平成16年6月30日(水) 十一代目市川海老蔵襲名報告参拝 |
大阪松竹座で7月3日から襲名披露公演をする十一代目市川海老蔵氏(26)が30日、大阪府寝屋川市の成田山大阪別院の境内で「お練り」し、襲名報告参拝を行った。大阪市中央区の京阪電鉄天満橋駅で午前11時に出発式典。海老蔵氏は詰め掛けたファンから「成田屋!」の声がかかるなか、公募の乗客ら約300人と特別列車「海老蔵号」に乗込んだ。市川家ゆかりの成田山に参拝した後、約1500人のファンを前にあいさつし、もちまき式を行ったのであった。 …海老蔵号とは何ぞや?私は幼少時から目と鼻の先くらいの近所にあった、大阪地下鉄谷町線と同じくらい京阪電鉄の乗客としてお世話になっているが、今回初めてこんな特別列車があることを知った。もしや、世間では有名で私だけ無知だったのだろうか。競馬が開催される時の「淀ターフィー号」くらい有名なのだろうか…。全くわからない。 ちなみに、成田屋というのは「屋号」のことである。少し余談になるが、海老蔵氏の父親は十二代市川團十郎氏である。この市川團十郎家の祖先ははっきりしないが、もとは甲斐国(現山梨県)の武士の出で小田原北条氏(一般には後北条氏。鎌倉時代の北条氏と出自が異なる)に仕えたとされている。同氏没落後、下総(千葉県北部成田市付近)に移って郷士(農村定住の武士)となり、堀越姓を名乗っている。その為、現在でも市川團十郎家の戸籍上の姓は堀越である。つい先日購入したばかりの「分布とルーツがわかる名字の地図」の中の歌舞伎の項目に代表例として話が記載されていたのでずいぶん参考になった。……ま、これも完全な余談ですけど。今日の報告(?)は以上です。 |
平成16年6月29日(火) 高松塚古墳劣化問題 |
「飛鳥美人」とも言われる特別史跡・高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初)内の国宝の壁画が、近年劣化やカビによる汚染にさらされている。そこで、文化庁は29日までに石室内全体を監視する撮影機器の導入を決めた。人の出入りを最低限に抑え、壁面の異変を迅速に確認する目的だ。また、1972年の発見以来、一部の関係者しか見れなかった壁画なのだが、同庁はこの画像を一般公開を視野に入れているので、情報を広く共有できる可能性が出てきたのだ。約5mmの大きさまで確認できる精度の小型デジタルカメラ数台を石室中央に設置。1日に1度、壁面全体を1時間以内で動画撮影し、カビの発生や、菌を運ぶと考えられている虫の侵入を監視する。画像データはケーブルを通じて同庁や東京文化財研究所などに送られ、前日と比較して異変があればアラームが鳴る仕組みという。 同古墳では、2002年10月に壁面に黒いカビが発生。3週間おきに点検を続けていたのだが、同年9月から行われた高精細デジタル撮影で、四神・白虎の輪郭がぼやけ、黒っぽい汚れに覆われるなど壁画の劣化が判明。これには、人の出入りや殺菌剤の影響が指摘されている。この為に文化庁は、石室の密封状態の維持と、カビ処置の両立を迫られていた。 壁画は「現地保存」の方針から、発見以来32年間、公開は実現しておらず、その間に劣化が進んだようだ。地元の行政ですら現状を知り得なかった事態に、今後の各方面研究者の対処が注目される。 |
平成16年6月28日(月) 名字の地図 |
某本屋でまた1冊歴史モノの本を購入してしまった。その名も、「分布とルーツがわかる名字の地図」というタイトルである。…なんともその筋のマニアックな感が漂うネーミングである。基本的に系譜探りに趣があるせいか、ルーツを巡る関連ネタに走る傾向もある。これ1冊で日本の主な名前の発祥、その後の分布などが一目瞭然である。掲載内容が、日本の名字トップ30の発祥と分布とルーツ,都道府県別の名字の特徴と分布,名門・名家のルーツと系統から構成され、コラムとして名字関連ネタを少々,はみ出し記事として名字関連の豆知識が掲載されている。個人的には、歴史苦手でも比較的読みやすく、万人受け可能だと思うが、大型の書店でしか見かけなかったので、名字に興味あらば大きめの書店に出向いて探された方がよいと思う。 現在、日本で多い名字のトップ5は、「佐藤」,「鈴木」,「高橋」,「田中」,「渡辺」の5姓である。実際には、日本の名字は少なくとも十数万はあるとされており、この数は世界的にも多い方なのである。これだけ増えた理由には、本来の出身を表す姓とは別に、同姓内での区別をつけるために名字を作ったためだ。やがて、名字だけが通用するようになった…という訳である。例えば、古来発祥の「藤原」。第38代天智天皇が重臣中臣鎌足に大職冠の地位と藤原姓を下賜したことに由来する。古代以来、一夫多妻制で子沢山である為、藤原姓の子孫がどんどん増えた。やがては要職の殆どが藤原姓の者で埋ってしまう。しだいに区別がつかなくなってきて、鎌倉開幕初期頃から当時住んでいた地名をとって「一条」や「九条」などと改姓した。これには当時、鎌倉幕府が天皇を中心とした朝廷勢力対策の一環として、藤原北家を分裂させて権力の集中を防ごうとする意図も関与していたのだが。武家の場合も大体は同じで、土着地の地名を名字にしている事が多い。同じ血を分けた兄弟でも1人1人名字が異なることもあったのである。名字も系譜と同じで、辿るとなかなか面白いものがあると感ぜずにはいられない。 |
平成16年6月27日(日) ラーメン道・彷徨編 |
夕方に大学のサークル仲間3人と大阪の梅田で久々の再会を果たした。特に変わったご様子なく、私も安泰である。久々に会ったから何処か食いに行こうという話になり、満場一致(?)でラーメンを食う事が決まった。しかし、私も友人も梅田近隣の穴場のラーメン屋は詳しくない。どうせなら行った事のない、あまり知らない所へ行こうとなり、某書店で調査開始。そこで「福龍」という坦坦麺の店に決まった。ところが、同店の所在地は大阪日本橋駅北側で道頓堀の近くにある。わざわざ電車賃使うのも勿体無いという、私と一部の友人がよくやる十八番(?)、徒歩移動を決行した。大学時に同学科の友人等と組んだ「歩行会」の部分的復活である。 同会は大学の農芸化学科の友人とお遊び的発想により生み出され、主な活動は大学と最寄駅間を徒歩移動する……ただその1点に尽きる。だが、この距離が約2.5km、徒歩で27〜8分、バスで約10分かかる難地(?)である。うち学校付近は登り降りの多い長く続く坂が多く、かなりの体力消耗を要求するのだ。普通の人だと徒歩40分位はかかる。同会は早足で徒歩移動(競歩ではない)に執念を燃やす人員(一部)で結成されており、最大15人位まで膨れ上がった集団である。これだけの人数が固まって移動するのである。傍から見ると異様な光景だったかもしれないが。名目上の会長(実質的ではない)なる某氏は最高記録21分(うるおぼえ)を保持しており、なかなかこの記録を塗りかえれない。卒業したから登校することもなく事実上卒業と共に自然消滅したが、違う形で本日復帰した…という事である。 …内輪話が進んでしまったので元に戻る。同店は梅田から地下鉄の5駅分位の距離がある。そこまでこの4人がひたすら歩き続けたのである。当然かなりの労費であるが、その後に食べるラーメンがまた格別に美味いことこの上ない。同店のカウンターには若い女性と中年のおばちゃん、コック姿のおじさんの3人で経営しているようである。普通、ラーメン屋といえば、割と若い店長とバイトで運営しているイメージが強いのだが、ここはどうやら違うようだ。恐らく親子なのかもしれない。が、店頭には政府首脳絶賛のメッセージや各紙掲載の張り紙があり、割と業界では有名所なのかもしれない。そんな店で4人揃って坦坦麺注文(筆者だけライス追加)。少し辛いのだがなかなか味のあるこってり風味である。勿論汁ごと完食させていただいた。なかなか美味かったので、また次回も訪れたい。…が、唐揚げ1皿1200円は驚いたな…。詳しくは以下参照せり。 福龍 (地下鉄日本橋駅下車堺筋北へ徒歩数分) 定休日 火曜日 営業時間 平日17:30〜翌2:00,日・祝 17:30〜22:00 〒542-0084 大阪市中央区宗右衛門町1-5 tel. 06-6212-6363 www.tantanmen.com |
平成16年6月26日(土) ニッポニア・ニッポン |
ニッポニア・ニッポン――何の事かわかるだろうか。自慢したいが為の我が国の別称でもない。某学習帳でもない……、あれは○ャポニカか。しょうもない事を言ってしまった(汗)。「ニッポニア・ニッポン」とは、昔我が国に多数存在した「トキ」の学名である。その名のとおり、かつては日本有数の鳥だったようであるが、近代以後の産業発展と環境汚染、及び乱獲によってどんどんその数が減少の一途をたどり、遂には日本産野生トキは昨年10月に佐渡トキ保護センター(新潟県佐渡市)で死んだ「キン」という名のトキを最後に絶滅してしまったのだ。現在いるトキは中国産である。 ところで今日、同センターと環境省が、親鳥に卵のふ化と子育てをさせるトキの「自然繁殖」に初めて成功したニュースが入った。餌を口移しで与えるなど、繁殖期で頭部を灰色に染めた親鳥は、ひなの世話に懸命のご様子である。同省は、「野生復帰に向けた大きな一歩になった」と話し、2008年度にもトキの放鳥を佐渡で始めるそうだ。ひなの親はオスの優優(ユウユウ)とメスの美美(メイメイ)でいずれも5歳。2羽が交代で抱卵し、5月25日に自然ふ化した。ひなは体調約50cm、体重約1.2kgにまで成長した。同センターは1999年から中国産トキの繁殖に取り組み、現在は56羽にまで増えた。当初は繁殖率を高めるため、ふ卵器で卵を温め、ふ化後は人の手で餌を与えていた。2002年からは、野生復帰に備えて一部の卵を親鳥に温めさせ、子育てにも任せた。これまで5個が自然ふ化したのだが、親鳥が踏んだり子育てを放棄し、ふ化後間もなく死んでいたのだ。このまま上手くいけば、中国産ではあるが、いずれはトキが国土の大空を羽ばたく姿にお目にかかれるかもしれない。 |
平成16年6月25日(金) 開設3ヶ月到来 |
本日でもって、遂に開設3ヶ月が通過されました。試行錯誤を繰り返しながらの今日への至りであります。特にこの頁なんぞは、毎日更新(後日まとめて更新も否めない)という大変なものですが、何とか今日まで続いておりますし。某スポーツ選手の言葉を借りれば「自分で自分を褒めてあげたい」という気分ですか。……まだ早いか。語るに落ちた(?)か。ともあれ、今後も前途多難あるやもしれないが、継続していきたい所存。新コンテンツやMIDIもまた手掛けたいところですな。…という訳で、各方面方々、今後もご声援を賜りたいと存じ奉ります。 |
平成16年6月24日(木) ヒトクローン胚条件付容認 |
数年前から話題のある「クローン」の話である。 政府の総合科学技術会議生命倫理専門調査会(21人構成;…つうか長い名前(汗)。)は、ヒトクローン胚作りを難病などの基礎研究に限って認めることを最終報告書に盛り込む方針を決定した。但し、「クローン人間が生み出されることの事前防止」などの枠組みが整備されるまでは研究を解禁しない(モラトリアム)とした。委員の間では容認に反対の意見もあったが、薬師寺泰蔵会長の裁量で採決強行をなしたのだ。同調査会は2001年に発足、クローン技術規制法が見直し期限とした今年6月を目指して議論を進めてきたのだ。 人間の受精卵が分割を始めて組織に分化するまでの時期をヒト胚という。あらゆる組織や臓器に分化する能力があり、再生医療研究使われている「ヒトES細胞」(ヒト胚性幹細胞)は、ヒト胚の内部の細胞を取り出して作る。「ヒトクローン胚」とは、核を取り除いた未受精卵に体細胞の核を入れて作る。クローン胚からES細胞を作れば、体細胞の持ち主と同じ遺伝子の臓器や組織ができると期待されているが、一方で、人になる可能性があり、「生命の萌芽(ほうが)」とされている。ヒトクローン胚は自然な生殖ではあり得ない「人工的な生命の芽」なのである。国はクローン人間づくりを「クローン技術規制法」で禁止、ヒトクローン胚の作成は同法の指針で禁じている。 昨日、同会長が示した暫定方針は「医学による福利を求める人々の希望に応えるため、臨床応用をしない基礎研究に限って、ヒトクローン胚の作成、利用に道を開く事を基本的立場とせざるを得ない」とした。但し、クローン人間誕生の防止措置、ヒトクローン胚の管理体制作り、未受精卵(卵子)の入手制限、卵子提供女性の保護、ヒトクローン胚を利用した再生医療研究を進める意義についての科学的検証――など、厳しい枠組み整備を研究開始の前提条件とした。また、必要な場合は研究中止を勧告できるとしたのだ。この日の採決に反対する意見も出たが、同会長が挙手での採決を強行。賛成10、反対5の賛成多数で条件付き容認が決まった。調査会では、「難病研究に有用で、厳しい条件付きで解禁すべきだ」などの推進意見と、「現時点では臨床応用が可能かどうか不明で、倫理的な問題も解決されていない」などの慎重論が平行線をたどっていたのだ。昨年12月の中間報告で容認した研究用のヒト胚作成については、不妊治療研究に限定することが前回の会議で基本的合意されている。 同調査会のが容認した最大の理由は「難病患者救済への期待」であった。賛成10人の大半が医師や研究者で、反対5人は倫理学者や法学者が多く、先端医療がはらむ倫理的な問題を浮き彫りにした。先進諸国の大半は、生命操作やクローン人間につながりかねないとして研究を禁じている。溝が埋らないまま3年にわたった議論は、異例の「多数決」で唐突に幕を下ろしたのだった。 勿論、難病患者のための研究は構わないと思う。しかし、数年前のクローン羊の誕生以来、クローン人間を禁止するためクローン胚や受精胚の研究と連続性のある生殖補助医療の議論が棚上げされ、また既に実施されているという生殖補助医療研究のための受精胚作成の実態について、調査会でも疑問が挙がったのに詳しいデータは示されていない。納得していない委員すらいる。その中での強行採決はとても納得したとは言い難い。今後、各方面で反論が挙がりそうな予感である。 |
平成16年6月23日(水) マラリアワクチン臨床実験 |
蚊が媒介する伝染病・マラリアの1種「熱帯性マラリア」を予防するワクチンの開発に取り組む堀井俊宏・大阪大微生物病研究所教授(分子原虫学)のグループが、今年11月にも臨床実験を国内で行うことが決定された。WHO(世界保健機関)の専門家が来日し、共同で取り組むことに。マラリアは発症後の治療法はあるのだが、発症を予防する為のワクチンの開発に成功した例が無く、2010年の実用化を目指している。 今年3月、マラリア撲滅が活動の柱でもあるWHOの専門家が堀井教授へ共同研究を申し入れた。堀井教授らは、マラリアに感染した赤血球内に現れるタンパク質「SERA」に着目、SERAを攻撃する抗体が、マラリアの原虫を殺す事を確認し、昨年9月からチンパンジーなどの動物で毒性実験を実施、安全性を確認した。臨床実験は、WHO本部(スイス・ジュネーブ)から新薬開発の専門家4人が来日し、11月に国内で45人に対してワクチンを投与して効果を確認する計画。来年5月にマラリア流行地のウガンダで、2006年1月にインドネシアなどでも臨床実験を行う。順調に進めば、2008年頃にWHOが世界規模で最終の臨床実験に取り組むことになる。 マラリアは、「世界3大感染症」の一つで、蚊の一種であるハマダラカを媒介して人に感染する伝染病である。吸血された際、ハマダラカの持つマラリア原虫が血液を経由して体内に入り感染する。感染すると、高熱や頭痛、吐き気などの症状が出る。熱帯を中心に年間1億人以上が発症しており、世界で年間100万人以上が死亡するとされている。現在では、日本にはハマダラカは生息していないとされている。 …が、油断はできないのが実態である。気候の異なる日本は感染の恐れがないと思われがちなのだが、実際には感染区域が徐々に年々拡大化しているらしい。主な原因の一つに、地球規模の温暖化がある。温暖化によって世界規模で温度上昇が進み、ハマダラカなどの媒介虫の生息区域が広まっているのである。日本も今後温暖化が進めば、国土南方(太平洋側)から侵入してくる可能性が高い。何の対策無しで進行した場合、実現までに100年もかからないとの噂もある。数年前に大阪府堺市で大量に現れた「セアカゴケグモ」のように、いずれは日本でも感染が進むかもしれない。それだけに、今回の臨床実験は注目である。万一の事態にでも手早く備える為にも、国家プロジェクトにして国民の理解を深める手段をとれるよう対策を講じる必要があると私なりに考えられる。 |
平成16年6月22日(火) 滋賀県発地震の震度調査 |
昨日が台風という自然界(?)ネタだったので、今日は地学(であってるのか)ネタを講じる。同じ理科学ネタということで。久々に歴史を語らず、逆に新鮮である(個人的に)。 国の地震調査委員会は昨日、琵琶湖西岸断層帯(滋賀県マキノ町―大津市、長さ59km)を震源とする地震が起きた場合の各地の揺れを予測する強震動評価を発表した。それによると、滋賀県では大津市などで最大震度6強以上、京都市でも震度6弱の揺れになるほか、北部で断層が動き始めた場合は、大阪湾岸でも震度5強以上の揺れが予想されるそうだ。この調査委員会は昨年、琵琶湖西岸断層帯について、今後30年以内にマグニチュード7.8程度の地震が起きる確率(9%)が「高い」とする評価を出しており、防災対策の整備が急がれる事態に。断層帯の過去の活動などから、地震の際に大きな揺れを発生させる部分を南北2箇所に想定し、それぞれから断層が動き始めた場合に、どの地域がどれぐらい揺れるか計算したのだ。いずれの場合も、琵琶湖の両岸の広い範囲で震度5以上の揺れになり、滋賀県では北部で断層が動き始めた場合は今津町などが、南部からの場合は守山市などが震度6強以上に。また、北部からの場合、震度5強の範囲が南へ広がり、大阪府南部の貝塚市で震度6弱になるとしている。 かつて同じ近畿地区で大惨事になった、忘れもしない、あの1993年午前5時46分頃に発生した阪神・淡路大震災でも震源地付近でマグニチュード約7くらいで、周辺の神戸市は悲惨な事態となった。現在ですら完全な復興に至っていない。その時、私の住んでいた守口市では震度3であったが体感震度はそれ以上に感じるほど怖さがあった。近々起きると予想される東海地震もかなりの規模であるが、この滋賀県で予想される地震が発生した場合、私の住まう付近は推定震度5弱は下らないと思われる。阪神大震災の時も、十分な事態の備えが皆されていなくて焦った方々が多かったが、今度はその時以上のものが到来しかねない事態である。やりすぎと言われても十分な事前対策を各自で行うべきであろう。 |
平成16年6月21日(月) 台風直撃 |
本日、大型で強い台風6号が近畿地方を直撃した。台風は午後1時過ぎ、兵庫県明石市付近に再上陸し、大阪市にも再接近した。大阪府のほぼ全域と兵庫県南部を風速25m以上の暴風域に巻き込みながら、兵庫県を北北東に進行しているようだ。西日本各地では交通機関が大いに乱れ、学校でも臨時休業が相次ぐ。大阪府内公立小中全1500校が休校する事態になったそうだ。久々に強い暴風雨に遭遇したのだ。 大阪管区気象台によれば、台風6号は正午現在、洲本市付近を時速50kmで進行している。中心気圧は970hPa、中心付近の最大風速は30m。この影響で、大阪を始め、京都、滋賀、岡山の2府2県で計6人が怪我をしたことが確認されている。筆者も用事で大阪の中枢梅田へ出向く際、横殴りの大雨と吹荒れる突風にあおられ、非常に泣きそうな破目に遭った。電車も強風により、各社特急・快速クラスの電車は全て運休、また、運行している車両でさえ、強風の今後の影響によって急遽運行中止する可能性があることを車内アナウンスで促した。個人的にはこんな事態は久々の遭遇である。夕方くらいになると、多少おさまったものの、強風の吹荒れは収まらず、とかく怪我の注意するばかりであった。他地方では、水はけ悪く床下浸水の事態もあったとか何とか(うるおぼえ)。しかし、今年の台風は何やら時期外れに到来し、これも異常気象の賜物(?)なのだろうか。 |
平成16年6月20日(日) 東西文字文明 |
今月、法制審議会の部会が人名用漢字を現在より578字増加して2810字とする案をまとめた。法務省はこれを元に国民の意見を募り、秋にも戸籍法規制を改正するのだが…。周知の通り、「屍」「糞」「呪」「癌」「怨」「屑」などマイナスイメージの漢字まで含まれているのが疑問視されている。児童虐待の風潮があり、悪質な命名がなされかねないという懸念がある。誰が一体喜んでこんな漢字を子息に命名するだろうか。お国が安易に決めてるのでは…という懸念が出ざるを得ない。何年も昔に、息子に「悪魔」と命名しようとした親子がいてかなり大問題になったこともある。結局、世間の批判を受けて「亜駆」に変えたそうだが、それでも漢字を分解して並び替えたら、「亜区馬」→「悪魔」となる。命名された子が名前でイジメを受けかねない今後をわかっているのだろうか。古代以来、マイナス概念のまとう字を使用して命名するなど殆どないのに…。個人的には受け入れられない。 ところで、漢字に対する関心がこのところ高まってきているらしい。戦後日本教育は漢字使用を制限する傾向があったが、規制緩和の動きが出ているのだ。また、漢字の見直しは他でも起きており、昨年の春と秋に、国立国語研究所が100ほどの外来語を日本語に置き換える案をまとめたのだ。そのほとんどは「やまとことば」への置き換えではなく、漢字への置き換えである。例を挙げると、“アーカイブ”は“保存記録”、“グランドデザイン”は“全体構想”、“グローバリゼーション”は“地球規模化”、“シミュレーション”は“模擬実験”…といった具合である。この案を国民が享受するか否かは別問題であるのだが。表意文字しかもたない中国では、“グローバリゼーション”を“全球化”、“コンピューター”を“電脳”等と、意味を取って漢字に置き換えざるを得ない。しかし、日本では、外来語は意味さえわかれば音のまま使える。これは日本の文字文化の高さを占めるものである。日本における外来語の漢字への置き換えと、中国におけるそれとは同列ではないのだ。日本には表音文字のひらがな・カタカナがあるが、中国には表意文字の漢字しかないからだ。 ところで、「外来語」という文字も“そとからきたことば”である、漢字も元は外来語なのである。日本人はアジア大陸から外来し表意文字の漢字を表音文字の万葉仮名に変えるという画期的な文字革命をやってのけ、表音文字のひらがな・カタカナを定着させたのだ。明治以後、試行錯誤を重ねながら、西洋からの外来語はカタカナで表すという原則が確立されている。東洋の外来語は身についていたが、西洋からの外来語には拒否反応をもって国語の危機として受け止めている者が結構多い。しかし、コーヒー、テレビ、ラジオ等、西洋からの外来語は日常生活に深く浸透しているのだ。漢字は日本語の重要な一部であるが、一方で西洋からの外来語も日本語の不可欠の一部として認める姿勢があってもいいのではないだろうか。それらは元々、表音文字のローマ字(アルファベット)で表されていたものである。それを日本語の表音文字に置き換えて、最近では「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などの外国映画のタイトルをそのままカタカナにする表記も増えてきたし、SONY、TOYOTA等の企業名にローマ字を用いるところもあるのだ。ローマ字は我々日本社会に根付いているのである。さらに言えば、我々がこうしてPCを利用しているが、ここで文字を打つ際にも、ローマ字入力して漢字・かなに変換しているのだ。表示された文字は漢字・かなでも、実際はローマ字を変換して打ったものである。西洋のローマ字も日常であたりまえのように使用する現在なのである。 日本人はまず漢字を、次いでローマ字をものにしたのだ。漢字は表意文字、ローマ字は表音文字の最高峰で、それぞれ東洋文明、西洋文明の花といえよう。この両者を日本人は自然に使いこなしているのだ。漢字使用の規制緩和とローマ字の定着・普及とが同時に進行している現世、文明史的に日本人が東西文明の最高の成果をものにしたといえるのではなかろうか。 |
平成16年6月19日(土) 埋葬者は何者か? |
遂に歴史的発見に一歩近づく発見がなされた。詳しくは本日付の紙面を御覧されたし。 昨日文化庁の発表によれば、奈良県明日香村の特別史跡・キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初)で、石室内の床面から人骨や歯が計10点見つかったのだ。これらは、被葬者の性別や死亡年齢の解明に重要な手掛かりとなる。人骨は頭骨の破片で最大3〜4cm角。歯は4本出土し、うち1本はアゴの骨が付いていた。同日までに、石室内の奥(北側)から手前にかけ幅約1m、奥行き約55cmの範囲(全体の4分の1)で発掘調査した結果、漆塗り木棺の破片とみられる黒や赤の漆片が厚さ4cm程度堆積し、その上に人骨や歯が点在していたのだ。石室内は過去の盗掘後、雨水などで何度も浸水したと考えられ、人骨や漆片は元々あった位置ではないだろうとのことだ。また、棺に付いていたとみられる銅製金具1点(直径3.7cm)も出土。棺表面に金具を取り付けた際、裏側に突き出た釘の先端を覆う「釘隠し」と考えられ、同様のものが近くにある同時期の高松塚古墳(同村)からも出土していることから、文化庁は「高松塚古墳と同じタイプの漆塗り木棺だった可能性が更に強まった」としている。キトラ古墳はその四方の壁に玄武(北)、白虎(西)、朱雀(南)、青竜(東)の四神獣が、天井には北極星と中心に天体が描かれているので有名だ。他に、十二支の子と寅の壁画もあり、元は十二支全て描かれていたようだ。その中の一部分から今回の発見がなされたのである。非常に興味尽きない遺構である。 こうなると、一番気になる点は、やはりその埋葬者は誰か、という1点に尽きる。現在の段階ではまだ誰かは確認できていない。しかし、現在の技術と今後の更なる発見があれば、特定も早まるかもしれない。事実、骨からは、死亡年齢が絞れるし、形や丈夫さから性別も推定できる。下あごに歯が収まった状態ならば、歯根からDNAが取り出せる可能性もあるのだ。それに比較できるサンプルが揃えば、血縁関係もわかるという。また、腕や足の骨は太いので残存しやすい。ある程度の大きさで見つかれば、長さから身長や筋肉の付き具合などもわかるかもしれないのだ。頭の骨が残っているのなら、見つかる可能性は無いとはいえないとのことだ。更に、学者によれば、過去の盗掘坑で大刀が出ている為、被葬者は男性と推定されるという。あとはそれを裏付ける結果が出てもらいところだ。そして、今回出土した銅製金具も被葬者像を探るカギとなるのだ。土で覆われていた金具をX線撮影してみると、花の形を模した「六花形」とわかった。釘を打つ直径2mmの穴が3ヶ所開いており、釘1本も残っていたのだ。高松塚古墳では、円形のよく似たものが出土している。また、キトラや高松塚と同時期で、構造も似ているとされるマルコ山古墳(同村)では六花形ものが発見されている。これらから、高松塚と同じ皇子クラスの人物が葬られている可能性が高まった、としている。今後の鑑定作業に期待される。 |
平成16年6月18日(金) 血液成分 |
献血総回数が21回になった。献血手帳も更新され、3代目…もとい、3枚目である。この21回目は大阪では初めて献血車で試してみたのだ。意味も無く。 献血の初体験は大学に定期的にきていた奈良献血センター(名前うるおぼえ)からやってくる献血車(2台)でデビュー。変な言い方だな。私は細身で運動不足で体力低下が進行中もかね、200mL全血献血で行った。この場合、次回献血可能日は1ヶ月後の同曜日から可能である。全血には400mL全血献血もあるが、最も回復の遅い赤血球の提供数も多いため、体力に自身のない者は控えた方がよい。体格の似ている大学の友人N氏は初回に400mL全血で行ったものの、約100mL出したくらいにめまいを訴え急遽中止に。しかし、避ける事も無く、次回からは200mLで着々と提供していたやり手家(?)である。ちなみに、400mL全血献血をすると、負担も大きい為、次回可能日は3ヶ月後の同曜日からである。また、400mLも200mLも年間最大計1200mLまで提供可能、と制限がある。これ以上やると、赤血球の回復が追いつかず、提供者の方が体調不良になる可能性が高い。私の場合、自分の逝去までに何度できるか、という子供じみた回数へのこだわりがあるので、年3度しかできない400mLは無条件に不可対象である。しばらくは200mL全血献血で提供してきたが、昨年4月から卒業研究の研究室を大阪森之宮となり、殆ど登校することも無くなった事に加え、乗換駅である京橋駅前に献血ルームがあることを知り、尚且つ成分献血への関心が芽生えたことで、今年1月始めて成分献血への意向をルームに伝えた。 ここで、少し献血を元にして「生物」学の話を持ち出す。血液成分は、血漿成分が約55%と血球(細胞)成分が約45%である。更に、血球成分のうち、赤血球が96%、白血球が3%、血小板が1%である。これらの量数は個人差があり、また遺伝的にも大体決まっているそうだ。血漿は栄養分を細胞へ運搬、老廃物の体外排出、血圧保持の役目もある。赤血球は水分とヘモグロビン(鉄分)から形成されており、酸素を各組織に運搬する。全組織中、最も回復が遅い。これが減ると、全組織への酸素供給が遅れ、立ちくらみやめまい等の体調不良が起こりやすくなる。白血球は細菌や異物が体内に侵入した時、食作用でそれらを殺したり、免疫抗体を作って体を守る働きがある。血小板はケガなどで血管が損傷した時、真っ先にその部分に集中して粘着し、互いにくっ付きあって大きくなり傷口を塞ぐ性能がある。また、血漿中のフィブリノーゲンという物質が働いて血液の固まりをつくり、止血する働きもある。全血献血の場合、全てを提供するのだが、回復の遅い赤血球も提供するので、体調不良が起こらないよう、次回献血可能日まで大きく期間をあけているのだ。一方の成分献血は血漿献血と血小板献血があり、遠心分離機を用いて血漿や血小板だけを献血して赤血球は体内に戻す献血である。その分身体への負担が軽く済むのであるが、分離するので時間がかかる。ところで、血小板献血は献血車の方ではできないことがわかった。恐らく、車内のスペースに余裕がないのと、利用期間が短い為だと思われる。血漿は保存温度-20℃以下で採血後1年間保持できるのに対し、血小板は保存温度を20〜24℃で振とうしながらの状態で、採血後72時間しか保持できない。だけに特に重要視されている感じがある。 どの成分も元は体内細胞であるから寿命が有限であり、古くなったものを手術や製薬に利用できない。街中で毎日のように、献血車が止まって協力を呼びかけているのには、できるだけ新鮮な血液を、交通事故被害者や白血病患者等、それを必要としている患者に提供できるように、という理由がある。皆々もなるたけ協力してもらいたい。 |
平成16年6月17日(木) 本能寺 |
某テレビの1コマで、織田信長の子孫と明智光秀の子孫が約422年ぶりに和解したという話があった。詳しい経緯はわからないが、約4世紀にも渡る長き世の中で、両子孫方々はそれぞれ、紆余曲折しながら和解の1歩を踏んだのだろう。 先週の6月6日、京都本能寺で面会した方は、IT企業勤務の明智家後胤の明智憲三郎氏と、福祉業勤務の織田家後胤の織田信和氏(13代目)の両方々である。明智家は光秀の謀反で有名な本能寺の変(1582年)の後、子孫は「明智」から「明田」へと改姓したそうである。やはり代々、先祖の光秀公が犯した謀反で肩身の狭い思いを相当していたそうである。当代の曽祖父が元の「明智」姓に復姓したのだが、当代の憲三郎氏も主君に謀反を起こした“逆賊”と言われて辛い思いを受けていたそうだ。織田家の方はそれほど明智に対する恨みのようなものは何ぞなかったそうである。13代目信和氏はつい最近も、武田家との約4世紀ぶりの和解の時にも立会い、一部話題になったが、和解というものも口で言うほど思いのほか容易ではないと語っている。ただ、今のこのご時世、いつまでも燻るよりかは手を取り合った方がいいというのは両方一致している。そこで、運命の地、京都本能寺(秀吉再建のもので、当時は位置が異なる)での6月6日に会見となった。くしくもその時、同寺では信長祭が催されていた。信長役の人もいたが、間違いなく偽者だろう。さておき、某テレビ局アナウンサーと同寺執事長立会いの下、同寺に祭られる信長公の石碑(3男信孝の命で建設)へ報告を兼ねて、和解成立となった。しかし、信長だけでは、という事で、アナウンサーが不意に連れて行った場は某和菓子屋である。この裏手あった小さな建物の中には、明智光秀の首塚があったのである。普段は公開しないが、子孫訪問により、特別に拝観出来た訳だ。その中には、光秀のものと言われる木像と骨壷が存在した。数年前までは、骨壷は振るとコトコト音が鳴ったそうだ。時間の経過と共に風化してしまったようである。しかし、同地は史実にもない一般にも公になっていない。万一、これが光秀本人の首塚が証明されれば、光秀に関する史実の解明が大きく前進するのは言うまでもない。 光秀は1582年、山崎の合戦で敗走時に農民の横槍に刺されて落馬し、死亡した事になっているが、実際の所は生没年不明のままである。家康の側近の天台宗僧、南光坊天海と同一人物の説もあり、その生涯は結構疑われている為だ。今後、光秀研究が進めば、彼の波乱の人生の解明に一歩前進できるだろう。ただ、そうなるとその今後の受験生が覚えるネタが一つ増えてしまう事になるのだが。まあこれは余談という事で。 |
平成16年6月16日(水) 社内LAN |
本日夕刊の記事の中で、職場でネット利用する者にとって、個人情報が危惧される事態が発覚した。以下、簡単に紹介する。 職場のネットワーク「社内LAN」内のパソコン(以下、PC)から不正に他人のメールの盗み見やパスワードの取得ができる技術が開発され、この技術を使った複数のソフトが誰でも入手できる状況になっている事が16日、わかったのだ。LANは“Local Area Network”の略称で、複数のコンピューター(以下、COM)と周辺機器を繋いだネットワークシステムであり、社内や学校内などの限定された小さな地域内ネットワークのことだ。同軸ケーブルや光ファイバーなどで接続されており、社内でCOM同士を繋げて構築し、データのやりとりするものを社内LANと呼ぶ。ファイルやプリンタの共有などがLAN構築の主な目的だ。これによって、どのCOMからでも共有しているものを利用できるようになるなど、効率的な運用が可能となるのだ。しかし、今回発覚したこの事態は、盗み見対策効果の高い新型ハブ(集線装置)使用の社内LANでさえ盗み見されるという。 ハブとは、PCを繋いで社内LANを組む時に必要な機器で、各PCから伸びているケーブルを集めて相互接続する装置である。旧型ハブは、繋がったPC全てに、ネットワークに流れる全データが送られる為、どのPCでもデータを拾う事が可能であり、ある程度盗み見は簡単だった。一方、新型ハブは、個々のデータを、事前に登録された「あて先情報リスト」に基づいて、特定のPCだけに送る為に盗み見は困難とされていたのだ。ところが、新技術による盗み見ソフトは、新型ハブ使用の社内LANであっても、「あて先情報リスト」の書き換えができ、他人あてのデータを自分のPCに取り込むことができるというのだ。この結果、同僚のメールの盗み見や、標的のPCが今見ているサイトの画面を覗き見する他、メールパスワードや有料サイトなどの接続パスワードを奪取することが可能になる。また、この操作は簡単で相手に盗み見されている事を気付かれることはないという。更には、無料でダウンロードでき、使用法を紹介した解説サイトも存在している事態に。社内ネットワーク管理者による注意深い監視で事態を見抜くことはできるが、実務上効果が期待できない場合も多いという。そのため、専用のソフトを用いてメールを暗号化するなどで事態を対処するしか現在では方法ないようである。専門家によれば、会社幹部がリストラしたいがために、社員のメールを盗み見して弱みを握るケースもある、というのだ。どうやら“社内LANでは盗み見は起こりうる”事を前提に通信を行った方がよいとのことだ。ネット社会の機密性が根底から覆された深刻な事態である。 今回は事の事態がPCの個人情報に抵触するため、個人的感覚ではあるが、最低限知っておく必要がありそうな辺を着色させていただいた。見苦しい点は否めないが御容赦願いたい。 |
平成16年6月15日(火) 清掃 |
現在、私は某所のマンション住まいである。当マンションでは年に2度消防点検がなされる。各戸各部屋の天上に丸型の装置がついている。言わば防火装置のような一品だ。その装置がきちんと機能するか否か、年2度委託業者がやってきて点検に参上するのである。点検するのであるから、当然部屋に上がりこんでくる為、部屋の中身が丸判りである。その点検日は各家庭で日程が決められ、我が家は本日になったのだ。その事を3日前まですっかり忘れていた筆者、さあ、困った! <>br自身で言うのも情けないが、我が部屋は1週間前までは酷い有様であった。足場がない…ほどではないが、すごい散乱ぶりであった。基本的に我が部屋を占める物財は一定である。大半は言うまでも無く、歴史関係の本及び音楽の楽譜の類である。歴史の本は本棚の結構な部分を占める。一番でかいのでは、図書館が所有する大きめの資料集くらいの重さがある。この本、価格は1万円超する。…これを購入した当時はよほど史学欲に飢えていたと思われる。楽譜は本の物は本棚だが、吹奏楽部所属時代に用いたパート譜やスコアのコピー紙が、あれやこれやと散乱している始末である。これの整理だけで1時間かかった。これらの類は減るどころか寧ろ増加の一途を辿ってばかりだ。最近も歴史書3冊、某バンド楽譜2冊購入している次第だ。そろそろ歯止めをかけないといずれパンクしてまうだろう。次点以下、多い順に、録音済みのテープ・MDの類、サントラCD、PC・携帯関連雑誌及びパンフ、その他の書籍…と続く。テープ・MDは殆どがラジオの録音と吹奏楽で演奏する曲の音源テープである。これらはいつでも視聴できるよう、よほどの事がない限り消去したりしない。…だから、これも増える一方である。MDに関しては大半がラジオの録音である。全て収集すると、大型ダンボール箱一箱埋る位あるのではないか…?サントラの類は殆どがゲームBGMである。ドラクエ以外は現在ではもう市販されてないのでは…というも数多い。先日購入したロックマン類は実は市販されていないものだ。やはり筆者はゲームBGMマニアに属すのであろうか。それもあってか、最近の邦楽・洋楽には興味を促される曲が殆どない。やはり音響効果が私の中で全てであって、如何に歌唱力があろうとも曲が自分にあわなければボツである。例を挙げると……、やめておく(汗)。 ごたごたしながら、土日殆ど潰して片付けまくって何とか落ち着く。一応片付いたものの、実際の所は半分程度である。少しすっきりした程度である。基本的に掃除嫌いという訳ではないのだが、手を抜くと次第に増えていく感が否めない状況だ。筆者の部屋掃除との闘いはまだ始まったばかりである…。 |
平成16年6月14日(月) 池田市関連ネタ |
序でにもう一市地名話を挙げる。何でもないような事…なんだが。 大阪府池田市は豊中市のすぐ北に在する北摂地区の一市である。同市の中に「神田」という地名がある。同地は猪名川の左岸、池田の町の真南にあたり、古くから大きな集落があったようである。かつて、池田氏は室町時代に五月山山麓に池田城を建築した在地領主として一般に知られている。同氏の本拠地は本来、池田市南部であったとされていたのだ。実は「神田」には安土桃山時代末期まで池田氏所有の「神田館」と呼ばれる有力な館があったことがわかり、その説を裏付けとなったのだ。同館は現在の同市神田2丁目付近のやや小高い丘になっている所と推定されている。同館は池田城の出城のような役割を果たしていたが、織田信長の攻撃で池田城が落城した後、城主池田勝正が一時身を寄せていたのである。その後、勝正の弟・知正が1604(慶長9)年に没するまで在住していた。しかし、池田家再興の願いは叶わぬまま、同館は荒れ果てたそうで、現在は同館跡には何一つ残っておらず、地形から当時の様子を想像するしかないのである。 ちなみに、播磨国(現兵庫県)姫路藩52万石城主の大名池田輝政は同氏・同市とも縁一つない。輝政は織田信長・豊臣秀吉に仕えた池田恒興(信輝)の子で元は尾張国出身とされる。また、話がそれるが、江戸開府を経、豊臣家滅亡の折に大名として残れた家の大半は、元を辿ると現愛知県を筆頭に東海地方出身が多いのだ。これは天下統一の意を受けた織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下人御三家の3人とも愛知県(前2人は旧尾張国、家康は旧三河国出身)出身である事にも関連されていると思われる。彼等の有力家臣が勲功を重ねて江戸開府時には大名にまで出世できた、と考えるのがわかり易いか。勿論、薩摩の島津家や陸奥の南部家のように在地領主がそのまま大名にまでのし上った例もあるが。残念な事に近畿地区を基盤に置いていたような有力大名・在地領主は戦国時代の波に揉まれて一家も残らなかった。近畿は当時日本の中枢である京都に近く、生存競争が殊に激しかったので、確固たる基盤が成されぬまま潰されていったと考えるのが妥当である。 |
平成16年6月13日(日) 豊中市関連ネタ |
えんもゆかりもないが、ヨソの地名話を少し記す。 大阪府北摂地域に豊中市がある。大阪空港(伊丹空港)のある伊丹市のすぐ東隣にある。現在、阪急豊中駅の駅前は同市の中心地ともいえ、いつも人出で賑わっている。この「豊中」なる地名は周囲に在する「池田」や「伊丹」に比べれば全く新しい地名である。起源は、明治12(1889)年の町村制施行の際、新免、桜塚、岡町などの各村が合併して成立した「豊中」村が始まりで、その理由は「豊」島(てしま)郡の「中」央部だから「豊中」とされたのである。…結構安易な名付け方に感じるが。これは同市の「千里中央」と同じ発想の人工的地名なのだ。「豊中」村となるまでは現在の豊中駅付近は「新免」村といわれており、今では毎年秋に催される「新免太鼓巡業」の祭などにその名を残している。同駅東口を背にした時、左斜め前に商店街が伸びているのだが、この道筋がかつての旧能勢街道であり、この街道沿いに集落があったのである。この「新免」という地名は約15世紀の室町時代ごろから古文書に現れ、奈良興福寺や摂関家の領地があったようである。江戸時代には慶安元(1648)年に上総飯野藩(現富津市)保科家の領地となり、幕末まで同領地だったのである。名産としてはお茶があり、一時は新免茶として知られたようである。 明治の大合併以来、豊中のように新たな人工的地名が各所でできた事であろう。以前にも書いたが、私の生誕地守口市内でも、「庭窪」町が人工的地名である。東京都内の「紀尾井」町も、元は江戸時代に紀州(現和歌山市)藩・尾張(現名古屋市)藩・井伊(現彦根市)藩の各藩屋敷があったことに因んだ人工名である。他にも探せば幾らでも出てきそうだ。 |
平成16年6月12日(土) 京都こがん道路 |
京都観光者向けの面白い計画の話が本日新聞紙面にあったので紹介したい。 北から南へ緩やかな下り坂の続く京都市街地で、自転車でペダルをこがずに観光スポットを結ぶルート作りを市民団体が提案し、試走しているのだという。「こがない」と隣の滋賀県の琵琶湖の湖岸道路をもじって、「京都こがん道路観光」と命名、平均10km弱の21コースを試作し、月1回程度走行して安全性等を確かめている。この構想は、街づくりの市民グループ「町家倶楽部ネットワーク」(京都市上京区)が、西陣の町家で営業する自転車店と共同で約2年前から練っていたそうで、折りたたみ自転車をバス等の公共交通機関を使って洛北の坂上の観光地まで持ち寄り、上り坂に遭わないよう、銀閣寺から哲学の道を経て南禅寺へ南下する等のルートを選び、のんびりとした楽しみ方を勧めているのだ。メンバーの1人の方は、「車社会からの脱皮に一石投じたい」と語っている。貸自転車店との連携も検討中だそうだ。 私も京都で観光する際は、バスや地下鉄をあえて利用せず、徒歩で巡り歩く。その方がゆったりと町並みの観光もできるという訳だ。今回の自転車で殆どペダルを使わず観光する、この「京都こがん道路」計画は十分知り得てないながらも、私は賛成派である。本当に観光都市、文明都市等を謳いあげるのであれば、極力道路や車を利用しない方が様になっているのだ。個人的には実現化した暁には、早速京都観光する一存である。 |
平成16年6月11日(金) 欲深き共奏者達 |
台風が接近しているとの事だ。例によって、天気予報をあまり見ない私はすぐにわからなかったのである。個人的には、大阪という地はあまり台風の影響が少ないと考えている。実際、台風が来たとしても、少し風が強くなったふうに思うだけで、知らない間に通過していることが度々あった。地形的に台風が通りにくい場所なのかもしれない。 ところで、今日夕方に梅田で大学の吹奏楽サークルの友人教祖氏(どこぞのホンマの宗教者ではなく、HNである)と再会した。こんな台風接近してる時に…である。しかし、思った程雨風が少なかった感じである。サークル仲間との再会となれば、話す内容は自然と音楽ネタに走る。この教祖を含め、仲間の数人は未だにかつての在学中の下宿先に卒業した現在も居を構える大物達である。この居住地と最寄駅のすぐ近くにヤマハがあり、週末をメインに、此処でそれぞれ楽器・楽譜を持ち込んで思い思いに吹き合わす、音楽欲深き共奏者達が集う“会合の間”と化しているのだ。基本的に、ついこの前卒業したばかりの同期メンバーが殆どなのだが、教祖が言うには、まだ現役の後輩や、ついこの前に入学したばかりの後輩、更には近所の店の音楽経験ある店員…と、じわじわ触手が広がっており、少しずつ巨大化の動きが否めない現状らしい。また、このまま基礎固めをしてやがてはバンド化する計画も立案されており、音楽欲が彷彿する吹奏楽同志等の思念が徐々に実現化している実態である。但し、社会人と化した者もいれば就職できずアルバイトに精を出す者もおり、同日同刻に全員集合が叶わないのが現実で、なかなかメンバーが揃わない問題もある。加えて同所が交通上利便のきく場所でもないので、通うだけにも負担がかかるという問題点もあって全てが順調ではないが、いかなる境遇であれその意思は同じ所を向いているのは言うまでもない。将に欲深き同志達、と言えよう。 |
平成16年6月10日(木) 水の結晶 |
夜8時からは、TBS系列(大阪では4ch)で放送されている「うたばん」を大概見ている。ゲストは堂本剛、平原綾香、森山直太郎であった。元々は歌の番組として始まった筈なのに、だんだん方向性がずれてきている…と感じるのは筆者だけだろうか。当初はあった週間ランキングはいつの間にか消え、逆にゲストによってはクイズ対戦のみならず、野球やら卓球やらやる始末である。…まあ、別にどうでもいいんだが。 ところで、今日のお題は平原綾香の話で出た、「水の結晶」である。クラシック等の綺麗でいい曲を音波として水中に流して氷結化させると綺麗な結晶が作られ、逆に騒音に近い機械音やハードロック系の激しい曲で流して氷結化させると形状すらわからない無残な形に作られるのである。これはかなり前から化学分野では何かで出た話なのだが、果たして彼女は自分のヒット曲の「Jupiter」を流すとどうなるのか、という話に及び、実際実験を試みたのである。…番組側が。ここだけ見ると歌番組なのか化学の番組なのかよくわからない。言わずと知れた「Jupiter」は、かのホルストが作曲した組曲「惑星」の中の1曲で吹奏楽経験者の中で最も人気の曲である。この曲の1フレーズに彼女は歌詞を付けてアレンジしたのである。当然売れない筈はなかった。実験ではこの曲の他に、SMAPの大ヒットした「世界に一つだけの花」、及び中居作詞・作曲の「トイレットペーパーマン」なる曲の3曲で実験試みた。結果は「Jupiter」が最も綺麗な六角形の結晶が作られた。かの問題企業だった元・雪印のマークによく似ている。「世界に一つだけの花」も一部陰りがあったものの「Jupiter」に近い結晶が作られた。「トイレットペーパーマン」は半分だけ結晶化されたよくわからない形で、今までに実験で現れたことのない変な形であった。曲自体は少しだけ流れたが、とても評判になりそうな出来栄えではない。たぶんそれが表れたのだろう。ところで、これは植物にも同じ原理が当てはまる。クラシック系の曲を植物に聞かせると成長が早く、ロック系を聞かすと枯れたのである。これは実際かなり前から言われていた話で、どっかの外国で用いられているとTVにもなった記憶がある…うっすらだが。更に同じ理由で我々人間にも当てはまることがいえる。人間の身体は約70%は水分でできている、自然界に住まう一生物にすぎない。我々は耳の"鼓膜"を通じて聴神経を伝導して大脳に伝え、音を「聞く」のである。前述の事例からすると、例え人体を担う"水分"が結晶化されないとしても、その音を振動させる訳であるから、やがてはそれが……×××。特に悪影響を与える一因に、イヤホンによる音伝導がある。こちらの方が悪因を生み出しやすいそうだ。筆者は外出の際にイヤホン付MDLP型ウォークマンの多大なるお世話になっている。それだけにちょいと心配である。ただ、耳に入れる型のイヤホンはぶっ壊れており、現代は耳に"挟む"型のイヤホン(2代目)を利用している。耳に入れないだけに若干音漏れしがちな為、多少影響は受けにくいだろう…と安易でいるが、もしかしたら気付かぬうちに病んでいるかもしれない。「音は殺人にもなりうる」と、ある番組で誰かが言っていたが、あながち間違ってはいないだけに余計心配である。 |
平成16年6月9日(水) 金星の太陽面通過 |
新聞1面ど真ん中に、天体マニアにはたまらない現象の記事があった。地球、金星、太陽が一直線に並んで起きる「金星の太陽面通過」が8日午後に見られたのだ。日本では1300年ぶりに見えたそうである。梅雨空を抜けて、京都府某町の約6000mの上空からは、金星が太陽の直径約30分の1の黒い点として、ゆっくり移動する様が確認できたそうだ。国立天文台によると、金星は午後2時10分過ぎに、太陽の左側にかかり、重なったまま日没になった。次回お目にかかれるのは、8年後の2012年6月6日。その次は何と113年後の2117年12月11日となる。筆者と年齢近似する者は8年後を逃すともう見れないだろう。恐らく100歳まで生存できる方は、現状の日本社会から察すると現代ほど多くないと思う。あと2度見れたのならギネス認定必至の長寿者であろうが、まあいないだろう。それだけに、どうしても気になる、顔のブツブツが治らないくらいに気になる、という人は、意地でも8年後に注意しておくことである。ちなみに、大気汚染が進行すると、空気が汚れて天体おろか夜景の星すら見れなくなる。より鮮明に見たいなら都会より田舎へ出た方がよいだろう。同時に環境汚染に対する認識も連帯意識を持たす必要がある。 |
平成16年6月8日(火) 権勢打破 |
「心頭滅却すれば、火もまた涼し」 …一度は何処かで聞いた事のある一節だろう。これを唱えた人物は、旧甲斐国(現山梨県)東山梨郡に在した恵林寺の住持、快川紹喜という高名の禅僧と言われている。快川禅師は武田信玄が辞を尽して京より招聘した高僧で、その豪放な性格は信玄と心友の間柄だった。当時は戦国時代の最中で、甲斐の名門武田家が滅亡した1582年の事である。武田家が滅亡し、甲州侍が四散する中には、武田家以外の者も混ざっていた。その1人が六角義治(佐々木次郎)である。南近江の旧守護職六角承禎義賢(佐々木義賢)の子で、信長に滅ぼされた後、足利義昭の下で反信長同盟の推進に努めている。当時、勝頼の許に来ていた義昭の幕下は、義治と大和淡路守、それに僧侶の上福院の3人である。彼等は甲州の諸所方々を逃げ回った末、この恵林寺に逃げ込んだ。同寺は夢窓国師が開いた名刹で、武田家の菩提寺となっている。寺領3百貫、雲水2百人が常住していた。逸早くこの機密を知った信長は、3名の引渡しを求めたが、快川は寺は守護不入だから渡せぬ、と拒絶した。信長は3度に渡って使者を派遣して説いたが、快川は拒み続け、その間に3名を密かに逃がしてしまったのだ。その3度目の使者には明智光秀が当たった。光秀は礼を尽したので快川は気の毒に思い、3名が寺を去った事を告げたのである。信長は最後の決断に踏み切った。「寺も僧も、共に焼け」と。守護不入という既得権を打破せねば、新たな世は到来しないと考えた信長は、自軍の直轄部隊を寺域に侵入させ、一山の僧侶から稚児に至るまで、総勢150人余りを楼門に追立て、階下に枯草・薪木を積み上げて火を放ったのである。猛火は忽ちに燃え上がり、僧も稚児も泣き叫び、阿鼻叫喚の地獄図絵を思わせる事態となった。快川は群僧の首座にあって、曲ろくにもたれかかって最後の偈を唱えた。 安禅、必ずしも山水を用いず 心頭滅却すれば、火もまた涼し その後、楼門は焼け落ち、快川も群僧も灰燼と化したのであった。 はたして、そこまで人命を奪う必要があるのだろうか。しかし、当時は未だ鳴り止まない戦国の世、御恩奉公という鎌倉時代以来の封建体制は崩れ、部下が主人を隙あらば殺傷する下克上の時代である。常識的な思考は通用しないのである。革命のようなその非常な行動は、生温い考えでは達成できるものではない。それだけに、革命は非常手段であり、生半可な思考は通じないし、また軽々と決行すべきものでもない。国家と民族がそれしか生存の道がない以外は、厳に慎むべきものだ。周囲を反信長包囲網の陣が敷かれ、常に気の休まる事のなかった信長にとって、まさにその時に直面していたのであろう。 |
平成16年6月7日(月) 100年満期 |
本日紙面社会欄に面白い記事があったので紹介する。 日露戦争勃発の1904(明治37)年に、京都市上京区に住んでいた故・堀五郎兵衛氏が同市に寄付した100円が、今年4月8日に100年ぶりに満期を迎えた。物価指数換算で当時の100円には今の約12万円相当の値打ちがあった。寄付金は100倍以上の1万1194円の利子がついたが、物価は当時の1200倍超にもなり、貨幣価値は落ちる結果に。寄付する際の同氏は、「100年間取り崩さず慈恵費充てること」と指示しており、「恵まれない人たちの為に」と未来に差し伸べられた寄付ではあったが、故人の期待ほどにはならなかったようだ。 現金の長期運用では、元本が倍になる期間について、「72」を「年利(%)」で割った数字がその年数に相当するという「72の法則」がある。これに照らすと寄付金は、金融機関で平均5%近い金利で運用され、14年余りで2倍に、100年では約110倍にまで増えた。日銀などによると、1904年当時は、あんパン1個1銭、米1升20銭、東京・新橋〜大阪間鉄道運賃が4円である。貨幣価値がそのままなら、1200万円分の買い物ができてもよかったのだが、戦争時の急騰をはじめ、物価は桁違いに上昇してしまったのだ。 市保健福祉総務課によると、1950年に設置された「京都市蓄積指定基金」の条例に寄付の指定条件と金額が記され、これまで忘れず引き継がれてきたが、残念なことに、同氏に関する記録は他に無く、住所地には子孫も記憶するする人もいない。京都市は、「男性が期待していた結果になったか疑問は残るが、その意思だけは守りたい」と、元金と利子の計1万1194円を路上生活者への事業に生かすことを検討中である。 物価変動により貨幣価値が変わって、たいした額にはならなかったが、100年間故人の意思を守り、福祉事業にいかすといる京都市の対処も見逃せないものがある。 |
平成16年6月6日(日) 琵琶湖 |
当HPで用いる小ネタは歴史モノだけでなく、自然に関するネタもちょこちょこ採用する事がある。筆者は“自然に優しいHP”を心掛けており、いずれはそれへと衣替えしたいところだ。…何ともうそ臭い冒頭のマクラであるが、まあ、筆者の重みのない独り言として各自処理していただきたい。 本日は、琵琶湖ネタが昨日の紙面1面を飾っていたので、それを紹介する。 滋賀県琵琶湖研究所(大津市)等の調査チームが、琵琶湖(最深部約104m)の水深約70mの湖底で、わき水のようなものが出ている様子のビデオ撮影に成功した。琵琶湖では、水深10m程度でのわき水が確認されているが、それ以上に深い場所では確認例がない。同研究所の熊谷道夫総括研究員や、金沢大、京都大、立命館大のメンバーらによる調査チームが先月10日、潜水ロボットを使って湖底を調査した。安曇川の河口部(安曇川町)から約500m沖を調査中、穴のようなところから上っている水の流れをとらえた。更には、付近の100m四方程度の範囲で約10ヶ所、似たような現象を撮影した。滋賀県では昨年度から、湖に流れ込む流域全体の水循環メカニズムの分析を進めており、地下水の流れの解明が進めば、今後の渇水対策などにも役立ちそうである。同総括研究員は「湖の全体像を把握して初めて、水の管理や環境対策などに十分講じる事ができる。今回の結果が、琵琶湖を知る事に目が向くきっかけになれば」と話している。かつては水不足で琵琶湖の水位が過去最悪に低下した、などと問題化されていただけに、今回の更なる調査が期待される。 ちなみに余談だが、滋賀県安曇川町は我が郷里、大阪府守口市と友好都市の関係を結んでおり、以来交流がなされて今日に至っている。…といってる筆者が、生誕以来機会なく、ただの一度も同町へ足を踏み入れた 事がないので発言力はないのだが、お近くへ立ち寄りの際は、是非足を運んでいただきとうござる。 |
平成16年6月5日(土) 淀川工業高校吹奏楽部 |
今日はかなり長文なのだが、我慢してお付き合い下さい。 本日、守口市内に在するさつきホールもりぐち(京阪守口市駅徒歩5分、地下鉄守口駅徒歩1分)で大阪市立淀川工業高校(通称“淀工”)吹奏楽部による定期演奏会、第31回サマーコンサートが開催された。同演奏会は2日4度に渡って開催され、今回は本日の開演時間が14:00と18:30、明日の開演時間が12:00と16:30である。時間ある方は明日にでも当日券を求められたし。さて、同吹奏楽部は吹奏楽日本一にも輝いたことのある有名校であり、その活躍は日本に留まらず、米国や台湾、シンガポール等と海外公演も果たしている。同吹奏楽部は今年で創部45周年記念も兼ねており、曲目も馴染みの曲をメインにピックアップしたそうだ。指揮は丸谷明夫氏と出向井誉之氏であるが、メインはなんといっても丸谷氏である。私や友人Koroheru氏は母校守口一中が淀工と道路挟んで隣どうしだったこともあってか、同氏と同吹奏楽部の腕は知る所だ。 ところが、今回は少し様子が異なる。舞台前方に小汚い姿の小型カメラを持つ男がいたのだ。丸谷氏からの紹介を聞くや、日本テレビ系列「笑ってコラえて」(大阪では10ch読売TV19〜20時、所ジョージ司会)に登場する黒崎ディレクターその人だった。どうやら同番組からの取材でここ数日丸谷氏と同吹奏楽部にカメラを回し、合わせて演奏会のシーンも回していたのだ。実際放映されるのはごく一部のみだが、7月初旬に放送が予定されている。是非とも御覧されたし。ちなみに筆者が観客席に映っているかも…(笑)。ただ、最近の日本テレビの不祥事もあって、さり気なく丸谷氏に釘を指された黒崎Dは恐縮しまくりだった。その姿が滑稽で面白かった。また、同吹奏楽部は番組から東京への招待も受けているという。が、同校は公立であり、流石に授業を潰してまで行けないと再三拒否をしたのだが、終ってからでも相違ないとの熱烈ラブコールを出され、演奏会終了後に同吹奏楽部が東京へ出立する事になったという。えらい持ち上げ様である。ここいらで汚名挽回を図る日本テレビの策略なのだろうか。 それでは以下に同コンサートでの曲目を掲げる。 ―T部― 吹奏楽のための「風之舞」―――――田嶋勉 エアーズ―――――――――――――北爪道夫 祈りの旅―――――――――――――福田洋介 スペイン狂詩曲――――――――――M・ラヴェル/立田浩介編 ―U部― オリンピックマーチ――――――――古関裕而 「おたのしみコーナー」――――――丸谷明夫 カーペンターズ・フォーエバー―――真島俊夫編 ―V部― 鳥たちの神話―――――――――――藤井修 カルメン第一組曲―――――――――G・ビゼー ザ・ヒットパレード――――――――桂田翔智 (順に、パラダイス銀河、Back to the future、Hop Step Jump、幸せなら手を叩こう、六甲おろし、明日があるさ、We are the world) 上記のうち、吹奏楽のための「風之舞」、エアーズ、祈りの旅、鳥たちの神話は今年度の吹奏楽コンクール課題曲である。本来なら1曲だけなのだが、全曲全てをやり遂げてしかも演奏会で演奏するんだから、将に実力校ならではのやり口だと思う。残念ながら、筆者の母校のN高吹奏楽部、K大の吹奏楽同好会はとても太刀打ちできない。それだけに彼等の演奏を聴くとちょっとジェラシー感が出ざるを得ない。 ところで、U部は約1500人を抱える淀工OB吹奏楽団による演奏である。一線を退きながらも、その腕前は現役以上に迫力がある。オリンピックマーチは1964年東京五輪のマーチである。冒頭にトランペット(ファンファーレ用と思われる、ベルの先に旗が付いた細長いトランペット)がファンファーレを輝かしく奏で、歯切れ良いマーチが打たれる。ちなみに、筆者がファンファーレと言って浮かべるのは競馬の重賞(G1)ファンファーレが多い。競馬や馬の事は無知なのに、ファンファーレだけは手が出てしまう。CDや楽譜まで入手済みだ。同じ理由にF1も該当する。やはりT-スクエアの「Truth」がお気に入りだ。…というか、それしか知らない。他にもあるなら教えていただきたい。 お楽しみコーナーは、丸谷氏司会で楽器紹介すると同時に誰もが知る簡単な一曲を吹いて観客に答えさせるのと、演者の近況報告を兼ねたクイズコーナーでもある。毎年の事ながら、トランペットパートは大体灰汁の強い人が照明の演出が付いて演奏され、一時の一人舞台に転じてしまう。今回 クイズにされたのは「はぐれ刑事のテーマ」だが、この曲はトランペットの音が凄く高い。それを1フレーズ吹けるというのは、やはり同パート演者として羨ましい限りだ。 V部の最後、ザ・ヒットパレードは馴染みの曲を演奏する“アトラクション”ステージでもある。大概の学校はアトラクションをU部にもってきがちなのだが、淀工は毎年最後に持ってくるのである。今回は創立45周年なので、今迄の演奏曲からコレというものを選出したそうだ。このうち、パラダイス銀河、Hop Step Jump、六甲おろし、We are the worldは毎年演奏する、しかもパラダイス銀河は一番最初、We are the worldは一番最後と決まっている。たぶん演奏しやすくノリ易い曲だからだろう。勿論、殆どの曲は生徒が歌って踊る。今回は無かったが歌謡曲や演歌も演奏されている。吹奏楽を嗜む学生だけでなく、近所や遠方より家族連れで足を運ぶ方々も多いので、ご年配者向けに用意してあるのだろう。最後のWe are the worldはサイリウム(1本200円、6本で1000円)を利用して観客との相乗効果を促す。同曲では完全に照明が消され周囲が暗黒に包まれる。そこで観客が折ると光るサイリウムを持って左右に振るのである。同時に舞台上には星型のライトと数ヶ所のフラッシュが放たれる。この時、会場内は夜景の星空のような演出となる。演者と観客が一体で舞台を作るという事になるのだ。ところで、鳥たちの神話では、今回は指揮者公募のコーナーのようにし、音楽に携わる顧問や生徒から本番前に一般公募し指揮を振ってもらうという企画が出た。これは筆者の記憶では初めての試みでないかと思われる。選ばれたのは“淀の水中学校”の手塚先生という方だった。公募は受付でアンケート用紙に記入する形式なのだが、生徒がこっそり書込んでいたようで当人は訳が判らず、鞄持ったままで舞台に上がってしまった。しかし、やはりコンクール出場校、ぶっつけ本番なのに何とかやりきるのである。丸谷氏から記念品を受け取った同氏はそそくさと席に戻ったのだった。 最後にアンコールは必ず2曲する。名前は解らないのだが、1つは加山雄三メドレーぽいもの、もう1つは同吹奏楽部が好物だというバイエルンの○○とかいうマーチング曲らしい。平然と立ち見が溢れるほどいた同コンサート、是非とも興味あれば足を運んでいただきたい。勿論他校の演奏会も足を運んでいただき、吹奏楽の真髄を1人でも多く耳にしていただきたいものだ。 …最後に、同演奏会は演出にこっている(個人的推測)ので、負けじと当HPでもいじくってみたが如何だろう。見にくかったら止めます(泣)。 |
平成16年6月4日(金) 東大寺仏塔 |
本日も紙面からのピックアップだが、仏寺造営に関する記事なので難しいかもしれない。 奈良県立橿原考古学研究所は昨日、東大寺の旧境内にあたる奈良市雑司町の空海寺境内で、奈良時代中頃〜後半(8世紀後半)の大型鋳造土坑が発見されたと発表した。土坑は縦横2.9m、深さ1.3mあり、そこからは木簡も出土し、そこには塔の頂上に付く装飾「相輪」を示す「露盤」の文字が書かれていた。同境内にはかつて東西に2つの七重塔があったことから、橿考研は「その相輪を製造した『鋳所(ちゅうしょ)』と考えられる」としており、同寺の造営過程を考える上で重要な資料となりそうだ。空海寺は大仏殿の北約360mにあり、同寺の庫裡(くり)新築に伴い約110uを調査した結果、土坑の埋土から木簡7点や鋳型の破片等が出土したのだ。その木簡の一つ(長さ13.8m、幅2cm)には「人作露盤伏鉢樋八枚形」と墨書されており、「露盤の伏鉢部分の『樋』(部品名?)八枚の、鋳造用の形を□人(□は折れてしまっていて読めず)で作った」との意味らしい。露盤は相輪の一番下の部品名だが、当時は相輪全体を指していた。東大寺の造営にあたっては、臨時の役所「造東大寺司」が設けられ、金属製品の製造は下部組織である鋳所が担った。同寺の戒壇(かいだん)院近くでは、過去に梵鐘を作ったらしい大型の鋳造土坑が見つかっており、鋳所だと考えられている。この発見で、未解明だった造営当時の様子を探る大きな手がかりとなりそうである。 |
平成16年6月3日(木) 塩化物イオン |
今回は少し化学の知識を混ぜこぜする。 金属製の文化財をさびさせる大気中の天敵である、「塩化物イオン」の濃度が、この13年間で奈良市内でほぼ半減していることがわかった。塩化物イオンは、主にビニル製品を燃やす事で発生する。1997年、東京文化財研究所などの調査で、東大寺大仏殿前の八角燈籠(国宝、奈良時代、金銅製)がさびて解体修理されるなど、その原因物質として問題化されている。塩化物系さびは、海水の塩分の影響で発生する事はあるが、盆地ではほとんどなく、大気汚染が原因とみられていた。同物質は進行性で、銅の色を黄緑っぽく変化させるなどの影響も大きい。奈良市は99年からペットボトルの分別回収を開始し、また同年にゴミ焼却施設を改良して排煙ろ過装置のダイオキシン除去性能をアップさせた。そして、西山要一・奈良大教授(保存科学)らの調査により、これらの効果が推定された。同教授は東大寺などに観測点(現在23ヶ所)を設置し、1989年から大気汚染や文化財への影響を調査。薬品を浸したろ紙を1ヶ月間さらし、イオンや酸性雨の原因となる二酸化硫黄、二酸化窒素などを集め量を測定したところ、塩化物イオンは、薬師寺では1991年、1日1uあたり約12μgだったのが、2003年には同約5μgに激減。他にも、東大寺(91年・7μg=03年・5μg)、興福寺(同7μg=同3μg)、春日大社(同4μg=同2μg)など、全調査地点で濃度が減少していた。化学物質はほんの微量でも、その与える影響は甚だ大きいものだ。同じく古都で、大気汚染が進行している京都では果たしてどうなるのだろうか。世界有数の歴史都市なだけに、これらの古都を如何に汚染物質から守護するかは、同府県民のみならず、我々日本人に課された終り無き宿題でもあろう。西洋の、酸性雨で溶解して原型すら望めない大理石の彫像の二の舞にならない為にも、日本人の心が宿り、外国人の目に焼き付けて止まない古都京都・奈良を守る手段に着手する必要があるのだ。 |
平成16年6月2日(水) ラーメン |
今晩、久々に大学の友人と京都四条で再会し、晩飯を食いに行く事になった。メニューは勿論ラーメンである。当方は筆者のラーメン仲間(こってり派)の一人であり、大学生活後半からたびたび"こってり"ラーメン巡りした仲である。調子がいい時は某所で2件"はしご"した事もある。当然今回もまだ制覇(?)していない箇所を探索する為、通りかかったジュンク堂へ駆け込んでターゲットをチョイス。現在東魚屋町四条にいるという事で近場のラーメン屋を探った結果、東洞院錦小路(四条烏丸北東)付近に在所する「一風堂」に決定。会社帰りの人間で混雑が推定されたものの、たまたま勘定終えた方々と入れ違いで入れ、すんなり着座できたのだった。案の定、その数分程した後、入口付近で席が空くのを待つ客連中が順番待ちしていた。何とタイミングよかったことか。ちなみに当店ラーメンは食べやすかったのだが、予想していたほどの"こってり"感はなかったと思われる。筆者が身勝手に選択するこってり度上位は、現段階で無鉄砲、一作、天下一品で当店はこれらよりは下に感ずる。新たな"こってり"ラーメンを探るべく、今後も"こってり"を追い求めて我が道を歩く管理人であった。 |
平成16年6月1日(火) 周王墓 |
本日は四海を越え支那(中国)に関する歴史を紐解く。昨日の紙面1面にも飾られたが、約3000年前に誕生した中国の古代王朝、周(?〜前256年)の王墓群と思われる大陵墓遺跡が西安の西方に位置する周の古都・周原地域の陝西(せんせい)省岐山県で発見されたことが、中国の調査関係筋からの情報で明らかとなった。周は紀元前1050年頃に、殷の紂王(ちゅうおう)を倒した武王の殷周革命で成立された王朝で、武王時代から第12代幽王が殺された前771年迄を西周、幽王の子の平王が都を成周に東遷し、秦に滅ぼされるまでの前770〜前256年までを東周(春秋戦国時代)と呼ばれている。周原は武王の祖父の時代に移住して勢力を蓄えた故地で、西周の都が他に移った後も国の政治・宗教上の中心として栄えた所である。今回発見された王墓群は殷墟(いんきょ)の殷王墓とほぼ同規模。周は古代王朝の中でもその王墓が不明で考古学上の謎とされていただけに、20世紀初頭の殷墟発掘に次ぐ最大級の発見として発掘が期待されているのだ。調査を実施したのは北京大学考古系調査隊と陝西省考古研究所で、今年5月初めから考古調査のためのボーリング調査が進められてきた。岐山県城から西北へ約7.5kmの周公廟近くの丘陵の斜面に12基の大墓が確認された。それを取り囲むように厚さ10mの城壁が東側長さ700m、北側300m、西側500mにわたって見つかり、墓域は少なくとも約20万uに達することがわかったのだ。遺跡が見つかった周原は周王朝ゆかりの場所であり、4本の墓道を備えた規模のものや12基もの大墓を擁する広大な墓域であることも確認されており、関係筋は「西周期の王墓群の可能性が高い」とみている。司馬遷の「史記」に登場しながら、殷、周の古代王朝は一時存在が疑われていた。そのうち殷は甲骨文字の発見がきっかけとなって、1928年からの発掘調査でその存在が確認され、西周期の王墓が古代史の空白となっていたのだ。それだけに、今回の発見は空白の古代史を埋めうる貴重な発見といえるだろう。 |