書記

平成19年3月期分

ここ一月はトラブルに遭遇でしたが、何とか開設三周年を迎えました。
今後もちまちま続ける所存です。



平成19年3月27日(火)  能登地震
仕事場に到着すると、いつもと異なる雰囲気が。周囲の人が何やらざわついているのです。よくよく聞くと、地震があったとか。……不肖管理人、全く気付きもしませんでした。後ほどニュースで見てみると能登で大地震があったんだとわかりました。しかし、離れた大阪の地までその地震の余波がきたなんて、そんなすごい大地震があったとは思いもしませんでした。

思い出してみると、地震があった時間は、私は仕事場へ向かって歩いている最中。小さな揺れの場合、歩いていたら気付かないこともあるとどこかで聞いたことがあるので、判らなかったのはそのせいかもしれません。また、私の仕事場はビルの6階にあって、小さい震度でも上階ほどゆれが大きくなるらしいので、私より先に現場に居た他の方はビックリしたんではないか…と推測。

地震に(ある意味)遭遇しなかった私は幸運というべきなんでしょうか…。災難を被った現地の方々、一日も早い復興が叶いますよう、お祈り申し上げます。



平成19年3月25日(日)  祝!開設三周年!
本日も多忙な合間を割いて当所への御訪問いただき、まことにありがとうございます。

私事ではございますが、ここ最近は色々とトラブルがあったりしましたが、何とか無事に開設三年目を迎えることができました。これもひとえに皆々様の厚い御愛顧による賜物であります。
このような場で失礼も承知ではございますが、改めて感謝の意を表したいと思います。

今後とも頑張って運営していきますので、今季以降も昨年時と同様、重ねて御声援を何卒宜しくお願い申し上げます。



平成19年3月21日(祝)  モノレール彩都線
前日、久々に大学の友人がるさりす氏から、京都観光の誘いがありました。…が、管理人は仕事があったので泣く泣く辞退しました。
仕事帰り、友人N氏と、最近開通した大阪モノレール彩都線を一度乗りに行こうかとの話があったので、ちょっと乗りに行ってみました。因みにN氏は今日がるさりす氏と京都観光をし、その観光帰りにちょっとモノレール、となっていたようです。

本来なら淀屋橋駅から京阪線に乗り、更に門真市からモノレールに乗換る予定でしたが、久々に金券ショップに寄り道したいがためにちょっと梅田に寄りました。そこから地下鉄に乗ろうとした道中、突如向かいから私を呼ぶ声が。よく見ると大学のサークルの同期Yさん(と同僚一名)がいました。Yさんと会うのは恐らく大学卒業以来であり、梅田道中で会うとは思ってもなかったのでビックリしました。

しばし互いの近況報告を兼ねた雑談を交わし、またの再会を約束して別れ、私は地下鉄→京阪→モノレールと乗換、途中で観光帰りのN氏と遭遇。そして話に出ていた万博記念公園駅から彩都線に乗換て終点彩都西駅まで行ってみました。ただ、訪問時は夜だったため、周囲の景観がよくわからず、結論として、どうやら訪れた時間を失敗したようです。しばらく居た後、そのまま雑談を交わしながら互いに帰路につきました。

モノレール彩都線は、彩都西駅から更に延伸予定があるので、それが開通したらまた、今度は日の上がっている時間帯に見物に行こうかと思います。



平成19年3月13日(火)  滋賀小旅行 琵琶湖一周編
小旅行と題して、大学の友人N氏とアチコチ観光に回っている昨今、今回は琵琶湖一周を決行しました。大阪と比べると、滋賀は春とはいえまだまだ寒うございましたわ…

JRが発売している「青春18切符」を利用してJR京橋駅から大阪→京都→山科と乗換、琵琶湖を反時計回りで一周しました。観光仲間(?)の我々のことです、ただ一周するだけではありません。同切符は途中下車が可能(特急料金必要な車両は乗車不可ですが)なので、滋賀の名所を(気分で)寄り道してみました。

……とはいうものの、かなりの時間を要するので、今回は途中下車して散策する場所を安土・彦根に限定しました。本当は更に長浜も検討していたのですが、安土・彦根でかなり時間を費やしてしまったので、今回は泣く泣く見送りとしてまた次回に持ち越しとしました。

お昼前に安土駅に到着。我々の目指す場所はただ一つ―――、兵どもが夢の跡…といいますか、かの織田信長公が築いた安土城跡であります。安土山という山の麓のせいか、到着時に少々小雨が降っていました。しかし、そこは我々の晴れ男パワー(?)のお蔭で大荒れにはなりませんでしたけど。


  • 安土城跡 ――天正四年(1576)織田信長が天下統一を前に、重臣丹羽長秀を総普請奉行とし、標高199mの安土山に築城させた平山城。日本初の天守閣をもつ城。
    天正十年(1582)、信長が家臣明智光秀の謀反により京都本能寺で自刃(本能寺の変)、混乱の中で同城は天主など焼失、一夜のうちに落城となった。原因は、織田信雄が誤って焼失させた説や敗走する光秀軍の放火説などがあるが、詳細は不明。


  • ハ見寺(そうけんじ) ――臨済宗妙心寺派。
    天正四年(1576)安土城築城の際、織田信長が他所より移築、同城本丸の西方に自らの菩提寺にしたとされる。安土城炎上の際も焼け残ったものの、1854(安政元)年の火災によりそのほとんど焼失。その後、大手門近くの伝徳川家康邸跡に仮本堂が建立され現在に至る。


  • 彦根城 ――譜代大名筆頭格、彦根藩三十五万石井伊家の居城。
    明治初期の廃城令で多くの城が破却される中、失われずに現存する数少ない城の一つ。国宝。
    彦根藩は徳川四天王の一人である、初代藩主井伊直政に始まり14代藩主直憲まで約260年続く。その間国替えや城攻めに遭うことなく今日に至る。


  • 玄宮園(げんきゅうえん) ――彦根城の北東にある大名庭園。
    彦根藩第4代藩主井伊直興が延宝五年(1677)に造営。近江八景を模して作られたそうです。



  • 因みに、今月21日より「彦根城築城400年祭」が開催されます。同祭のイメージキャラクターは赤備えの兜をかぶった白猫“ひこにゃん”。赤い兜は井伊家由来の赤備え、猫は江戸の豪徳寺にて、彦根藩第二代藩主井伊直孝を手招きして雷雨から救ったとされる猫の伝説(招き猫発祥伝説とされる)があり、その話を基にして作成されたそうです。


    管理人達、正直訪問時期が一週間早かったようです。しまった…



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