平成21年1月2日(日) 初詣兼観光巡り |
毎年のことですが、新年を迎えると、友人と共に京阪沿線の初詣と観光を兼ねた七ヶ所の寺社巡りをやっています。これを始めたのは高校時代に中学の友人等数名と。それが毎年続き、近年は大学の友人とお参りに行くのが我々の中での恒例です。 元は京阪電鉄が毎年年末年始に発売する1日フリー切符(年末年始版京阪線用)を購入すると朱印帳が貰え、そこに記載された七箇所の社寺を初詣に巡り、朱印を戴くというのが事の発端です。(朱印帳は満願の後に額縁や掛け軸で飾ることが可能) (※ちなみに、当切符を購入すると、「おけいはん特製卓上カレンダー」が当たるスピードくじを引けます。管理人、3年前に当りが出た守口市駅で、今回も縁担ぎに守口市まで出向き購入してくじを引くと、なんと当選!カレンダー貰いました(喜)。) 最初のうちは大晦日の深夜に外出し、京都八幡市の石清水八幡宮で年越し、その後は京阪沿線の各寺社へ巡って、最後に大阪天満宮参詣で締める、というのが恒例だったんですが、なかなか時間があわなくなってきたので、三が日のいずれかに参詣に伺うようになりました。本日も例年のようにお参りしてきたのです。 以下は、参詣先の七つ。 毎年同じ所を巡る為、ここでは同じことを書くことになるので、すいませんが勝手ながら昨年の記事を一部(というか大半)使いまわさせていただきます(‐‐;) 正しくは賀茂御祖(かもみおや)神社。祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)。上賀茂神社を上社(かみしゃ)、当社を下社(しもしゃ)と略称し、賀茂社と総称する。 祭神の賀茂建角身命は上社の賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)の外祖父で、玉依媛命はその母にあたる。第10代崇神天皇の頃には瑞垣築造の記述があるそうで、平安遷都後は王城鎮護の社として朝廷はじめ公家や武家の崇敬を集めた。社叢(しゃそう)は糺(ただす)の森と呼ばれ、古代祭祀の遺構が発見されてるそうです。 1月4日には、境内斎庭でけまり初めが行われる。 祭神は第50代桓武天皇、第121代孝明天皇。 明治二十八年(1895)、平安奠都千百年紀念祭の時に、京都の始祖桓武天皇を奉祝する神宮として創建、京都総鎮守の社とされた。社殿は平安京の朝堂院(大内裏の正庁)を模して約八分の五に縮小し、二層の神門は応天門、拝殿は大極殿を模して建立。紀元二千六百年にあたる昭和十五年(1940)、孝明天皇を合祀して社殿や回廊が増築され現在の姿に整えられた。 祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)。 祗園社・祗園感神院(ぎおんかんじんいん)・祗園天神社・牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)等と呼ばれたが、明治元年に現社名となった。斉明天皇二年(656)に高麗から来朝した伊利之(いりし)(八坂氏祖)が新羅国牛頭山の素戔嗚尊の神霊を八坂郷に祀ったと伝えられる。又は、貞観十八年(876)に南都興福寺の円如(えんにょ)が堂宇を建て、後に祗園天神堂を建立したともいう。古来より疫病除けの神として崇敬されている。 毎年7月に行われる、祇園祭で有名な神社。 祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)。全国に約三万とある稲荷神社の総本宮。 和銅四年(711)に秦伊呂具(はたのいろぐ)が稲荷山の三ヵ峰に三柱を創祀したという。天長四年(827)に空海が東寺の鎮守神として稲荷神を祀り、歴代天皇の行幸とともに民間にも広く信仰され、平安京の五条以南が氏子圏となって祗園社と京を二分したそうである。 祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、比淘蜷_(ひめおおみかみ)。嘗ては男山八幡宮ともいわれていたらしい。 奈良大安寺の行教(ぎょうきょう)が、貞観元年(859)に宇佐八幡宮のお告げをうけ勧請した。伊勢神宮に次ぐ宗廟として朝廷に崇敬され、歴代天皇が参詣した。また、弓矢の神、戦勝の神として武家の信仰も篤く、源氏の氏神として八幡信仰が全国に広まった。 正しくは、成田山大阪別院明王院という。千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院。 真言宗智山派の寺院で、本尊は不動明王。昭和九年(1934)創建。商都大阪の鬼門の位置に相当するため、鬼門除けとしても信仰されている。 現在、成田山といえば「交通安全」の御利益で有名。 祭神は菅原道真。毎年7月24〜25日に行われる天神祭は日本三大祭の一つ。 昌泰4年(901)菅原道真が、藤原時平により九州太宰府へ配転(昌泰の変)させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した後大宰府へ向うが二年後に薨去。天暦三年(949)に大将軍社の前に突如7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わり、村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。 道真の死後、京には異変が相次ぎ、道真の祟りだと恐れた朝廷は罪を赦すと共に贈位を行った。清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出たことから、道真の怨霊は雷神と結びつけられ天神信仰が始まったが、生前優れた学者・歌人であったため、後に学問の神として信仰されるようになる。 |
平成21年1月1日(日) 謹賀新年 |
明けましておめでとうございます。 新年来迎を祝し、皆々様の御清栄並びに御多幸を心より御祈り申し上げます。 最近、更新をさぼりがちですが、忘れている訳ではないので(といいつつ忘れている)、どうか長〜〜い眼で見守ってくだされば幸いです。 ともあれ、今年度も宜しくお願い申し上げます。並びに、皆々様の当HPへの益々の御愛好を重ねてお願い申し上げます。 |