「か、神の使いの怒りに触れた…!」
       レイラは目を見張る。
       レイラを一瞥したトリトンは、崩壊していく城の方に視線をもどした。
      「あの得体の知れない巨人が、ここでは神の使いか…。巨人の正体はいまだに謎だ。敵なのか、味方なのか…。」
      「でも、タロスはタロス自身の思想を、ちゃんと持っているわ。」
       アキは静かに口を開いた。
       トリトンはレイラに聞いた。
      「知っているかい? 隠者のエネシスって、いったいどんなヤツか…。」
「いいえ。聞いたことがないわ。」
       レイラが残念そうにいうと、トリトンは眉をひそめた。
「くそっ…。信用していいのかもわからねぇや…。」
「どうするの? タロスに従う?」
       アキはトリトンをみた。
       トリトンがいった。
      「おそらく、みんながいるとすれば、エネシスの所だ。」
「行くしかないわね。アフターケアが一切ないのが心配だけど…。」
       アキが、淡々とした口調で応じると、
「せめて、保険くらい用意しておいてほしいぜ。こいつは、とんでもないツアーだ!」
       トリトンは、吐き捨てるようにいった。
       それから、レイラに首をめぐらした。
      「まずは、ご先祖さんがいってた、テグノスの森へ行くのが先決だ。レイラ、案内してくれるか?」
      「はい。この丘を下っていけば、市場に行くことができます。そこまで行ってみましょう。」
「わかった。アキ、行くぞ。」
       トリトンが声をかけたが、アキは、火柱に包まれた城の方を見つめて動こうとしなかった。
       トリトンはアキを強引に促がした。
      「レイラのいうとおり、あいつらは怒りに触れたんだ。それよりも、鉄郎に会いたくないのか?」
「え、ええ…。」
      「だったら、いつまでも、ここにいるわけにはいかない。さぁ!」
       トリトンにせかされると、ようやく、アキは城に背を向けて街の方向に進み始めた。
       三人は全速力で丘を駆け降りると、やがて、市場の中へと足を踏み入れていった。
       市場といえども、そこは、一筋奥に入った路地裏だった。
       表通りの華やかさとは対照的に、暗く、よどんだ空気が漂う。
       しかも、その道も迷路のようにくねっていて、なかなか表通りに出られない。
       アキは、治安が悪い、どこかの下街の様子を思い出した。
       細い道の周囲は、異様な雰囲気で満ちている。
       酒に酔いつぶれた男と女が壁にもたれて座りこみ、一目で、薬物かアルコール中毒で体を病んだと思われる、人間がうろつきまわっている。
       目つきの鋭い幾人もの男女が、ジッと三人が歩く様子を窺い見ていた。
       怯えたレイラは、トリトンの腕にしがみついた。
       トリトンは、レイラを励ますように囁いた。
      「大丈夫だ。真っ直ぐに、前だけを見て歩けばいい。」
「でも…。」
「怯えちゃいけない。弱く見られないようにしてるんだ。」
       アキが、トリトンにそっと声をかけた。
      「ここが市場だとしたら、あまりにひどすぎる環境だわ。地球にあるスラム街の方が、よほどマシよ。」
      「表通りに通じる裏道が、物騒なのは特に珍しいことじゃない。それよりも、急いでメインストリートへの抜け道を探そう。このまま無事でいられるとは限らない。」
       トリトンは、ふとアキに目で合図を送った。
       背後から、十人ほどのゴロつきの男達が、三人の後をつけてきている。
       アキは溜息をついた。
「まずったわ…。あたし達、ここではまともすぎるのね…。」
      「そういうことだな…。どうする?  逃げるか?  それとも…。」
       トリトンがサラリと尋ねると、アキは小さく笑った。
「それだとなめられるわ。だったら決まりね。」
「相手は人間だ。ギャラゴよりも扱いやすい。」
       トリトンも軽い口調で返した。
       そうしている間に、前からも、数人の崩れた身なりの連中が近づいてくる。
       トリトンとアキは、ゆっくりと立ち止まった。
       その時、小型ナイフを手にした男がいきなり突進してきた。
       後方から。
       三人に向かって。
       トリトンは反射的に振り返ると、レイラを後ろに押しやり、ボーガンを構えた。
       男に向かって矢を放つ。
       すると、胸に矢を受けた男は悲鳴をあげて一発で崩れた。
       トリトンはボーガンを放さなかった。
       容赦なく二発、三発と矢を打ち出した。
       次の男、さらには、もう一人の男が次々と射抜かれていく。
       アキはボーガンをレイラに手渡すと、太股のベルトにくくりつけていたナイフを取り出した。
       それを迫ってくる男達に向けて投げつけた。
       男達がひるみだすと、直後にアキは突進した。
       武器など使用しなくても、アキ自身がもっとも恐ろしい凶器となる。
       同時に三人の男の手をとると、四方投げという技で、呼吸を統一して一気に投げ返す。
       剣を持つ相手には、回り込んで相手の持ち手の腕に当て身をくらわせ、逆に、アキの方が男の剣を掴み、男を反動で投げ返した。
       杖とり小手返しという技だ。
       さらに、別の男の首筋を後ろから平手で叩き伏せ、もう一人の男をひねり技で前へ投げ捨てた。
       男達は、いずれも複雑骨折で、かなりの重傷だ。
       そのうち、トリトンのボーガンの矢が底をついた。
       予備の矢も使い切った。
       一人につき、ニ、三発の矢を打ち込んだために、倒れたのはほんの数人だ。
       残りは、ボーガンの柄を武器にして男達を殴りつけ、さらにそれも効かなくなると、最終的に、トリトンも肉弾戦に切り替えてゴロツキどもと乱闘した。
       乱闘の終止符は、アキの方で打たれた。
       首を締め上げた男が弱音を吐き出した。
「た、助けてくれ、お嬢さん!」
「言葉だけを丁寧にしても、少しも似合わないわよ!」
       アキは皮肉をこめながら低く呟いたが、完全に男が脱力しきっているのを悟って、締め上げた手の力を少し緩めた。
       アキが残りの男どもをキッと睨みつけると、呻いた二、三人の連中はクモの子を散らすようにサッと立ち去った。
       アキは締め上げた男に視線を戻すと、語気強く迫った。
      「一体、何者? なぜ、あたし達に襲いかかってきたの?」
「あ、あんたらから金が欲しかったんだ…。そ、それだけだ…!」
       男は顔を引きつらせながら訴えたが、近寄ってきたトリトンが鋭い声を発した。
「そいつは違うだろ!」
       トリトンが相手になったうち、無事に逃げきれた人間は一人もいなかった。
       みんな、トリトンがなぎ倒してしまったのだ。
       トリトンにかばわれていたレイラは声をなくしている。
「これを見てみろよ。倒した男が持っていた皮袋から見つけだした。」
       トリトンはそういって、一枚の紙切れをアキに見せた。
       アキは目を見張った。
       それは、トリトンとアキの似顔絵を描いた手配書だ。
「こんなこと…!」
       レイラが息を飲む。
       トリトンは冷ややかな声でいった。
      「城の奴らの仕業だ。この街の殺し屋かチンピラどもにバラまいたんだ。ラムセス王を殺して、俺も君も、りっぱなお尋ね者というわけだ。」
「それにしても、根回しがよすぎる。…まさか、ジオリスの仕業…?」
       アキが呟くと、トリトンは肩をすくめた。
「かもしれない。けど、気持ちのいい話じゃない。」
       トリトンは、捕まえたチンピラの顔を睨みつける。
      「そいつは、俺達のことを城に売ろうとして金儲けを企んだ。許しておけねぇよ!」
トリトンは剣を引き抜くと、男の顔面の脇の壁に突き立てた。
       男は絶叫した。
       オリハルコンの熱で、男の顔の側面が焼けつくように痛み出した。
「ま、待て…! 殺さないでくれ…! 坊や、いや、王子さん! その…悪かった…。この通り、謝るよ…。やっぱりあんた達にはかなわない。仲間達にも手を引かせる。いや、あんた達には歯向かえない。本当だ…!」
「だったら教えなさい。」
       今度はアキが問いつめた。
      「ここから表通りに行くにはどう行けばいいの?  ご存知でしょう?」
「ひ…左だ!」
       かすれた声で男はわめいた。
「この先の道を左へ…。」
       アキは手の力を抜いた。
       男の腕を離すと、男は、その場にガクリと膝をつき、あえいだ。
       トリトンは剣をしまうと、アキとレイラに声をかけた。
「行こう。」
「この男のいうことを信じるの?」
       レイラがびっくりした。
       アキは笑みを浮かべた。
      「ここまで追いつめられた男が、嘘をつくとは考えずらいわ。」
「行ってみればわかる。」
       トリトンも同意した。
       三人は、男の言葉どおりに左に走り出した。
       しかし、男は、顔をひきつらせながら下卑た高笑をもらした。
       トリトンとアキは何も知らない。
       レイラでさえ、気がついていない。
       裏街に生きる人間は、その見返りのためなら、どんなことでもやってのける。
       男は、確かに、トリトンとアキの身柄を城に売るつもりでいた。
       しかし、それが無理だとわかると、今度は、一瞬にして“人買い”に変化した。
       男は、何度も気まぐれに“人買い”になりすまし、未成年の少年や若い女を肉市場に送り込んで、懐を温めた実績を持っている。
       男は、今度の“商品”の額を見積った。
       おそらく、今までにない高値で落札されるはずだ。
       彼らは、見た目にも実に素晴らしい。
       しかも、外見だけではなく、正真正銘の王族の血筋を引く人間だ。
       その血統だけでも、落札価格は倍に跳ね上がるだろう。
       そして、何よりも従順だ。
       経験不足な商品ほど、肉市場では歓迎される。
       自分の言葉を真に受けて行動に移してしまうあたり、彼らは、相当な世間知らずで未熟者だ。
「俺にもツキが向いてきた。一生、こいつは遊んで暮らせるぜ…!」
       男は腹を抱えた。
       ひとしきり、笑い明かした男は、すぐさまトリトン達の後を追った。
       これが、“人買い”の習いだ。
       肉市場に先回りして何件かの店のオーナーと交渉し、商品となる若者を引き込んでいく。
       男は思った。
       交渉を図るのなら、もっとも大きな市場を占めている「デトナ・ショップ」がふさわしい。
「あいつら、思い知れ…!」
       男の高揚感は増すばかりだった。
       トリトンとアキの誤算だ。
       この世界で生き抜く人間のしたたかさを、見抜くことができなかったのだ。
       レイラを含めた三人は、しだいに、市場に近づきつつある。
 人間の欲望だけが売買される、恐ろしい市場へと…。