5. 狂った儀式 4

 アトラリアに夜が訪れた。
 異次元の世界なのに、昼と夜とがきっちり巡ってくるのを、トリトンは不思議だと思った。
 海と大陸の狭間に存在する世界。
 太陽の光など届かない世界なのに光が満ちている。
 それがオリハルコンの影響だとして、夜は暗闇で満たされるが、それでも、空には星のような輝きを肉眼で見ることができる。
ーいったいどうなってるんだ?  この世界は…。ー
 謎が多いこの世界に、いくつもの疑問が沸いた。
 だが、それを暢気に探っている余裕はない。
 トリトンは焦っていた。
 ラムセスが、何を企んでいるのか計り知れない。
 今はまだ無力なトリトンも、なんとか、ラムセスを出し抜く機会を窺っていた。
 アキを救出して、わけがわからない世界から脱出できる機会をだ。
 トリトンは、友達となったレイラ達を囲んで夕食をとった。
 ナツメヤシのケーキ、えんどう豆の煮込みバジリコ風味、川魚のグリル、骨付き肉のミントソースがけ、最高級のワインなど。
 食卓に並べられたのは、懲りにこった豪華なエジプト伝統料理の数々だ。
 どれを食べても、最高においしい味がした。
 そして、レイラ達は楽しい演出も用意してくれた。
 寸劇に、楽しい手品に、華麗な踊り。
 彼女たちは、主人をもてなす術を身につけたプロの召使いだ。
 いつもは命じられて演じる彼女達が、トリトンの心を慰めるために、心地よくもてなしてくれた。
 そんな彼女達の気持ちをくみ取って、トリトンも、彼女達の前では明るく振舞った。
 彼女達と会話に興じるだけでも、内心の焦りと不安が消えて、トリトンの心は和んだ。
 トリトンとレイラ達の友情が深められているその時、いきなり、脱出の機会が訪れた。
 離宮を覆っていたシールドが消えてしまったのを、トリトンは敏感に感じとった。
「!…シールドが消えた?」
 トリトンがそういうと、女性達は顔色を変えた。
 やがて、壁の隠し扉が開くと、エジプト風の中年女がやってきた。
 アキを誘った同じ女だった。
「ディノイア!」
 レイラが中年女の名前を呼ぶ。
 ディノイアは深々と頭を下げると、トリトンに告げた。
「王子よ。お待たせいたしました。アルテイア様とお会いなさいませ。ご案内いたします。」
「待ちくたびれたよ。」
 トリトンが立ち上がると、焦ったレイラが叫んだ。
「トリトン、いけない!」
「レイラ、無礼な口をきくでない!」
「構わない。俺が許した。」
 トリトンは、すかさず口を開いた。
「それより俺の頼みだ。俺がここを出て行けば、彼女達の役目は終わる。城から出して自由にしてやって欲しい。」
「トリトン!」
 女性達が驚いた。
 ディノイアは静かにいった。
「わかりました。それが、あなたのお望みなら…。」
「ありがとう。」
 トリトンは、ディノイアに向かって歩き出した。
 それから、女性達の方に振り返ると、笑顔で別れの言葉をいった。
「楽しかったよ、君らに会えて。メシもうまかった。たっしゃでな!」
 ハッとする女性達に軽く手を振ると、トリトンは、ディノイアについて部屋を後にした。
 ディノイアは、トリトンを無言のまま誘導した。
 幅、三メートルほどしかない薄暗く、細い通路。
 しかし、その通路の両壁は一面に金で埋め尽くされ、美しいエジプト風の壁画と、ヒエロクリフで飾られている。
 そのまばゆい輝きが光のように反射して、通路の道を照らし出した。
 いくつもの段差があったが、つまずいて倒れる心配はない。
 やがて、通路の奥の空間が広くなった。
 区画に設けられた、壁画で飾られた重々しい扉の入り口をくぐる。
 すると、豪華な日常品が置かれてあることに気がついた。
 しだいに、トリトンは嫌な予感にとらわれはじめた。
ー豪華な家具っていうのは、目の保養になるけど、これって埋葬品じゃないのか?ー
 トリトンが予想したとおり、やがて、無数に彫られてある横穴に、何体ものお棺が収められている場所にたどりついた。
 思わず、立ち止まりかけるトリトンに、ディノイアは平然と説明した。
「ご安心ください。ここは、死者が眠る『カタコンペ』と呼ばれる神域です。ここは、王のみが通ることを許される神聖な道。ここを抜けると、本来の王宮「王の間」に行き着きます。」
「『カタコンペ』…。共同墓地…。この仏は、みんな誰なんだ?」
 トリトンが呟くようにいうと、
「皆、王に忠誠を尽くし、命を全うされた方々です。」
 と、ディノイアは答えた。
「新王はこの道を通ることで、この方々の魂を受け、王になることを許されます。」
「死んだ人もご苦労さんだ。死んでもまだ、王様に忠誠を尽くさなきゃならない。」
 トリトンは肩をすくめた。
 ディノイアは、トリトンの言葉に何も答えず、淡々と墓の説明を続けた。
「ここに眠る魂は三万を超えます。この通路には七層の部屋があり、そこに、すべての棺が納められています。ただし、数が多すぎて本来の外柩に入れることができません。よって、内棺のみで納められているのです。」
「三万?」
 聞き間違いかと思って口走るトリトンに、ディノイアは答えた。
「数千年間の歴代の神官達です。」
「歴代か…。」
 納得しながらも、トリトンはその数の多さに疑問を抱いた。
 しかし、その理由を尋ねても、ディノイアは答えてくれはしないだろう。
 トリトンは口調を変えると、ディノイアにいった。
「王の道にしてはごりっぱだ。悪い気はしないな。これだけ壮大なものは、そこらの古代遺跡ではお目にかかれない。巨大なファラオの権力。今もって痛感したよ。」
「そのお言葉、ラムセス王がお聞きになれば、さぞ、お喜びになりましょう。」
 ディノイアには満足が感じられた。
 だが、トリトンは顔を強張らせた。
 口でいうほど、ラムセスのことを称えようと、トリトンは思わなかった。
 専門的に分析するなら、この墓の規模は壮大で保存状態も良好だ。
 盗掘にあっていない遺跡は、考古学史上、類を見ない貴重な資料だと評価できる。
 トリトンが感心したのは、せいぜいその方面の評価だ。
 いくら数千年前の代物であっても、元々のエジプト文明のものではない。
 よくできたイミテーションだ。
 しかも、現地の遺跡の規模よりも、わざと大きく建造されている。
 それが、エジプト文明の文化を冒涜しているように、トリトンには思えた。
ーこれじゃ、三万体ミイラのコレクションだ…。ひっでえ、悪趣味…!ー
 溜息をつきながら、トリトンは心の中で本音の言葉を吐いた。
「こちらが入り口です。」
 手をさしのべたディノイアは、トリトンに呼びかけた。
 トリトンは部屋の入り口に向かおうとして、最後の棺の前を通過した。
 その何気なく通り過ぎた棺の側面には、アエイドロス二世の名が刻まれていた。
 さらに、奥の小さな二つの棺には、それぞれに、トリトン・ディウル・ド・アトラスとアルテイアの名が刻まれてある。
 トリトンはそれらに気づくことなく、通路を後にした。


 トリトンは、「王の間」へ行く直前に、小部屋に通された。
 そこで、王の身分を示すという装飾品を身につけさせられた。
 身支度を手伝ったのは、ディノイアと同年輩の三人のエジプト風女だ。
 トリトンも、今度は潔く着替えを手伝わせた。
 この女達に逆らっても、どうにもならないことを、トリトンもよく解っている。
 それに、最初から服を着替えなくてもよかったから、トリトンとしてもまだ許すことができた。
 結局、訳が分からないままに派手で重苦しい首輪と腕輪に指輪、さらに、「王の頭巾」とまではいかなかったが、冠のようなものを頭につけさされた。
 体を動かすと、ジャラジャラと大きな音がする。
 覚悟はしたものの、めげずにはいられなかった。
ー情けねぇ…。鏡なんか見れねぇや…。ー
 この部屋に、自分の姿を写すものがないだけ、まだ救いがあった。
 その格好のまま、トリトンは「王の間」へと、女達によって案内された。
 列柱が並ぶ大きな空間。
 何箇所にも松明が焚かれ、明かりで照らされた壁に、鮮やかな壁画が浮かび上がる。
 その時、不思議な香りが鼻についた。
 けっして、不快ではない甘い香水の香り。
 その匂いがするほうに視線を向けると、白っぽい人の影を見つけた。
 目を凝らすと、それはアキだ。
 エジプト風の女衣装を着せられたアキが、不安げに周囲を見回しながら静かにたたずんでいる。
「アキ!」
 トリトンが叫ぶと、アキの表情はすぐに和らいだ。
 トリトンの名を叫ぶと同時に駆け出して、トリトンの腕の中に飛び込んだ。
 びっくりしたトリトンに、アキは囁くようにいった。
「よかった…。無事で…。よかった…。」
「アキ、怪我は? 何もされなかったか?」
 落ちついたトリトンが優しく問いかけると、アキは笑顔で首を振った。
「平気よ。あなたは?」
「俺もだ。ピンピンしてる。」
 二人が笑顔をこぼしあった時、対する正面に、オーラを放ったラムセスが姿を現した。
「あの男がラムセス?」
「クソ親父、今まで、どこに消えていやがった?」
 二人がキッと見返したのを、平然と受けとめながら、ラムセスは口を開いた。
「愛し合う者同志の再会が実現して、さぞ、満足であろう。お前達には私の意志を継いでもらう。さあ、婚姻の仕度をせよ!」
「婚姻ではなくて、お葬式の間違いでしょ! ここは葬祭殿よ!」
「葬祭殿? 葬式をする場所?」
 いぶかしんだトリトンは、思わずアキを見た。
 鋭いまなざしでラムセスを睨みながら、アキは語気強くいった。
「あの男は、もとからあたし達を生かすつもりはないわ。あたし達から、オリハルコンのエネルギーを吸収しようとしているの。」
「オリハルコン?」
「この世界のオリハルコンは、ラムセスによってすべて食いつくされてしまったわ。あの男が、不老不死のまま力を保ち続けていられるのは、オリハルコンの恵みがあったからよ。でも、今のオリハルコンはなくなりかけている。だから、あたし達の力を吸収して、オリハルコンを蘇らせるつもりなの。」
 驚いたトリトンは、ラムセスを見つめた。
 しかし、ラムセスは何も答えようとしない。
 トリトンは、アキに首を巡らした。
「俺が、あの親父から聞いた話とはまるで違う。どこで、君はその話を聞いたんだ?」
「あの男の息子からよ。ジオリスといったわ。父親が、あたし達を利用してオリハルコンを奪うのに対抗しているの。そのために、あたしとの交わりをジオリスは強く望んでいる。」
「君との関係を持つ? 何だ、それは?」
 トリトンが目を見張ると、アキはいった。
「あなたの方がよく解っていると思ったわ。オリハルコンは、男と女が交わることによって復活していくのよ。ラムセスは、この数千年の間に、すべてのアトランティス人を、そうやって生贄に捧げてきた。」
「わかったぜ、あのミイラの団体!」
 トリトンはハッとした。
「この地下に三万人のミイラが同居していた。あれは、ラムセスに殺された、アトラス人のミイラだったんだ!」
 アキは、頭上の壁画の絵を指差した。
「冥界の神オシリス。彼の裁きで死んだ魂は現代に再生すると、エジプト世界では信じられてきた。エジプト人は、そのために、ミイラにして生前の肉体を残そうとした。」
 アキはトリトンを見返した。
「どう、生贄になりたい?」
「それは、俺に抱かれたいってことか?」
 トリトンが冗談交じりにそういうと、アキは肩をすくめた。
「この際、細かい手続きは省かせていただくわ。ただ、生贄になれば、一度に冠婚葬祭ができるわよ。人生を全うするには、簡潔でいいかもしれないわ。」
「結婚したら、すぐにあの世行きじゃねえか! 俺はパス! 今の人生を楽しみたいからな。」
「だったら、ここを、出て行くしかないわ。」
 アキがそういうと、トリトンも笑った。
「出て行けると思うのか?」
 ラムセスが重い口調でいうと、
「思うわ。」
 アキは、平然と答えた。
「あたし達のことより、反抗期の息子の教育の方が先よ。あたし達は、あなた方親子の諍いに関わる気はないから。」
「右に同じ。」
 トリトンもいった。
「体を日干しにされたんじゃたまんねぇからな。それに、俺は女を抱くのはプライベートな時だけって決めてる。そういうのは請け負う気もねぇし、見せ物にする気もねぇよ!」
 トリトンは言い捨てて、ラムセスに背を向けた。
 アキも、その後について行こうとした。
「待て!」
 瞬間、二人の背後から、ラムセスの叫び声がした。
 トリトンとアキは殺気を感じた。
 その場を飛びのき、ラムセスに向き直ると身構えた。
 ラムセスのオーラが強まっている。
「これを見よ!」
 ラムセスは手前の柱を指さした。
 すると、力場が弱まったのか、柱の一角が崩れて吹き抜けた。
 すると、その中心に、赤い輝きを放った長剣が浮いていた。
「オリハルコン!」
 トリトンは愕然とした。
 三十センチほどのみごとな細工の柄の先に、一メートルほどの刃がスーッと伸びている。
 刃の部分がオリハルコンだ。
 オリハルコンは、燃えるような熱を帯びた光を赤々と放っている。
 さすがに、その剣はギリシャ風の作りだ。
 言葉をなくしているトリトンとアキに代わって、ラムセスが恍惚の表情を浮かべながらいった。
「これが、唯一、この世界で完全な形として残っているオリハルコンだ。この剣の輝きが消えぬ限り、私は永久に、この世界の王として支配することができる。この輝きの源となるのは、お前たちのその命の輝きだ。」
「狂っている!」
 アキは悲鳴をあげた。
 ラムセスは冷ややかにいった。
「お前達はここから出られぬ。それが、お前達に与えられた運命だ。心配はいらぬ。お前達は死んでも、神に導かれて魂は来世で復活する。神が、お前達の魂を守り続けてくれるはずだ。さあ、求めよ。互いに交われ!」
「嫌だ!」
 トリトンは叫んだ。
「教えろ! 他のオリハルコンはどうした?」
「オリハルコンは神秘な力だ。昔は、この世界にあふれていたという。だが、すべて崩れ去った。しかし、このオリハルコンは違う。トリトン・ディウル・ド・アトラスの剣だ。もっとも強い力を示す、王の象徴とまでいわれたものだ。…フッ、どうした。トリトンよ?」
 ラムセスは、トリトンを見つめてかすかに笑った。
 トリトンは、しだいに脱力感に襲われはじめていた。
 わけもわからずに力が抜けていく。
「くそっ…、なんて力だ…。」
 トリトンは呻いた。
「こんなに離れているのに、力が奪われていく…。」
「トリトン!」
 アキは蒼ざめた。
「しっかりして…!」
「だめだ…。ここにいちゃ行けない…。アキ、逃げろ!」
「あなたを置いていけない…!」
「聞き分けるんだ…! あのオリハルコンは異常すぎる…!」
 トリトンの叫びで、アキは、ハッとオリハルコンを見返した。
 狂ったように、オリハルコンの光が乱れ飛ぶ。
 光があふれすぎて、目を開けていられない。
 アキがいる所にまで、耐えきれないほどの熱風が吹きかかる。
「素晴らしい!」
 ラムセスはひどく興奮した。
「こんな輝きは初めてだ…! しかも、反応が思った以上に早い…。さすがだ…!」
「くっそ…!」
 トリトンは歯を食いしばる。
 ラムセスは、周囲に控えていた祈祷師らしい付き人達に命じた。
「さあ、祈りを捧げよ!」
 付き人達は手を合わせると、静かに呪文のような言葉を口にした。
 すると、トリトンとアキの耳に、遠くから聞きなれない小さな音が響きはじめた。
 二人は、表情を変えながら首をめぐらした。
「な、何だ?」
「この音…。石を叩く音…?」
 アキは目を見張った。
 不思議な音は、やがてはっきりと、聞いたこともない美しいメロディーとなって聞こえてきた。
 トリトンとアキは息を飲む。
 その音が、二人の頭の中にガンガンと反響しだした。
 二人は逆らえない。
 澄んだ美しいメロディーは不思議と心を和ませ、すべての悩みを消し去る魅力に満ちている。
 それは、けっして不快ではない。
 むしろ、聞きほれてしまいたくなるような素晴らしい音色だ。
 その時、トリトンは肩が軽くなったような気がした。
 ハッと足元を見ると、身につけていた首飾りがガシャリと落ちた。
 首飾りだけではない。
 王冠が、身につけていた装飾品がボロボロと崩れるようにとれていく。
 トリトンは固唾を飲んだ。
 アキも同じだ。
 自然に身につけていた装飾品がとれていく。
 愕然としたアキは、ゾクリとした異様な空気を感じて周囲を見回した。
 全身が総毛立つような恐怖を味わった。
 二人の足元には、とぐろを巻いた何十匹という蛇の大群が取り巻き、二人の足に絡みつこうとしている。
 そして、いつの間にか、二人の周囲には何十人ものエジプト人の亡者が群れていた。
 アキは顔を覆った。
 亡者達は、アキの体に触れようと手をのばしてくる。
 亡者達が、アキの着ている衣を剥ぎ取ろうとするのだ。
 アキは逃げようとした。
 が、体が硬直したまま動かない。
 足に絡みついた蛇達が、アキの動きを封じている。
 亡者達が、アキの体を前に押しだした。
 アキは独りでに、トリトンの方に向かって歩き出した。
ーやめて!ー
 そう叫ぼうとしても、アキの声はまったく出ない。
 トリトンも、同じ現象に取りつかれていた。
 もし、ホラー現象が味わえるのなら、一度は、好奇心で体験してみるのもいいだろうと、トリトンは思っていた。
 しかし、今回だけは、さすがのトリトンでも恐怖を覚えた。
 中には、腕がなかったり、首がなかったりする亡者もいる。
 それらが、トリトンの体に触って戯れようとする。
 ラムセスが引き起こす幻覚だと知りながらも、トリトンは逆らうことができない。
 悪寒が走り、嫌悪感から震えが止まらなかった。
ーだめだ…!ー
 トリトンは絶望した。
 意識がだんだんと薄らいでいく。
 トリトンの頭の中に、亡者達の力のない呻き声が響く。
“光をくれ…。我々に聖なる力を…! アルテイアと交われ…。さあ、交われ…!”
ーやめろ!ー
 トリトンは、心の中で絶叫した。
 もがいた。
 このまま、言いなりになるものか。
 激しく拒絶した。
 無意識だった。
 トリトンは、ふいに、ぎこちなく身をかがめると、ちぎれた首飾りの破片を握り締めた。
 鋭く尖った破片は、トリトンの手のひらにグサリと突き刺さる。
 激しい痛みは、トリトンの意識を保たせた。
 ラムセスは、トリトンに敬意の言葉を投げかけた。
「見事だ、トリトンよ。さすが、トリトン・アトラスの精神を受けついだ者。強い王者の意志を持つ。しかし、つまらぬ小細工は通じない!」
 ラムセスは念を強めた。
 すると、トリトンの手のひらが自然に開いて、血まみれの破片がポロリと床に落ちた。
ーくそっ!ー
 トリトンは唇をかみしめた。
 痛みが和らぐと、急速に、意識が遠のきはじめる。
ートリトン、やめて!ー
 アキの悲鳴が伝わってくる。
 トリトンも、アキも、それ以上は何もわからなくなり、急に、暗闇の中に引き込まれていった…。