抜け穴の出口までは、全力で走って五分もかからなかった。
ひんやりとした石の地下廊を走り抜けると、いきなり、石の扉が開いて外の世界が見えた。
先頭のレイラが、迷わず外に飛び出そうとすると、トリトンが叫んで止めた。
「待て、出るな!」
えっとなって振り返るレイラの手をとると、トリトンは強引に引っ張った。
「こっちだ。隠れて!」
石の扉の陰にレイラを潜ませると、トリトンもその横につく。
「どうしたの?」
後からやってきたアキが、トリトンの傍らに寄った。
「静かに。」
囁いたトリトンは、アキに小声でいった。
「君なら分かるはずだ。迂闊に外に出られない。」
えっと表情を変えながら、アキは外の気配を窺う。
確かに、異様な殺気が満ちている。
それは人間ではない。
何かの動物だ。
しかも、いささか、爬虫類的な雰囲気が漂う。
やがて、暗闇の中に、不気味に光る目が幾つも浮かんだ。
その高さは二メートル弱。
人間よりも、やや、ズウタイが大きい。
レイラは息を飲んだ。
「大イグアナ。城の守り神だわ!」
「ギャラゴ…! 間違いない!」
トリトンが呟くと、いぶかしんだアキが口を開いた。
「ギャラゴって?」
「小さいけど獰猛な肉食獣だ。動きも機敏で頭もいい。だから群れで狩りをする。しかも、そいつは温血だ。」
「それは、ジリアスにいる原生物の話でしょ? それがどうして…。」
「確かに、ギャラゴはジリアスに生息している生き物だ。だけど、ほんとのところは、はっきりしていない。もしかしたら、地球原産の生き物かもしれない。」
「えっ?」
アキは絶句した。
「トリトン、その…ギャラゴ? 私達のことを狙っているの?」
レイラがそういうと、トリトンは肩をすくめた。
「もちろんだ。俺達が美男美女だから、はりきっちゃってるよ!」
「気づいた…!」
突然、アキが口走る。
「いいか? ギャラゴの前足に気をつけろ。あいつの三本の爪にやられたら助からない!」
トリトンが早口で忠告した直後、一匹のギャラゴが闇の中から突進してきた。
「扉を閉めろ!」
トリトンが叫ぶ。
レイラとアキは、トリトンと一緒に石の扉を閉じようと、必死に力をこめた。
重い扉は、スズッとひきずられるように動き始める。
ギャラゴの前足の爪が、その扉にくい込む。
レイラの悲鳴があがった。
「押せ!」
トリトンは、二人の女性に命じた。
だが、ギャラゴの力は三人の力よりも強い。
扉が、しだいにこじ開けられていく。
そのうち、鋭い牙を持つギャラゴの口が迫ってきた。
「トリトン、このままじゃ…!」
アキが、絶望的な声をあげる。
「くそっ!」
トリトンは、肩で扉を押しつつ剣を引き抜いた。
ギャラゴに突きたてようとする。
が、ギャラゴの爪に弾かれてうまくいかない。
「上からも!」
今度はレイラが叫ぶ。
二人は頭上を見上げた。
石の隙間から、中をジッと覗き込んでいるギャラゴが見えた。
いきなり、ギャラゴが咆哮をあげる。
前足の爪を天井の岩に食い込ませると、通路の出口を突き崩そうとした。
「生き埋めになるわ!」
レイラが絶叫した。
「静かにしてくれ!」
苛立ったトリトンがわめく。
その時、やっと扉の前に居座っていたギャラゴに、トリトンの剣が突き刺さった。
剣の力で消滅させると、アキに首をめぐらした。
「頼む、アキ!」
感情が高ぶったアキの全身から、オーラが噴き出す。
「掴まって!」
アキは、レイラを背中にしがみつかせると、さらに、トリトンを抱きしめた。
と、同時に。
天井の大岩が、ギャラゴの突きで落下してくる。
レイラは目を閉じた。
が、次の瞬間、アキは、入り口の扉を弾き飛ばした。
アキは外に飛び出す。
天井に乗っていたギャラゴは、衝撃で大岩とともに崩れ落ちた。
これで、二匹のギャラゴが倒れた。
けれども、外には。
まだ、十匹程度のギャラゴがいる。
飛び出した三人は息を飲んだ。
地上にいるギャラゴは、宙を飛ぶ三人を恨めしげに睨みつけている。
彼らの姿は、古代に生息していた小型の肉食恐竜そのものだ。
小説や映画の題材となり、ブームにもなった恐竜。
アキも、そんな恐竜に関する知識を身につけた。
「どうして…。誰かが現実に、恐竜を再生させたってこと?」
目を見張るアキに、トリトンが応じた。
「その原因を探ってる余裕はない。今は、こいつらを振りきらなきゃ…!」
「このまま、壁を飛び越えられない?」
レイラが尋ねると、アキがいった。
「シールドがまだ働いている。切れている所がないか、探しているんだけど…。」
「もう少し、高度をあげて。」
トリトンが声をかけた。
「ギャラゴは、高い所までジャンプできる。念のためだ。」
「ええ!」
それが現実になった。
ギャラゴの集団が、アキの後を追いかける。
みるみる距離を詰めた。
勢いを持続させて、高々とジャンプした。
驚いたアキは、体を反転させてかわす。
ギャラゴに捕まれば、引きずり落とされて、あっという間に食いつぶされる。
アキは恐怖した。
「もっと、スピードが出ないの?」
レイラがいったが、アキはかぶりを振った。
「これ以上はだめ…!」
「俺とレイラが掴まっているからな。」
トリトンは他人事のように呟やくと、アキに命じた。
「アキ、俺だけでも離せ!」
「できないわ!」
アキは、激しく拒絶した。
一方で、レイラが叫んだ。
「見て、前からも兵士が…!」
その声に反応して前に視線をやると。
ボーガンや剣を手にした兵士達が、ワラワラと飛び出して来るのを発見した。
「あのボンクラ集団…!」
舌打ちしたトリトンは、アキに強い口調でいった。
「アキ、このまま真っ直ぐに行け!」
「そんなことをしたら…!」
いいかけたアキは、いきなり飛んできたボーガンにびっくりして、高度を下げた。
たちまち、ギャラゴが後ろから食らいつこうとする。
悲鳴をあげたレイラは身を震わせる。
「急いで! 絶対に後ろを振り返るな! いいな!」
トリトンは念を押すと、アキの腕から離れた。
「トリトン!」
アキは慌てた。
トリトンを抱き上げている時間はない。
飛びついてきたギャラゴの頭に、トリトンは剣を突き立てる。
落下の勢いを利用して、ギャラゴの体をぶった斬ると、トリトンは地面に着地した。
逃げながら、残りのギャラゴを相手に戦いはじめる。
仕方なく、アキはレイラと一緒に、兵士達の中に突っ込んだ。
一方、兵士達は一気に腰砕けになった。
トリトンの後ろに迫っている、ギャラゴの群れに恐怖した。
結局、アキとレイラにつられて、兵士達も逃げ出した。
「早く逃げろ!」
時折、トリトンが兵士達を叱咤している叫び声が響く。
逃げ遅れた兵士達が、次々と、ギャラゴの餌食になった。
敵も味方もない。
人間対ギャラゴ。
野生の本能を秘めたギャラゴは、人間というエサに敏感な反応を示す。
いつの間にか、ギャラゴの数が増した。
血の臭いと、肉の味をかぎつけたのだ。
「レイラ、先に行きなさい!」
アキはレイラにいった。
しかし、怯えるレイラは従おうとしない。
アキは、強引にレイラを地上に降ろした。
「トリトンが心配なの。いうことを聞いて!」
地上はパニック状態だ。
レイラは兵士にもまれながら、アキから遠ざかる。
アキはそれを見届けると、逆の方向に飛行した。
先頭を飛んでいたアキは、兵士の流れに逆らって後方に向かう。
後ろは、ギャラゴと人間が戦う、もっとも凄惨な現場だ。
辺りには生臭い血の気配が充満し、肉片が周囲に散らばっていた。
臓物が宙を舞い、骨がむき出しになった人間の生腕が、アキの視界を横切った。
アキは肩で息をした。
心臓がガンガンと鳴り響き、精神が極限の緊張を迎えた。
「もう、やめて!」
精神に呼応して、アキの力が放出される。
純白のオーラが空間に広がる。
まばゆい光が世界を覆いつくす。
だが。
力を完全に放出する直前に、誰かがアキを抑止した。
アキは、ハッと我に返った。
それは、トリトンだ。
トリトンが、アキの後ろから夢中で抱きついた。
驚くアキに、トリトンは鋭い声を発した。
「何をやってる! なぜ、戻ってきた?」
「これ以上、犠牲は出せないわ!」
アキは、高ぶる感情を剥きだしにして、トリトンに反論した。
睨みつけたトリトンは、激しくアキに詰め寄った。
「ギャラゴと、心を通わせるつもりか?」
「彼らは怯えているわ!」
「彼らの野生の本能を消すことが、本当に正しいと思っているのか?」
トリトンの強い主張に、アキは言葉を詰まらせる。
トリトンは言を継いだ。
「これが、ありのままの姿。彼らの正義だ。それを飼いならそうとした、この城の連中の方が愚かなんだ。その本能は誰にも奪えない。奪った側に罪が生まれる。違うのか?」
「そうだけど…。」
アキは声を震わせた。
表情が苦痛で沈む。
トリトンは、アキの痛みを無視して、逆に問い返した。
「レイラは?」
「この先よ。」
「今のうちだ。ここから逃げよう。」
トリトンは、アキを促がした。
ギャラゴ達は、肉に食らいつくのに夢中で、次のエサを探すのを忘れている。
アキは、ゆっくりと移動しながら、トリトンに言い返した。
「あなたが何をしようとしたか、よくわかるわ。」
トリトンは、アキの表情を覗き込んだ。
アキの瞳は、大きく揺れる。
その瞳が訴えていた。
『ギャラゴと兵士を同士討ちさせて、隙を作るつもりだったんでしょう。』と…。
「やり方は、フェアじゃなかったと思ってる…。」
トリトンは、それだけいって押し黙った。
アキはかぶりを振った。
切ないまなざしを向けると、囁くように呟いた。
「もう、こんなムチャはやめて…。今は、無事でいられたかもしれない…。だけど…、この次の保障はないのよ…。残された人の気持ちを考えて…。」
「………。」
トリトンは動揺した。
ただの気遣いだけではない。
それ以上の思いが込められている。
愛しい相手に向けられる言葉。
まさにそれだ。
一瞬、トリトンの注意が、ギャラゴからそれた。
その時、狙ったように、ギャラゴが動き始めた。
一匹のギャラゴが、飛びつこうとした。
それをかわしたものの、アキはバランスを崩した。
トリトンを抱きしめたまま、地面に肩から落ちる。
その場所は、ギャラゴが取り巻く中心だ。
ギャラゴ達は、獲物が落ちてくる瞬間を待ちわびたように、二人の周囲に集まってきた。
饗宴を楽しむかのように やかましく鳴きわめく。
アキは、悲鳴をかみ殺した。
相手を刺激しないように、ジッとして動かなかった。
そのうち、ギャラゴは鳴くのをやめた。
一頭、一頭が、二人との間合いを狭めてきた。
殺気を感じたトリトンは、アキの上に体を伏せてかばう。
驚くアキに、トリトンは軽い思考を送った。
ーこんな最期になるなんて、全然、予想してなかったよ…。ー
そう訴えながら、トリトンは、皮肉っぽい笑顔を浮かべた。
ー来るわ!ー
二人の傍に近づいた一頭が、おもむろに前足を振り上げた。
トリトンとアキは、思わず目を閉じた。
しかし、二人には何も起こらない。
ギャラゴが、再び、かまびすしく鳴き叫んだ。
何かを威嚇している。
続いて、激しい振動と喚くような咆哮が響く。
反射的に、頭を起こしたトリトンとアキは呆気にとられた。
二人をかばうように、巨人タロスが立っている。
周囲に瓦礫が散乱していた。
タロスは、城の内部を突き崩して現れたのだ。
タロスは、トリトンとアキを守りながら、ギャラゴを蹴散らしにかかった。
立ち上がったものの、迫力に負けて動けずにいたトリトンとアキに、タロスの思考らしい声が響いた。
ー早くお逃げなさい。今のうちに。ー
「なぜ、俺達を助けようとする?」
疑問を投げかけたトリトンに、タロスは何も答えない。
すると、背後から、別のタロスの手が伸びてきた。
ーこちらです。さあ…!ー
「トリトン、どうするの?」
アキは首をめぐらせる。
トリトンは迷った。
と、そこに。
二体のタロスをすり抜けてきたギャラゴが、襲いかかってきた。
「くそっ! 」
トリトンは、かろうじてそのギャラゴに剣を突き立てる。
ギャラゴを消滅させると、アキを促がした。
「タロスに従おう。」
「わかったわ!」
二人は、タロスが差しだした手の上に飛び乗った。
かがみこんでいたタロスは、ゆっくりと立ち上がる。
そして、トリトンを左肩に、アキを右肩に座らせると、そこから遠ざかりはじめた。
生身でないタロスに、ギャラゴがいくら襲いかかっても、タロスはまったく堪えない。
「どこへ行く気だ?」
トリトンが尋ねると、タロスはこう返した。
ーお望みの場所にお連れいたします。ー
「それじゃ、友達を助けて城の外に出たい。行ってくれないか?」
ーわかりました。ー
タロスにまかせたものの、トリトンは、一抹の不安を感じた。
しかし、タロスは木陰に隠れていたレイラを救出すると、まっすぐに、シールドの張った城壁に近づいた。
口から熱線を吐き、城壁を破壊すると、あっさりと城の外へと導いてくれた。
呆然としていたトリトンも、しだいに、このタロスに親しみを感じるようになった。
タロスは、歩みを止めることなく城から離れる。
やがて、小高い丘の上にやってくると、三人を地上に降ろした。
トリトンは、オリハルコンの剣先を、タロスに向けてかざした。
オリハルコンの持ち手についているロッドと同じ模様が、タロスの胸に刻みこまれている。
その模様と、剣先から放たれた光が互いに結ばれると、タロスとトリトンの意志が通じ合う。
それは、ジリアスの遺跡で遭遇したタロスと、同じ仕組みだ。
タロスは告げた。
ーテグノスの森の先にある、“アクアの海”と呼ばれる場所に、エネシスという隠者がいます。我々は、エネシス様の命令で、あなた方をこの世界に招き入れました。ご無礼の数々は、どうかお許しいただき、エネシス様とお会いくださいませ。あなた方に、良き力を授けてくださるでしょう。ー
「エネシス。そいつが、この仕業の張本人だな?」
トリトンが念を押すと、タロスは静かに頷いた。
ーエネシス様は、あなた方がここにおいでになられることを、ずっと待ちわびておいででした。この世界のすべてのことは、その方がよくご存知です。ー
「わかった。助けてくれてありがとう。」
タロスは一礼すると、城の方に戻っていこうとした。
「タロス、どこへ行く?」
トリトンが声をかけると、タロスはわずかに一瞥して、
ーまだ、我々には、やるべきことが残されています…。ー
そういい残して去っていった。
タロスが去っていく姿を見送ったトリトン、アキ、レイラは、背後にある城が閃光に包まれて崩れていくのを、同時に目撃した。