4. 異世界の迷い人 6

 トリトンとアキは、爆風に吹き飛ばされて宙を舞う。
 アキは、反射的にオーラを発した。
 二人の動きが止まる。
 そして、物理的な動きに反抗して、一気に空中へ上昇した。
 二人は、肩を組み合う。
 体を丸め、何回転かして、ようやく静止した。
 場内は、最初の爆発で混乱した。
 ほとんどが、二十代前半までの若者達だっただけに、恐怖で我を忘れた。
 場外へ逃げ出そうと、みんながいっせいに走りだした。
 その時、外からも、武装した兵士がなだれ込んできた。
 槍や剣を突きつけられ、脅された若者達は、全員フロアの中央に集合させられた。
 若者達は茫然自失になった。
 中には泣き出す者もいる。
 彼らの中で終始冷静だったのは、地球人メンバーとケインにユーリィだ。
 彼らは成り行きを見守りながら、事態を見極めようと神経を研ぎすます。
 さらに。
 舞台のそでに身を潜めていたスーも、ジッと様子を窺った。
 場内は、静寂に包まれた。
 信じられないものを目撃してしまい、若者達は驚嘆した。
 空中に浮いたままのダンサー達。
 変装がいつの間にか吹き飛び、素顔が露になった。
 豊かな緑色の髪をなびかせるトリトン。
 そのトリトンを支えたアキは、感情のままにオーラを放出する。
 長く紅い髪をなびかせ、怒りにかられたアキは、美しい夜叉に変化する。
 二人の雰囲気はまるで違う。
 まさに、闘士(バトラー)だ。
 トリトンとアキは、何かを察知していた。
 二人の厳しい形相で、それが、敵だと想像できる。
 やがて、二人がいる反対側の位置にオーラが出現した。
 オーラはすぐに消滅した。
 その直後、光の中から人が現れた。
 アキと同等の秘力を持つ人間。
 “アクエリアス”ー。
 ジリアスの遺跡にあった言葉で、秘力を持つ人間のことをいう。
 現れたのは一人の男だ。
 この男は、この世界のものと一線を画している。
 180センチを超える身長。
 年齢は二十代前半。
 上体は裸だが、腰回りに透明な布と、薄衣を合わせたものを巧みにまきつけている。
 特徴的なのは、その顔だちだ。
 目鼻立ちが通った美しい骨格。
 特に、漆黒の瞳を持つ切れ長の美しい目のふちを、アイラインで飾り際立たせている。
 艶のあるストレートの髪が、エキゾチックな雰囲気をかもし出す。
 腰のあたりまで伸びきった髪を振り乱しながら、男は、トリトンとアキを見据えた。
 この男は、エジプト文明系の血を色濃く引いている。
 古代エジプトでは、権力の象徴として金が多く用いられてきた。
 この男も、その伝統を重んじる。
 裸の上体や腕、頭部に、蛇やスカラベを模った金の装飾品をつけている。
 そして、この男の身分の高さを象徴していた。
 この男は、高貴なものとしての顕示欲が強い。
「アルテイア。」
 男は、アキに向かって静かに呼びかけた。
「トリトン・アトラスとの、つまらぬ戯れはやめよ。このような下劣な場所は、あなたには似合わぬ。」
 質のいいテノールの声が場内に響く。
「下劣?」
 アキはかすかに呟いた。
 炎のような視線が男を貫く。
 激しい怒りが、瞳の奥で渦巻いた。
「それはあなたの方でしょう、ジオリス。」
 アキは、鋭い声を発した。
「この場所から、すぐに立ち去りなさい! 罪のない人々を巻き込むと許しません!」
 すると、ジオリスといわれた男は、かすかな笑みを浮かべた。
「残念だが、ここにいるすべての民は法を犯している。あなたが、かばうに値しない連中だ。むしろ、そちらが迷いこんでくれたおかげで、すべてが一掃できる。手間が省けて、ありがたいと思っているよ。」
 アキの表情が、きつく強張った。
「あなたに、この人達を触れさせません。先に、このあたしと勝負しなさい。もし、あなたがこの世界の人達を裁くというのなら、それは、その後からです!」
「おもしろい。」
 ジオリスは冷笑した。
「あなたの挑戦を受けるのは、これで二度目だ。しかし、あなたはこの私に勝つことができなかった。今度も同じだ。」
「やってみなければわからないわ。」
 アキは昂然と言い放つ。
「いや、同じだ。」
 オーラを強めながら、ジオリスは言葉を強めた。
「あなたに心の迷いがある限り、あなたの力は、私には通じない。」
 アキは表情を変えた。
 ジオリスは、柔らかい声でいった。
「あなたの中に存在する、二人の男の影。一人は、あなたの隣にいるトリトン・アトラス。もう一人は、この群衆の中にいる男。あなたが、最愛の男だと確信しているやつだ。」
 ジオリスは、揶揄するような口調で言葉を続けた。
「しかし、その男はあまりにも無力。あなたの能力を、十分にいかしきれる力を持っていない。そのことを悟ったあなたは、次に、あなたの隣にいるトリトン・アトラスを求めた。先に求めた男よりも、そいつの方に力がある。だが、あなたは、そのトリトンとも結ばれる運命を持たない。オリハルコンが復活せぬ限り、先の男と同様に、トリトン・アトラスも無力に等しい。」
「よくも、そんなことを…。」
「事実だ。」
 ジオリスは目を細めた。
「あなたの考えは、あまりに無垢だ。ただ、いかしきれる男を探しているだけだ。ならば、私が、その二人にとってなり代わろう。この私が、あなたのすべてをいかしきる。先の男も、トリトン・アトラスもできなかった事をだ…!」
「黙りなさい!」
 アキは絶叫した。
 アキの心が、かき乱れた。
 誰にも知られたくないアキの心の闇。
 ジオリスは、当人達がいる前で、それを暴露した。
 それが、アキの最大の恥辱になることを、ジオリスは知っている。
 本能的な怒りと悲しみをこめて、アキはオーラを放った。
 だが、力の弱まったオーラは、ジオリスのシールドにはじき返される。
 ジオリスは、フッと笑みをこぼした。
「さっきの強がりはどうした? この世界の民を守るといったのはあなたの方だ。できなければ、約束どおり、この私が皆に裁きを与えよう。」
「手を出さないで!」
「躊躇いなどなかろう? あなたの前から、無能な男が一人消える。あなたの真の望みに近づくわけだ。」
「違うわ!」
 アキの叫びを、ジオリスは無視した。
 ジオリスのオーラが強まる。
 ジオリスが、さしあげた右手に力が集中した。
 丸いエネルギーが指先に作られる。
 それを場内に放とうとする。
 だが、それよりも早く。
 トリトンは、フッと左手を横に払った。
 トリトンは精神を集中させる。
 すると、吸い寄せられるように剣が宙を流れてくる。
 剣は、トリトンの手の中にスッと収まった。
 トリトンは持ち手を掴むと、右手で、剣の鞘を素早く抜き取る。
「バカな…!」
 ジオリスは呆然とした。
 トリトンが抜いた剣の刃は、燃えるような赤い輝きと高熱を放った。
 ジオリスは、すでに攻撃の態勢にある。
 止めることができない。
 ジオリスは、エネルギーを放出した。
 すかさず、トリトンも剣の光を放出させる。
 高温を宿した光のエネルギーが、ジオリスを急襲する。
 同時だ。
 衝突する。
 放たれたエネルギーが。
 ステージとフロアの境目で。
 大爆発が起きた。
 衝撃波が伝わる。
 観客も、ジオリスもふきとばされた。
 柱や床に叩きつけられる。
 ジオリスは、苦痛に顔を歪めながら、体勢を立て直した。
 トリトンは、剣をかざしつつ、ジオリスを鋭く見据える。
 柳眉を逆立て、怒りで顔を紅潮させながら、冷ややかな声でいった。
「誰が無能だって? 大人しく聞いてりゃ、随分、好き放題いってくれたな!」
「トリトン…。」
 アキの表情が悲愴で満ちた。
 トリトンはアキを見返すと、優しくいった。
「退がって…。」
 今度は、トリトンがアキをかばった。
 かばいながら、トリトンはジオリスと対峙した。
「俺が相手になってやる。断っておくが、アキをあんたにくれてやるわけにはいかない。」
「お前もわからん奴だ。なぜ、先の男のために、アルテイアをかばおうする?」
「その人に頼まれた。」
 トリトンは、すかさず答えた。
「そうではあるまい。下心があるからだ。」
 ジオリスは、せせら笑おうとした。
 トリトンは肩をすぼめた。
「おたくらのような、好色親子と一緒にされたんじゃ、こっちがたまんねぇよ!」
「何だと?」
 ジオリスの顔が怒りでひきつる。
 殺気をみなぎらせて、トリトンは、ジオリスを睨みつけた。
「いっておくが、今回、俺はかなり苛立っている。あんたら親子の、バカげた茶番につきあわされたせいだ。特に、あんたの親父さんには、相当コケにされたからな。その礼は、たっぷりと息子のあんたに返してやる!」
 トリトンは、アキのオーラから飛び出した。
 そのまま、数メートル下のステージに着地すると、剣を持ち直して身構えた。
 一方のジオリスも、ゆっくりと降下した。
 ジオリスは、オーラから剣を作り出すと、その剣でトリトンと抜きあった。
「粋がってみても、貴様の力には限度がある。オリハルコンはまだ不完全だ。貴様は長くは持たん!」
「やってみなくちゃわからない。オリハルコンは、まだ輝いている!」
 トリトンの怒りの精神を反映して、剣の光はよけいに輝きを増す。
 ジオリスは眉間に皺を作った。
 理屈通りなら、トリトンは、とっくにオリハルコンによって、自滅していなければならなかった。
 だが、逆に、オリハルコンの方に復活の兆しがみてとれる。
 トリトンが「最強の使い手」といわれる所以は、嘘ではないらしい。
 それは、ジオリスの想像をはるかに超えていた。
 ジオリスとトリトンが討ちあう瞬間、アキが、ステージに飛び降りてきた。
「トリトン、大丈夫?」
「短期決戦のつもりだ。」
 トリトンはアキに囁く。
 アキは、不安げにいった。
「でも、オリハルコンにやられでもしたら…。」
「だから、お願いしてるんだよ。女の子を抱けなくなるほど、バテさせるなってね…!」
「もう、こんな時に…!」
 アキは、言葉を失くした。
 その会話を裂くように、ジオリスが、トリトンめがけて斬りこんでくる。
 トリトンの方も、猛然と突進する。
 ステージの上で、二人の闘いがはじまった。