季節の色目・年中行事


<冬・初春の色目> 
「冬の色目」
☆枯野かさね 表黄・裏薄青 ■■■■
☆氷かさね 表鳥の子・裏白 ■■■■
☆枯色かさね 表香・裏青  ■■■■

「初春の色目」
☆梅かさね 表白・裏蘇芳   ■■■■
☆紅梅かさね 表紅・裏蘇芳 ■■■■
<一月・二月(旧暦十二月・一月)の行事>
「年の暮れの行事」
☆追儺(ついな)  
旧暦十二月三十日(大晦日)の夜、儺を祓う、すなわち新年を迎えるにあたり 疫鬼を駆除する行事。「儺やらい」「鬼やらい」とも称される。
宮中では天皇が紫宸殿に出御。
陰陽師が斎郎を従えて祭文を読みあげると、手に鉾と楯を持った方相氏が儺声を発して、鉾で楯を打つ。 上卿がこれに呼応して桃の弓と葦の矢によって疫鬼を駆除し、桃杖で打ち据える。
「紅葉賀」の巻で人形あそびをしている若紫が、「儺やらふ」ということで犬君に追い払われてベソをかいている。
現在の節分の豆まきはこの行事が民間化したもの。


☆御魂祭(みたままつり)   
大晦日、先祖の霊がこの夜に戻ってくるということで、七月の盆と同じ信仰に 基づいて行われている。
「和泉式部集」に「なき人のくる夜ときけど君もなし我が住む宿や魂なきの里」と詠んでいるが、平安女性が重んじた行事。


「年の初めの行事」
☆四方拝(しほうはい)   
元旦寅の刻に天皇が清涼殿東庭に出御して、その年の属星の名を七回唱え、
北向きで天を、西向きで地を拝し、さらに四方を拝し、さいごに山陵を拝する。
新年に際し、年災を祓い、天皇の無窮を祈願する儀式。
皇極天皇元年(642年)八月に天皇が祈雨の四方杯を行ったとある。


☆朝賀(ちょうが)・元日節会(がんじつのせちえ)   
元旦に天皇が大極殿に出御して、群臣から新年の賀をうける儀式。
朝賀の後に、天皇が群臣にたまわる宴の儀。初めは豊楽院で行われたが、淳和朝から紫宸殿に移った。
諸臣の奏の後、昇殿して饗座につき、三献の儀があり、歌笛や雅楽寮の演奏がある。


☆歯固(はがため)   
元旦から三日。歯は齢のことで、延寿を願い、天皇が食物を食する儀式。
屠蘇を供する際に執り行われる。
食物として猪肉・鹿肉・大根・瓜・鮎などが並ぶ。
「初音」の巻で、紫上の周辺で歯固が催される。


☆朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)   
正月二日。天皇が太上天皇・皇太后の宮に行幸して、新年に挨拶を行うこと。

☆参座(さんざ)   
元旦から三日。内裏や摂関家に臣下が参上して年始の挨拶をすること。

☆叙位(じょい)   
一月五日か七日。五位以上の位階を天皇が授ける儀式。

☆白馬節会(あおうまのせちえ)   
正月七日に天皇が豊楽殿または紫宸殿に出御して、左右馬寮の官人の牽く白馬二十一頭をご覧になり、 その後群臣に宴を賜る。
中国に置いては七は陽の数字、馬は陽の動物、青は春を表す色ということで、初春にこの行事を見て1年の邪気を祓うという信仰に基づく。


☆若菜(わかな)・子(ね)の日のあそび   
正月初子の日に、内蔵寮から若菜を供じる。
後、野に出て若菜を摘み、小松を引いて楽しむようになった。
若菜のあつものは春の精気に満ち、小松引きは長寿の祈願。


☆御斎会(ごさいえ)   
正月八日から十四日まで天皇が大極殿に出御して、六宗の学僧をあつめ、 「金光明最勝王経」を講読し、国家の安穏を祈願する儀式。

☆県召除目(あがためしのじもく)   
地方官を任命する儀式。桓武天皇以来正月に行うようになったが、期日は一定ではない。
除目の作法はよく分からない。
「賢木」の巻で、この日の斜陽となった源氏邸の有様が述べられている。


☆踏歌節会(とうかのせちえ)・後宴(ごえん)   
正月十四日は男踏歌、十六日は女踏歌がある。
正月に地を踏む、すなわち踏歌を舞って豊年・繁栄を祈願する行事。


<春の色目> 

☆桜かさね   表白・裏二藍 ■■■■
☆樺桜かさね 表蘇芳・裏赤花■■ ■■
☆躑躅かさね   表蘇芳・裏萌黄 ■■■■
☆山吹かさね   表朽葉・裏黄 ■■■■
<三月(旧暦二月)の行事>

☆祈年祭(きねんさい)   
「仲春祈年祭・としごいのまつり」とも呼ばれた。
延喜式では二月四日としている。季夏・季冬の月次祭や仲冬の新嘗祭とあわせ「四箇祭」と称され、 「国家之大事」とされた。
その歳の豊饒・皇室の安泰・国土の繁栄を全ての神々に祈念する。

☆春日祭(かすがまつり)   
藤原氏の氏神社・春日大社の祭祀。仁明天皇の嘉祥三年(850)が創始。
毎年二月と十一月に行われ、宮中からは藤原氏の嫡子を春日の使いとする。
一条天皇の寛弘元年(1004)には頼道がその任を務めている。使いとなっている。


<四月(旧暦三月)の行事>
☆花宴(はなのえん)   
紫宸殿の左近の桜が美しいころに、詩歌管弦の遊びを行う宴を催すこと。
嵯峨天皇の弘仁三年(812)が最初。
「源氏物語」では、「二月二十日あまり」に南殿の花の宴が催されて、 最大の出し物として光源氏の「春の鶯囀るという舞」と、頭中将の「柳花苑」が演じられた。
この夜、弘徽殿の細殿での朧月夜との出会いがあった。


☆上巳の祓(じょうしのはらえ)   
三月上旬の巳の日に水辺で穢れや災いを祓い浄める。
中国伝来の行事と日本古来の禊祓えの風習が結合した行事。
祓えの具として「人形ひとがた」「形代かたしろ」を用いて、それを水に流して自らの罪や穢れを祓った。
やがて「巳の日」と音の通じる「三日」に行われるようになり、節日となった。
その日、同じ水辺で「曲水の宴」も執り行われる。
光源氏は須磨の海に陰陽師を招き、人形を流している。


☆曲水の宴(ごくすいのえん)   
三月上巳の日、流水のほとりで禊祓えをおこなう歳の遊宴。中国の風習を起源とする。
平安時代初期一時途絶えたが、嵯峨天皇の時復活、村上天皇のころ盛ん。
寛弘四年(1007)道長の東三条殿での宴、 寛治五年(1091)師通の六条殿での宴が有名。


☆石清水臨時祭(いわしみずのりんじまつり)   
石清水八幡宮で三月午の日に行われる祭り。
例祭(八月十五日の石清水放生会)に対する臨時ということ。
天慶五年(942)朱雀天皇のとき、平将門・藤原純友の乱平定における報賽として勅使を立てたのが起源。
事前の歌舞や詩楽があり、当日は天皇が出御し、御禊や十列の御馬御覧がある。


☆藤花の宴(とうかのえん)   
宮中の飛香舎(藤壺)で、また貴族の私邸で、詩歌管弦の遊びをまじえて華やかに催す。
「源氏物語」では「花宴」の巻で、花宴のあとで、右大臣邸で弓の競射につづいて、親王や上達部をまねき行われている。
源氏は、朧月夜の正体を知りたくて、あえて右大臣邸に出向いている。


<夏の色目> 
☆藤かさね  表薄色・裏萌黄■■■■  
☆楝(おうち)かさね  表薄色・裏青■■■■ 
☆杜若(かきつばた)かさね
 表二藍・裏萌黄■■■■  
☆撫子(なでしこ)かさね
 表紅・裏薄色■■■■ 
☆二藍(ふたあい)かさね
 表二藍・裏二藍■■■■  
☆蓬かさね   表薄萌黄・裏濃萌黄■■■■
<五月(旧暦四月)の行事>

☆夏の更衣(なつのころもがえ)   
四月一日、宮中における室内装飾・衣装などを夏の装いに改める。
「明石」巻において、「四月になりぬ。更衣の御装束。御帳の帷子など、よしあるさまにしいづ。」と描かれている。
「柏木」巻では涼しげな様子が描かれ、「幻」巻では夏の御方花散里から更衣の装束が源氏に奉られ、紫上亡き後の物語における資格を表出している。


☆賀茂祭(かものまつり)   
四月中酉の日に行われる上賀茂・下鴨両社の祭礼。
@斎院御禊(さいいんのごけい)
賀茂祭りを前に、宮中から賀茂神へ遣わされた皇女である斎院が、賀茂神の御手洗川にあたる賀茂川で禊をする。
源氏物語では「葵」巻で、朱雀帝の御代にかわり、初めて行われる祭祀として、源氏が勅使となって盛大に行われた。
A賀茂の御阿礼(みあれ)
賀茂祭りに先立って中丑の日に行われる。北山で賀茂神を降臨させ、その祭神を賀茂に導く行事。「藤裏葉」巻で描かれている。
B賀茂祭当日
宮中で東遊の舞人が「求子」「駿河舞」を奉り、「飾馬御覧」がある。
その後、路頭の儀で賀茂社に参詣する斎院・勅使の行列が一条大路をすすみ、一大物見となる。
「葵」巻では、源氏が若紫と同車して見物し、人々の話題となる。華やかな若紫の社交界デビューである。


☆灌仏会(かんぶつえ)   
「仏生会」[浴仏会」「誕生会」とも勝せられ、釈迦誕生の四月八日に行われる。
『日本書紀』推古天皇一四年が初見である。承和七年宮中の清涼殿でこの仏会を修して以来宮中での恒例の行事となった。
清涼殿に山形が置かれ、糸で滝を作り、鉢の中の五色の水を釈迦像にかける。摂関時代には貴族の邸宅でも行われた。
「藤裏葉」巻では宮中より、六条院の灌仏の方が気を遣うと語られ、源氏の権勢を物語る。


<六月(旧暦五月)の行事>
☆端午節会(たんごのせちえ)   
五月端午。「端」は「初め」の意であるが五月五日を端午と記す明確な理由はない。
日本でこの日に珍重される菖蒲は、邪気を払うという信仰を有している。
『西宮記』によると、五月三日に六衛府から時節の花を交えた菖蒲の輿がとどき紫宸殿の南庭に階の東西に立てられる。
四日にはこの輿を清涼殿の朝餉間にも立てる。内裏の殿舎に菖蒲を葺く。
五日には天皇が武徳殿に出御して節会を行う。菖蒲二瓶を机上に置き、糸所から薬玉二流を献上する。
群臣は菖蒲鬘を着けて参内する。
平安時代には菖蒲の根合も行われた。




<七月(旧暦六月)の行事>
☆祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)   
六月一四・一五日の祇園社、すなわち八坂神社の御霊会。
社伝によると、貞観一一年(869)に疫病が流行し、牛頭大王の祟りによるとされ、素戔嗚尊をまつる祇園社に詣で、六六本の鉾を立てて、
神輿を神泉苑に贈ったことに由来するとする。



☆六月祓(みなづきばらえ)   
六月と一二月の晦日に罪障・穢れ・災厄をのぞくために 御祓を行う。
「夏越の祓え」とも言う。
『西宮記』では延喜元年(901)閏六月晦日の礼をあげ、朱雀門で行ったとする。
民間では茅の輪くぐりが行われたとも。



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