何時間、経過したのか、アキは白い闇の中からようやく意識をとりもどした。
うっすらと目を開けると、まだおぼろげながらも、物の形が見てとれた。
そこは、アキのまったく知らない場所だった。
落ちついているが、一面白一色の殺風景な部屋のベッドにアキは寝かされている。
天井に備えてある明かりがやけにまぶしい。
その光を人の顔が遮った。
アキのモスグリーンの瞳がようやく焦点を結んだ。
視界の中にトリトンの顔がある。ライトグリーンの髪がいつになく映えて、鮮やかに映った。
「アキ、気分は…?」
トリトンが呼びかけた。心配げにアキの顏を覗き込んでいる。
「ここはどこ?」
アキは呟いた。表情が柔らいだ。
トリトンがそばにいてくれるだけで、アキは安心していられる。
「地球じゃない。宇宙船の中だよ。」
トリトンは優しくいった。
言葉のとおり、グレーのスペースジャケットを着こんでいる。
「アキに助けられたんだ…。」
トリトンの傍らにミギャと鳴く黒い獣がいた。
黒ヒョウのような姿をしているが、その獣は宇宙生物だ。
触手と巻きひげを持ち、電波を自在に操れる知的生物、クァール。
ケインとユーリィがペットにしているムギだ。
「あなたのことも覚えているわ…。心配してくれていたのね…。」
すると、ムギは甘えた声で鳴くと、触手をのばしてアキの紅い髪に触れた。
「ムギのやつ、アキに甘えちゃってる…。」
トリトンがそういうとアキに笑顔が浮かんだ。
が、ふとレイコのことを思い出して、アキは反射的に身を起こした。
「レイコは? 彼女は無事なの?」
「ア…アキ…!」
トリトンは言葉をなくした。
アキは全裸だった。シーツがハラリと落ちて、白い胸があらわになる。
真っ赤になりながら、アキはシーツをかきあげると胸元を隠した。
前はトリトンに裸を見られても、少しも動じることがなかった。
だが、成長したトリトンに対して、はっきりと異性としての意識があることを、アキは自覚した。
トリトンは、頬をおさえながらアキにいった。
「落ちついて…。レイコは隣のベッドだ。ほら…。」
トリトンに教えられて目線を向けると、同じように寝かされているレイコを確認した。
アキは、とにかく心を落ちつかせた。
「お姫さま。目が覚めたようね。」
そこへ、背後から二人の女が入ってきた。
銀色の短上着とホットパンツ。七センチの編み上げブーツという服装の美女二人。
四年前と少しも変わらない。
その美しさ。そして、華麗さ。
二人の名はケインとユーリィ。
宇宙の美女、ロストぺアーズ。
「何もしてないでしょうね、坊や。」
歯切れのいい声で、ケインがトリトンに声をかける。
すると、トリトンは反論した。
「あたり前だろ! 何をいいだすんだよ!」
「助けてあげたのに口ごたえしないで。あれほど一人で行くなって言ったでしょ。いうことを聞かないからよ。」
ユーリィが口をはさむと、トリトンが言い返した。
「でも、そのおかげで連中をおびき出すことができた。ちゃんと高速艇だって沈めたよ。」
「それをやったのは、お姫さまでしょ? 君じゃなかったわよね。」
ユーリィの言葉に、トリトンは肩をすくめた。
「強がり言っても通じないわ。こっちはずっとトレーサーで追いかけていたのよ。それに、あの程度で相手が全滅したとは思えないわ。」
「そのくらい判ってるよ、ケイン。」
ケインの言葉にトリトンもムキになった。
その会話を聞いていたアキが、ふいに口をはさんだ。
「話の途中で悪いけれど…。その“連中”って何者なの?」
「あなたには関係ないわ。」
ケインがピシャリというと、アキはスッと目を細めた。
「スカラウ人だからって無視するの?」
「そうよ。これはあたしらの星の問題よ。あんた達を巻き込む気はないわ。このまま地球に還してあげるから、あたしらに会ったことは忘れて、平凡な生活を地球で送っていなさい。」
「トリトンから聞いたわ。その連中はあたしにも襲いかかってきた。知らない顔ができると思うの?」
「聞き分けなさい。」
ユーリィが言い放った。
「世間知らずのあなたには何もできないわ。あたしらに任せてくれたら、ちゃんと解決してあげるわよ。」
「何もわからないのはそちらの方でしょ?」
アキの言葉も鋭くなってきた。
「地球と宇宙、あたしの力を狙うものはたくさんいるわ。あたしは自分で身を守るしかないのよ。今までもそうだったし、これからも変わらないわ。」
トリトンが制そうとすると、ケインがトリトンの手を振り払う。
「勝手なマネはさせないわよ!」
「あたしの“気”を静めることができて?」
アキは抑えた口調で二人に言葉を返した。
表面は静かだが、かなり攻撃的な衝動を含んでいる。
体からオーラの光が放出されて、二人を威嚇する。
「やる気?」
ケインの顔が紅潮した。表情が強張り、指がレイガンのグリップにかかった。
緊張が頂点に達した。
と、同時にトリトンが二人の間に飛び込んだ。
目を吊り上げてケインとアキを交互に見つめた。
抑えつけるような威圧感があった。
「やめろ! こんな時に諍いを起こしてる場合じゃないだろ! やるのなら俺を先に倒してからやれ!」
その激しさに、二人は身を固くする。
すると、トリトンはやや口調をゆるめてケインに言を継いだ。
「ケイン、どのみち、地球で勝手に行動できないよ。俺達の世界の権限はこの星では通じない。地球上で行動するためには、権限がある人にスポンサーになってもらうしかないと思っている。」
「そんな人物がどこにいるの?」
ユーリィが呆れ返ると、トリトンは得意げに言い返した。
「忘れたのか? 鉄郎は地球の世界では十指に入る名門の息子なんだろ? ジョウと裕子さん、あの二人にも力を貸してもらえると思うよ。」
「それってば…!」 ケインが目を見張ると、
「グッドアイデア! いけるだろ?」
トリトンは指をならした。怒った時とは比べものにならないくらいに幼い仕草だ。
「アキ…。」 トリトンはアキに視線を送る。「頼むよ。鉄郎に会わせてもらえるかな?」
「え…ええ…。」
アキは曖昧に頷く。トリトンはアキの態度がおかしいことにすぐに気がついた。
「いったいどうしたの?」
「それが…。」
「鉄郎が乗っていた船が沈んだって、そういってたわよね。アキ。」
「レイコさん…!」
「気がついていたの?」
ケインは目を剥いた。
「レイコさんの話は本当か?」
トリトンが心配げにアキに声をかけると、アキは迷うように口を開いた。
「そうなんだけど…。」
「何を暢気に構えてんのよ! よくも平然としていられるわね!」
ケインが食ってかかろうとしたところを、トリトンが慌てて抑えこんだ。
「待てよ! なんか、事情がありそうだ…。」
ケインは不満そうに鼻を鳴らすと押し黙る。
トリトンはアキの顏を見つめながら、とくに優しい言葉をかけた。
「アキ、ゆっくりでいいから、君が感じてることを話して…。」
「そう…。」 アキは顔を伏せた。
「もし、鉄郎の身が危ないのなら、もっと胸騒ぎがして…。いてもたってもいられなくなる…。だけど、不安な気持ちが全然しないの…。」
「あんたが、トリの坊やに気持ちをそがれたからでしょ!」
ケインが苛立つと、トリトンが睨んだ。
「茶々をいれるな!」
それから、またトリトンはアキに向き直った。
「君の言葉を信じよう…。」
「つまり、鉄郎ちゃんはその船にいなかった…。無事で生きてるってことじゃないの?」
レイコがそういうと、アキが小さく頷いた。
「そうだと思う…。でも、船の爆発とあたし達が狙われたのは、偶然じゃないような気がする…。何かが起きている…。それを聞きたいけど、鉄郎の居場所がわからない…。」
「携帯は?」
レイコがそういうと、アキはかぶりを振った。
「海に落ちたのよ。使い物にならないわ…。」
「携帯って電話のことだろ?」
トリトンは小首をかしげた。それから大きく頷いた。
「まかせてよ。こっちから携帯の電波に割り込みをかけて、繋ぐことができる。番号はわかる?」
「え…ええ…。」
「やってみよう。」
「トリトン、勝手なことは許さないわよ。」
ユーリィが声をかけると、トリトンは毅然と言い返した。
「建前はくそくらえじゃなかったのか? 鉄郎の安否を確認する方が先だろ。」
「そういうことじゃないわ。トリトン、待ちなさい!」
ユーリィとケインを無視して、トリトンは先に部屋から出て行ってしまった。
その後をケインとユーリィが追いかけていった。
結局、部屋にはレイコとアキが残された。
「鉄郎がそんなに簡単にくたばるような人じゃないとは思ってたけど…。どうしたのよ、アキ?」
レイコが気がつくと、アキはうつろな顔で呆然としている。レイコは呆れた。
「あんたさ、鉄郎ちゃんに会いたくないの? なんか億劫そうだよ…。」
「そんなことないわ…。」
「それとも、トリトンに出会っちゃって、すっかり心変わりしちゃったとか…。」
「そんなわけないでしょう…。ただ…。」
「ただ?」
「何でもないわ…。」
アキは、そういうとまた押し黙ってしまった。
レイコは肩をすくめた。
アキが何を思っているのかはわからない。
しかし、波乱が起きそうな予感がした。