は失われ、おぼろげに薄れていった。
 その間、数千年。
 今では、小さな斑点のようなわずかな光を、蛍火のように放つだけだ。
 “オリハルコンの間”にたどりついたジオリス達は、言葉をなくした。
 部屋中が、光に包まれていた。
 淡いピンクからオレンジ。
 そして黄色へと、光の色は微妙に変化する。
 見つめているだけで、心地よい安らぎで満たされる。
「これが、古に伝わるオリハルコンの輝き…。」
 神官達は、満ち足りたように呟いた。
 だが、石柱の光は急激に強まった。
 まぶしすぎる光量にたじろいでいると、今度は急激に弱まって一気に暗くなる。
 ジオリスは目を細めた。
「不安定だ。トリトンの精神が安定していない…。」
 ジオリスは神官の一人を呼びつけた。
「グロス!」
 神官グロスは、ジオリスの前にひざまずいた。
「私は“瞑想”に入る。一時間後、また、ここに来い。」
「しかし…。」
「私にとっても、これは恵みの光だ。」
「解りました。」
 グロスは答えた。
 残りの神官達を従えて、グロスは“オリハルコンの間”を出て行った。
 グロスは承知している。
 ジオリスが、この部屋にこもるのは、特別なことではない。
 ただ、この時にジオリスが何をしているのか、グロスは知る由もない。
 “瞑想”に入ったジオリスは、ラムセスであっても見通せないほどのシールドを張り巡らし、外の世界と完全に断絶してしまう。
 “瞑想”とは、ジオリスだけが行なう業なのだ。
 グロスにとっては、その方が好都合だった。
 ジオリスが、“オリハルコンの間”にこもったところで、大きな変化が起きるわけでもない。
 むしろ、ジオリスに悟られることなく、自由に行動を起こすことができる。
 グロスは付き人を下がらせると、神官達が集まる場所に急いで移動した。
 そこには、会議用にしつらえた石の座椅子に腰かけた、いつもの神官達が顔をそろえている。
 グロスも自分の席につくと、神官同志の密会を持った。
「今までにない反応だ。ジオリス、ラムセス親子だけでは、あのような強力な力は生まれなかった。さすが、トリトン・アトラス。真の継承者の証だ。」
「トリトンが目覚めたのであれば、もう一度捕えて、アルテイアと交わらせるべきだ。その方が、オリハルコンも、もっと早く活性化する。」
 神官の一人が発言すると、グロスは異を唱えた。
「事は慎重を要する。ラムセスが失敗したのだ。そんなことをすれば、我々が、ラムセスと同じ道をたどることになる。」
「今はまだ、トリトンの力は不完全だ。」
 別の神官がいった。
「完全に復活したトリトン・アトラスを捕まえることの方が至難。」
 グロスは首をめぐらした。
 語気を強くして主張した。
「だからだ。そのためにジオリスを利用する。トリトン・アトラスに対するジオリスの憎悪は深まるばかり。ジオリスとトリトンを、ありのままに対決させる。アルテイアを使えば容易い事。我々は手出しをすることなく、衰えたトリトンからエネルギーを吸収することができる。」
 グロスは小さく笑った。
「今はまだ、トリトン・アトラスに手を下してはならぬ。トリトンが真の力に目覚めるまで、好きにさせておけ。」
「トリトンが、ジオリスに負けた時はどうするのだ?」
 三人目の神官が疑問を投げかけた。
 四人目の神官が反論した。
「ジオリスにオリハルコンを復活させる能力はない。トリトンと比較すれば無力に等しい。」
 五人目の神官が皮肉げに口を開いた。
「今は、ジオリスに悟られないことだ。時がくるまで。だが、ジオリスを当てにすることはない。」
「もとから価値などない。」
 グロスが冷酷に告げた。
「あれはラムセスの子。だが、母はアエイドロスの妻、エネレクト。もとは、トリトン・アトラスの母親だ。トリトンとジオリスは異父兄弟という間柄。」
「さよう。」
 四人目の神官がいった。
「ジオリスにも、アトラスの血が流れている。ラムセスがアエイドロスから寝取った女の血が。アトラス人の血は、オリハルコンの輝きの源となる。ジオリスもしかり。トリトンもしかり。」
 グロスが、昂然と主張した。
「すでに、ラムセスはこの世に亡い。今こそ、我らがアトラリアの主となる。我らは長く、この時を待ちわびていた。トリトンがラムセスを倒してくれたおかげで、ようやく実現する兆しが見えてきた。我々の目指すものは一つ。『毒を持って毒を制す』…!」
 グロスは言葉を締めくくった。
 彼らは一斉に立ち上がった。

………………………
 一方、ジオリスは…。
 オリハルコンの前に跪き、祈りを捧げる。
 しかし、今までのジオリスとは、まるで様子が違う。
 その姿は、どこか弱々しく、たよりげがない…。
 やがて、ゆっくりと、暖色のオーラがジオリスを包み込んでいく。
 これは、ジオリスのオーラではない。
 外部からの、オリハルコンの力が引き起こした現象だ。
 そのオーラはどこまでも優しい。
 柔らかな空気に、ジオリスを取り巻いていく。
「母よ。母、エネレクトよ…。」
 優しく、高い声が響いた。
 それはジオリスの声だ。
 中性を通り越して、女性そのもの発声だ。
 とたんに、ジオリスの体が急激に光り始めた。
 ジオリスの姿が光の中に消えた。
 空間すべてが、光で埋め尽くされた。
 境界もわからなくなるほどに。
 数秒後、フッと光が消えた。
 再び、ジオリスが光の中から姿を現した。
 が、その姿はジオリスではない。
 まったくの別人だ。
 豊かな胸。細いウエスト。ふっくらとした腰つき。
 手や足も丸みを帯び、細くてしなやかだ。
 ジオリスによく似た女。
 いや、その女こそ、ジオリス自身だ。
 女性の姿をしたジオリスは、そっと目を見開いた。
 濡れたように光る美しい漆黒の瞳。
 男のジオリスの時と、その瞳の美しさは変わらない。
 わずかにウェーブがかかった長い黒髪は、ゾクリとするほどに色香を漂わせる。
 ほんの少し、上を向いた高い鼻。
 それに、ふっくらとした唇が、彼女の美を完璧にしている。
 ジオリスの正体。
 それは、神官達やラムセスでさえ、知ることがない。
「ジオネリア、我が愛しい娘…。」
 どこからか、声が語りかけた。
 姿は見えないが、ジオリス、いや、ジオネリアにはわかる。
 数千年前、オリハルコンの犠牲になったエネレクト、実の母親だった女の面影が…。
「母よ。時が来ました。まもなく、あなたの息子、トリトン・アトラスが復活します…。」
「長い道のりでした…。だけど、これで、あなたに背負わせた鎖を、ようやくほどいてあげることができる。あなたに男を偽らせた母の罪。許してほしい…。」
 エネレクトの声は疲れきっていた。
 自責の念にかられた悲しい思いが、オリハルコンを震わせる。
「それは、私自身が望んだこと…。あなたのせいではありません…。」
 ジオネリアは、迷いのない澄んだ視線を向けた。
「オリハルコンとアトラスの血を守るためなら、私はどのような手段を使っても、それらを阻止してみせる・・・。ラムセスをはじめとする異族の民が起こした屈辱の数々…。あなたを辱め、トリトン・アトラスとアルティアの命を奪い、アトラスの源、オリハルコンまで崩壊させた。さらに、多くのアトラスの同胞達が犠牲になった…。その上、この私をも、利用しようと企む輩まで存在する…。すべてが愚かしい行為だと、彼らにわからさねばなりません…!」
 ジオネリアは、毅然とした口調で語りかけた。
 そして。
 意外な事実が判明した。
 ジオリスは、すでに、グロス達の陰謀を暴いていた。
 逆にグロス達を出し抜く為に、わざと“男”を偽り、欺いてきたのだ。
 グロスを筆頭に結集している神官達は、騙されているのは自分達の方だと夢にも思っていない。
 また、トリトン達も気がついていない。
 ジオネリアが、同じ目的を持って行動しているということを。
 エネレクトの精神が伝わった。
「アトラスの存亡は、あなたの手に委ねられている。今のトリトンとアルテイアは異世界の人間。ただの生まれ変わりです。しかし、あなたこそ、真の王位継承者。アトラスの王として、民とオリハルコンを守ること。それが、あなたが果たさねばならない最大の使命…。」
「はい…。」
 ジオネリアは静かに答えた。
「アトラスの誇りを失ってはいけない。トリトンの力が目覚めるまで、今の立場を守り続けなさい。そうすれば、必ず、幸が我らに味方するでしょう。」
「はい…。」
「すべての命が尽きた今、あなたこそが私の唯一の希望…。行くのです、ジオネリア。アトラスの血を絶やしてはいけない…!」
「解りました。母よ…。ただ…。」
 ジオネリアは暗く瞳を沈ませた。
「私は…一つだけ間違いを犯した…。今のトリトンが、かつての私の兄、トリトン・アトラスそのものだというのなら…。彼はあまりに若い。情熱的で優しい存在…。彼の明るい姿に触れているうちに、私は憧れを持ってしまった…。このような心の揺らぎで…。とても憂いでいます…。」
「彼を愛してしまったというのですか?」
「解りません…。」
 ジオネリアの頬を涙が伝った。
 エネレクトは重い声を響かせた。
「その心、誰にも悟られてはならぬ…。あなたはトリトンの影…。その役割りをよく肝に銘じなさい…。」
「エネレクト…。」
 ジオネリアは、すがるように呼びかける。
 しかし、エネレクトの声は、静かに終わりを告げた。
「時間です…。」
 そして、もう二度と響いてこない。
 “瞑想”が終わる。
 ジオネリアは悟った。
 ジオリスの“瞑想”ー
 それは、実の母と本音で対話を交わすひと時だった。
 この時、ジオリスは、もとのジオネリアに戻って、女としての気持ちをさらけだすのを許される。
 そして、母の導きで、自分の生きる道を確信する。
 それがどんなに辛くても、アトラスの運命を担わされた彼女は、歩んでいかなくてはならない。
 ジオネリアー
 アトラスの歴史が生んだ、もっとも哀しい影を背負わされた悲劇の女…。
 ジオネリアは、まだしばらくの間は憂い、涙を流し続けた。
 彼女は報われないと知りつつも、トリトンへの愛を自覚した。
 そんなジオネリアに容赦なく、オーラが取り巻いていく。
 数秒して光が消えると、ジオネリアは消えた。
 そのかわりに、男の人格であるジオリスが現れた。
 男の仮面を被ったジオリスは、女の心を捨てなくてはならない。
 涙を力強く拭うと、ゆっくりと立ち上がった。
 と、そこへ、約束どおりにグロスがやってくる。
 傷を完全に癒したジオリスはグロスを見返した。
 その表情は、ジオリスそのものの強さで満ちている。
「行くぞ。」
 言い捨てると、ジオリスは“オリハルコンの間”を後にした。