五月三日、九条改憲阻止の意見広告が出る日だ。朝早く起きてポストへ新聞を取りに行く。家に入るのももどかしく、 外で新聞を広げる。「戦中生まれの女たちによる九条の会」を捜す。あった。肉眼でやっと見える程度の小さい字が ぎっしりと詰まった意見広告だ。参加総数7,776件だったそうだ。参加者の中に若い人たちはどれくらいいるのだろうか。 朝日新聞の全国世論調査では、「改憲、薄まる抵抗感」、9条については、「維持派が前世代で上回る」とはいえ、 9条維持派と改正派との差は縮まっているとある。これから9条の前途はますます多難になってくるだろう。 そんなことを思いながら、意見広告の参加者名を拾い読みしていると、先輩や、小学校の恩師(以前に「憲法と私」 に書いたことのある先生)、戸台さんご夫妻のお名前も見つけた。そして、参加している思い思いの団体名の後ろには たくさんの個人がいるのだと思うと少し勇気が湧いてきた。 それにしても、テレビでは憲法記念日にふさわしい番組が少なく、JR西日本の福知山線の事故の検証ばかり報道している。 大型連休の真っ最中で憲法記念日の意識も薄れがちである。こうやって、連休を楽しめるのも、平和だからなのだ。 せめて今日一日ぐらい平和と9条について考えてもよいのではないかと思いながら過ごした1日だった。 ゆもと みちこ (2005/5/11) |
小学校の恩師からの今年の年賀状は、次のような文章で始まっていた。 ーー政治の流れも経済も社会の風潮も行ってはいけない方向に動く中で、 新しい年を迎えました。この数年間が日本の進路の大きな節目になることでしょうーー この先生は、自らの戦争体験を小冊子にして、小学校の児童らに配り、私にも送って下さったことがある。 戦争体験をふまえて、自衛隊の海外派遣、憲法改正の動きを懸念していらっしゃるにちがいない。 去年、このホームページに載せるために「暮らしの記録」をまとめたが、私が生まれてから二年間は、 女性に選挙権の与えられていない、国民主権ではない、旧憲法の下にあった、ということに改めて気付かされた。 私の意識の中では、いつも日本国憲法があり、この法の下に守られてきたと思っていたからである。幸いなことに、 今まで戦争を体験しないで済み、平和憲法であることに、誇りを持って過ごして来ることができた。 世界がアメリカの動きを中心として動き、日本では、北朝鮮の核や生物兵器の脅威が現実のものとして心配されるように なってきた今、自国の安全を考えるのは本当に難しい。自衛の手段を持たずにいられない。しかし、それが 暴走して、また、あの戦争の悲劇を繰り返す遅れは十分にある。 国民が命を失い、傷つき、他国の人々の命と平和な日常を 奪わないために、二度と戦争という過ちを繰り返してはならない。そのために、憲法九条を変えてはならない。 今の九条があるのと、無いのとでは、まるでちがうと思うのである。 毎年巡ってくる憲法記念日は存在意義も年々薄れ、ゴールデン ウイークにばかり気を取られてしまうが、私は身近にいる 小学生、特に六年生には、憲法の前文をいっしょに音読し、心の片隅にでもしまっておいてもらえれば、いつか、どこかで思い出してくれる ものと期待している。 私自身も、前文に込められた気持ちとこの憲法を日本の法の根本として受け入れた先人達の意気込みを ひしひしと感じる、心に響く美しい文章であると、読むたびに感激してしまうのである。 小学校では、六年生の三学期ごろ、憲法について学習する。そして、中学校でも、三年生になってから、憲法を学ぶが、 いずれも、日本史の学習が食い込んでしまい、十分な学習が出来ていないようである。 家庭でも、憲法の話題などはあまり出ないようである。 もっと、小さい時から、戦争体験記を読ませたり、聞かせたりする 機会を身の回りに増やし、それとともに、憲法や九条の話をしたり、考えさせたりする機会が必要があると思う。 若い人達が、本当に憲法をよく知り、現実を考えた上で、どうしても改悪が必要になった時には、そうすればいい。 でも、今はまだその時ではない。 世界の景気が悪いと、兵器でも輸出して、経済を良くしようとする企業の動きが出てくるようで怖い。戦争体験のない 国会議員も増えてきている今、戦争への動きが少しずつ見えてくるようで怖い。冒頭に引用した、恩師の懸念が 現実味を帯びてきている。 戦争を体験しなくても、戦後の不健康で、物のない時代を過ごした私は、戦争の影響をたくさん受けている。 アフガニスタンやイラクをはじめとして、スーダンなどの内戦で苦しむ国々の子供達は、私の子ども時代のように、 現在苦しんでいる最中である。 こんなことを考えている今、鳥のさえずりが聞こえるだけで、空襲警報も聞こえず、爆音もしない。平和って、 本当にいい。本当に尊い。 ゆもと みちこ (2005/2/19) |