7.アクアの海の攻防 1

 翌日になった。
 地球人メンバーとオウルト人達の一行は、“ディノプス”の中にいた若者達を伴って、昨夜のうちに無事に街からテグノスの森に帰りついた。
 短い休息をとった後、日が昇ると同時に、彼らは村の人々に混じって活動を始めた。
 早朝、村では代表の二トルを中心に、村人による恒例の集会が行われる。
 全員がこの集会に顔を出した。
 ただ、トリトンだけをのぞいては。
「鉄郎、お前、腕のほう…。」
 集会の場で、ジョーが心配そうに声をかけた。
 すると、鉄郎は腕をあげながら明るくいった。
「たいしたことないよ。ちゃんと処置したから。」
 念入りに巻いた包帯が、鉄郎のむき出しの腕からのぞいている。
 それを確認したジョーは、ホッと溜息をついた。
 ジョーの向こう側に、アキの姿も見えた。
 鉄郎が視線を向けると、アキの方もゆっくりと視線を向ける。
 一瞬、お互いの目線が交差した。
 アキの瞳が悲しく揺れる。
 鉄郎の表情はどこか頑なだ。
 しかし、鉄郎はフッと笑うとかすかに頷いた。
 アキの表情にも安堵の色がさす。
 二人の険悪な空気が少し緩んだ。
「まただわ。なんで、いっつも会話しようとしないのよ。」
 じっと傍観していた裕子がぼやくと、
「だって、あの二人だもん。」
 レイコが呆れた口調で返した。
 一方で、ケインが苛立ったように口を開いた。
「やっぱり、トリトンは出てこられなかったわね。」
「あの怪我じゃ当分動けないわ。昨日はかなり無理していたようだけど…。 昨夜からずっと、レイラって子が介抱してるわ。」
 ユーリィがそういうと、ケインは眉間に皺を寄せた。
「あのおせっかいな召使い女〜。それにしても、いつまで続くのよぉ? このかったるい演説…。」
「無理言うな。」
 倉川ジョウがいった。
「『直接民主制』だ。驚いた。女性に市民権が与えられているなんて。大昔の民主制じゃ考えられない。」
「そこ。何か、ありますか?」
 二トルがふいにジョウ達を指名した。
 ジョウはかぶりを振ってから小さくぼやいた。
「こっちに振るな…。」
 集会はさらに続く。
 いよいよ終盤になりかけた時、一人の男がいいにくそうに提案した。
「あの…。新しく加わった若者達は歓迎したいと思います。しかし、肝心のトリトン様がお倒れになられている今、この先、この世界がどうなってしまうのか、皆、一様に不安を隠せません。」
 男の発言に周囲がざわめき始めた。
 慌てた二トルが声をあげた。
「待ちたまえ。トリトン様とて、いつまでもこのままというわけではない。回復されるまで、そのことについては静観して見守るほかは…。」
 二トルが言いかけた時、トリトンの声が、群衆の背後から響いた。
「二トル、あなたにお願いしたい。至急、この世界の憲法制定と国民議会の設立を推進していただきたい。」
「トリトン様…!」
 二トルは絶句した。
 振り返った群衆たちも驚嘆した。
 レイラに支えられながら、マント姿のトリトンが気丈に立っていた。
 トリトンはレイラの支えを断ると、ふらつきがら群衆の中心に向かって進み始めた。
「ちょっと、どうして起きてきたの?」
 血相を変えたケインが、トリトンのもとに駆け寄った。
 他のメンバーも、ケインに続いてトリトンの周囲に集まった。
 トリトンは笑うと、みんなに言い返した。
「たいした怪我じゃないから。ちゃんと歩けるし。それに、こんな時に寝ていられない。そうだろ、鉄郎…。」
「昨日は…。」
 鉄郎が口を開こうとした。
「あなたらしくないね。一度いった言葉を撤回するなんて。俺は、無駄な怪我なんか負った覚えはないからな。」
 トリトンは言い捨てて、鉄郎の前を通り過ぎた。
「口だけは達者なヤツだ。」
 ジョーは投げやりな口調でぼやく。
 鉄郎は厳しい表情をしたまま、遠ざかるトリトンを見送った。
 トリトンは二トルの前にたどりついた。
 二トルは唐突なトリトンの発言と行動に混乱した。
「な、なんといわれました?」
 トリトンは一方的に話を進めた。
「トリトン・アトラスから聞かされた。オリハルコンのエネルギーは一ヶ月しかもたないと。つまり、一ヶ月後、今のままでは、この世界も人もすべてが消滅してしまうんだ。それを食い止めるためには、俺やアキだけじゃない。この世界に住む市民の一人、一人の精神力が働かないと、オリハルコンも容易に復活してくれない。」
「それでは、どうすれば?」
「だから、憲法を制定し、この国の市民の力で法と秩序を取り戻す。まず、二トル、あなたをアトラリアの総督に推薦する。そして、あなたを中心に二十名ほどの人間を選抜し、臨時の委員会を設立して運営の基礎を築いていく。」
「強引すぎます。私などにそんな大役は務まりません。」
 二トルが叫ぶように抗議した。
 すると、鉄郎が口をはさんだ。
「そうだろうか。あなたはこのテグノスの森で仲間のリーダーとして、反政府勢力を運営してきたんだ。俺もあなたが適任だと思う。」
 いきなり発言した鉄郎を、トリトンは驚いて見返した。
 鉄郎はトリトンから視線をはずした。
 二トルはかぶりを振った。
「このテグノスの森は、古より“魔の森”として民に恐れられてきたのです。信心深いラムセスが手を出しかねていてくれたからこそ、我々は生きのびてこられました。でなければ、一線を画して立てこもった我々の存在を、ラムセスはけっして見逃がしはしなかったでしょう。」
「ラムセスはすでに亡いわ。」
 アキがいった。
「後を継ぐのは息子のジオリスです。彼は、父親がやれなかったことをやろうとしている人物です。由来や伝承を信じて行動するような男ではありません。」
「そのために、トリトン様とアルテイア様がいらっしゃるのでしょう。」
 群衆の中の若者が発言した。
 やりとりを傍観していたロバートが突然わめいた。
「どいつもこいつも坊やと姫さんまかせか! 自分からやってやろうという気の利いたやつはいないのか? こんな連中のために、手を貸してやるつもりか?」
 ロバートは思わせぶりに、メンバーの顔を見た。
「そのようなことを、いわれる筋はない。」
 二トルが反論すると、ケインがしゃしゃり出た。
「大ありよ。あたしらは、こんな世界に関わるのは遠慮したいわ。幸い、ムギと<リンクスエンジェル>までこの空間に紛れてきたのよ。あたしらだけで、脱出方法を考えさせてもらうわ。」
「何かしらの方法が見つけ出せるでしょうね。コンピューターがちゃんと生きているから。」
 ユーリィが同調した。
 さらに、クァールのムギも鳴き声をあげた。
 おそらく偶然なのだ。
 全員がアトラリアに引き込まれそうになった瞬間、<リンクスエンジェル>は、ゆっくりと地球表面に降下しつつあった。
 タロスの攻撃は、<リンクスエンジェル>と搭乗していたムギを一緒に巻き込んで、アトラリアに召還してしまったのだ。
 ケインとユーリィは、朝になって村の中をうろつくムギを発見し、<リンクスエンジェル>を確認した。
 <リンクスエンジェル>は、テグノスの森のはずれの砂丘に不時着していた。
 砂の中に船首が埋もれていたにも関わらず、船のシステムそのものに異常はみられなかった。
 それから、再会したチームメイトは、ずっと行動をともにしている。
 一同は、お互いの言い分を出し合い、立場を主張しあった。
 ロバートの言うとおり、森の住民達はかなり逃げ腰だ。
 新たに加わった若者達は、ややこしい問題をつきつけられて、迷惑そうにトリトン一行を睨んでいる。
 だが、トリトン達も被害者だという意識は隠せない。
 ただ、どうあがいても逃げきれないことを、トリトンの仲間達はよくわかっている。
 結局、トリトンとアキにつきあうことを、口に出さなくても決意しているのだ。
 トリトンは、集まっている群衆に穏やかな声で呼びかけた。
「実例はある。俺の世界では、若い仲間達だけで力を合わせて法律を作ってやっていこうとしている。俺も含めて、政治のことは何一つわかっていないずぶの素人が、自分達でやりたいことを主張しあって、その態勢はほぼ出来つつある。」
「トリトン、あなたに聞きたいわ。」
 そういったのは、“ディノプス”のオーナーだったスーだ。
「本当なら、あなたが中心になって、みんなを引っ張っていくべきでしょう?」
「そうしたいけど。俺もよくわかっていないんだ。オリハルコンをどうやって復活させたらいいのか。それなりに修行しなきゃいけないらしい。だから、両方は無理だ。」
「そういうこと…。」
 スーは笑った。
「どう? 私達のやりたい世界を築いていく。悪い話じゃないわ。トリトンと彼の仲間の力を借りて、やってみる気はない?」
 若者達は呆然とした。
 信じられないという顔つきだ。
「でも、そんな夢のような話が本当に実現するのか?」
 いいにくそうに一人の若者が口を開く。
 トリトンはすかさず答えた。
「みんなにその気があればの話だ。」
 そして、トリトンは二トルの方に視線を送った。
「二トル。やってくれないか? 難しいことじゃない。アトラスは、昔はちゃんと法と秩序が確立された平和な国だったはずだ。それを、もう一度復活させるんだ。あなたは森の住民の中心になって平和な営みを築いてきてくれた。その生活を、アトラリア全土に定着させてほしい。」
 トリトンのまっすぐな視線を受けて、二トルは強く頷いた。
「負けました、あなたの熱意に。私でよければ、お引き受けいたしましょう。」
「ありがとう。助言できることは何でもお手伝いします。」
 トリトンは明るく言い返した。
 さらに、こう付け加えた。
「ケインやユーリィにも手伝わせますから。」
「そんなこと、勝手に決めないでよ!」
「あたしらに何をしろっていうのよ!」
 二人が猛反論すると、トリトンは平然と返した。
「二人は探偵だ。だけど司法のすべてを心得ている。弁護士の役割も担っているからね。」
「だからって通じると思うの?」
「できるんじゃないのかい?」
 倉川ジョウがいった。
「法を知らなきゃ、人を裁くすべは持てないだろ?」
「よけいなことをいわない。ネンネ坊や!」
 ケインの一喝にジョウはカッと顔を赤らめた。
「何だとぉ!」
「アニキ、ほんとのことをいわれてカッカしない!」
 妹の裕子がジョウを押さえ込む。
「揉め事はそこまでだ。」
 トリトンが言葉を締めくくると、裕子がにこやかにいった。
「ほらね、トリちゃんも、ああいってるんだから。」
「お前、態度が違いすぎるぞ…。」
 ジョウはむくれた。
「これから、どうなさるおつもりですか?」
 二トルは改めてトリトンに聞いた。
 トリトンはいった。
「これから“アクアの海”と呼ばれるところにいきたい。テグノスの森のはずれ、西南の方向にあると聞いた。わかるか?」
「西南の方向ですと?」
 二トルは目を見張った。
「お言葉ですが、その方向は砂漠が広がっているだけです。“アクアの海”というのはまったく聞き及びません。だいたい、この世界に「海」というものは存在しないのです。」
「そんな。あのタロスがそういったんだ。その場所にいる隠者を訪ねろというのが、俺達をこの世界に呼び寄せた目的だというんだ。」
「隠者、その方の名はなんと…。」
 二トルが、質問を重ねようとした時だ。
 また、民衆達がざわめきだした。
 二トルは言葉をなくした。
 二トルの背中に柔らかな光が振りそそいだ。
 正面にいたトリトンは呆気にとられた。
「アキ…。」
 光はアキの体から放出されたオーラだ。
 アキの体は宙に浮いている。
 人の頭の上にアキの腰が見えるほどの高さだ。
 日の光のようにゆったりとしていて、柔らかく穏やかなオーラの輝き。
 美しく澄みわたる優しい光の帯が、そっと、空間を埋め尽くしていく。
 この光に包み込まれると、人々の心はたゆとうような安心感で満たされる。
 その秘力の意味は、まだ誰にもわからない。
 祈りのポーズをとりながら、アキはそっと呟いた。
「私たちは呼ばれています。“アクアの海”。それは、西南の場所…。」
「根拠があるの?」
 レイコが呆れたように聞いた。
 アキは静かに頷いた。
「選ばれし者、聖なる眠りの地へと集へ…。トリトン・アトラスとともに…。そう呼びかけています。」
「それは誰だ?」
 今度は鉄郎が声をかけた。
「アルテイア・アトラス…。あたしの精神に直接交信を送ってきている。」
「トリトンの怪我はまだ治っていないのよ。それでも、彼を連れて行かなくてはいけないの?」
 ただ様子を見ているだけだったレイラが、アキに問いかけた。
「そうでなければ、意味がありません…。」
 アキは淡々と答える。
「わかった。行こう。」
 トリトンは頷くと、二トルのそばから離れた。
「トリトン様、無茶です。砂漠は過酷すぎます。お命に関わるかもしれませんぞ。」
 二トルは必死に訴えた。
 だが、トリトンは聞く耳をもたなかった。
「それでも行かないと…。」
 答えながら、トリトンは歩みを進める。
 しかし、剣を杖代わりにして歩く姿は、その言葉のとおりとは言いがたい。
 ケインとユーリィ、メンバーが慌ててすっとんできて、トリトンを取り囲んだ。
「トリトン、やっぱり無理よ。もう少し休みなさい。」
 ユーリィがそういってトリトンの肩を抱いた。
「鉄郎の言葉を気にしているんだったら、ただのやせ我慢だぞ。」
 ジョーが口をはさんだ。
「違う、そうじゃないんだ。」
 トリトンはかぶりを振った。
「導かれてるんだ。アキのオーラに。そして、彼女を導いているのはアルテイアだ。だから、行かなきゃいけない。」
 一同は呆気にとられた。
 ずっと中空を漂い、オーラを放出し続けるアキを見上げた。
 アキはスッと瞳を閉じたまま、眠ったように反応を示さない。
 トランス状態に陥っている。
 全員の視線がなぜか、鉄郎の方に向けられた。
 焦った鉄郎は、一同に喚くように言い返した。
「俺は何も知らないよ!」
「来て。」
 アキは、そのままスッと身を引くように遠ざかり始めた。
「アキ、待て!」
 そう叫びながら、トリトンはいきなり走り出した。
 それを見た全員が卒倒した。
 歩くのもままならない、鈍い動作だったトリトンが急に元気よく駆け出した。
 その敏捷さに不意打ちをくらった。
「トリトン、仮病を使ってるんじゃないでしょーねっ!」
 ケインが呪いの言葉を浴びせる。
 慌てて立ち止まったトリトンは夢中で弁解した。
「俺にもよくわかんないよ! 急に体が軽くなって歩けるようになっちゃったんだから! 信じてよ!」
「くっ。で、“甘え攻撃”で言い訳するわけね…。ツボを心得すぎてるわ。」
 ケインは悪態をつきながら身を起こした。
「あの坊や、案外元気そうだな…。」
 ロバートは目を丸くした。
「こんなの、前にもたくさんあったじゃない。」
 ユーリィが肩をすくめた。
「理屈を追求したって、答えなんて出やしないんだから。」
「呼ばれているのは俺達もらしい。姫さんが動こうとしないぜ。」
 倉川ジョウがいった。
 一同が立ち止まると、アキも宙に漂ったまま静止して一同を待つような行動を繰り返す。
 メンバーは、アキとトリトンの後に続いた。
 目的地を目指して動き出した。