「STOP!憲法24条改悪」キャンペーン集会に参加して

11月4日(木)朝日新聞朝刊「憲法24条見直しNO!」という見出し記事で、
自民党の画策する24条見直しの動きに反対する全国ネットワークの発足集会が、翌日5日(金)にあることを知った。
12の女性団体のネットワーク「男女平等を憲法から消すな!STOP!憲法24条改悪キャンペーン」
http://blog.livedoor.jp/savearticle24/が 設立されたのは10月29日だったそうだ。

これは黙って見過ごせない問題。「戦中生まれの・・」会員のYさん・MさんなどにもTEL。
とりあえず行ける人が行くと言うことにした。
10日程前から同居している82歳の母を夜一人で置いておくのは、すこし気がかりだったが、
母に、「お母さんにとっても大切な憲法の24条をなくすわけにはいかないでしょ」とよく話して、
ドアを開けない、ガスにさわらないことを念を押し、犬の散歩、母の夕食を午後5時までに終わらせ、
午後6時半からの東京ウイメンズプラザでの集会に駆けつけた。

「ハナ金」の表参道は飲食店の看板が輝き、人混みだった。
ネットで打ち出した地図を頼りに会場に着くと、大勢の女性達が既に集まっていた。
7月に行われた「九条の会」の講演会が参加者の平均年齢がわたし(60歳)より遙かに上だったのに対して、
この会場には、わたしより下の人たちが半数以上いた。40代の女性が多かった。

受付で、賛同者署名を集めていた。所属団体では「ふぇみん」と書いている人が多かった。
私が「戦中生まれの女たちの『九条の会』」を名乗ると、受付の人は興味を示した。
「『九条の会』の講演会に行って、この問題は女性の問題と結びつけて考える必要があるとおもってこういう会を作ったのですが、
まさに自民党もこれを結びつけて改悪しようとしているんですね。悪い予感が当たったと言う感じで飛んできました。」と私は言った。

受付には、東京・神奈川・千葉・埼玉など各地の団体の呼びかけビラがあり、
千葉県憲法会議の「九条の会」に賛同者を募る署名の用紙もおいてあった。
ベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演会が11月8日(日)に千葉市文化センターホールであるという案内ビラを発見。
8日には母を連れて、81歳のベアテさんに会いに千葉に行こう。

この日、来日中のゴードンさんが都合で出席できず、メッセージが寄せられていた。
メッセージはみじかく簡潔な文の日本語訳だが、彼女の言葉は的を得ている。以下に紹介するが、
特に最後の「女性だけでなく子ども、障害者、弱者に対しての暴力が」
「戦争への道を開きます。」
という指摘は重要である。


ベアテ・シロタ・ゴードンさんからのメッセージ
"STOP!24条改悪キャンペーン キックオフ集会によせて"


最近第24条を変えたいという人たちが出てきたことは、非常に残念で恐ろしいことだと思います。
これまで第9条のことは言われてきましたが、第24条については言われてきませんでした。
24条はもうしっかり日本に根付いているので、これを変えようという声は出てこなかったのです。
日本の女性は、憲法ができてから、この57年の間に、24条によって社会で活躍するようになり、随分進歩しました。 色々な職業につくようになりました。
社会で活躍する女性を応援するために、 これからもこの24条を生かしていかなければならないのに、24条を変えようとするのは、全く逆の動きだと思います。 
24条ができるまで、女性は社会でも家庭でも抑圧されていました。
女性だけでなく子ども、障害者、弱者に対しての暴力が随分ありました。
そういう暴力は戦争への道を開きます。
そして第24条は逆に平和への道を開くのです。





会で配布された資料などは、先にあげたホームページ http://blog.livedoor.jp/savearticle24/で詳しく見ることが出来るが、
当日の模様を感想を交え、すこしお伝えしよう。

開会の挨拶は、ケガをして参加できなくなった三木睦子さんにかわって、清水澄子さんが行った。
三木さんのケガはどの程度なのだろう。 「九条の会」のメンバーとして、全国を講演してまわっている
高齢の”美しい”三木さんがはやくお元気になることを祈る。

清水さんの挨拶は簡にして要を得たもので、
今回の6月10日に発表された自民党憲法問題プロジェクトチームの「論点整理」と称する内容が、
1955年の岸信介を会長とする「憲法調査会」の案と同じで、
9条と24条との二つをセットで憲法改悪したいというものであることを指摘した。

「岸信介」以来、相手方は50年ものあいだ、ずっと同じ戦略を立てて、変わらず狙いすましていたのか。
それに対して私たちの側はすこし油断しすぎていたかと、暗澹たる思いを感じた。

会の進行順とは、前後するが、このことについては「リレートーク」で、 吉武輝子さんが、
その1955年の憲法改悪の動きを、市川房枝さんらが中心となった女性たちの大きな反対運動で潰して以来、
50年間、女性達の力で阻止してきたことを自身の体験からきっぱりと語った。
吉武さんは、13歳で敗戦を迎えるまでは時代が要求する女性像を生きざるを得なかったが、
戦後、「『わたし』を生きる」のだという思いで生きてきた。
それを保障した24条こそが、憲法の制定時も日本側が最大にもめたもの、
なぜなら、家庭の中の個人を認め、「家」制度を廃止したら、天皇を頂点とした国家体制が護持できなくなるから。
24条を廃止することは憲法から個人をなくすこと、
個人として反対されると9条が変えられないから、9条の前に24条を変えようとするのだ。
このことを男たちはきづかない。男達は9条を変えるのは反対するが、24条「改正」は賛成となる。
男性の護憲運動の限界だ、と、吉武さんの言葉は、小気味よく、かつ厳しかった。

お茶の水大教授の戒能民江さんは、24条のはたす価値に気づくことの重要性を指摘、
とくに若い女性達が気づくことを求めた。
今問題となっている「DV」の問題を解決する道も24条の「結婚は両性の合意」にある。
差別撤廃条約としっかり結びつけ、24条は「家父長制」の否定のみならず、
「夫権」を憲法上否定したととらえるべきだと語った。
「DVを生み出す支配の構造を否定する24条」と「国家としての暴力を否定する9条」を
一体のものととらえることを戒能さんも強調した。
これは、私たち女性はだれもが実感できることだろう。

会の進行順では、清水さんの挨拶の後は、基調報告。
中央大学教授(憲法・フランス法)の植野妙実子さんの、「24条改悪のねらいは?」が1時間あり、
法解釈上の問題もからめて、24条2項に的を絞っての解説があった。
2項を「方針」レベルに解釈するか、 13条14条の「個人の尊厳」規定と結びつけて、積極的な規定とあつかうか、
この二通りの憲法学者の解釈の間で、現在、後者の法解釈で、
DV問題も、結婚の自由(同性婚)の問題も積極的な解決に向かおうとしているときに、
逆行する方向で自民党が「家族の見直し」を出してきている。
憲法は、個人が国家に対して、個人の権利を突きつけるものであることは歴史的に証明されているのに、
自民党は「個人」を主張することを押さえ、「家族」の共同体と相互扶助を強調する。
いわば「道徳」を押しつけようとするもので、法には馴染まないものだ。

私のまとめだとこのようになってしまうが、なにしろ1時間にわたり、
複雑な法解釈を資料をみながら、耳で聞いているだけだったので、とてもまとめきれない。
植野さんの意見は、下記に紹介されている「週間金曜日」の記事でゆっくりまた読んでみたい。


今日発売の週刊金曜日でも24条特集
本日(2004/11/05)発売の週刊金曜日の憲法特集は
「忘れていませんか 24条の価値」として、24条改悪問題にフォーカス.
中里見博さん、植野妙実子さんのインタビューに、
「こんなこと、やってます」のコーナーでこのキャンペーンも紹介、充実してます.

http://www.kinyobi.co.jp/Recent/blurb



リレートークのあと、出て来たのはコント・ニュースペーパーのふたり。
小泉首相と石破前防衛庁長官役で登場。
うまい、というよりも、本物の実態を暴き出し、鬼気迫るものがあり、
「小泉首相」にむかって、参加者から真剣なヤジが飛ぶ。
演じているニュースペーパー本人が、演技をこえてたじろいでしまう程だった。

そのあと、いろいろな立場からの一言。
障害者の母。夫婦別姓を実施している人、
東京都の高校教員を今年退職した人。「暴力を選ばない男になる会」の若い男性など。

まとめとして、事務局からの行動提起。賛同者を10万人、100万人に広げたいと言う。
そのほか、9条や基本法等の他の運動との連携を求めることを強調。
多面的な運動形態を求め、特に撤廃条約25年の国際会議に向けて、働きかけることを表明した。

「フロアーから」では何人か語ったが、とりわけある若い女性が、キャンペーンアピール文の中の
「家族という形を維持するために、女性だけでなく、子ども、性的マイノリティ、障がい者などの人権も
抑圧されてきました。」の「子ども」の後に「とりわけ婚外子」と付け加えることを、
「婚外子」としての自身の立場から要求したことが印象的だった。
「嫡出でない子」の差別は、戦後、より強化されたという指摘は考えさせられた。

会場には定員を遙かに超えて、245人が参加したという。
9時の閉会時、辺りを見回したが、知っている顔はみえずで、 にぎやかな青山通りを一人で地下鉄まで急いだが、
今日、電話で話したら、Yさんもまた、急きょ駆けつけていたとのこと。会えなかったのが残念だった。
やはり、その場で高揚した気分のままに語り合いたかった。(11/6、12/9一部修正 文責;なみひさゆうこ)

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up date:11/2004 byゆうなみ