4. 異世界の迷い人 4

 街は活気であふれていた。
 少女に案内されて、アトラリアという街に踏み込んでしまった、地球人メンバー、ケイン、ユーリィの一行は、街の様子に呆然とした。
 これが、独裁者にひれ伏した街なのかと疑いたくなるほど、自由で、平和で、暢気すぎるくらいに、ゆったりとした光景が広がっている。
 一行は、街の中心にある市場を歩いていた。
 さほど、背が高くない石造りの建物が両側から迫り、狭い石畳の通りには、左右の軒先に手頃な棒を柱として、テント状の屋根が張り出している。
 その下に、多くの露店が店を構え、ありとあらゆる商品が所狭しと並べられていた。
 珍しい果物や独特の大きなパンが積み重ねられ、ずらりと並べられた壷の中には、よくわからない山盛りの香辛料の類が売り出されている。
 肉屋の店先には、羊か豚の肉が丸裸のまま吊るしてあり、家庭雑貨を売る店、衣類の店などもあり、一方では、生きた鶏がけたたましい鳴き声をあげていた。
 香辛料の香りと屋台の焼き物の匂い。
 そんなものが、群衆の熱気と混じり合って独特の香りを放っている。
 仲間の誰もが脱力した。
 なぜか、海外旅行にでも来たような気分を満喫している。
 トリトンとアキを救出するという、大切な目的を見失ってしまいそうだ。
 珍しげに周囲を散策していると、自然に、観光気分に気持ちがすりかわってしまう。
 少女は、足取りが重くなる一同を見捨てて、スタスタと人を掻き分けて先に進んだ。
 そんな少女についていくだけでも大変だった。
 なにせ、肌と肌が触れ合いそうな人ごみの中だ。
 少女の小さな姿は、すぐに、人の中に紛れて消えてしまう。
 業を煮やした鉄郎が、少女の腕を掴んで引っ張りもどした。
 むくれた少女は、鉄郎に文句をいった。
「レディの扱いを知らないの? あんた達の足が遅いのよ!」
「お前は俺達の案内人だろ? つべこべいわずに、ちゃんと案内しろ!」
「なによぉ、えらそうに!」
「こっちは、お前と違って、いろいろと思うことがあるんだよ。」
 ジョーが口をはさんだ。
「だけど、このまま歩き回っていたって、手がかりなんて掴めそうにないわ。」
 ケインがいった。その通りだ。
「あの高台に見えるのが、どうやら、王宮のようだな。」
 倉川ジョウが、岩場の頂上に林立している壮大な建物に視線を向けた。
 松明の明かりに照らされて、石造りのご大層な神殿が、暗闇の中にぼーっと浮かび上がっている。
 淡い光に包まれた建物そのものが、微妙な加減で美しく変化する。
 おそらく、オーラか、オリハルコンの力のせいだと一同は思った。
 すると、蒼ざめた少女が、小声で一同に注意した。
「なんてことをいうのよ! 一般市民が城に行けるわけがないでしょ! 行ったら最後、命がなくなって戻ってこれなくなるっていわれてんのよ! それに軽々しく城の話なんかしたら、周りから袋叩きにされるわよ!」
「なるほど。触らぬ神に祟りなしってわけか…。」
 ロバートが頷いた。
「せっかく、ここまで来たのに。手がだせないなんて…!」
 裕子の気持ちは一同も同じだ。
 捕らえられている二人は、あの王宮のどこかに幽閉されているはずだ。
「他の手を考えよう。」
 じれる妹を諭してジョウがいう。
 と、鉄郎は、通りの先でうろつく甲冑姿の男達を発見した。
 男達は、通りの市民達をかき分けて、一軒、一軒、露店の店主に尋問しながら、一同がいる方向に近づいてくる。
 市民達は、あわてて通りを兵士達に譲った。
 やがて、一同の目の前を、兵士達は乱暴に突き飛ばしながら通り過ぎていった。
 お尋ね者の行方を追っているようだった。
 兵士達が去った後、あちこちで、街人達のひそひそ話が囁かれた。
 裏切り者がいったい誰なのか。王宮で何が起こったのか。
 たちまち、噂が噂を呼んで広まっていく。
「裏切者ねえ…。」
 ジョウは、ニヤリとしながら首をめぐらした。
「わざわざ王宮まで行かなくても、ここら辺りですみそうだ。」
「お前が行こうとしている“踊り場”っていうのは、どこにあるんだ?」
 鉄郎が少女に質問すると、少女は、また顔をひきつらせた。
 今度は、さっきよりもリアクションが大きい。
「もう、信じられない! よそ者はこれだから嫌! あそこはね、違法な場所なの! 見つかったら、みんな逮捕されちゃうのよ!」
「違法ね…。」
 鉄郎は小さく笑った。
「でも、まだ余裕があるんだろ? 本当の裏の世界に比べたら…。」
「何をいってんだ?」
 ジョーが、鉄郎の顔をのぞきこむ。
 鉄郎は顎をしゃくった。
 その方向に目をやると、人相の悪い男が、若いカップルをナイフで脅していた。
 周囲の大人達は、知らぬ振りをしている。
 カップルは、泣き出しそうになっているが声があげられない。
 その後、すぐに二人は、男によって路地裏の奥に連れて行かれた。
「あれ、“人買い”だよ。」
 少女がいった。
「こんなの、ここじゃ日常茶飯事よ。」
「あの子達、いったいどうなるの?」
 レイコが尋ねると、少女は肩をすくめた。
「“商売”させられちゃうんでしょ。“肉市場”でね。あれに捕まるのは、相当、ドジな奴だけよ。」
「あんたは、そういう目にあったことがないの?」
 ユーリィの質問に、少女は答えた。
「だったら、あたしは、今頃ここにはいないわ。」
「それだけ、魅力がないってことじゃない。」
 ケインが笑い出す。
 少女はキッと睨んだ。
「何よ!」
「言いあいはよせ。」
 鉄郎が制した。
「“肉市場”っていうところよりも、その場所は“安全”なんだ。それに、追われてるんじゃ、表通りには出てこない。裏でも、なおかつ、安心できる場所を選ぶだろう。若者達がそこに出入りしてるとしたら、紛れこむのにも好都合だろ?」
「確かに。可能性としては一番ありえる。」
 倉川ジョウが納得した。
「どう行けばいいの?」
 レイコが聞くと、少女は、得意げになって説明した。
「もう少し先よ。その先に、薬屋の露店が見えてくるわ。その横の路地をちょっと行くの。そして、左側の建物の壁に体をぴたりとくっつけて、三つ数えるのよ。そうしたら、あっという間に別の場所に行けちゃうわ。」
 少女の説明に、全員が呆気にとられた。
 少女の言葉の意味がよくわからない。
「そうとしか説明できないわ!」
 少女はムキになった。
「せいぜい多くても五人まで。みんなで九名いるから、二組に別れなきゃ。手前から、六つ目の石レンガの位置に、先頭の人間がつくの。時々、人買いが出没するから気をつけてね。」
「そりゃやばいわ。あたし、慰みものにされやすいタイプだから。」
 ケインがわざとらしく口走ると、少女は、いやし目を向けた。
「間違ってもそれはないわ。オバサン!」
「何ですってぇ!」
「ケイン。子供相手にムキにならないで。」
 ユーリィが呆れた。
「あれが、その薬屋さんね。」
「こっちよ。」
 目的の場所に来ると、少女は、一同を率先して先導した。
 先に、ジョウ、アルフィン、ケイン、レイコが続いた。
 四人は、少女のまねをして壁にへばりついた。
 すると、五人の体は、いきなり支えをなくして壁の向こうの穴に吸い込まれた。
 少女以外の四人は、初めての体験で悲鳴をあげた。
 頭から吸いこまれると、その先はまったくの闇だ。
 五人の姿が消えると、壁は穴を閉じて、もとの石造りの壁にもどった。
「単純な仕掛けじゃない。」
 ユーリィがそういうと、ロバートが前に出た。
「次は俺達だ。」
 その後を、鉄郎と島村ジョーが続く。
 路地に入りかけた時、鉄郎は、思わず足を止めた。
 突然の、王宮の異変に気がついた。
 指をさして、鉄郎は叫んだ。
「あれを見て! 王宮が火事だ!」
 ジョーは王宮を見上げた。
 さっきまで、何の変化もないと思っていた城の敷地内から、何ヶ所も炎が立ちのぼるのが確認できる。
 街の市民達も、足を止めて騒ぎだした。
「姫さんとトリトンの仕業か?」
 ジョーがそういうと、鉄郎が答えた。
「たぶん…。ありゃ、相当派手にやらかしてる…。」
「マジ切れすると、あの二人も容赦がねぇからなぁ。」
 その時、足を止めた二人に向かって、ロバートの声が響いた。
「おい、お前ら! ぼやっとすんな!」
 二人はあせった。
 王宮に気をとられてたせいで、襲いかかってきた通り魔に気がつかなかったのだ。
「わっ!」
 叫んだ鉄郎は、ナイフの切っ先を向けながら、飛びかかってくる男をするりとかわした。
 つんのめった男は、薬屋の店先に頭から突っ込む。
「ちょっと、貸りるよ。」
 ジョーは、隣の店頭にあった竿を握った。
 そして、通り魔の男の頭を手加減なくぶっ叩いた。
 十代の頃は鉄パイプを振り回して、一般人を脅し歩いたこともあるジョーだ。
 そんなジョーに一発やられるだけでも、場合によっては命に関わってくる。
「ジョー君、かっこいい!」
 鉄郎がはしゃいだ。
 ジョーが睨んだ。
「お前も手伝え!」
「は〜い! これ、おまけ!」
 まだ、完全に伸びていない男の急所を、鉄郎は、思いっきり蹴っ飛ばした。
 男は、それで完全にノックアウトした。
 男を軽く伸したジョーと鉄郎は、人ごみを余裕で分けて、ユーリィとロバートの所に向かった。
「遊ぶな。」
 ガキじみたケンカを見たロバートは呆れてしまう。
「取り込みが終わったのなら、さっさと行きましょ!」
 ユーリィは冷ややかだ。
 首をすくめ、お互いを見やってにやけた鉄郎とジョーは、先のメンバーと同じように、レンガの壁の向こう側に飛び込んだ。
 一同が飛び込んだ穴は、かなり急な傾斜だ。
 スイッチバックになっていて、頭から落ちた体は、途中で足元から滑り落ちるように細工がしてあった。
 その時、背中に壁が当たった。
 そこが、石作りであるのが解った。
 斜面を滑り落ちる間に、一緒に砂まで降ってくる。
 摩擦を吸収するための仕掛けらしいが、埃まみれになってしまう。
 あまり、大きな怪我はなかったものの、全員が、砂まみれになった。
 終着点について、全員が合流すると、女性達から不満の声があがった。
 少女は、やかましい女性達の文句を一蹴した。
「だったら、ついてこなきゃいいでしょう!」
 女性達は、その言葉で黙るしかなかった。
 そこは、何の変哲もない洞窟の中だ。
 三人の人間が、並んで歩けるほど、空間にも余裕がある。
 しかも、ポイントポイントに、ランプで明かりがともしてある。
 人を導く通路なのだ。
 少女は、その洞窟の奥へとみんなを導いた。
 一行も、今度は、ほとんど遅れずについていく。
 それから、数百メートルほど先へ進んだ。
 くねくねと曲がった通路を抜けていくと…。
 急に視界が広がって、一行は、ピタリと足を止めた。
「ここよ。」
 前方を指さした少女は得意げにいった。
「…………」
 一行は、呆気にとられて前方を見返した。
 そこに、一同の意表をついた不思議な建物がどっしりと構えていた。
 見かけは古代の神殿のようだ。
 だが、派手な装飾と原色を散りばめた塗装が、どこか、今風の感覚を取り入れてあるようにも思える。
 少女は、そこを『ディノプス』と呼んだ。
「ここに入るの?」
 レイコが、抵抗ありげに少女に聞くと、少女は胸を張った。
「そうよ! ここが、今の若者達のトレンドの発信基地よ!」
「発信基地っていわれてもねぇ…。」
 裕子は首をひねった。
 どうも理解できないのだ。
「二トルが嘆くのも、なんとなくわかるぜ…。」
 倉川ジョウは項垂れた。
「文句ばっかり言ってるんだったら、帰りなよ!」
 また、少女は苛立った。
 ケインがいった。
「そういうわけにいかないわ。で、どうやって、この中に入るの?」
「このまま入れば、ボーイが案内してくれるわ。中には、ちゃんと着替えるところもあるし、服も自由にレンタルできる。不満なんかないでしょ?」
「そういうのは、問題にしてないの!」
 ケインが口をとがらせる。
 その一方で、鉄郎が一同を促した。
「いってみればわかるよ。とにかく入ろう。」
「鉄郎の勘にたよるしかないか。見つからなければ、それから考え直せばいい。」
 倉川ジョウが、鉄郎に同意した時だ。
 岩陰から、いきなり一人の美女が、一同の前に飛び出してきた。
 そして、なぜか、鉄郎の胸に飛び込んで涙をこぼしはじめた。
「よかった…。あなたが、鉄郎…。」
「あ、あの…。」
 鉄郎の思考が停止した。
 突然の展開に、鉄郎もあせりだす。
「誰だ?」
 ジョーが呆れたように聞くと、鉄郎は、激しくかぶりを振った。
「知ってるわけないじゃないか!」
「でも、この女は、あなたのことを知ってるようね?」
 ケインが睨みつける。
 鉄郎は、ますますめげた。
「あのね…;;」
「冗談は、さておいて…。」
 ユーリィがいった。
「この子、相当なわけありだわ。随分、ひどいことをされたみたいね。 そうなんでしょう?」
 ユーリィは、ケインを押しのけて、女性に優しく問いかけた。
 女性は、一同と同じ穴から落ちてきたらしく、全身、埃まみれだ。
 が、それ以上に気にかかったのは、女性の身なりが、乱暴されたようにズタズタだったことだ。
 怯えたように体を震わせる女性の身を案じると、鉄郎も、その女性を簡単に突き放すことができなかった。
 女性が、落ちつくのに少し時間がかかった。
 ようやく、鉄郎から離れると、女性は、改めて口を開いた。
「ごめんなさい。私の名はレイラといいます。トリトンとアキとともに、ここまで逃げてきたんです。」
 一同は、女性の姿を見返した。
 白い肌の上にある、顔の造形は、とても美しい。
 額にかかる輝くようなブロンドの髪が、さらに、その美を引き立てている。
「やっぱり、二人はここにいるのか。」
 ジョウが口を開くと、レイコが質問した。
「あなたは、二人と、どういう関係なの?」
「私は、王ラムセスから、トリトンの侍女の役目を命じられました。その二人と一緒に、テグノスの森に行くつもりでした。でも、途中で、“肉市場”に迷いこんだりして、ようやく、ここにたどりついたんです。」
「大丈夫だったの? それに、テグノスの森とは逆の方向よ。」
 裕子が声をかけると、レイラは肩を落とした。
「そうだったの…。だけど、みなさんがここに来てくれてよかった…。二人とも、あなた方に、とても会いたがっていたわ。私達は無事ですから、どうか、安心してください。」
「でも、二人は、どこにいるんだ?」
 鉄郎が首をめぐらすと、レイラは、困ったような顔をした。
「それが…。ここの店の人に間違えられたようなのです…。ペアのダンサーに…。」
「ダンサー?」
 全員が、呆気にとられた。
「それ、どういう間違いなの!」
 ケインは額を押さえつける。
「それが…。私にも…。」
 レイラは首をすくめた。
「二人が、様子を見るために店に近づいたら、店の人に勧誘されてしまって…。まだ、二人とも、中にいるのは間違いありません。この世界の若者達は、指導者の権力争いに何も興味を持っていません。引き込んだ店員も、それが、トリトンとアルテイアの血を受け継いだ人間だなんて、気がついていないはずです。」
 レイラは、必死に訴えた。
 最初は怪しいと睨んでいた一同も、少し、彼女を信じるようになってきた。
「ここの連中の感覚って、やっぱり、理解できないわぁ。」
 裕子がかぶりを振った。
 誰もがそう思った。
 しかし、行動は一つに絞られた。
「よし、中に入ろう。」
 ロバートが、最終決定を促がした。
 それに、反対するものは誰もいない。