かなり、時間が経っていた。
最初に目覚めたのは、ロバートだ。
それから、次々に意識がもどり、どうにか、全員が起き上がりはじめた。
みんなめまいを起こし、頭を押さえたり左右に首を振ったりして、何とか意識と体を連結させる努力をした。
完全に回復した一同が立ち上がり、見た周囲の光景とはー。
森林の中だった。
萌えるような緑と、わずかに湿った土の匂いが鼻につく。
小鳥のさえずりが聞こえ、のどかで、目に染み入るような美しい光景が広がっている。
一同は呆然とし、一瞬、声を出すのも忘れた。
やがて、ぐるりと周囲を見回したケインが、ヒステリックに喚きはじめた。
「ちょっ、ちょっと! ここ、いったいどこよ? 地球のどこかなの?」
「どこって、いわれりゃ…。地球だと思うが…。」
倉川ジョウが不安げに口を開く。
「ね、トリちゃんとアキがいない!」
レイコが唐突に口走ると、全員がハッとした。
「そういや…!」
「おいおい、まさかあの坊や、ドサクサに紛れて、変な気を起こしてねぇだろうな…!」
ロバートが呆れたようにいうと、鉄郎が睨みつけた。
「何、言ってんだよ!」
「それなら、まだ、いいじゃない。その辺りを探したら、二人が見つかるってことでしょ。」
ユーリィが、淡々とした口調でいった。
「考えてみて。この異変の原因は、いったい何なの?」
「タロスのせいよ。」
裕子がいった。
「そうよ。」
ユーリィが頷く。
「お姫さまは、こういってたわ。タロスは、トリトンを王にするために、タロスの世界に連れて行こうとしているって。」
「つまりは、アトランティスか…。」
ジョウが低く呟いた。
「じゃあ、ここがアトランティスなの?」
レイコがそういうと、ユーリィはかぶりを振った。
「タロスが必要としたのは、トリトンとお姫さまのはずよ。あたし達は、途中で放り出されたっていう可能性もあるわ。」
「そんな…! あたし達、どうなっちゃうの?」
裕子が叫んだ。
「それで、代わりにこんなのが残ったんじゃ、話にならないわ!」
ケインは、ベルモンドを指すと冷たくいった。
「いったい、これから先、どうなるんですか?」
ベルモンドが悲鳴に近い声で尋ねると、
「こっちが聞きたいくらいだ!」
鉄郎が一喝した。
「このまま、ボサッとしていても埒があかん。」
ロバートが首をめぐらした。
「とにかく、歩き回ってみよう。」
「どこへ行くの?」
ケインが問いつめると、ロバートは肩をすくめた。
「さあな。気分しだいだ。そこらを偵察してりゃ、何か、手がかりが掴めるかもしれない。」
「そんなのイージー!」
裕子とレイコが、へたりながら口をそろえる。
すると、ロバートは二人を突き放した。
「行きたくない者は置いていく。ここで、じっとしてろ!」
「やあよ!」
二人はわめいた。
「文句を言ってもしようがない。ロバートの言う通りにしよう。」
島村ジョーが、二人に声をかけた。
「まったくだ。」
倉川ジョウが同意し、鉄郎が、肩をすくめた。
ケインが、また口を開いた。
「ね、このおっさんも連れて行く気?」
ベルモンドのことだ。
「しゃあねぇな。このおっさんを一人にしちまったら、ここで、のたれ死しちまうぜ。」
ロバートはうんざりしながら、ベルモンドの同行を認めた。
とりあえず、前へ進みはじめた。
とはいうものの、前後左右、どこまで行っても森の中で、方角がまったくつかめない。
森のはずれに向かっているのか奥に向かっているのか、わからないまま道なき道を切り開きながら、一行は歩き続けた。
ほぼ、一時間くらいが経過した。
森の小動物や、トカゲといった爬虫類などは見かけるが、人にはまったく出会わない。
いい加減に疲れが見えはじめ、ついに、迷いこんでしまったのだと思いはじめた時、一行の耳に、清らかな水の音が響いてきた。
「川があるわ!」
レイコが、パッと明るくなった。
「行ってみよう!」
倉川ジョウが一同を促した。
ジョウに言われるまでもなく、全員が、その川の流れがする方向へ走り出した。
それまで、遮るように立ち並んでいた木々がそこだけ断ち切れ、急に、視界が広がった。
木漏れ日だけで、わずかな光だけしかとどかず、薄暗い世界を歩き続けた一行には、急にあふれた光は眩しすぎた。
目が慣れるのを待って、ゆっくりと見開くと、一同は、思わず感嘆の声を漏らした。
そこは、美しい渓谷だった。
森を分け、煌く水面が岩を削る。
ある場所では荒々しく、また、ある場所ではゆるやかに。
清らかな川が流れている。
川の両側には川原が広がり、岸近くの水面に映える森の緑がとても鮮明だった。
水は、見た目にも良質だとわかった。
透明度も高く、泳ぐ魚の影がはっきりと見える。
まるで、どこかの国立公園にいるような景観だ。
一行は、しばし見とれて、言葉を発することができなかった。
しかし、我にもどると、一同は、ダッと川原めがけて飛び出した。
これで、しばらくは疲れを癒すことができる。
みんなにとっては恵みの川だ。
我先にたどり着いた一行は、思い思いに水を口に含み、乾きを癒した。
「おいしい!」
「生き返る!」
口々に感想を述べてから、やっと、全員が落ち着いた。
レイコが、ふと口を開いた。
「でも、やっぱ変だよ。こういう所って、たいがいゴミがあるじゃない? 空き缶とかプラスチックとか…。」
「人がいないってことか…。先が真っ暗だな…。」
ジョーが、絶望的な声をあげた。
「ね、まだ、先へ行くの?」
ユーリィがロバートを見返した。その目は、もう嫌よと訴えている。
「さて…。」
ロバートは唸った。
このまま動き回っても、体力を消耗するだけだ。
かといって、立ち止まるのも危険がありすぎる。
「川を下っていけば? どこか、人里に行き着くはずだ。」
鉄郎がそういった。
「迷った時の鉄則だ。どうだ、ロバート?」
ジョウがロバートを見返した。その顔は、決定を促している。
ロバートは、きっぱりといった。
「わかった。そうしよう。」
「もう一休みできないの?」
裕子が嘆いた。
「私もクタクタですよ。」
続いて、ベルモンドが弱音を吐く。
「たわけ!」
ケインが怒り出した。
「そんなことをしてたら、じきに、夜になっちゃうわ!」
「そうだ。夜になる前に、森だけは抜け出さなきゃな。さ、行くぞ!」
ロバートが声を張り上げた。
一行が、のろのろと立ち上がりかけた、その時だ。
対岸側から、バラバラと人影が現れた。
謎の人影は、歓声をあげながら川岸に走り寄ってくる。
一同は、呆気にとられた。
若者から中年まで、年齢にかなりの幅があるが、全員が男だ。
総勢、二、三十人はいる。
驚いたのは、彼らの服装だ。
動物の皮かあるいは布か、素材はまちまちだが、それらをうまく体にまとっている。
どう見ても、ギリシャ時代の服装にしか見えない。
男達は、剣や槍を手にしている。
髪もボサボサで口ひげをはやし、手入れをまったくしていないところを見ると、森に潜む山賊か、そのたぐいの悪党集団だ。
「何だ?」
ロバートは、目を剥いた。
「ひっどい未開人どもの集団!」
ケインが、口元を歪ませる。
鉄郎、倉川ジョウ、裕子は身構えた。
島村ジョーは、レイコをかばって銃に手をかける。
ユーリィの後にベルモンドが隠れてしまい、ユーリィはふくれた。
そうやって、相手の様子を窺っていると、歓声をあげた集団の中から、リーダーらしい男が前に出てきた。
男は、熊の毛皮をまとい、短い巻き毛の黒髪に口髭を生やした、ものすごい姿をしている。
それでも、がっちりとした体格と、精悍さを感じる鋭い目つきは、盗賊の親玉としての貫禄を十分に感じさせた。
男は、背丈ほどもある太いこん棒を二本持ち、ザブザブと川の中に入ってきた。
そして、一同に向かって野太い声を張り上げた。
「貴様らのようなよそ者に、俺達の水をやるわけにはいかん! 税金を払え!」
「税金?」
驚いた一同は思わず合唱した。
だが、それ以上にびっくりしたのは、この男が発した言葉だ。
巨人タロスが喋った、意味不明の言語と同じだ。
しかし、今度ははっきりと、その言葉が理解できた。
日本人の仲間達には、関東なまりの日本語に。
ケインとユーリィには、それぞれのなまりを持つオウルト語として。
さらに、ロバートやベルモンドにも地方なまりの英語として。
「テレパシーだ。言葉の国境がなくなっちまった。」
ジョウがそういうと、レイコは首をひねった。
「やっぱり、ここって、アトランティスなの?」
男が苛立ったように喚きだした。
「何をゴチャゴチャといってる! 税金が払えなかったら、お前達を生かしておくわけにはいかん!」
「どうします? 殺されますよ!」
ベルモンドが蒼ざめた。
「だから、どうだっていうの!」
ケインは平然としている。
「あたしらは、お金なんかもっちゃいないわ!」
「あんた達、いったい何者よ! ヤクザの言うことなんか聞けないわ!」
ユーリィがキッとなった。
男の方が目を剥いた。
口応えされるとは、考えていなかったらしい。
背後に控えていた男達が、一斉に唸り声をあげた。
どうやら、怒りを買ったようだ。
「ユーリィ、だめだ。」
鉄郎があわててたしなめ、代わりに口を開いた。
「すまない。けど、僕らは、見てのとおりのよそ者だ。残念だけど、金も持っていない。森に迷いこんじゃって、抜け道を探しているんだ。ね、教えてください。ここは、どこですか?
おじさん達は、ここの土地の人だろ? それに、いなくなった友達を探しているんです。」
「友達? 坊や達の?」
男は首を傾けた。
これには、仲間の方が驚いた。
鉄郎が応対すると、話が通じたのだ。
「よし、もっと聞いてみな。」
ロバートが促した。
人の心を変えるといわれ続けた鉄郎だ。
こういう場合の、受け答えは実にうまい。
鉄郎は頷くと、さらに、男に質問した。
「もし、心当たりがあるのなら、どんなことでもいい。教えてくれないか? 僕らと同じ、年頃の男の子と女の子だ。トリトンとアキっていうー。」
「教えられん!」
男は、鉄郎の言葉を遮ると、突然、怒鳴った。
鉄郎は表情を変える。
「なぜだ?」
ジョーが語気強くいった。
男がいった。
「貴様らは、ラムセスの手の者だろう? わかっているのだ。お前らは、トリトン様の刺客だ!」
「ちょっと待て。誤解だ!」
倉川ジョウが、慌てて弁解した。
「問答無用だ!」
男は、こん棒を振り回しながら喚く。
「だめだな…。」
ジョウは呆れた。
「こんな美女を刺客に間違えるなんて、どーかしちゃってるわ!」
ケインが腹立たしげにぼやいた。
「どうしても知りたきゃ、この俺と、腕ずくで勝負しろ!」
男は力強い声で、一同を挑発する。
「やってやる!」
鉄郎がいきり立った。
ロバートは、鉄郎を押さえつけた。
「やめとけ!」
「離せ!」
ロバートが小さく笑った。
「お前には、あの男の相手は役不足だ。荒くれの相手なら、ちょうどいい。まかせな!」
鉄郎を押しのけたロバートが、ズイッと前に出た。
「この俺じゃ、不足かね?」
ロバートを見返すと、男は、ニヤリと笑った。
「若僧のくせに、たいした度胸だ。さあ、ここでケリをつけよう!」
男は、持っていたこん棒の一本を、ロバートに投げて渡した。
「しゃあねえな!」
ロバートは、こん棒を両手で握りしめると身構えた。
「ロバート!」
鉄郎が叫ぶ。
「大丈夫なの?」
ユ−リィがいぶかしむ。
ともかく、川の中央に入った男とロバートは向かい合った。
こん棒を薙刀のように振り回して、一騎打ちの決闘が始まった。
男は、岩のような体格で、こん棒で攻めるのも力で押しまくろうとする。
ロバートは、男の攻撃を受け止める。
どちらもひけをとらない互角の勝負が続く。
あえて、ギャラリーに徹した仲間達も、ロバートを応援する。
原住民達も、息を飲んで勝負の行方を見守った。
何度か、ロバートと男は、こん棒を合わせて対抗しあった。
が、しだいに、ロバートの方がおされて足場を失っていく。
やがて、男がこん棒の切っ先をロバートの顎にヒットさせた。
ロバートは、うめき声をあげてバランスを崩し、水の中にはまりこんだ。
「ロバート!」
思わず、鉄郎が叫んだ。
対して、原住民側の男達から歓声があがる。
男は、溺れたロバートを見て大笑いした。
と、ロバートは、その男の足を引っ張った。
すると、一緒に男も水の中で溺れた。
ロバートだけではなく、男も、大量の水を飲み込んで、激しくむせ返った。
起き上がったロバートは、こん棒を捨てて男に飛びかかった。
男もこん棒を捨てた。
今度は、川の中でつかみ合いのケンカになった。
もみ合いながら、男は、ロバートを投げとばした。
投げ飛ばされたロバートは宙を飛ぶ。
そして、二、三メートル先の、段差になってできた小さな滝の向こうに落ちた。
ずぶ濡れになった男は、ようやく立ち上がると、滝の頂上に立った。
落下したロバートを見下ろして、また、嘲笑した。
「許すか、あいつ!」
鉄郎がいきり立つ。
男は、嘲笑いながら鉄郎を見返した。
「今度は坊やか? いいぜ。相手になってやろう!」
鉄郎が舌打ちする。
と、一度は滝に落とされたロバートが這い上がってきた。
ロバートがいった。
「デクの棒、俺は、まだぴんぴんしてるよ!」
「うぉっ?」
男と原住民達も目を剥いた。
「まだ懲りねぇのか?」
男がざらついた声で唸ると、ロバートは胸を張った。
「まだまだやれる!」
「思い知れ!」
男は、叫びながら足を振り上げた。
その時だ。
「やめなさい、二トル!」
誰かが男を制した。
男の名は二トルというらしい。
二トルは表情を変えると、あわてて首をめぐらした。
なぜか、原住民の男達からもざわめきがあがって、落ち着かない様子だ。
「みんな、静まりなさい!」
再び声がした。
幼い子どもの声だ。
一人ではない。二人いる。
男達は、次々にひざまずいた。
二トルも武器を放り投げて、川の中にひざまずく。
声の主は幼くても、重厚で強い響きがある。
鉄郎と仲間達は、呆気にとられながら声の主の姿を探した。
しかし、その姿は、どこにも見当たらない。
やがて、川の流れの中腹に、光の球体が出現した。
それから、しだいに膨張しだした。
直径一メートルくらいに膨らんだ光は、二つに分かれた。
そして、左右に移動して対称となる場所で静止した。
地面からは、二メートルほどの高さがある。
さらに、光が変形した。しだいに人の姿に変わっていく。
一同が呆然と見つめる中で、光はだんだん弱まり、その光の中に、男の子と女の子がいるのが見えた。
幼い子ども達は、原住民らしい男達に比べると、髪形も服装も整っていて、その姿は愛らしかった。
二人は、ギリシャ時代に着ていたような、一枚布を巧みにまきつけた衣をゆったりとまとっている。
少女の服は水色。
少年は水色の衣の上に、萌黄色のマントを巻きつけている。
みんなの驚きが大きくなった。
この少年と少女は、かつての十三、四歳の頃の、トリトンとアキにそっくりだった。