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感想文 「季節の記憶」保坂 和志 (著)

保坂さんという人がどんな人であるかは、このあたりから、 いろいろ調べて貰うとして、この小説には、事件とか出来事がほとんどなく、 ただ、主人公とその子供、近所の人との会話がたんたんと続きます。

その会話は、とてもなにげない会話なのですが、 その中に保坂さんの世界観とでもいうべきものが、登場人物を代えながら、 かわるがわる様々な角度から、ずーと語られています。 保坂さんの世界観と言えば、僕が前に読んだ同じ保坂さんの 「世界を肯定する哲学」 という本があるのですが、語られていることはおおまかに言って、同じようなものと思って 差し支えなく、むしろ、小説のほうが楽しく、すんなりお腹に落ちて理解できるのかと思います。

で、その世界観とか哲学とかいうのは、どんなものかと言えば、それはつまり、 「自分と自分以外の世界との関係をどう考えるか」ということで、保坂さんの 考えでは「<世界>と<私>の関係はとてもシンプルで、私が生まれる前から世界はあり、 私が死んだ後も世界はありつづける。」ということになります。

哲学といったものを考えたことが全くない人にとっては、そんなのは「当たり前じゃん」という 話になり得るのかも分からないけど、それはもちろん当たり前なんかではなく、 「「我思うゆえに我あり」」で言ったように、当たり前なんかであるものはどこにもなく、 当たり前にあるのは、「当たり前じゃん」と思っているあなたがどこかにいる、ということだけで、 それ以外が当たり前かどうか証明することはできないわけです。

こういった世界観というのは、小難しい哲学の本を読んでフムフムなどとやっても、 なんにも面白いことはないし、意味もない。 だから、イデアがどうしたとか、 ハイデガーがこう言ったとか、そんなことを振り回す 奴は鼻で笑ってやればいいのだけれど、この世界観というものをどのように持っているか、 あるいはどんな世界観も持っていない、ということは、とても興味深いところで、 自分の世界観を磨くのと同様、他人の世界観を覗くのが僕の趣味とも言えます。

ここで例を挙げてみると、例えば、電車の中でだらしなく座っていて、 周りから見ても見栄えが悪く、しかも狭い電車の中なので、迷惑でもある近頃の若者。 彼について、「ちゃんと座りなさい」と叱ることは、イマドキの若者はキレやすいから 難しいですが、それでもまあ比較的イージーで、でもそれよりも、 まず、彼が知るべきなのは、自分のしていることは結局自分で責任を取らなくてはいけない、という事実。

で、それはつまり、自分のだらしない振る舞いが、自分以外の世界に対して、 どういった作用を起こしていて、それが反作用として自分にどのように還ってくるか、という ことを想像してみれば分かることで、つまり結局回りまわって自分がバカをみるのです。

このような悪い状況が何故起こってしまうのかといえば、 その若者の世界観が、自分と自分以外の関係が断絶していることを意味していて、 「おれの勝手じゃん」とか「関係ねえだろ」ということになるわけですが、 それは全然関係おおありで、若者にとっても不利益、若者以外の周りにとっても不利益という 悪循環が起こっていることを実感できていないわけです。

で、こういった自分と自分以外の関係を探ってみて、それを実感していくという作業は、 とても辛いことですが、それでもやっぱし面白いことで、 もちろんその作業には答えがなく、終わりもないのですけれど、 「より妥当である」という状態に近づくことはできて、そういった世界観を積み上げていくと、 この世の中は意外にシンプルにできているのかも、ということが実感できて、 なにか目に見えないもの、分からないものに恐怖したり、 不安感を持ったりすることもなくなります。

最後に、もうひとつ近頃の若者の例を出すと、核家族で育ったからか、 プライバシーが主義だからか、周りの人とコミュニケーションを とらない(とる必要がない)若者が増えてきて、そのことを付き合いが悪いとか、 一人称がいない 、などと言いまして、 最終的に行き着くところは引きこもりだったり、 ゲーム、アニメにはまった挙句の幼児殺害だったりするわけですが、 それも、 生活が豊かになって集団で食べ物を探す必要がなくなって「世界と関係する」という面倒なことをしなくて済む時代になったのだ、 と考えると、科学の進歩によって社会が豊かになるということは 色々なことが引き起こされるなあ、と控えめに考えてみたりするわけです。

03.08.31


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