灯台、それは人里離れて辺境に海に向かって立ち静かに夜を待つ。なんか引き付けられるなぁ。昔は灯台守と共にドラマにもなりうる存在。今は無人となり、一部を除けば動物だけが寄り添うかのような存在。 もお新たに作られることはないだろうそんな灯台を訪ねてみたい。明治初期に作られた灯台は「江戸条約」で8基、その後の「大阪約定」で5基の設置が義務付けられたもので、当然のことながら「お雇い外国人」によって作られた洋式灯台。 設計はイギリス人技師R・H・ブラントンによるものが多い。また、戦時中は標的にされ被災したものも多いそうな。昨今、灯器もいろいろな物がでてきたようだが、灯台はやはり「フレネルレンズ」が回っていてほしいものだね。
灯台の区別には、レンズの大きさ(焦点距離)によるもの 第1等フレネルレンズから第6等フレネルレンズまで。保存灯台のランク分けによるもの AランクからDランクまで。 文化庁指定によるもの 重要文化財(重文) 登録有形文化財(登録) 史蹟、などがある。
明治期に設置され現存するのは64基その内23基がAランクに指定されている。ブラントンが設計に携わったものは俗に「ブラントン灯台」また、江戸条約で建てられた8基は「条約灯台」と呼ばれるそうな。Aランクの内の13基。
重文7|初点 明治4年(1871)4月|石造り|第3等大型フレネルレンズ|ブラントン灯台|大阪約定| 明石海峡を望む高台にあり、阪神淡路震災で損傷を受けるも生き残った。付近には野島断層の痕跡も残されている。
重文13|初点 明治5年(1872)1月|石造り|第3等小型フレネルレンズ|灯台50選|ブラントン灯台|大阪約定| この場所は江戸時代後期に海難防止のために僧「清虚」によって維持された「火焚場」の跡。 昔から重要な場所だってことだな。
初点 明治6年(1873)9月|石造り|灯台50選|条約灯台| ここは本州最南端の灯台、初代は明治3年に建てられた木造最初のブラントン灯台だが灯器が間に合わず仮点灯だったそうな、で3年後が初点。明治11年、石造りに建て替えられた。
重文4|初点 明治7年(1874)5月|レンガ造り|第3等大型フレネルレンズ|灯台50選|ブラントン灯台| 遠州灘に突き出た重要な場所にあるな。ここはもう観光灯台といっていい、万民に愛される灯台だ。
重文2|初点 明治7年(1874) 11月|レンガ造り|第1等フレネルレンズ|灯台50選|世界100選|ブラントン灯台| ここは付属施設も白で統一されており、全体のまとまりもいいね、ポストまで白い。灯塔は補強により20cm太くなったそうな。
重文10|初点 明治9年(1876)3月|石造り|第1等フレネルレンズ|灯台50選|ブラントン灯台| 島ではあるが、橋が架けられていてアクセスが楽、また、この橋も撮影スッポトとして人気があるな。無塗装の灯塔が特徴、無垢の石ってのもいいもんだ。
重文1|初点 明治9年(1876)10月|レンガ造り|第2等フレネルレンズ|灯台50選|ブラントン灯台| レンガ造りでは日本一の高さ、32.8m。立ち姿が美しいな。付近は「寒立馬」の生息地、馬との風景もいい。
初点 明治16年(1883)7月|石造り|第2等フレネルレンズ|灯台50選| 地元では通称「狼煙の灯台」と言うそうな。なぜかここの銘板には菊の紋章がついているそうな。また、「海から昇る朝日」と「海に沈む夕日」が見られるそうな。
重文8|初点 明治31年(1898)11月|石造り|灯台50選|世界100選| こちら元の名を地蔵崎と言い、昭和10年に改名したそうな。なぜか、ほかにある地名との差別化だそうな。周辺はよく整備されてるな。
重文6|初点 明治31年(1898)12月|石造り|第1等フレネルレンズ|灯台50選| 灯台は海抜148メートル、岬の山の中腹付近にあり、20分ほど山登りが必要。なんか、岬の山に抱かれてあるって感じ。
初点 明治32年(1899)4月|鉄造り|灯台50選|第1等フレネルレンズ|この灯台実にユニークな形だな、置物のランプを巨大にしたような、なんと一等フレネルレンズがまじかで観賞できるぞ。 しかも光度も到達距離も日本一。「重文」に指定されてないって、まさに 無冠の帝王だな。
重文9|初点 明治36年(1903)4月|石造り|第1等フレネルレンズ|灯台50選|世界100選| 灯身は日本一の43.65メートル、 設計、施工は日本人、ようやく技術をものにしたか、すばらしい。
重文3|初点 明治45年(1912)3月|コンクリート造り|第6等フレネルレンズ|灯台50選| 国内初の鉄筋コンクリート造り。この場所、今ではかなり内陸になちゃったって感じ。
史蹟3|初点 明治3年(1870)|条約灯台| 石造りでは最古のブラントン灯台だが、大規模な改修を受けているのでAランクを逃してBランク、しかも史蹟どまり、なんとも、おしいことをしたね。
灯台50選|第3等小型フレネルレンズ| 日本最北端、初代は明治18年鉄造八角形で建てられた道内で3番目に古い。その後建て替えられている。
灯台50選|第4等フレネルレンズ| 日本最東端、初代は道内最古、明治5年木造八角形で建てられたブラントン灯台、昭和5年現在のコンクリートに建て替えられる。
灯台50選|第3等フレネルレンズ| 初点は明治22年6月だが、戦争で被災、戦後再建された。比較的小ぶりな印象。
灯台50選|第3等大型フレネルレンズ| 初点は明治23年11月、こちらも戦後の再建、同じ宿命を背負ったか。
灯台50選|第3等大型フレネルレンズ| 初点は昭和7年7月、重要な位置と思われるが、太平洋側の尻屋崎が明治なのにこちらは昭和。
灯台50選|第3等大型フレネルレンズ| 初点は明治35年3月、本州最東端の灯台。アクセスは駐車場から山道1時間、チョットきつい。
灯台50選|第3等大型フレネルレンズ| 初点は明治31年11月、初代は六角形鉄造り、昭和26年黒白縞模様のコンクリートに改築。
灯台50選|第3等大型フレネルレンズ| 初点は明治32年12月、初代はレンガ石造り、地震損壊を受け昭和15年コンクリートに改築。
登録3|灯台50選|第2等フレネルレンズ|条約灯台| 初点は観音埼についで古い灯台だが、関東大震災で倒壊、大正14年八角形コンクリートで再建。
灯台50選|第4等フレネルレンズ|条約灯台| 日本で最初の洋式灯台、初点は明治2年1月1日、本来ならば当然Aランクだが、残念かな現在のは三代目。
登録4| 初点は大正8年、コンクリート造り、関東大震災、空襲で被災するも補修をうけ、持ちこたえてるので、登録。ここと劒埼を結ぶ線が東京湾と太平洋の境界線だそうな。
第2等フレネルレンズ|条約灯台| 初代は明治4年の石造りのブラントン灯台、関東大震災後、大正14年コンクリートで再建、フレネルレンズをよく観察できる。
登録35|灯台50選|第3等大型フレネルレンズ| ここは九州にある関埼灯台とは曰く因縁があるな。灯台を望むモニュメントが設置されている所からみるのがおすすめかな。
登録36| 明治34年に設置されるも、第3等フレネルレンズは大正7年に対岸にできた佐田岬灯台の方に持ってかれたとある、だけどこちらはBランク、灯台史のドラマだねえ。
初点 明治30年(1897)3月|Bランク| 天竜川河口に設置、上部鉄、下部コンクリート造り、静岡県内では3番目に古い。その後現在地に移設されている。
初点 明治25年(1892)1月|Ⅽランク| 石狩川河口に設置、初代は六角形木造り、明治41年鉄造りに改築、現存する道内最古。その後現在地に移設されている。
立石埼は初の日本人による設計、施工だそうな。ブラントンの影響は顕著にみられる。 余部埼は灯火までの標高日本一の284メートル。ちなみに、都井岬は、256メートル。
なんとも灯台らしからぬ形だなあ、メルヘンチック、デザイン灯台と言うそうな。1937年日本一(平均海面から灯頂部まで)の高さで建設、 1951年に余部埼にその座を奪われる。2001年改修により再び日本一、290メートル、その差89センチを勝ち取る。 それにしても、よくもモッタもんだねぇー。日本海を望む展望台もある。
灯台と言うよりなんかモニュメントって感じ、ベンチも鐘も鳥居までもある。フォトジェニックだねぇ。灯台は、もはや船舶だけのためではないということか。
明治3年フランス人ヴェルニー設計で建てられるも関東大震災で倒壊、大正15年コンクリートで再建。また、灯塔に絵が描かれているのは珍しい。
やたらとハートマークを見かけることが増えてきたようにおもうな。灯台はハートフルな存在になったてことか。ここでは水仙の群落がみられる、水仙と言えば越前岬も有名だな。
旧福浦灯台は明治3年民間人により建てられた木造では日本で一番古い。