4. 異世界の迷い人 5

 “踊り場ディノプス”の中は、外観以上に不思議な空間だった。
 この世界だけは、時代も何も関係ない。
 原始人もどきの格好をしている者もいれば、現代風のボディースーツのような格好をしている者もいる。
 若い男女は、街でみかけたようなギリシャっぽい服装には程遠い。
 彼らは、聞きなれない民族音楽っぽい音に合わせて、一心不乱に踊り続ける。
 中に入り込んだ一行は、フロアのそれぞれの場所に別れて、店の中の様子を観察した。
 入場してから三十分が経った。
「やっぱりいなかったか…。」
 島村ジョーがいった。
 解散した後、また集合した一行は、それぞれの結果を報告しあった。
「ダンサーの中にも、それらしいのはいなかったわ。」
 ケインがいった。
 ダンサーは、特別ステージの上で入れ替わりながら、若者達をあおるようにずっと踊り続けている。
 ケインとユーリィは、ステージ下で、ダンサーの顔をチェックした。
「楽屋の方もだめだったな。」
 ロバートもかぶりを振った。
 関係者以外、出入りできないところまでいったそうだが、女子更衣室を覗いてしまったために、あわてて逃げてきたといいわけした。
「フロアの方もだめ。」
 レイコ、ジョウ、裕子は踊っている連中を探って戻ってきた。
「もう、店の外に出ちまったとか…。」
 ジョウがそういうと、レイラが首を振った。
「それはありえないわ。二人の方も、私達のことを探しているはずだから。」
「あの二人なら、俺達がここにいることを、とっくに察知しているよ。」
 鉄郎が断言した。
 島村ジョー、鉄郎、レイラは、フロアの外で休憩している人間達を見つめていた。
「それでも、姿が見えないってことは、出てこられない理由があるとか…。」
 裕子が口をはさむと、鉄郎は投げやりにいった。
「俺達のことを、無視しているかだ。」
「鉄郎、ヤケを起こしたのか?」
 ジョーが厳しい口調でいうと、鉄郎はムキになった。
「そうじゃないけど…。さっきから念じてるんだ。だったら、せめて、テレパシーだけでも返して欲しいよ。いつものアキなら、必ずそうしてくる。こっちの気持ちをわかってるはずなのに…。なぜだよ…!」
「それも、できない事情があるのよ。店が終わるまで待ってみようよ。いつもの鉄郎らしくないよ。」
 レイコにいわれて、鉄郎は押し黙った。
「やっぱり、“あのこと”が、ひっかかってるみたいね…。」
「そりゃそうよ。当然でしょ。」
 鉄郎の様子を見ながら、ケインとユーリィは声を潜めて言いあった。
 その時、フロアいっぱいにアナウンスが響いた。
 まもなく、最終ステージが始まるという知らせだ。
 すると、若者達の歓声が大きく響いた。
 その熱気に一同は絶句した。
 店の熱気は、楽屋裏にまで伝わってくる。
 敏感にそれを感じたトリトンは、アキに耳打ちした。
「アキ。鉄郎が怒ってる。今のうちなら、こっそりと抜け出せるよ。」
「そんなことをしたら、ここの店の人達に迷惑がかかるわ。」
 アキの言葉はそっけない。
 トリトンは口をとがらせた。
「こっちは踊りたいなんて一言もいってないぜ。向こうが勝手に盛り上がったんだろ…。」
「でも、あの雰囲気じゃ断れないわ。」
「だから、よけいに…!」
「よけいに…?」
 アキが、トリトンを振り返る。
 すると、赤面したトリトンは、思わずそっぽを向いた。
「よけいに、踊りづらいんだよ…!」
「誰にも気づかれないわ。安心しましょう。」
 アキは、なだめるように声をかけた。
 二人は、手渡された舞台衣装を身につけることになった。
 毛皮の素材で水着のように露出が大きく、あまりにきわどいものだ。
 特に、トリトンの方が激しく抵抗を感じた。
 サイズが違っているのではないかと思ったほどだ。
 店の従業員や、ベテランダンサー達からは似合っているといわれても、いい気はしない。
 二人は、せめて素顔を隠す努力をして欲しいと、スタッフ達に申し出た。
 そこで、黒いショートヘアのピースをつけることで許可がおりた。
 二人は別人の顔をした。
 本当の素性がわかると、身の危険にさらされることを、この世界にやってきて何度も体験している。
「どう? もうじきだけど、いけそう?」
 そういいながら、楽屋の出口から長身の女がやってきた。
 クリーム色のショートヘアをした行動的な美女だ。
 彼女こそ、この"ディノプス"のオーナーで、迷いこんできたトリトンとアキをスカウトしたスー。その人だ。
「私が、あなた達を見込んでスカウトした以上、舞台は、どうしても成功させて欲しいわ。あなた達ならできると信じたの。この期待は、決して裏切らないでね。」
 スーは、自信ありげに言葉をかける。
 しかし、相当なプレッシャーだ。
 トリトンは、力なく言い返した。
「でも、僕らは素人だ。やれる自信なんか持てないよ…。」
「ロジャース、だったわね…。」
 スーは、トリトンにゆっくりと近づいた。
 とても魅力的な笑みだ。
 トリトンの裸の上半身に視線を注ぐ。
 トリトンは動揺した。
「あなた、もったいないわ。そんないい肉体を、衣の下に隠しておくなんて。素晴らしい背筋ね。のびやかで、とても健康的よ…。」
「あっ…あの…。」
 スーの熱い視線を感じて、トリトンはあせった。
 言葉も甘い。
 ストレートに誘惑めいた言葉をいわれると、ますます照れて赤くなる。
 それ以上、言葉が出てこなかった。
 逆に、アキは不機嫌そうにトリトンを見つめた。
 困ってはいるものの、トリトンは、少しもスーを嫌っていない。
 当然、スーに遠慮しろというのが、当たり前のはずだ。
 アキの内面で、何かが激しくはじけた。
 それまで体験した理不尽な事態に、我慢の限界を超えた。
 気持ちを発散させないと、この不満に満ちた感情はどうにも収めようがない。
「わかったわ。やめましょう。」
 アキは、唐突にトリトンにいった。
「その気がないのなら、踊らない方がマシよ。恥をかくわ。あたしのパートナーを努められないんじゃね…。」
「挑発してるのか?」
 トリトンはアキを睨む。
 アキは小さく笑った。
「そうよ。照れ屋さんには難しい注文だったかも…。」
「見くびるなよ。そこまでいうのなら、つきあってやるよ。」
「いいわ。」
 トリトンが強気になると、アキは頷いた。
「その調子よ。あなた方は最高のパートナーなのよ。ロジャース、あなたは、自分に自信を持ってもいいわ。もっと、テンションをあげていってね。」
 スーはトリトンから離れた。
 トリトンは顔を歪めると、皮肉っぽく返した。
「俺の方が、あなたにあしらわれたみたいだな。」
「あなたを、ただの男の子だと思いたくないの。そんな気がしてならないわ。」
 スーは悪びれる様子もなく、トリトンにいった。
「思い過ごしだよ。」
 トリトンはさらりといった。
 でも、スーは、上目ずかいに二人を見返した。
「そうかしら…。」
「ご想像におまかせします。スーさん。」
 アキが言葉を締めくくった。
 そこに、店のスタッフが駆け込んできた。
「ちょっと、何やってんの!」
 慌てているこの男こそ、トリトンとアキを、間違えて引き込んでしまったマネージャーのラフトスだ。
 ラフトスのそそっかしさは、店のスタッフの間でも評判だ。
 後で、トリトンとアキが本命のダンサーでないことがわかると、楽屋内でも大問題になった。
 ラフトスは立場を失くし、騒然とした。
 だが、スーが、その問題をみごとに解決した。
 トリトンとアキに、ステージで踊らないかと持ちかけたのだ。
 二人はびっくりした。
 しかし、二人は、断る理由を作り出せなかった。
 成り行きで、"ディノプス"に来た客だといってしまったからだ。
 スーは言葉がうまい。
 「踊りにきたのなら、フロアで踊ろうがステージで踊ろうが、踊ることには変わらない。」と、いいだした。
 そのうえ、店のスタッフ達は、モデルのような二人のルックスに見惚れて褒め称えた。
 トリトンの方は、まだ少年っぽさが残り、アキも十代で通るような幼さで、愛らしさまで感じられる。
 さらに、アキのほうが年上だとわかると、カップルだと思いこんだスタッフ達の盛り上がりようは、とどまることがなかった。
 テスト変わりに、二人が軽く踏んだステップを見たスーは、完璧だと絶賛した。
 ラフトスの顔は、スーとトリトンとアキのおかげで何とか立った。
 ラフトスは、もう陽気だ。
 マネージャーらしく、時間との格闘で顔が紅潮している。
「いってらっしゃい!」
 スーが、トリトンとアキを送りだした。
 舞台を目指しながら、アキはトリトンにかすかな声でいった。
「トリトン、ありがとう。あたしのわがままにつきあってくれて…。」
「こうなったのは君のせいじゃ…。」
「鉄郎には、ちゃんとあたしの口から説明するわ。ただ、今は何も考えたくない。すべてを忘れてしまいたい…!」
 アキの言葉には、切実な思いが含まれていた。
 その気持ちをトリトンもくみ取った。
 アキの気持ちは、トリトンにとっても共通の思いだ。
「わかった。俺も覚悟を決めたよ…!」
 トリトンは笑顔で応じた。


※  ※  ※


 場内に、叩きつけるような激しいビートが鳴り響く。
 その音に合わせて、ステージに駆け込んできたトリトンとアキは、臆することなく、みごとなペアダンスを披露した。
 場内から歓声があがった。
 二人のダンサーは、若くてかなりの美形だ。
 二人に魅せられた会場が、一気に沸いた。
 歓声があがり、異様に盛り上がっていく。
 その熱気は、ダンスがヒートアップするにつれて充満し、あっという間にピークを超えた。
 この熱狂は、誰も体験したことがない。
 クラブなどで、そういう雰囲気をしっかりと掴みとっていた鉄郎達でも、初めて味わう体感だ。
「トリトンとアキ…!」
 鉄郎は、あきれ返るように呟いた。
 衣装でごまかそうとしても、素顔までは隠しきれない。
 すぐに、仲間達にばれてしまう。
「心配したのがバカみたいじゃない…! どういうつもりよ!」
 ユーリィでさえ、不満の声を漏らす。
 ケインも顔を引きつらせた。
「うちらの前じゃ、あんな格好で踊れっていったって、絶対にやろうとしないくせに。態度がまるで違うじゃない…!」
「どうしよう…。このまま放っておくの?」
「そうするしかねぇだろ。」
 裕子が聞くと、ジョウがかぶりを振った。
「好きにやらせておけばいい…。」
 鉄郎は、ぽつりと言い捨てると、フロアの外に出ようとした。
「鉄郎!」
 慌てたレイコが鉄郎を追いかけようとした。
 だが、島村ジョーがレイコを止めた。
「でも…。アキ…。まずすぎるでしょう…。」
 レイコは、困惑を隠しきれない。
 そのうち、周囲の歓声は、怒号のような狂乱した歓声に変わった。
 踊っているトリトンとアキの距離がなくなった。
 二人は、体をすり合わせて官能的なダンスを見せつけた。
 舞台のそでに立ちつくしたスタッフ達からも歓声がとんだ。
「こりゃすごいぜ。あの二人、本当に素人なのか?」
「素人よ。でも、ある面では、プロ以上の実力があるわ。」
 スーは、スタッフ達にそういった。
「どっちにしても、俺達は、すごい金の卵を見つけたよ。」
 ラフトスは、かなり興奮している。
 スーは、ラフトスを見てニコリとしたが、すぐに、ステージの方に視線をもどした。
 トリトンとアキは、踊りながら我を忘れた。
 周囲の熱狂も、思惑も無関係だ。
 この瞬間に、二人は、お互いの存在を確かめあおうとした。
 どうしようもないわだかまりを、心の中に澱のように残しながらも、互いの立場を割り切って強く抑制し続けてきた二人。
 しかし、静かに秘め続けてきた感情は、ふとした時に、沸き立つ波のように表面に現れる。
 二人が求め合う気持ちは、踊りを媒体にして、一気に噴きあがってきた。
 踊りのテンポがあがるにつれて、トリトンとアキは、身も心も溶け合うように一つに重なっていく。
 そのストレートな感情の流出は、裸の自分をさらけ出すように激しさを増す。
 どうしようもない高揚感を覚えずにはいられなかった。
−もっと、分かち合おう…!−
−あなたを感じたい…!−
 踊りながら。
 二人は、心の中で強く訴えた。
 だが、その思考を打ち消すように、威圧的な思考が飛び込んできた。
−つまらぬ、のざれ事はやめよ!−
 ハッとしたアキは、踊るのをやめて首をめぐらす。
 アキを抱きかかえて、トリトンは横に身を投げ出した。
 一瞬の差で、二人が立っていた場所に電撃に似たオーラが走る。
 すると、ステージの上で、突然、激しい爆発が起きた。
 場内に、恐怖の悲鳴が響く。
 とたんに、会場がパニックになった。


ーBGM*「QUEEN OF THE NIGHT」*(from「THE BODYGUARD」)ー