5. 狂った儀式 2

 トリトンは、ハッと目を覚ました。
 意識がもどったとたんに、思考よりも体が動いた。
 上体が、勢いよく跳ね上がった。
 タロスのせいで、気をなくしている間に、検討もつかない場所に連れてこられたのだ。
 ここがどこか、どんな状態なのかを把握する必要がある。
 そうは思ってみたものの、首をめぐらすと、かえって混乱した。
「くそっ! どこだ、ここは?」
 舌打ちして、腹立ちまぎれにぼやくしかなかった。
 一応、ベッドに寝かされていた。
 しかし、問題は、そのベッドの豪華さだ。
 余裕で、五人は寝れるような広さ。
 高級な手織りのマットやシーツが何枚も重ねられていて、手すりやベッドの足には、トリトンが見たこともない、細やかで精巧な金の装飾が施されている。
 寝心地は、皮肉でも最高だった。
 部屋そのものに壁はない。
 シーツに使ってある、同じ柄の布が天幕として吊るされ、部屋は天幕で仕切られていた。
 しかし、明らかに建物の一角だ。
 上には、石造りの天井が見える。
 そこには、白い鷲の壁画が、モニュメントのように描かれていた。
「アトランティス…じゃない…。でも、地球の文明だ…。確か…エジプト…。そういったっけ…。」
 天井の鷲の絵や、ベッドの飾りのスフィンクスを見て、トリトンは、地球人類が最初に起こした文明の名前を思い出した。
 もしそうなら、トリトンは、地球の過去にスリップしてしまったことになる。
 不安を感じつつも、外の世界を見てやろうと、ベッドから降りようとした。
 あいにく、身につけていた服は、全部脱がされていた。
 周囲を見ても、ローブやガウン類は見当たらない。
 トリトンは、仕方なく、シーツの一部を体に巻きつけた。
「いくら高級でも、備品がなけりゃ安物だ。」
 トリトンは、そう決めつけた。
 トリトンが天幕に近づくと、逆に、外から天幕の中に男が入ってきた。
 トリトンは無防備だったが、身構えながら男を睨んだ。
「お前は誰だ?」
「ラムセスという。トリトン、待ちこがれたぞ。あなたの到来を。」
 戸惑いを覚えたトリトンは、謎の男を、まじまじと見返した。
「ラムセス? あんたか? 俺を、タロスなんかで呼び寄せたのは…。」
「あなたが、この時代にやってくることは、運命づけられていた。」
「この時代? いったい、ここはどこだ?」
 驚くトリトンに、ラムセスは答えた。
「アトラリア。かつてのアトランティスの首都だ。ただし、この世界は、地上の時代と同じ流れの中にある。ただ、地上にはなく、海と大地に挟まれた世界だ。」
「海と大地の間…。いったい、どういうことだ?」
 トリトンは質問を重ねる。
 ラムセスは言を継いだ。
「先代の王が、オリハルコンのエネルギーで、この地に文明を築き上げた。アトランティスは、今も存在し、その民衆である子孫も百万を超える。だが、民を残したまま、アトランティスは、最大の危機を迎えている。」
「最大の危機…?」
「オリハルコンのパワーの衰えだ。」
 ラムセスは、すかさず答えた。
「先代の王が死んで、数千年が経つ。私は、この世界では異族の人間だ。あなたが、この世界に戻るまでの間、先代の王から、王位の代行という役目を授かった。が、所詮、私では、オリハルコンを制する力はなかったのだ。先の王の恵みで、私は、この数千年を生き続けた。しかし、それも、まもなく終わるだろう。」
「あんたはエジプトの人間か? なぜ、そのあんたが、こんな世界の王として君臨してるんだ? それに、数千年を生きているといった…。なぜだ?」
 トリトンは、いぶかしんだ。
 ラムセスは、謎の多い男だ。
 姿は、トリトンが地球の知識を身につけるときに知った、古代エジプトの王の格好だ。
 上体は裸で、腰には「王の腰布」といわれるベルトに、短い前垂れがついた布をまとっている。
 そして、頭には、「王の頭巾」といわれる、特殊な飾りをつけている。
 それが、伝統的なエジプト王としての服装だ。
 そんな男が突然現れて、トリトンの頭は、混乱するばかりだった。
 このアトラリアという世界は、地球の過去の歴史をすべてまとめてしまったような、異質な文化を構成しているのかもしれないと、トリトンは推理した。
 考え続けるトリトンに、ラムセスはいった。
「私が生き続けていられるのも、オリハルコンの力のおかげだ。私が、この世界の指導者になれたかということは、私的な事情で、あなたに話すことはない。しかし、先代の王、トリトン・ディウル・ド・アトラスから守り続けてきた王位を、あなたに引き継ぐ役目を負っている。私は、そのために数千年を生きたのだ。トリトン・ウイリアム。」
「俺のフルネームを知っているのか?」
 仰天するトリトンに、ラムセスは言葉を続けた。
「そうだ。先代の王、トリトン・アトラスは、オリハルコンの最強の使い手とまでいわれた方だ。あなたは、その方の生まれ変わりだ。あなたが、次のトリトン・アトラスとなる。」
「何だって?」
「私は、ようやく、この大業をなし終えて、大往生を遂げることができる。」
 ラムセスは、安堵の溜息をついた。
 トリトンは呆れながらも、しだいに、耐えきれなくなってきた。
 この男は、それで満足かもしれないが、トリトンの立場はそうもいかない。
 右も左もわからないまま、やっかいなことを、強引に押しつけられそうになっている。
 トリトンは声を荒げた。
「嫌だといったら? こんな世界に居つくつもりはない! もし、俺があんたの立場になるのなら、俺も数千年という年月を、ジジイ以上に生きていかなきゃいけないってことか? そんなのは、まっぴら御免だ!」
 ラムセスは、トリトンを無言のまま見据えた。
 ラムセスが、何も言おうとしないので、トリトンは構わずに叫んだ。
「俺を、元の世界にもどせ!」
「この世界からは出て行けぬ!」
「勝手に引っ張り込んでおいて、その言い草だ! 俺は諦めが悪い方だ。出て行くといったら出て行く!」
 トリトンは言い捨てると、ラムセスを避けて、天幕の外に出ようとした。
 だが、ラムセスがオーラを放出して、トリトンの行く手を防いだ。
「お前、アクエリアス!」
 トリトンはたじろいだ。
 ラムセスは、アキと同じ力を身につけている。
 トリトンの体は、オーラに弾かれた。
 トリトンは吹き飛ぶ。
 悲鳴をあげたトリトンは、後ろのベッドに背中から落とされた。
 上体を起こして、カッと睨みあげるトリトンに、有無をいわせない響きを含ませた言葉を、ラムセスは浴びせた。
「トリトンよ、それ以上の身勝手は私も許さん! 私は、手荒なまねはしたくない。だが、私の我慢の限界を超えた時は、たとえ、あなたであっても保障しかねない。覚悟しておけ!」
「何?」
「王の制裁は、絶大だということだ。それに、あなたは気が短い。話は、まだ終わっておらん。最後まで聞け。」
「…………」
「何も、数千年という月日を考えろとはいっていない。人は、いかなる時も、その一瞬に思いをはせることしかできぬ。トリトン、あなたには、あなたにふさわしい生き方がある。」
「…………」
「結婚し、あなたが老いた後、その子となる者が、さらに、その子孫達が王位を守り、続いていけばそれでいい…。」
「えっ?」
 トリトンは、呆気にとられた。
 急に、話がまもな展開になってきたからだ。
ーいったい、この男は、俺をどうしたいんだろう?ー
 トリトンは、この男の真意を掴めなかった。
 トリトンは、怒りを忘れて問い返した。
「結婚って、いったい、誰と…。」
 ラムセスは、フッと笑った。
「興味がありそうだな…。」
「そういうことじゃない! あんたの、その含みを持たせた言い方が気になるんだ。その口ぶりだと、俺の相手になる女が、もう、いるみたいじゃないか。」
 トリトンは、ベッドの上で胡坐をかくと、憮然と、ラムセスを見返した。
 ラムセスは、落ちついた声でいった。
「アルテイア。一条アキとも、いわれている女だ。」
「バカな…!」
「これは、運命づけられている。」
 ラムセスは語気を強めた。
 トリトンは、激しく首を振った。
 また、怒りがこみ上げてきた。
「嫌だ! そんなの、彼女も認めやしない! 」
 結局、ラムセスという男は、トリトンが思うところの正常な思考ではなかった。
 こんな男の話を、まともに聞こうとしたトリトンの方が愚かだった。
「アキや仲間達に会わせろ! お前が、みんなを捕まえているんだろ?」
 ラムセスは、トリトンの抗議に泰然とした態度で応じた。
「まもなく、アルテイアには会えるだろう。あなたに、この国の王位を継ぐという意志があればな。それは、この国の市民の希望だ。あなたがどう思うと、それは変わらん。」
 その時、ラムセスは外に向けて、合図を送った。
 トリトンが不審そうに見つめていると、外から、数人の女が並んで入ってきた。
 いずれも、トリトンの年齢に近くて、美しい女達ばかりだ。
 身につけている服はシースルー素材で、体のラインが、はっきりと透けて見えている。
 動じたトリトンは、反射的にベッドの脇へ後退した。
 たじろぎながら、トリトンは、悲鳴に近い声をあげた。
「いったい、この女達は何だ?」
「あなたに仕える者達だ。あなたにくれてやる。」
 平然というラムセスの言葉に、トリトンの焦りの色が増した。
「くれてやるって、どういうことだ?」
 すると、ラムセスは苦笑した。
「別に、おかしい理由ではない。高貴な者であれば、その奉仕も最高のものとなる。この者達は、皆、あなたの侍女だ。あなたに就き従うのが、彼女達の役目だ。」
「まさか、この条件を引き換えに、俺に王位を継がせる気じゃないだろうな?」
 トリトンが叫ぶと、ラムセスは口を開いた。
「逆の発想だ。王位を継ぐ者、だからこその特別な待遇だ。私や市民の願いは、あなたに早く、りっぱな王になっていただきたい。それだけだ。まずは、民のことを考え、民のために働きかけることを、考えてもらわねば困る。この女達のことを嫌ったりすれば、とうてい、すべての民の心を掴むことはままならぬ。奉仕を受け、その身分を誇示できるという特権が与えられた以上、当然、王としての自覚を、目覚めさせて欲しいものだ。」
「勝手な理屈だ!」
 わめくトリトンに、ラムセスは強い口調でいった。
「道理だ。あなたは、最高の奉仕が受けられる身だと自負されるがいい。俗衆の暮らしの考え方など捨ててしまうのだ。早く、慣れてしまうことだ。」
「くそっ!」
 舌打ちしたトリトンは、ラムセスに飛びかかろうと身構える。
 そんなトリトンの前に、女の一人がスッと進み出た。
 手にしていた衣をトリトンに差し出すと、静かな声でいった。
「王子様の服をお持ちいたしました。とうぞ、お着替えを…。」
「着替え?」
 トリトンは目を丸くした。
「着替えくらい一人でできるよ。わざわざ、こんなに大勢で手伝ってもらわなくても…!」
「お手伝いします。」
「あ、あの…! だから、一人でできるから! ラムセス、何とかしろ!」
 焦りながら、トリトンはラムセスを呼びつけた。
 しかし、ラムセスは、そ知らぬ顔をして出て行こうとした。
 わずかに立ち止まると、ラムセスは、
「女の扱いを知らぬわけではあるまい。」
 そういい残して、立ち去った。
「あっ、待て!」
 トリトンは、慌てて叫ぶ。
 しかし、ラムセスを止めることはできなかった。
 ラムセスがいなくなれば、女達は、命じられたとおりに、トリトンの世話を甲斐甲斐しく焼き始める。
 トリトンにとって、これほど迷惑なことはない。
 確かに、トリトンは成長した。
 子供の頃の無垢さはなくなり、女とのつき合い方もわかる、健全な精神の青年になった。
 相手が美女なら、とても嬉しいと思うし、喜んで歓迎しようとも思う。
 しかし、女が原因で降りかかってくる災難は願い下げだ。
 ふと、トリトンはロバートがいった言葉を思い出して、ロバートを呪った。
ー何が女にもてる相だ。女難にあう相の間違いじゃないか!ー
 そう思う間も、女性達は上品な足取りで、ゆっくりと、トリトンとの間合いを詰めてきた。
「待てよ、おい…!」
 トリトンは女達を制そうとした。
 しかし、女達には聞き入れてもらえない。
 トリトンは、強引に女達に服を着せられる羽目になった。