書記

平成18年10月分現在

気まぐれで更新される管理人の独言。
最近やけに更新頻度が減り気味……



平成18年10月29日(日)  第3回香里音楽フェスティバル
私の地元である香里園にて、「第3回香里音楽フェスティバル」が開催されました。いつものように、大学の友人N氏と聴いて回りました。友人マキハラ氏も来たがっていたのですが、仕事の都合で今回は辞退なされました。ちなみに、本当は前日(28日)も行われていたのですが、仕事の都合で足を運べませんでした。

私の地元であるので、京阪香里園駅まで友人N氏を迎えにいき、各会場を案内する形に。合流場所の駅前でも、屋外ライブがやっていたのでそこでちょっと演奏を聴いて、商店街の中をブラッと回ってみました。しばらく回って、北小学校体育館へ入ると、オリジナルハードジャズオーケストラによるビックバンドジャズコンサートがやってました。しばらく聴いていると、当掲示板でも度々その名が登場する、前重英美さんが途中からゲストとして参加。更にその後は、クラリネット奏者の滝川雅弘氏もゲストとして参加して盛り上がってました。

演奏後、会場を出て再度屋外ライブ会場を巡り、駅前の喫茶店で休憩しながら今日の演奏について語りあってました。余談ですが、来月初旬には、大学の学祭で後輩らがステージで演奏します。我々二人は後輩の演奏を聴きに今度は奈良へ行く事になります。卒業後はもう行く事ないわ……と思ってたりしながら、毎年学祭の時だけ足を運んでいる自分たちがいるんですねえ。今年の学祭楽しみです。



平成18年10月25日(水)  駅前騒動
今日は大した話ではありませんが暇の潰し(?)に書いてみます。
少々、(管理人にとっては)グロテスクな発言がありますので、心のピュアさを自負する御方(?)は閲覧なさらないようお気をつけ下さい。

本日夕方、何気なく電車で最寄駅まで仕事から帰ってきて、改札を出ようとした時の事です。改札の中央部辺りに人だかりが出来てました。ふと見てみると、その中心に居るのが、男性の駅員一名と、中年男性一名です。一体何なんだろうかと思い、改札を出て人ごみの隙間から見てみようとしたその時、改札の機械の陰からしゅっと小さい物体が走り抜けたのです!よく見ると、その正体は(タヌキ)……だったと思います。遠くから見てっぽく見えただけであまり自信がないので、ココでは狸的な生き物、いわゆる狸的生物と表現させていただきます。

その狸的生物が走り去った後、人だかりの中心にいた2人に目をやると、中年男性は片腕を押さえており、しかも足取りがかなり遅い。さっと足元を見ると、床になんと血痕のようなモノが……。管理人の推測ですが、この中年男性は何らかの事情でこの狸的生物に噛みつかれてケガを負わされたのではないか、と思います。中年男性は駅員に支えられながら、改札の向いの駅長室に入室していきました。
この後、ケガをした男性も狸的生物もどうなったのかは知る由もありませんが、管理人が最寄駅で遭遇した、ちょっとした騒動(?)でありました。



平成18年10月23日(月)  ライブ
ことの発端は、一昨日に古巣の友人koroheru氏から連絡が来た事に起因します。『明日(23日)ライブあるんやがいかへんか』と。コチラは構わないのですが、仕事があるのでどうしても遅れてしまうのです。それでもいいから来ないかと言われたので、聴きに行く事にしました。
ちなみにkoroheru氏が所属するバンドではありません。悲しい事に事実上休業状態らしいのです……

よくよく聞くと、私とkoroheru氏と同じ高校の同期のヤスイ氏(koroheru氏により表記許可済)が所属するバンド『SOUNDS GREAT』のライブが大阪福島にあるライブハウス「2nd Line」という所で行われたのです。ただ、彼等のバンドだけではなく、合わせて6つのバンドが出演されてました。

私は仕事終了後、猛ダッシュで向ったものの、到着時にはヤスイ氏のバンド演奏は終盤に差し掛かっていたのです……(泣)。全て聴く事は叶いませんでしたが、とりあえず、間に合って良かった良かった。会場にはkoroheru氏と同じ職場で働くS氏もいて、演奏を聴きながら互いに挨拶と自己紹介。
その後、演奏を終えたヤスイ氏を交えて4名でしばし談笑してました。
余談ですが、ヤスイ氏は私の事を旧ハンドルネーム(HN)の“TRD”と呼びます。ヤスイ氏、こんな場で申しわけないですが、不肖管理人、HNをTRD→播磨小路と変えていますので、御理解下さい。

ライブ終了後、私とkoroheru氏とS氏の3人でライブハウス近くのたこ焼きがメインの飲み屋でしばし雑談。久しぶりにライブ演奏を聴きに行って満足でした。



平成18年10月16日(月)  献血カード
夕方に友人N氏から送られたメールで判明したのですが、どうやら献血手帳から献血カードに変わったらしいのです。後日、当人からカードを見せてもらいました。大きさは献血手帳とさほど変わりません。デザインも大きく変化はありません。どういう経緯でこうなったのかは知りませんが、献血の世界でもIC化は進んでいる様子です。

管理人は次回献血予定日は来月中旬(一年間の献血可能回数は決まっているので)なので、もうしばらくお目にかかる事はできません。お楽しみはそれまでお預けということにしときましょ。



平成18年10月8日(日)  奈良“小”観光 奈良編
先日の、橿原ミニ観光をしたことで調子にのった(?)管理人は、遂に奈良県の中枢(奈良市内のことを指している)に足を踏み入れることを決意、いつものように、大学の友人N氏と奈良市を巡りました。観光地はその訪問順に下記に記す。

  • 開化天皇陵 ――陵名は春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)といい、第8代孝元天皇第二子で第9代開化天皇の陵墓とされる。同天皇は、その名を『古事記』に若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと)、『日本書紀』に稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおひひのみこと)とある。欠史八代(系譜のみが記され事績が記されていない8人の天皇のこと)のうちの一人とされ、天皇の事績については殆ど伝えられていない。


  • 猿沢池 ――奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺が行う「放生会(ほうじょうえ)」(万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式)の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工の池。
    猿沢池には七不思議が存在し、『澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分』の言い伝えがある。


  • 元興寺 ――奈良市にある、南都七大寺の一つ。蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身。法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となったが、飛鳥の法興寺も元の場所に残り、今日の飛鳥寺となっている。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退し、現在は「奈良市中院町」・「奈良市芝新屋町」に所在する2つの寺院に分かれている。
    前者の方は、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。


  • 興福寺 ――藤原氏祖の藤原鎌足夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)が夫の病気平癒を願い、天智天皇8年(669年)山背国(山城国)山階(京都市山科区)に創建した山階寺が起源。その後、藤原京へ移り厩坂寺(うまやさかでら)となり、和銅3年(710)に平城京・左京に移り「興福寺」となる。南都六宗の一つで法相宗の大本山。藤原鎌足とその子・不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺。平安時代には春日社の実権を持ち、大和国(現・奈良県)一国の荘園の殆どを領して事実上の同国国主となった。その勢力の強大さは、比叡山延暦寺と共に南都北嶺(なんとほくれい)と呼ばれた。
    古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。


  • 春日大社 ――旧称春日神社。全国にある春日神社の総本社。本殿向って右(東)から、第一殿・武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿・経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿・天児屋根命(アメノコヤネのミコト)、第四殿・比売神(ヒメガミ)の四柱が祀られている。四神をもって藤原氏の氏神とされ、春日神と総称される。武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされている。多くの鹿がいるのもこれが遠因であろうと思われる。
    古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。


  • 東大寺 ――華厳宗大本山の寺院。奈良時代(8世紀)に第45代聖武天皇が国力を尽くして整備した寺。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とする。「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいう。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで貴賎を問わず広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院である。
    古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。


  • 聖武天皇陵 ――陵名は佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)といい、第45代聖武天皇の陵墓とされる。同天皇は、名を首(おびと)といい、諡(おくりな)は天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしひらきとよさくらひこのすめらみこと)。第42代文武天皇の第一皇子で母は藤原不比等の娘・宮子。皇后は不比等の娘・光明皇后で、宮子の異母妹にあたる。奈良東大寺の建立、諸国に国分寺・国分尼寺の建立の詔を発令したことで知られる。


  • 光明皇后陵 ――陵名は佐保山東陵(さほやまのひがしのみささぎ)という。藤原不比等の娘で聖武天皇皇后となった光明皇后の陵墓。 安宿媛(あすかべひめ)、光明子(こうみょうし)ともいう。皇族以外で初めて皇后位に就いた人物で、以後藤原氏の子女が皇后になる先例となった。



  • 最後の訪問地終了直後、N氏の携帯が鳴りました。N氏が携帯を渡してくるので管理人が出てみると、何と大学の友人のI氏(HN未確定)。今晩皆で飯行こうとの誘いでした。I氏と話するのは大学卒業以来かもしれないです。ちなみにメンバーは、私とN氏、I氏、H氏の4名。H氏(HN未確定)は、今年の5月3日の「第8回高槻ジャズストリート」を聴きに行った際、偶然高槻で遭遇した、同じく大学の友人です。管理人とN氏はその誘いを承諾。N氏と共にそのまま大阪への帰路へ着き、梅田のHEP FIVEの前で待合せ。しばらくするとH氏が登場、言い出しっぺのI氏は集合時間ギリギリの最後に来て、全員から攻撃(?)されてました。その後4人で梅田界隈の飲み屋を2軒はしごしながら、久々の再会で雑談を交わしました。
    久々に充実した一日でした〜



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