「どうした?」
「何があった?」
「王だ。王が討たれた!」
「葬祭殿が崩れたぞ!」
「奴だ…! 奴が殺った! 奴を殺せ、王の仇だ!」
城中の衛兵や神官達の叫び声が、あちこちで響く。
武器を手にした衛兵達が、城の中を走り回った。
神官達は、トリトンとアキを犯罪者と断定した。
そして、城中の衛兵達に、二人を捕らえるように触れ回った。
今、その命令を受けた衛兵達が動き出したのだ。
衛兵達は、城に通じる入り口をすべて封鎖した。
そして、厳戒体制を強いて、城中の捜索を開始した。
トリトンとアキは、兵士達をやり過ごしながら、城の廊下の一角を出口に向かって、ひたすら走り続けた。
「こんなことなら、あの王を殺すんじゃなかった…!」
「いまさら、後悔してもはじまらないわ。」
舌打ちするトリトンをたしなめながら、アキは口を開く。
その時、毛先まで細かく編み上げられた髪を、アキはふりほどいた。
燃えるような紅い髪が、サラリとなびいて宙を舞う。
トリトンが目を丸くした。
「なんか、もったいないな。せっかく綺麗にしてあったのに。」
「あんな髪型じゃ笑われるわ。スティービー・ワンダーしてるって…!」
「スティービー…?」
一瞬、考えたトリトンだった。
だが、後から、地球では有名な黒人シンガーの名前だと気がついた。
ーやだよ…。俺を、地球人だと思って話しかけてくるんだから…!ー
そんな会話をしながらも、二人は懸命に走り続ける。
やがて、二人は、短い階段にさしかかった。
迷わず駆け降りようとした時、階段の上り口に、エジプト風の女が倒れているのに気がついた。
二人は立ち止まった。
女は胸を刺されて、すでに死んでいる。
ショックを受けたアキは、トリトンにしがみついた。
アキをかばいながら、トリトンはよく見返した。
目を見張ると、思わず叫んだ。
「ディノイア!」
「この女の人は、確か…。」
アキがトリトンを見返すと、トリトンはかすかに頷いた。
「ラムセス王に仕えている女だ。だけど、いったい誰がディノイアを…。」
トリトンが言いかけた時、後から、トリトンの名を呼ぶ女の声がした。
ハッとした二人は、首をめぐらす。
と、そこには、離宮で別れたはずのレイラが立っている。
相手が判ると、トリトンの顔に笑顔が浮かんだ。
「レイラ!」
緊張して、強張っていたレイラの表情がフッと和らいだ。
血のりがついた短剣をガシャリと落とすと、トリトンに駆け寄ってきて胸に飛び込んだ。
「よかった…。もう、会えないかと思った…。」
「この人は?」
目を丸くするアキに、トリトンは視線を向けた。
「レイラ。友達になったんだ。」
「友達?」
それ以上のことは語らずに、トリトンは、レイラの顔をのぞきこんだ。
「君が殺したのか? ディノイアを。」
すると、レイラは、声を震わせながら訴えた。
「この女は、ラムセスの手先よ。みんな、この女のために命を落としたの。あたしだけが生き残って…。生かしておくわけにはいかなかった…。」
レイラは嗚咽した。
トリトンは、レイラを抱きしめると優しい声でいった。
「わかった。君は俺が守る。一緒に、テグノスの森に行こう。」
その時、アキが厳しい表情で、通路の先を見据えた。
「敵! 気づかれたわ!」
レイラを離したトリトンは舌打ちした。
アキとレイラを後におしやると、トリトンは剣に手をかけた。
「逃げ回るのは飽きちまった。ここで、ケリをつける!」
廊下を走る足音と金属の軋む音が、しだいに大きく響いてくる。
「いたぞ!」
先頭を突っきる兵士の叫び声がした。
トリトンは身構える。
しかし、その腕をレイラが引っ張った。
そのせいで、トリトンはよろめいた。
「何、やってるんだよ!」
慌てるトリトンに、レイラがいった。
「こっちよ! 来て!」
レイラは、機転を利かせた。
トリトンとアキを、廊下の壁にある隠し扉の中に誘う。
「ここで戦う必要はないわ。」
アキにもいわれて、トリトンは躊躇った。
でも、決断すると、隠し扉の中に飛び込んだ。
トリトンが飛び込んだ瞬間、自動的に扉が閉まった。
えっとなったトリトンは、振りかえって納得した。
レイラが、扉の支えになっていた砂の袋を破ったのだ。
袋の砂がもれると、もともと、傾斜を利用して造られてある石の大扉が滑り落ちて、閉まる仕組みになっていた。
入り口は最初から開いていて、像の陰になっていて見えにくかったのだ。
「ここは?」
アキが質問した。
目が慣れてくると、暗闇の中に、日常品らしき物をしまっておく倉のような光景が見えてきた。
レイラがいった。
「宝物庫です。ここに、秘密の抜け穴があります。外には通じていないけれど、中庭までなら行くことができます。」
「中庭?」
「そうよ、トリトン。中庭にたどり着けば、じきに城の塀を越えられる。そうしたら、あなたが行きたいといっていた、市場にも行けるわ。」
「近道なのか?」
トリトンが口を開くと、レイラは頷いた。
「まともに廊下を突っきって行けば、必ず、兵士と出くわします。ここは安心よ。知っているのは、ラムセス直属の神官だけ。私は、ここからディノイアが出てくるのを見たわ。この道は、ディノイアから聞き出したの。」
「そういう意味じゃ、ディノイアに感謝しなくちゃ。」
トリトンが明るい口調でそういうと、肩を落としたレイラは悲愴な表情をした。
「あの女は悪魔よ。トリトンは、私達を自由にするように頼んでくれた。でも、あの女は、私達を殺そうとした。『主人の死には忠誠を尽くせ』って…。私だけが、生き残ったなんて、とても不思議…。」
「すまない…。俺が、君らを残して行ってしまったばかりに…。」
トリトンは、唇を噛みしめた。
レイラは、かぶりを振った。
「いいえ。そのおかげで、あなたは、アルテイア様に会うことができた…。」
レイラは羨ましいそうに、トリトンとアキを見比べた。
「この方がそうですね? 思ったとおりの美しい方だわ…。」
まぶしい表情で、レイラはアキを見つめる。
言葉が出ないアキにかわって、トリトンが肩をすくめた。
「まだ、安心するのは早い。その綺麗なアキを、無事にテグノスの森に送り届けなきゃ。アキの大事な男が、テグノスの森で待っている。」
「えっ?」
驚くレイラに、トリトンは軽い口調でいった。
「誤解される前に訂正しておく。この世界の人間は、俺とアキを勝手にくっつけたがってるみたいだけど、俺とアキは何の関係もない! 彼女には、ちゃんと別に好きな人がいる。」
「ほんとですか?」
レイラはアキを見つめた。
アキが笑顔で頷くと、レイラは呆気にとられた。
「市場までがんばろう。そうすりゃ、何とかなる。」
トリトンは、二人の女性に訴えた。
頷く二人の顔を確認すると、トリトンは、先に秘密の抜け穴に向かおうとした。
その前に、レイラが提案した。
「待って、トリトン。ここに来たのは、抜け穴のためだけではないわ。」
「何?」
「まず着替えて。その服装では、街に出たら目立つわ。それに武器も。剣や槍が手に入るのは、ここしかないの。」
「そうか…。」
納得したトリトンは、レイラのもとに戻ってきた。
「着替えって?」
アキが聞くと、レイラは、宝物の中から、男女用それぞれのものを見つけて出してきた。
それは、トリトンにも馴染み深い、ギリシャ風の衣装だ。
「これが街の人々の服です。なんでも、昔から伝わるアトランティスのものだとか…。」
「その通りだ。俺も、この服なら着たことがある。」
トリトンは、レイラから衣装を受け取った。
白衣に赤いマントよりも、かなり地味で庶民的だ。
しかし、生地はしっかりとした亜麻布だ。
躊躇うことなく、トリトンは、その衣装を手にした。
「レイラ、今度は着替えを手伝ってくれないの?」
トリトンがおどけていうと、レイラはむくれた。
「あれほど、嫌がっていたじゃない…!」
「着替えって?」
アキが声をかけると、トリトンはにっこりした。
「アハッ、それはこっちの話! 俺、向こうで着替えてくる。アキ、ゆっくりしてていいぜ!」
それだけいうと、トリトンは、死角になっている宝物の陰に隠れた。
レイラは笑いだす。
溜息をついたアキも、苦笑しだした。
「もう、憎めない子ね。」
「あの方は、とても良い方です。」
「ええ、認めるわ。それに、けっしてめげる子じゃない。とても強い子よ。あたしも、負けてはいられないわ。」
「どういうことですか?」
レイラとの会話に応じながら、アキは着替え始めた。
アキの衣装は薄いクリーム色の布だ。
それを両肩にかけると、ぐるりと体に巻きつけた。
膝の長さにまで裾をたくし上げると、腰の部分を細い布で縛って固定した。
アキはレイラにいった。
「この世界は、昔の風習が残りすぎている。女性の地位なんてないみたいだけど、あたしは、そんなのは認めない。女扱いされるのは嫌よ。」
着替え終えたアキは、壁にかけてあるナイフを指さした。
「この武器はもらっていいのね?」
「はい。」
レイラの返事を聞いてから、アキはナイフを手にとった。
皮のホルダーに入っていて、それを太股に縛りつけた。
腰には剣をさす。
その姿は、さながら女戦士のようだ。
「トリトン、まだなの?」
姿を見せないトリトンに呼びかけると、トリトンは柱の陰から出てきた。
「ごめん。遅れた?」
「いいえ。」
アキはニコリとした。
トリトンの姿を見たレイラは、わずかに頬を染めた。
今まで見てきたトリトンの中で、今の服装が、一番トリトンに似合っている。
トリトンは、四年ぶりに魅惑的な神話の少年にもどった。
「その方が、あなたらしくていいわ。」
声をかけるアキに、トリトンは口をとがらせた。
「俺としちゃ、卒業したかったんだけど。」
「この世界では、一生、留年させられる。それよりも、用意ができたのなら出発しましょうか。」
「待ってくれ。まだ、武器が足らない。」
トリトンは、さらに壁に飾ってあったボーガンを手に持った。
「飛び道具は銃の方がいいんだけど、贅沢もいっていられない。」
「ないよりマシだわ。」
アキがつけ加えた。
「よし、行きますか!」
トリトンが促がすと、レイラが先に移動した。
「こっちよ。」
トリトンとアキは頷きあうと、レイラの後に続いた。