江戸六地蔵

一般に江戸の六地蔵とは、江戸の中期、深川の僧、地蔵坊正元の発願により江戸の六つの街道の出入口に設置された銅製の地蔵菩薩像を指すと言う。なぜ地蔵なのか、自らを地蔵と名乗っていたからか。どうも、病気平癒に感謝してらしい。 そもそも地蔵とは、サンスクリッド語の漢訳で地蔵の字をあてたらしい。庶民にはすごく身近な仏様で「子安地蔵」、「身代わり地蔵」等、姿を変えて存在し、 特に子供とのつながりが深いようで、昔話にも多く登場してるみたい。また、野外におかれることが多いようでほとんどが石造、かたく丈夫なのだ。


品川寺

一番最初に東海道の第一の宿場品川宿に1708年に据えられた。ここは1300年の歴史があり品川の地名の由来となった、区最古の寺だそうな。唯一笠がないのは関東大震災で破損したとのこと、苦難にあっても、崩れることもなく鎮座し続けているのは おもわず手を合わせたくなるね。高さ、275センチメートルで一番大きい。

東禅寺

二番目は奥州街道沿いの浅草に、1710年に造立。この寺、かつては街道脇にあったが移転を余儀なくされたとかで、今では脇道に面して、なんか地蔵が窮屈そうに鎮座してるね。高さ、271センチメートル。

太宗寺

三番目は甲州街道の内藤新宿に1712年に造立。高さ、267センチメートル。この地蔵の傘は小さいな。この寺には、ほかに塩に埋まった、「塩かけ地蔵」もおわします。他に、閻魔像、奪衣婆像でも有名。

真性寺

四番目は中仙道の板橋宿手前の巣鴨に1714年に造立。高さ、268センチメートル。こちらには近くに、後から来た「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺が存在してるね、今ではすっかりお株を奪われたかたちだが

霊巌寺

五番目は水戸街道の深川に1717年に造立。高さ、273センチメートル。こちらの寺は名前の由来となったかなと思わせる「霊岸島」から移転してきたとある。また、松平定信の墓があることでも知られているね

永代寺

六番目に千葉街道沿いに1720年に据えられたが、明治期の、あの廃仏毀釈騒ぎにより、残されていない。残された写真を見ると、独特な傘といい、表情といい、実に惜しいな。寺は廃寺となったが塔頭の一つが名称を引継ぎ存在している。 跡地の一部は公園や深川不動となった。

浄名院

青銅の地蔵建立は1906年、ちょっと小ぶりだな。ここは、もはや名前を変えてもいいかな、「院」でも「寺」でも名前は地蔵がふさわしい、他にあるなら「大」でも「本」でもつければいい。ならば、かなり旧街道からは、 はずれてはいるが不運な運命をたどった六番目の代仏としては、まあ納得できるかな。


六地蔵

お寺に行くとお地蔵さんが並んでたてられているのをよく見かけるね。どうやら、人は死後六道の世界に振り分けられるらしい。釈迦入滅後弥勒菩薩が出現するまでの間、その六道で苦しむ衆生を、 それぞれに合わせ姿を変えて現れ、救済してくれるという、ありがたい菩薩様。

     
        
      

お地蔵さん

庶民のさまざまな「願い」を聞いてくれ、常に身近にいてくれるお地蔵さん。「身代わり」とはいえ叩かれ、削られ、縛られ、水をかけられるのはまだしも、塩をかけられる、無体をいとわず泰然と立ち続けるそのお姿、 実に尊いな。庶民は親しみを込めて名前を付けたがるもの、呼び名も実に多種多彩、でもなんと呼ばれようと地蔵は地蔵。

浅草寺の「カンカン地蔵」これは、もはや石造モニュメントに変身しちゃってるね。南蔵院の「しばられ地蔵」夏はさぞかし大変だろうなと同情を誘うな。太宗寺の「塩かけ地蔵」これはもはや、塩漬け状態、塩が固まって岩塩とかしてるね。 祝言寺の「鍋被り地蔵」鍋を被るって、どおゆうことかな、我々にはヘルメットがあるけど。「へちま地蔵」へちまには薬功があるってことはよく知られてるね。へちまを直接拝むってのはやはりへんか、で地蔵の出番。

カンカン地蔵
しばられ地蔵
水かけ地蔵
塩かけ地蔵
鍋被り地蔵
へちま地蔵

浄名院の「閻魔地蔵」閻魔が地蔵ってことは閻魔にも慈愛はあるってことか。光福寺の「ゆうれい地蔵」地蔵は幽霊にも変身できるってこと。かつての浅茅ヶ原にある「お化け地蔵」とにかくでかいな。地蔵は変幻自在。「首切り地蔵」べつに地蔵が首を切るわけではない、 正式には延命地蔵、ご安心を。安養院の「カンカン地蔵」は気の毒と言おうか、ちょっとブキミ。

  
閻魔地蔵
 
ゆうれい地蔵
 
おばけ地蔵
 
首切り地蔵
 
カンカン地蔵

  まだまだ、あるある、その呼称。いろいろと着せてもらえるのは地蔵だけの特権のようだな。

    
お化粧地蔵
  
加頭地蔵
  
おやす地蔵
  
旭地蔵
  
わらべ地蔵