平成18年3月15日(水) 京都 |
![]() 駅から今出川通を東へ歩き、最初に目に入るのはやはり旧帝大こと京都大学。大学受験の際、センター試験の受験会場が同大学でしたね。もう今後来る事はないだろうと、観光ついでに記念撮影。正門へ行こうと一筋南の東一条通へ。周囲には制服を着た受験生らしき人影もチラチラ見られました。ちょっと受験時代が懐かしいですわ…… ![]() ![]() 余談ですが、吉田家の本姓は卜部(うらべ)といい、兼好法師こと吉田兼好(卜部兼良(うらべかねよし))は同神社の神官の出、また、東照大権現の称号を受けて神となった徳川家康ですが、これには唯一神道が関わっているのです。 ![]() ![]() 銀閣は東向きの二層楼閣で、下層の心空殿(しんくうでん)は和様住宅、上層の潮音閣(ちょうおんかく)は観音像を安置する禅宗様仏堂。金箔張りの金閣のように、銀閣も銀箔張りを施す予定だったとか聞くことがあると思いますが、実際にはその意図があったかは不明で、痕跡すらありません。 ![]() 作成途中 |
平成18年3月12日(日) 第13回京都シティハーフマラソン |
![]() ![]() ![]() ![]() しばらく見て回って後、すぐ近所にそびえる「平安神宮」で完走達成祈願。管理人もこの古くからの友人の目標達成を願い本殿で祈願致しました。 ![]() ―――そして、大会当日。今日の事です。マラソンを終えた昼頃にkoji氏から無事完走したとのメールが。ちなみに、マラソンの模様は朝からKBS京都で実況生中継、晩にはKBS京都TVで録画放送されました。……でも、私は見れてませんが(汗)。 |
平成18年3月10日(金) 大阪“小”観光 造幣局編 |
![]() ![]() ![]() 開館時間は、9時半〜4時半、入館は閉館の30分前まで。 休館日;土、日、祝日、年末年始(都合により臨時休館する事有) 入館料;無料 |
平成18年3月7日(火) 大阪 |
![]() ![]() 地下鉄御堂筋線なかもず駅で集合して、いつものように徒歩で散策。すぐ隣には、南海高野線中百舌鳥駅がそびえ立っているので、さり気なくチラ見しながらまずは府道28号線沿いに南下。中百舌鳥駅から西南西の方角に鎮座されてる、百舌鳥八幡宮が最初の観光地です。駅から歩くこと約10分くらいでしょうか。 ![]() ![]() 境内には、樹齢約800年にもなる大楠が社前にそびえ立っており、大阪府指定天然記念物にも指定されています。 ![]() ![]() また、大相撲の追手風部屋が、大相撲大阪三月場所に際して、百舌鳥八幡宮を宿舎としています。訪問時には、偶然にもその宿舎を見つけましたが、あいにく力士の方々は外出中だったようで、けいこの様子は見れませんでした。去り際に、ふと自転車に乗った力士が一人すい〜っと走ってきて何処ぞへ行ってしまいましたがね。 ![]() ![]() 寺伝によれば、729(天平元)年に光明皇后(藤原不比等の娘)の発願により、行基の開基によるものとされています。1743(享保十七)年に神鳳寺の末寺となりました。 境内には水掛観音も鎮座されていました。なかなか見かける事もなかったので、写真を撮ってしまいました。 勿論、水をかけて祈願しましたよ。 ![]() ![]() 百舌鳥古墳群とは、大阪府堺市にある古墳の集まりを指し、同じく大型古墳が密集している、大阪府羽曳野市・藤井寺市を中心に広がる古市古墳群(ふるいちこふんぐん)とともに、巨大な前方後円墳を擁する古墳群として知られています。4世紀末ないし5世紀初頭から6世紀後半頃に作られた古墳が分布しており、大仙陵古墳やミサンザイ古墳など大型の前方後円墳があることで知られています。かつて100基以上の古墳が存在したとされてますが、第二次大戦後に宅地開発が急速に進んだことにより、かなりの数の古墳が破壊され、現存するのは50基に満たないそうです。 ![]() 御廟山古墳から西進すると、JR阪和線百舌鳥駅にぶつかります。 駅前の踏切を渡ってすぐ左手に向かえば、交番の隣に長塚古墳がお目にかかれます。百舌鳥駅から南西にすぐの所にあり、西を向いた前方後円墳です。実は周濠もあるのですが、すでに埋没しており、墳丘の周りは住宅に囲まれています。そのため、その名残を臨むことは叶いません。 写真を撮ろうとしても、木々の茂った丘にしか見えません… ![]() ![]() 1872(明治五)年に、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が出、刀剣・甲冑などが出土されました。この時の出土品は再度埋め戻されたと言われていますが、その詳細な絵図の記録が博物館にあるので、その内部の様子を眺めることが可能です。 一般的に仁徳天皇陵とされていますが、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中両帝の在位順とは逆に、履中陵古墳よりも後で築造されたことが判明しており、また実際に仁徳天皇が埋葬されていたか疑問もあるため、最近では大仙陵古墳と習う事が多いのではないかと思われます(若しくは伝仁徳天皇陵として)。 ちなみに、管理人は「大仙陵古墳」と学校で習った気がします。 ![]() 仁徳陵を見た後だと、どうしても大きさを比べてしまい、小さいなあ……と思ってしまいます。 ![]() また、江戸時代の記録によれば、後円部中央に大きな窪みがあったといわれていることため、既に盗掘に遭っている可能性があります。 ![]() ![]() 七観音古墳から大仙公園内へ入り、歩道を歩いていると、旗塚古墳を見つけました。全長約56m、後円部径約45m、高さ約3.9m、前方部幅約18mという、前方部が短い前方後円墳で、帆立貝形古墳と呼ばれたりします。二段築成で前方部を西に向けた形をしており、盾形の濠がめぐらされてあります。本格的な調査は行われていないので内部構造など詳細は不明であるのですが、葺石と埴輪があり、円筒・朝顔形埴輪や盾・蓋(きぬがさ)等の形象埴輪も出土しています。 ![]() ―――というか、何でこんな名前にしたんだろ……? ![]() 最後に訪れたのは、仁徳陵古墳の北東側にある、源右衛門山古墳です。仁徳陵古墳の倍塚の一つなのですが、周囲を金網に囲まれており、且つ住宅街の中にこじんまりとあるので、なかなかいい角度で写真が撮れない(汗)。やむなく右のような写真に……(泣) ここまで来ると、すぐ近くにJR三国ヶ丘駅があり、ふと時計を見れば時間も時間という事で、本日の古墳巡りを終了する運びとなりました。 改めて撮影した写真を見てみると、どうみてもちょっと緑の多い公園の一部にしか見えないですね……。やはり、航空写真でないと判りづらい感じですか。そりゃあ、日本の上空を飛ぶ米軍が空から見て初めてその古墳の形に気付いたらしいですからね…日本人ですら近年までその形を知る人はほとんど居なかった訳で。何でこんな形にしたんやろ……? |
平成18年3月1日(水) 献血三昧 |
またまた空き時間見つけて献血行ってきました。わざわざ京橋の献血ルームまで出向いて。余程の事情が無い限りはココでいつも献血しているので、いわゆる常連と化しています。他の所でも献血は可能ですが、私の場合は以前違う所でした際に、うまく針が刺さらず失敗した事があります。 そのトラウマ(?)が有るのか無いのか、できれば行き慣れた所の方が良いとの判断で、通算で一番実施回数の多い京橋へ行くのです。ちなみに、第二位は守口、第三位は奈良です。何処で献血しても何も変わりないんですがね…… 今日で献血回数は41回になりました。今年頑張れば今冬には大台(?)の50回に到達しそうです。自分の限界まで提供続けるとなると、一体あと何回できるでしょうか…… |