浅草界隈ぶうらぶら

今日は浅草寺界隈をぶらっとしますか。浅草寺と言えばやっぱ雷門だわな、いつ来ても人だかり、賑わってるね。正門と言うだけでなく今や浅草の象徴と言ってもいいね。さて、巨大な赤ちょうちん前から出発するとしますか。

 

雷門通りを東に向くと、左手に天ぷらの三定があるね。うん、天ぷらの匂いがしてきたぞ、天婦羅の店頭売りか。えびが描かれた看板には「日本最古の天ぷら老舗の店」と、さりげなく書かれているね。創業天保8年、まあ、強調したくもなるわな。

鼻をひとなめ、ぶらぶら行くと、左、観音通りに満留賀、雷門通りに尾張屋、尻突きあわせて蕎麦屋があるのも愛嬌ってもんよ。う~ん天ぷらそばが食いたくなってきた。


 

その先、神谷バーの看板が目に入ってくる。浅草に残された数少ない戦前からのコンクリート造りのビル。ここは「電気ブラン」があまりにも有名だね、入口脇のショーウインドーを見ると食事もできるみたい、いちど試してみたいね。


 

吾妻橋西詰の交差点に出るとアサヒビールの例のビルとスカイツリーが見える。左に曲がると東武浅草駅のある松屋、エキミセ。その手前に地下街への入口があるな。

ここは今では最古の地下商店街になったそうだ。狭い階段を降りると中は少し薄暗いし、水が滴り落ちてくる場所もありで、さすがに古さだけが目立ってるね。古き昭和の風景と言おうか、 営業中の店も少なく、さすがに寂しさを感じるね。

地下を出るとそこは新仲見世通り、ここはアーケードになっているね。今度は西に向かってプラプラ行くと食い物屋が、やたらと目につくのはうれしい限りだ。


 

観音通りを左に曲がると中華そばの田中そば店、そう言えばこの界隈にはラーメンの専門店はまだ少ないな。右に曲がると古風な造りの店、にょろ助東南屋、ここは鰻か泥鰌か。


 

観音通りを越えた先、左手にやけに大きく今半本店の文字、今半と言えばやはりすき焼きか。その前の路地を入ると奥に「まさる」のちょうちん、ここは天丼で勝負してる。 しかし本当に奥まったところだな。

観音通りと伝法院通りが交差する角にあるのが洋食の大宮。ここでオムライスってのもありか。仲見世通り手前の細い道沿いにもいろいろと店ができてきた。 そんな中に今半別館があるね。こちらはちょっと料亭風な趣、すき焼きはこっちで食べたほうがうまそうだな。


 

三社様と観音様に挨拶をして奥山へ。その奥に最古の遊園地「花やしき」があるね。依然として存在し続けているのは立派。ひさご通り入口すぐにあるのがラーメンのメンマル。350円は確かに安い。


 

今度は 奥山まいりをぶらつくと、ここに残っているのが大衆演劇の木馬館。かつて奥山が賑わっていた頃の生き残りといってもいい存在だな。近年周りにはホテルや大型の商業施設が目立ってきたな。

左に曲がると通称ホッピー通り、昼間から賑わってる所。呼び込みをかわしながらブラブラ行くと五差路に出くわす。そこを右に入ると「うまくて申し訳ないす」の洋食のヨシカミ、 なにも謝ることはないわな。ここはビーフシチューか。


 

ヨシカミから一つ西の通りが浅草六区ブロードウェイ、大正、昭和初期に隆盛を極めた一大歓楽街だった所。娯楽の王様だった映画館は見かげなくなり東洋館と浅草演芸ホール、ロック座が残るくらいか、昔日の感ありだね。


 

寿司屋通りを抜けて雷門通りを左に曲がると、鳥よし、ここは親子丼を食べたい。隣が看板の目立つモンブラン、喫茶店みたいな名前だが、肉系のレストランだな。ここも混んでるね。

オレンジ通りを左に行くと右手に、「芋きん」の満願堂と「大学芋」の興伸が隣合わせであるよ。新仲見世通りとの角が舟和、ここはあえて「いもようかん」にしよう。


 

さらにその先、浅草公会堂、有名人の手形が道に埋め込んである。足形って訳にはいかなかったか。その向い、奥に入ったところが天婦羅の仲清、ここはちょっと入りにくいな。


 

伝法院通りを右に、公会堂と並んで天婦羅の大黒屋、ここの天丼は名に恥じぬぐらい黒い。大黒屋を右に曲がってブラブラ、左手に餃子の王さま、町中華屋みたいだが名前にするぐらいだから期待できるか。

最近この辺りには、もんじゃ屋が目立って増えてきたな。もんじゃと言えば月島が有名だが、そのうちに浅草になるかも。もんじゃと言えば学校帰りにソースだけのやつを薄いせんべいにして食べたのを 思いだすなぁ。雷門通りを左に曲がる、雷おこしの常盤堂の前を通り雷門に帰ってきた。