森の付く神社は都内に数か所残されている。俗に江戸の三森と称されるは柳森、椙森、烏森だ。この森とは古来より 鎮守の森として、お社を守り俗の中にあって聖域としての結界をあらわすものとして守り伝えられてきたもの、 と吾輩はおもうぞ。神社そのものを表すもとして森が付くものが多いのも自然なことかな。今ではすっかり森が失われてしまったのは残念な限りだが、都市化された地域では仕方がないこととして甘んじて受け入れているのは人の都合と欲のせいか。 いずれにしろ神社が失われることもなく残されているのはそれだけ民衆に支持されているということだな。
秋葉原に近い神田川沿いに、こじんまりと佇むお社。なんともいやな表現だけど鉄のフェンスで囲われているのは庶民の神社にはふさわしくないな、これも世相のせいなのか。柳つながりといえば江戸期には 付近に古着屋が建ち並び賑わっていた柳原の土手があったとあるね。鳥居を潜って一段下がった境内の右手には、かつてあったとされる富士塚の一部が残されている。狭い境内を左に折れると本殿がある。両脇に狐があることから稲荷社であることがわかるね。 途中右側には各摂社が並んでいてそれぞれに眷属が違っているのもおもしろいね。またここには将軍綱吉の生母桂昌院にまつわるタヌキを眷属とする福寿院祠もある。他には龍や狛犬もありとなかなか賑やかで、このゴチャゴチャ感もまたいiね。 眷属とは簡単に言うと神様のお使い。ここには実に多様な眷属がいるなぁ。
一般に狛犬と呼ばれているが正式には獅子狛犬で、右が阿形の獅子、左が吽形の狛犬とされているそうな。狛犬は想像上のもので頭に角があるとされるがこの角が残されてるものはまずない。ルーツはと言うと中国から伝えられ 宮中や神社の室内にあって御簾などの重石として使われていたものがその後外に出されて、神社等を守るように置かれるようになったとある。古くは安土桃山時代とされているようだが、神社を守護するものとして 多くは江戸時代に作られるようになったようで、はじめのころは技術的にも稚拙なものが多く、またそれ故に魅力があり、マニアの間では特に「はじめ狛犬」として人気があるそうな。
う~んじつにいい、形といい、表情といい静かに森閑とした境内に生息している、捨て置かれている感じがなおいいね。これはもう狛犬界の国宝といってもいいと吾輩は思うね。
富士塚とは、江戸時代富士山信仰が盛んになり、たくさんの講が作られたそうな。しかし誰もが簡単に参加出来る訳もなく参拝できない人たちのために富士山の溶岩などで擬似の富士山が作られたとあるね。 都内で現在でも登ることのできるものは数か所あるが多くは立ち入ることができないのは残念。登頂できるのは、都内最古とされる鳩の森神社、富ケ岡八幡、千住氷川神社、護国神社などかな。
ここも柳森と同じで鳥居をくぐって左に本殿がある、どこも敷地が限られているみたいで鳥居の位置には苦労しているみたいだ。神社というと朱色が普通だがここのお社はなんと白、 はじめちょっと違和感を感じたのは吾輩だけだろうか、社殿は震災後にコンクリートに造り替えられたとあるね。できれば宮造りの木製であってほしいものだが。祭神は稲荷神と恵比寿神となっており、毎年10月には「べったら市」が 周辺で開催されて賑わうね。また日本橋七福神の恵比寿に数えられている。ここは稲荷神をお祭りしているのに「お狐様」を見かけないのはなぜかな。ここには富突き興行が開催されたいきさつから日本唯一を謳った富塚がある。
富突きは寺社の普請が主な目的で各所で行われ、やはり庶民に人気があったようだ。その熱狂ぶりは落語の中でもおおいに語られているね。しかし当然といえば当然で過熱気味になりがちで、時に禁止されたりもしたらしい 、射幸心は人の性いつの世もかわらないなぁ。興行には許可が必要で、中でも谷中の感王寺、湯島天満宮、目黒不動の瀧泉寺、は特に幕府官許の御免くじとして「江戸の三富」に数えられ庶民で賑わったらしい。
現在は天王寺としてかつては敷地であった谷中霊園の奥にひっそりとあるね。境内は訪れる人も少なく静か、入ってすぐの所に元禄のころに作られた大仏が鎮座しているね。これは珍しい、沙羅双樹の木があったよ。 富突きがおこなわれていた過去を忍ものはないな。
富突きで賑わったであろう日々は遠い昔のこと、境内には富くじに関するものは見受けられない。「富くじ」に代わって「宝くじ」で人を集めようなどとは考えずとも、絵馬を見る限り「学問」で勝負できているってことか。 先日訪れた時にはお礼参りしよう、だるまに目を入れようと、くりかえしスピーカーから流れてきていたな。
ここは江戸時代には「朱引き」の外で本来ならば江戸ではなかったはず、だが特に「墨引き」に含め町奉行の支配下としたとあるね。それだけ賑わっていたと言うことだね。日本三不動、江戸五色不動にも数えられ広い境内には見るべきものもおおいね。 ここも、かつて「富くじ」で大いに賑わったことを想起させるものは説明板をおいてないな。
正式には瀧泉寺と言うそうな、不動明王はともかく、「役の行者」もまつられているね。垢離場に使われていた枯れたことのないと言われている「独鈷の滝」に「水かけ不動」、なんか「本居長世」「北一輝」の名前もみかけたな。
ここはもう繁華街の真ん中、参道の横は飲み屋が立ち並び周りを飲食店に取り囲まれ、店と間違われないか心配になるくらい。神社の雰囲気はあまり感じられないな。すぐそばは新橋駅、こおも劇的に周囲の環境が変わろうとは、 森などが残されるはずはないわね。社殿はというとこれはもう「アーキテクチュァー」と呼んだほうがいいね。俗の只中にあって移転もせず環境の変化に順応し続けていることはすごいことだね。稲荷社は庶民の生活に近い所にあるもの、むしろふさわしいと言うべきかな。
三森以外で森の表記がある神社は他に鳩森、初音森、竹森、嬉乃森などがあるね。
同じ鳥の字が使われているのも面白い。敷地も広いし大げさに言って森の中に鎮座しているみたいだ。歴史もあり都内屈指の富士塚も残されてるし、ここがどおして三森に 数えられなかったかなって思ってしまう。都市化の中で敷地が削られていくことはあっても広げられていったとは考えにくい、多分、当時ここは江戸にあらずってことかな。
ここの富士塚は登頂の道順も示されていて楽しい、ここを訪れた大体の人は登るみたいだね。隣に将棋会館があるからなのか「将棋堂」なるものもあるなぁ。それにここはなんといっても他と比べると圧倒的に緑がおおいね、小さいけど竹林もあるしね。
じつにいい響きだね、これも鳥にかかわりありか。ここはちょと複雑、御由緒によると「いきさつ」があって二か所に存在していること。名前の由来は元の場所でビルの中、かろうじて神社の風情を残すのは遷座した場所。 本社は民家の庭の中にあるって感じで遷座した墨田区、儀式殿はビルの装飾のような感じで中央区にある、さあ、どうする。
こちらは柳森、椙森も入れれば樹木つながりといったところか。竹の二~三本もあってほしいところだが、龍間橋公園の端にこじんまりと収まっているって感じ。お狐様が金網でしっかりガードされているのは、なんかねぇ~。
なんとも幸せな気分にさせてくれる名称だね。小さい、狭い、一般に稲荷は小規模なところが多いがそれにしてもって感じ、それに比べると石造りの鳥居は立派。鳥居をくぐって一歩で拝殿。