平成17年3月29日(火) スマトラ島沖再地震 |
昨年末、インドネシアのスマトラ島沖で大地震が発生したのは記憶に新しいところです。……が、また巨大地震が発生したそうです。 日本時間で午前1時すぎに、スマトラ島付近のインド洋で発生したとのこと。日本の気象庁によると、震源の深さは約30キロで、マグニチュード(M)は8.5と推定されています。前回と異なり、大きな津波被害はなかったらしいのですが、震源から近いインドネシアのニアス島では建物の8割が全半壊。どうやら、震源域が大陸棚の上で水深が浅かったために津波が小さかったが、陸地に近かったので地上の揺れが激しくなったとの見方があるようです。新聞を見てると、今後も発生する可能性が指摘されています。油断ならないということです。被災者の方はまだまだ不安を抱えなくてはならないのでしょうか。 日本でもこの前、福岡で大きな地震があったところです。日本とインドネシアだけに限って見れば、新潟中越→スマトラ沖→福岡沖→スマトラ沖 と、まるで互いに呼応しあっているかのように強い地震が起きています。となると、次に日本で起こる地震は話題の東海・東南海地震でしょうか。この想像は見事はずれてくれるよう、激しく祈るばかりです。 |
平成17年3月28日(月) トラブル |
ホームページを見た人はわかると思いますが、開設一周年を経過したのを機に、それぞれのページを少しずつ点検・修正・更新をしているのですが、更新すべきところを間違えて削除しちゃっていたようです。全てのページを一日で触っているわけではないので、いわゆる軽症ですんだのですが、きちんと表示されない部分が幾つかあります。ご不便おかけしますが、今週以内には完治させますので、ご了承下さいませ。 ……といいながら、この日記が掲載されている時点で半分は修復させています。残りの分はいましばらくお待ち下さい。 |
平成17年3月27日(日) 第27回ウィンド・コンサート |
本日午後より寝屋川市の市民会館で私の母校である、寝屋川高校吹奏楽部によるコンサートが催されました。同吹奏楽部は、高校時代に私も所属していて、トランペットを担当してました。このウィンド・コンサートに足を運ぶと、高校時代に自分も舞台で演奏していた当時の記憶が思い起こされます。このHPを開設する以前に、OBとして一度コンサートに参加したこともある、言わば思いで深きコンサートであります。以前守口に住んでいた時は、冬くらいに現役高校生からのOB合同参加依頼及び開催日の連絡と、同吹奏楽部OB会から同様の封書が届いていたのですが、数年前に転居してから両方に連絡し忘れていたのでことの事実の確認がとりにくくなってきたのです。そのため、近日までいつなのか日程がうっかりとわからなかったのです。確認すると今日だったというのがわかり、慌ててコンサートを見に行ってきました。出遅れたために最初の方の演奏は聴けずじまいでした……。無念。 ところで、改めて本日のプログラムを紹介すると、以下のような演目でした。 ―T部― マーチ・グリーン・フォレスト―――――――――内藤淳一 平和への行列―――――――――――――――戸田顕 サウンド・オブ・ミュージック・メドレー―――――Rロジャース セドナ――――――――――――――――――S.ライキニー ―U部― 〜アトラクションステージ「赤ずきん」〜 ドラえもんのうた―――――――――――――菊池俊輔 / 山里佐和子 編曲 ラ・バンバ――――――――――――――――J.L.ステュワート / 杉本幸一 編曲 他 ―V部― 祝典序曲――――――――――――――――D.ショスタコーヴィチ 交響組曲第2番「GR」より―――――――――天野正道 U部は毎年アトラクションステージとして演出やダンスをお送りしています。今年は「赤ずきん」となっていますが、サブキャラ(?)として他にもいろいろ登場していました。現在のブームにあやかるように、マ○ケンやペ・○ンジュンなるキャラクターも登場して会場を沸かせていました。ステージ中に演奏された曲も無論、マ○ケンサンバや冬の○ナタのテーマ曲なども盛り込まれていました。最後の締めの曲は「君の瞳に恋してる」。昨年フジの27時間TVでも何度も流れていたあの曲なのです。私にとっては吹奏楽部に入部して初めてソロ演奏した大変重要(?)な曲であります。懐かしい曲でU部を締めて次なるV部はOB合同演奏で、顧問が指揮をされます。顧問の方々は見る限りお変わりなく元気に活動されているご様子です。最後のアンコールは私の記憶が確かなら、Z.アブリューの「ティコティコ」というサンバ調の曲だったと思います。この曲は私が高一の時にも演奏したことがあります。過去に演奏したことのある曲だと、やはり懐かしさが込み上げてきますね。 久々に懐かしい空間に浸れて個人的には良かったです。ここ最近はほとんど楽器に触れていなかったので、そろそろ眠っているトランペットを復活させてあげたいなあと考えています。 |
平成17年3月25日(金) 祝!開設一周年達成! |
本日もご訪問いただきありがとうございます。私事ではございますが、当ホームページが本日をもって無事開業以来一周年を迎えることになりました。これもひとえに皆々様の厚い御愛顧による賜物であります。先日の「2000」Hitと合わせまして、このような場で失礼も承知ではございますが、改めて感謝の意を表したいと思います。 今後とも頑張って運営していきますので、今季以降も昨年時と同様、重ねて御声援を何卒宜しくお願い申し上げます。 |
平成17年3月24日(木) 献血キャンペーン |
いつの間にか献血がライフサイクルの中に溶け込んでしまった気まぐれ管理人ですが、暇を見つけてまたまた行って参りました。献血の重要性はあちらこちらで見聞きすることがあるので、ここでは別に特筆しませんが、この冬から春にかけては特に献血協力者の人数が少なくなる季節なのです。ですから、街頭などで献血の協力が特に唱えられています。 この時期に人数が減る原因としては、風邪などで体調を崩す人が多い、学校や企業など献血の協力が得られにくい、また、ここ数年脅威となってきている花粉症の影響も少なくないのです。しかし、提供者は少なくともそれを必要とする方々は減ることはないのです。寧ろ増えているかもしれません。現在も、歌手の氷川き○し氏をイメージキャラクターとしてキャンペーンを組み、人々に協力を呼びかけています。経験者の立場からですが、事故等による出血や白血病などの病気にかかっている人が再び健康な生活を取り戻せるよう、是非一人でも多くの人に協力を仰ぎたいです。ただし、健康な人限定ですが。 |
平成17年3月20日(日) 嵐山放浪記 |
昨日の晩に一通のメールを受信しました。相手は大学時の友人N氏。「そろそろ京都観光しませんか」という感じの内容です。京都愛好者の私は暇があれば定期的に上洛している……と思われがちですが、実は正月以来ここ最近は一歩も踏み入れてなかったのです。そろそろ行っておかないと…云々、と思い出した頃にこのメール、ちょうど今日という日が空いていたので早朝から行こうとの事に。 午前8時にN氏と京阪四条駅で集合しました。問題の行き先ですが、特に考えてなくて、行った事のないトコがいいとのことで、嵐山方面へ行く事に即決。駅売店で市バス一日乗り放題券(¥500)を購入し、四条河原町からいざ嵐山へ。ところで、同券はどこまでも乗り降りできるわけでなく一定区域外に出ると追加料金が発生するのです。その時小銭が少なかったために料金が発生する一つ手前の駅、帷子(かたびら)の辻で下車。ここから散策しながら嵐山へ向かおうという目論みです。一時的“歩行会”の活動開始です。少し歩いたところで京福電鉄の駅が見つかりました。同電鉄は今ではあまり見かけない路面電車です。懐かしさと珍しさが交錯し、これに乗って行こうとの運びとなり一両の路面電車に乗車して嵐山へ。 嵐山駅にはホーム内に“足湯”がありました。勿論無料ではありません。ちょっと見学して駅を出ると、辺りにはちらほら観光客ぽい人がもういます。混雑しないうちに色々回ろうと思い、足早に早速向かったのは「天龍寺」。真っ直ぐに続く石畳の上を歩きながら散策。同寺は4月には枝垂桜(しだれざくら)が見る事ができるそうです。勿論今は時季外れです。遠くに山があるためか、寺内からの景色もなかなか良いのです。次に向かったのは「野々宮神社」。さほど大きなところではありませんでしたが、願いを念じながらなでると願いが叶うという石が置かれてありました。この神社はちょうど竹やぶの中を通って行く中にあったので、到着するまでに竹やぶの景色も合わせて楽しめます。 野々宮神社を出たあたりから、次第に他の観光客も増えてまいりました。そんな中にまぎれて次に向かったのは「常寂光寺」です。同寺は山手にあるので、一番上部から辺りを見渡すとなかなかいい景観が楽しめます。我々が訪れた時はいい天気で割と遠くまで見渡せ、その景色は京都が盆地であることを改めて認識させてくれました。常寂光寺のすぐ近くに、「落柿舎」という茅葺きの家が見られます。これは“蕉門十哲”の一人、向井去来が住んでいた家だそうです。京都の中でも珍しい茅葺きの家でしたので、多くの観光客が足を止めてシャッターを押していました。 地図でいうと我々二人は細道をどんどん北上しています。小腹が空いたので、道中の店で“京風たこやき”なるものを食べて小休憩。私の記憶ではたしか7個200円、このご時世この数でこの値段はなかなかないと思います。勿論たこやきも美味かったです。店内で食事する場合は、お店のご好意で黒豆茶をいただけます。これもいい味でした! 満足感に浸りながら歩いていると、気になるモノを見かけたので少し寄り道をしてみました。それは“後亀山天皇陵”(たぶんこの方だったと思う)です。言うまでもなく、一般人は中に入れませんが遠くから何となく見る事はできました。面白いのは我々のように墓石はなく白色の鳥居が建っているのです。私の推測では、恐らく古代の大王のように、中に石室があってその中に御遺体を安置しているのではないのかと思っているのですが、どうなんでしょう。次に向かったのは「化野(あだしの)念仏寺」です。清滝通を西進していると到着するのですが、今日は学生のツアー客やご年配者らの観光客で多くの人で賑わい、少々思うように動けなくなってきました。混雑を避ける為に、足早に同寺と分れ、次の目的地である「大覚寺」へ。思えばここまで来るのに既に数kmは歩き回っています。ここまで来るとさすがに空腹になってくるのでバスに乗って嵐山を脱出し四条通まで戻ったのでした。 |
平成17年3月19日(土) 喫煙者の御子息 |
本日付の夕刊(だったと思う)をちらっと見ただけなので少々うるおぼえ状態なのですが、関心ある記事だったので思い出せる範囲で書き起こしてみました。 興味があった記事というのは、親が喫煙者である子供は動脈硬化のリスクが高くなる、ということが関東の某研究所の調査で判明されましたことです。これは、喫煙者の親がいることで、受動喫煙をうけた子供が成人した際に起こりうる動脈硬化のリスクを子供の頃から背負う事態にあるということになります。要約すれば、喫煙者の子は非喫煙者の子よりも、子供の頃から動脈硬化にかかりやすい、ということです。私は嫌煙者、要するに非喫煙者ですから、そのようなリスクはまあ心配しなくて大丈夫なんでしょう。たぶん。 同研究所は小学4年生を対象に両親が喫煙者かどうかなどの調査を元にして研究し、また尿中のニコチン代謝物質を測定した。その結果、親が喫煙者の場合、ニコチンに対する抗体物質が少なくなり、動脈硬化になりやすい事実が判明したそうです。また、喫煙者が母親の場合、子供と家で接する時間が長いため、父親が喫煙者の場合よりも危険率が倍にあがります。両親共に喫煙する場合は、更に危険率が上るのではないでしょうか。 子供は大人より未熟だから、心身ともに周囲の環境の影響を受けやすい体質だと思います。そんな時に特に両親は子供が健康に成長叶うように回りの環境作りに気を配らないといけないですね。 |
平成17年3月16日(水) 久々づくし |
先日無事大台(と個人的にしておきたい)の「2000」を超えました。本来なら飛び上がるくらいお祝いするところ(かなり誇張)なのですが、なかなか更新ままならない現状です。毎日楽しみにされている方には本当に申し訳ない、そんな現実なのですが、今後も頑張って運営していきますので、皆さん宜しくお願いいたします。 本日の深夜も相変わらず郵便局で仕事と奮戦していたのですが、普段より前半は手早く片付きいつもより長めの休憩に入れたのでした。ちょうど一段落着いた頃に一本の電話が。こんな深夜に電話してくる相手は(今の所)一人しかいません。電話に応対すると、やはりkoroheru氏(以下、koro氏と表記)でした。koro氏は仕事が終って終電に乗って帰ってきたそうで、私のいる局の近くを通るとの事なので、これから長休憩に入る私とちょうどタイミングがうまくあったために、久々に再会することになりました。そういえばここ一月ほど多忙でほとんど友人の誰とも再会してなかったんですな。知人に会うのは本当に久々です。 局を出ると、ちょうどkoro氏が前で待っていました。晩飯をまだ食っていないとの事だったので、局から徒歩約1分のところにあるラーメン屋「天下一品」へ行きました。既に午前1時でしたが、こういう類の店はまだやっているんですな。夜分にちょっと小腹が空いた時にはちょうどいいと思いますが、さすがに深夜のため普段ほど平らげるのは身体にまずいと思い、ラーメン並で抑えておきました。が、しっかりとこってり味を注文して汁一滴残さず頂戴いたしました。そういえば、ラーメンを食べるのも本当に久々です。今日は久々づくしです。 腹いっぱいで気分良くなりながら少し雑談を交わした後、koro氏と別れて私は局に戻りましたが、後半は前半の倍以上もの仕事量が待ち受けており、久々の友人とラーメンで気分良くなっていたものが一蹴されて奮戦モードへ。結局その多さに予定時間では終れず延長戦に持ち込まれ、終了時間にはクタクタ……。真っ直ぐ帰宅してすぐに床へ入りました、とさ。 |
平成17年3月13日(日) 祝“2000”Hit達成! |
周知の通りですが、本日午前2時35分40秒、遂に目標点の一つである“2000”Hitが無事成就されました。これもひとえに皆々様の厚い御愛顧による賜物であります。訪問者方々ありがとうございます。記念すべき“2000”の的を射た来訪者の方には是非一言コメントを掲示板の方へ頂戴したかったのですが、何より自分で運営主自ら踏んでしまうという事態は避けられたので良かったかなと思っている次第です。今後も皆々様の御愛顧を賜れるよう努力していきますので、何卒変わらぬ御声援を宜しくお願い申し上げます。 |
平成17年3月9日(水) 飛鳥宮跡内裏正殿 |
新聞の一面に、歴史愛好者を唸らせる(と個人的に思っている)記事が掲載されていました。飛鳥時代の宮殿跡が重なる飛鳥京跡(奈良県明日香村)で、斉明朝から天武・持統朝にかけての宮(7世紀後半)の内裏にあった中心建物、正殿の全容が判明されました。奈良県立橿原考古学研究所が8日発表しました。東西23.5m、南北12.4mと大規模で、東に別の小さな建物が渡り廊下でつながり、西にも形の違う建物がある左右非対称の特異な構造だったのです。後の平城宮では、中国の宮殿にならって左右対称の構造になっており、「中国の制度を取り入れた律令国家形成期に、天皇の私的空間は古来の伝統を残したのでは」と同研究所はみています。 飛鳥京跡は、飛鳥時代の5人6代の天皇の宮殿跡が、大きく3層に重複していると考えられています。下から、T期――舒明朝の飛鳥岡本宮、U期――皇極・斉明朝の飛鳥板蓋宮、V期――斉明・天智朝の後飛鳥岡本宮,天武・持統朝の飛鳥浄御原宮――と推定されています。 昨年3月に正殿の南西4分の1を確認し、全容解明のため約900uを調査。斉明天皇の後飛鳥岡本宮(656〜667)とそれを再利用した天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(672〜694)の建物とみられています。柱穴の配置から正殿は東西8間、南北4間で過去に南側で見つかった前殿より大きく、南北両面の端近くにそれぞれ2ヶ所、昇り段と扉があり、石組み溝で区画されているそうです。東側は長さ5.4m、幅6.2mの渡り廊下で別の建物(東西6m以上、南北約12.4m)と接続。同研究所は、渡り廊下を“天皇専用の通路”とみており、正殿は日本書紀に天武天皇が宴を催したと記される「内安殿(うちのあんどの)」、東側建物は「向小殿(むかいのこどの)」にあてる説などが浮上しています。また、昨年発見された西側の池の北側では正殿と縁でつながる別の建物(東西9m以上、南北約3m)も確認されました。池を眺める場所と考えられています。 専門家によれば、左右非対称な建物配置や池の存在は、天皇のかなり私的な空間という色合いを示していると考えられるようです。正殿の四隅には柱穴が確認されています。続日本紀には、藤原宮で玄武や白虎などの「四神旗」を立てたという記述があり、同様の宮廷儀式が既に始まっていた可能性も検討されています。新たな発見のあった当宮殿跡ですが、更なる調査の詳細が期待されます。 |
平成17年3月7日(月) 信長末裔、スケートで天下獲り |
あの有名武将の末裔がスケートの世界で天下を獲りました。新聞を見れば何の事かはすぐおわかりでしょう。 フィギュアスケートの世界ジュニア選手権最終日は5日、カナダのキッチナーで男子フリーを行い、織田信成が196.42点でショートプログラム(SP)2位から逆転して初優勝となりました。日本男子の優勝は2001〜02年シーズンの高橋大輔以来で3大会ぶり2度目、また女子も浅田真央が優勝を制しており、日本は史上初のアベック優勝となったのです。 織田はトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)などジャンプをほぼミスすることなく決め、2位に10.97点もの大差をつけて圧勝。信長が志半ばで謀反に倒れた本能寺の変(1582年)から423年後、子孫である信成が遂に天下を手中にしたのでした。「信じられない。去年は11位で悔しい思いをした。そこから頑張って、頑張って…」。感極まった織田は周囲を気にせず男泣きしたそうです。 織田はかの戦国大名織田信長の子孫、信長七男の信高の家系で信長から数えて17代目。母でコーチの憲子さんは「これまでは信長の末えいということで話題が先行した。今季は優勝する心地よさを知って一回り大きくなった」と。織田は今春関大への進学が決まっているそうです。「今後はトリノ五輪に向けて頑張りたい」と、17歳の織田はさらに大きな夢にむけ戦いの狼煙をあげます。くしくも姉が結婚して「鳥野(とりの)」と名字が変わり、「縁起いいですよね」とさわやかに笑っていたそうです。が、女子が注目されるフィギュア界で、血筋ばかりが話題になっていた男子の星。織田の実力が注目される時がやっていたわけですね。時期五輪でも金を目指してほしいと思います。 最後に余談ですが、信長七男の信高に関するネタを載せようと思います。信高は生年不明で1602年に病死したとされており、父信長の気質はあまり受け継いでなかったらしいです。関が原合戦の後、江戸幕府の旗本となったそうで、後の元禄元年(1688年)に子孫は高家入りしました。高家とは、簡単に言えば幕府の儀式・礼典を司る式部官僚で、老中に属したものです。信長末裔としてあちこちで話題にもなった織田選手ですが、是非スケート界の天下を掌握して先祖の悲願を達成してほしいです。 |
平成17年3月6日(日) 祝迎用作曲物 |
まもなく開設1周年を迎えるにあたり、目標達成記念としてド素人さながらですが作曲を始めました。もともと私の音楽の原点は耳コピから入るのですが、それだけに満足せず、最近はちまちまと作曲もし始めたのです。既に幾つかは作曲(正確には友人との合作)したものをMIDIにして掲載していますが、現時点では長い曲がまだ作れないのが難点です。いま作っているものも今までのようにファンファーレくらいの長さの曲なのですが、いつかは長〜い曲をもつくってみたいものです。 そんな中でもう一つのお祝いがやってきそうです。カウンタがもう少しで「2000」になるのです。何だかんだといいながら、それだけ続いているのも訪問者の方々のお蔭であります。以前、「1000」を超えた時は達成記念としてMIDIを作りました。今回も「2000」達成記念として1曲作りたいのですが、なにぶん作曲は素人同然ですからなかなか器用に同時並行で作曲できないのです。別々で掲載するか、あるいは一つにまとめて掲載するか、果たしてどっちになることやら…… |
平成17年3月2日(水) ツカマリ古墳 |
大阪府河南町に「ツカマリ古墳」というのがあります。従来は小規模な円墳と考えられてきたのですが、この事実が昨日覆ったのです。同古墳は実は7世紀中頃の大型方墳であることが分かり、大阪府教育委員会文化財調査事務所により1日に発表されました。 同古墳は寺院基壇と同様の土木技術で造った幅約80m、奥行き約45m以上の壇の上に、一辺が下段43m、中段34m、上段23mの3段構造の墳丘を築かれていました。壇と墳丘を合わせた高さは10m以上に及んでいます。近くでは、シシヨツカ古墳、アカハゲ古墳と60mを超える壇をもつ大型方墳が相次いで築造されています。北約2キロの「王陵の谷」と呼ばれる磯長谷(しながだに)古墳群に築かれた推古天皇陵とされる山田高塚古墳(墳丘63m×56m)や用明天皇の陵墓とされる古墳に匹敵する大きさ。被葬者は蘇我氏などの有力な豪族か皇族ではないかと見られています。 天皇陵クラスの古墳が集中的に築かれた「近つ飛鳥(ちかつあすか)」の一角を占めるこのツカマリ古墳。大型方墳だったという新発見により、6世紀末から7世紀中頃のわずか50年余りの間に、極めて大きな方墳が3基連続で築かれたことが確実となり、「第2の王陵の谷」だった可能性が浮上してきています。今後の更なる研究が期待されます。しかし、こういう古墳を一度直に見に行ってみたいものです。 |
平成17年3月1日(火) シティモ |
日頃遠出の足として利用している京阪電気鉄道に関する記事があったので、ここで一筆紹介しようと思います。 “天神さん”こと大阪天満宮への最寄駅として度々利用している、京阪天満橋駅に直結していた、京阪ビルディング(大阪市中央区)が都市型ショッピングセンター「京阪シティモール」(愛称;シティモ)として、来たる5月27日に全館リニューアルオープンすることになったそうです。京阪ビルディングは近年閉鎖された旧松坂屋大阪店もかつて入居していたところです、今回のリニューアルで都心生活者をメインターゲットに大型書店「ジュンク堂」、CD・DVDの「HMV」、青山フラワーマーケット、大型家電量販・家具店などのテナントが入居。ジュンク堂、HMVは3月1日、青山フラワーマーケットは4月上旬に先行オープンするそうです。 シティモは地下2階地上8階建て、売り場面積は32,000u。川沿いの立地を生かして、屋上には人工池や川、8階のレストランゾーンまで吹き抜けで流れ落ちる滝などを置いた庭園を整備。水都・大阪の中心だった「八軒家浜」(現在の天満橋周辺)を意識した親水性あふれる空間に生まれ変わります。また南側1階の入口はカフェを置くほか、不法駐輪対策の駐輪場を新設し、歩行者優先の広場の整備もされています。 京阪モールとしては、1970年開業の京橋駅前(大阪府大阪市)、今年4月14日にリニューアルオープンする樟葉駅前(大阪府枚方市)に次いで3番目になります。生まれ変わった駅前を散策しに、電車で足を運んでみるのもいいんじゃないでしょうか。 |