| 平成17年1月30日(日) 地下迷路 |
| 今日は「介護保険事務」という資格の受験のために梅田へ出かけました。会場は阪急前から扇町通りを東進すること約10分程度のところにある某ビルの一室です。いつもなら、京阪淀屋橋駅から御堂筋を北上していくところなのですが、うっかり寝坊しかけたためにJRを利用して大阪駅から地下街を通って会場へ行きました。いやー危なかった(汗)。 ところで、梅田の地下街へ一度でも凝られた方ならわかるかと思いますが、同地下街は結構広くて道が迷いやすい感じがします。数年前の新聞の地域欄(近畿地区)にも迷路のような梅田の地下街を扱った記事があったのを覚えています。確か記事内には道に迷った人が交番や売店などに道を尋ねるのが1日で30件は下らない、と記載されてました。大阪府内に住んでいる人でさえ、迷う人が結構いるというのです、府外から初めて来た人で地理に詳しくない人だとほとんどパニックのような状態になるんではないでしょうか。某友人の言っていた言葉を借りると、ある種、現実版RPGのダンジョンみたいな感じです。モンスターが出現しないだけマシですが。ちなみに格安チケットショップのある地下2階はドラクエ4のト○ネコ現実版を体感できる空間という表現ができますでしょうか。…とブツブツそんな事をいってる私は、以外にも幼少時から友人と自転車でよくぶらぶら遊びに来ていたのでまずそんな心配はありません。勿論、梅田から割と近い守口という地に在居していた事実も手伝っていたためですが。梅田の地下でよく迷う人は、是非地図を片手にこの生きたダンジョンをクリアしてみて下さい。 |
| 平成17年1月29日(土) 梅 |
| 月末(正確には毎月1日発行)になると、鉄道各社では情報誌を発行しています。大概の駅前、改札付近に無料で置いてあります。私は京阪沿線住いなので、京阪電鉄の情報誌「K PRESS」というのを貰っていきます。今月の特集だけでなく、鉄道及びグループ会社の情報、沿線でのイベント、歴史の裏話等々、いろいろな情報が掲載されています。最近では今年度大河ドラマでもある「義経」に関する情報やイベントも出てきています。そしてページ中ほどには沿線の「梅のみどころ」情報も出てきました。そういえば、もう梅のシーズンやったんですな。 梅といえば、古代から日本人にとって馴染みのある花の一つです。今では「花」といえば“桜”をイメージしますが、古代では花といえば“梅”だったのです。「万葉集」には百首以上も詠まれていたらしく、古くから愛でられていたのがわかります。私が昔に教わった話では、「花=梅」から「花=桜」へと意識が変わってきたのは、だいたい中世の始め頃だと習った記憶があります。鎌倉時代に作成された「小倉百人一首」を見ても、なんとなくですが植物を扱った和歌では、桜を連想できるものが幾つかあるのがわかります。 ところで、梅で有名な人物といえば、“学問の神”で馴染み深い菅公こと菅原道真を挙げられるでしょう。道真自身も梅の花が非常に大好きで、藤原家の陰謀で九州大宰府に左遷(901年)され、『東風(こち)吹かばひほひおこせよ梅の花、あるじなしとて春なわすれそ』と詠い、遠く京の都の春を偲んだことは有名です。そのため、菅原家の家紋は梅の紋を使用していますし、菅公を祀った天満宮の神紋も梅紋が使われています。家紋の話になってしまいますが、梅紋は正確には梅花(ばいか)紋と梅鉢(うめばち)紋の二系統があります。梅の花を写実的にデザインしたものが前者で、菅原氏と天満宮にゆかりのある諸氏の代表家紋です。後者は、梅花を抽象的にデフォルメし、五弁の花を円(星)に単純化、花芯(しべ)を"バチ"(弦楽器などのバチ)のように形象化したところから梅バチ(鉢)と呼ばれています。加賀百万石の前田家の正紋として有名です。残念にも参考図を当頁で出せないので見比べることが出来ないのですが、インターネットで検索してみれば、恐らくわかってもらえると思います。 ……と、天満宮と梅の話をしたので、ちょっとここらで天満宮の梅を見に行くのも一興ではないでしょうか。 |
| 平成17年1月25日(火) 花粉猛威 |
| 新聞を読んでいると、最近「花粉症」に関わる記事が徐々に増えてきた感じがします。本日付の記事にも早速記事が見られました。私も幼少時は特に症状が悪かった経験があるだけに、こういう記事には特に注意しています。 記事によれば、第一生命経済研究所の試算では、過去最大級と予想される今春のスギ花粉の飛散によって、個人消費が減少し実質GDP(国内総生産)成長率が押し下げられる可能性があるそうです。花粉症の人が外出を控え、外食、旅行などを手控えるためで、景気に悪影響を与える恐れがあると分析されています。過去10年間の調査により、猛暑だった翌春には花粉の飛散量が増加していることがわかっており、そのため今春は外出控える人が増えて消費低迷の可能性があるということです。 東京都によれば、花粉の飛散量はここ10年最少だった昨年の30倍にのぼるといわれてるそうです。その中でも特にひどい八王子市では更に倍ほどになるおそれがあるそうで…。昨年は特に地震や台風が多発していただけに、“一難去ってまた一難”といえそうです。西日本でも例年になく多くのスギの雄花が観察されているそうです。厚生労働省もこの大量飛散に対し初の緊急対策に取り組むとのこと。原因は一昨年の冷夏、昨年の猛暑という2年間の夏の気候の落差と考えられています。 ところで、この「花粉症」というものは戦前までは無かったそうです。もちろんもっと古い古代も然りです。新聞の記事には次のような和歌が引用されていました。 いにしえの人の植えけむ杉が枝(え)に 霞たなびく春は来(き)ぬらし これは万葉の歌人の誰かが詠んだものだそうです。春の訪れをこのような表現で喜んだ人達は、スギの放つ花粉で困っている現代人をどのように見ているのでしょうね。 |
| 平成17年1月24日(月) 大阪府学区再編 |
| 新聞を見た大阪府民の方なら特によくおわかりだと思いますが、普通科高校の通学区域(学区)の見直しを進めている大阪府学校教育審議会の通学区域専門部会が24日、現在の9学区から4学区に再編することが妥当だという報告書をまとめたそうです。報告書を基に4月にも府学校教育審議会が答申し、府教委は2007年度から実施する方針のようです。このような学区見直しは1973年に5学区から現在の9学区に細分化して以来。4学区案は現在の第1と第2(大阪市北区や豊中市など北摂地域)、第3と第4(大阪市福島区や枚方市など河内地区)、第5〜7(大阪市天王寺区や東大阪市など)、第8と第9(堺市など泉州地域)の各学区をそれぞれ統合して通学区域を拡大する方針です。また報告書には学区に関係なく府内全域から各高校が募集する調整枠の設置検討も盛り込んでいるとのこと。これが実施されれば、受験できる高校の選択肢が大幅に拡大されることになります。 私の住んでいた守口市は第4学区に属しています。第4学区は守口市の他に、枚方市・寝屋川市・大東市・門真市・四条畷市・交野市の7市があり、旧国名で河内国の北部にあたるために、“北河内”と言われる事もあります。私の経験を例にすると、中学までは守口市内の学校に通っていましたが、高校受験の際にはこの学区内にある学校を受験することになります。学区外に出て第3学区内の学校などの受験は出来ないという訳です(私立は異なる)。ところが今回の学区再編が実施されると、今まで受験できなかった第3学区と統合して“新”第2学区となるため、志望校の選択肢が大きく拡大されることになります。もし私が今中学生だったとすると、受験時には上記7市内の学校だけでなく、“旧”第3学区だった大阪市旭区や福島区などの学校からも受験校を選べることになります。――とまあ自分を例えに使ってみましたが、既に卒業した今ではあまり関係のない話なんですけど。兄弟姉妹で高校受験のある方は、参考までにと紹介したまでです。 ここ数年「平成の大合併」なる市町村の統廃合が全国で起こっていますが、大阪府内では市町村だけでなく学区の統合にも検討している現状のようです。他の都道府県ではどうなんでしょう。 |
| 平成17年1月22日(土) 木乃伊 |
| 題目の漢字を読めるでしょうか。起源はわかりませんが、実はこの3文字で「ミイラ」と読みます。日本語の漢字は面白いものです、漢字を全く異なる読み方で読むものがあるんですから。他にも、地名では「一口」、名前では「服部」などがあります。前者は「いもあらい」(人名の場合、“いっこう”と読みもある。)、後者は「はっとり」と読みます。後者は簡単でしたが。「一口」は、多くの人がいる建物の中で出口が一つしかない場合、一斉に出ようとすると人が殺到して“芋を洗う”ような状態になる、という訳で「いもあらい」という読みになったそうです。「服部」の起源は、古代の役職の一つです。古代は色々な職業を司る「部」という単位があり、そのうち衣服関係を担当する「服織部(はたおりべ)」を世襲した人々がこれを姓としたことに由来するそうです。やがて「服織部」から「服部(はとりべ)」へ、さらに語尾が落ちて音便作用により「服部(はっとり)」となったそうです。語源の由来を調べるのも面白いですよ。 ところで、何故に冒頭で「木乃伊」を出したかというと、紙面に新たなミイラが発見されたとの記事を見つけたからです。テレビにも度々登場したことのある、早稲田大学の吉村作治教授(エジプト考古学)が同大学エジプト学研究所と共にエジプト・カイロ近郊のダハシュール北遺跡調査中、21日に約3750年前の古代エジプト中王国・第13王朝期と見られるミイラを発見したとの発表がなされました。記事によると、極彩色のマスクをつけた未盗掘のミイラであり、未盗掘で未破壊の完全な形で発見された例としては最古級だそうです。保存状態も極めて良く、今後の研究に寄与しそうだとのこと。 ミイラを収めた木棺は今月5日に地下約5mで発見され、棺には「セヌウ」という男性の名と行政官を意味する「アチュ」という称号が書かれているそうです。ミイラは白い布で包まれ、顔を覆うマスクには青や赤、黒などの鮮やかな彩色が残っており、ミイラ自体の調査はまだだが装身具などの豊かな副葬品があるのは確実だとのことです。ミイラや棺は副葬品目当ての盗掘で破壊された例が殆どですが、今回は棺を収めた穴の上部に岩が詰められていたことなどから発見されずに無事だったそうです。 研究が進めば、きっと古代エジプトに新たな事実がお目見えするのでしょう。今後しばらくはエジプト史に注目が注がれそうです。 |
| 平成17年1月21日(金) 歴検結果 |
| 先月受験した「歴史能力検定 日本史2級」の結果が通知されてきました。封筒を開けると、……なんと、合格証書がっ(B5サイズ)!遂に悲願(というのは大げさだが)の資格を取得できたわけです。これで私の歴史への情熱(?)が結果として形になった訳です。次はいよいよ難問揃いの1級奪取を狙ってまた受験検討中であります。次回2005年度第1回試験は7月10日に2〜5級が実施されます(1級は12月の第2回試験のみ)。興味有られる方は是非検討してみては如何でしょう。 ちなみに、封書には合格証と同時に全検定結果の用紙も同封されていました。私の受験した日本史2級は、ボーダーラインが60点、合格率が約4割5分でした。私は74点だったので無事合格です。一所懸命刻苦勉励すれば、取得も夢ではないレベルかもしれないですね。ただし1級は合格率ががくっと減って10%台になります。やはり難問揃いのようで…。 |
| 平成17年1月18日(火) ラーメン巡り旅・旧友再来記 |
| 事の発端は、今から約1週間前の一本の電話でした。見慣れぬ電話番号ながらも躊躇しながら出てみると、スローペースな口調の懐かしい声が。声の主は、当ホームページでは音信不通扱いとされていた元「K松」ことヌルハチ氏(掲示板ではミドルネーム(?)の“交響楽的うめぼし”と名乗っている〔by本人〕)でした。当HPの「音楽」の頁でちらっと名前を出していますが、彼は私に色々曲を提供してくれる古くからの“音楽仲間”で、友人歴は同じ音楽繋がりで度々登場するkoroheru氏よりも古くから交流のある古豪なのです。ちなみに我々3人は吹奏楽繋がりで、ヌルハチ氏は低音楽器のチューバを吹いていました。個人的には3人でアンサンブル組んでみたいものですねえ…。 そんなヌルハチ氏と今晩再会することになりました。寝屋川市某所でヌルハチ氏と再会。恐らく約5年ぶりだと思われますが、全く変わっていませんのですぐわかりました。会うなり名刺交換のごとく年賀状交換。久々の再会を祝して、恒例(?)のラーメン屋へ。今回は寝屋川市を走る国道170号線(通称;大阪外環状線、略して外環)沿いから府道21号線(八尾枚方線)に入ったところにある、「来来亭」というラーメン屋に行きました。ありがたい事に、ここでは麺の太さ(太め・細め)、汁の濃さ(濃い・薄い)など数項目が事前に決める事ができるのです。私はとりあえず定食を頼んでラーメンを濃い目で注文しました。とんこつ風味で味もよく、麺の感触も良かったです。実はヌルハチ氏と会う前に自宅で晩飯を取っているのにも関わらず、また食べに来ているのです。第二の晩飯の始まりです。相変わらずのきちんと平らげ、改めて自分の胃の丈夫さに関心しました。さらにマクドナルドに出かけてシェイク等を注文。さすがに今日は食べ過ぎた感が来ましたが、食前食後も昔話や音楽談議に花咲かせておりました。 ヌルハチ氏との音信が再開されたことで、しばらく止めていた音楽活動を再度復活させる節が出てきました。彼は作曲が出来、私もいろいろ教えてもらっているので、目指すは長編曲の合作をしてみたいところです。ただ、ヌルハチ氏はクラシック系に明るい為、作曲の構成はそちらよりになりそうですけど。 |
| 平成17年1月17日(月) 阪神淡路大震災 |
| 阪神・淡路大震災が発生して今日で丸10年を迎えました。震災でまるで焼け野原のようになっていた神戸も、今はほとんど復興されています。時代の流れというのは早いものです。 震災発生日は今から10年前の同日、午前5時46分(だった筈)。私はまだ大阪府守口市某所に住んでいた時のことです。神戸ほど大被害は無かったですが、今までない大きな地震を体感しました。ちょうどその頃インフルエンザにかかっていて、数日前から寝込んでいてあまり身動きとれない状況の中での出来事だっただけに、すごく驚いて焦っていました。下手したら死ぬなあ…と思ってましたが、無事健在で現在に至っております。 去年も新潟中越地震や東南海沖地震など、各地で震災に見舞われています。最近ではやはりスマトラ沖大地震が多くの被災者を出しています。一日も早く安泰な日が迎えられるといいのですが。今回の地震を踏まえて、このたび神戸では国連防災世界会議が開かれます。これを機に地震や津波などの防災意識を世界が結束してさらに動いてほしいと思います。 |
| 平成17年1月16日(日) ラーメン巡り旅・ミナミ徘徊編 |
| 現在私は休日を利用して、資格を取得するための学校(…という表現であっているのか不明。予備校かな)に短期間通学しています。何かというと、今私は介護系の資格を取得したいがために毎週梅田まで通っています。講義が修了後には検定試験がありますが、合格できれば無事取得となります。今日も朝から晩までほぼ一日講義を受けてきました。 講義修了後、またまたチケットショップ巡りを兼ねて大阪駅前ビルの地下街をブラブラしていると、チケットショップ「CABIN」というとこの前で友人N氏と再会しました。いつもの通りラーメン行こうかという話になり、しばらく議論(?)の末、JRを使ってなんばに行く事が決定。しかし金券ショップではJR難波までの切符は販売されていません。そこで1駅前の今宮駅までの切符を購入して同駅から歩いていくことに。我々は「歩行会」(自称)で歩き回る事には何の苦もない訳です。ということでショップで見て回ってから行こうとなったのですが、しばらくすると「閉店です」との声が。普段は各店舗が競争し合っているのですが、休日はかなりの店が休みなのです。しかも閉店時間がほとんど18時(平日はだいたい19時)と平日より早いのです。殆どの店が閉店してしまったため、最後の望みをかけて向かったの先は大阪駅前第1ビル地下2階の「チケットスーパー梅田第一ビル店」。ここは他の店より若干値が高い品物が多いのですが、閉店時間が他店よりも1時間遅いのです。こうなれば背に腹はかえられず、ここで切符を買って早速駅へ。 電車に揺られて今宮駅到着。ここで地図を確認すると、何と近くに地下鉄大国町駅があることを発見。我々は実は“ポケット時刻表”収集にも凝っているので、予定を変更して先に同駅へ寄り道。同駅で時刻表と「ええまちマップ」という駅周辺地図を入手。また地図で確認すると、また近くに南海今宮戎駅を発見!またこの南海線に沿って北上すればなんばパークスに到着するので、即座に向かいました。同様に同駅で時刻表を獲得し、そのままなんばへ直行。 元大阪球場跡地に建設されたなんばパークスに入場。N氏の話では7階に「フードテーマパーク」があると言うことなのでちょっと行ってみる事に。7階に上って建物の西側に向かうと、「大阪ヌードルシティ〜浪花麺だらけ〜」と題したフードテーマパーク発見。中には全国から集まったラーメン店が8店繁盛していました。また約600種類ものご当地麺のほかオリジナルグッズが売られているなど、なかなか楽しめる店内になっています。また店内中央部では「プリン博覧会」が実施されていました。全国200種類以上のプリンが一堂に集められており、購入する事もできます。これはまた面白いテーマパークを見つけてしまいました。 目的地のラーメン屋は道頓堀沿いにあるラーメン博物館「角座」。かつて何度か友人と中のラーメン店に来たことがあるので、今回N氏を招待しました。ところが、普段は8店舗開店しているはずなのに、今日開店しているのはたったの2店…。休日だったのか…と考えていても仕方がないので、その一方の函館ラーメン「船見坂」という店に入店。ここのラーメンはあっさりテイストです。汁の味もなかなか良かったです。最近はこってりだけでなく、あっさり味にも視野を広げていきたいところです。また、同店近くにある“元祖日本一大タコ”と看板を掲げたたこ焼き屋で久々にたこ焼きを快食。10個500円となかなかの価格でしかも中身のタコがなかなかいい大きさなのです。んー久々のたこやきに大満足しました。 帰路はまたもや徒歩で心斎橋筋を北上し、淀屋橋まで歩きまくりました。道頓堀筋からの所要時間約40分。…歩き過ぎだな、これは。 |
| 平成17年1月15日(土) 旧共通一次試験 |
| 本日と明日は大学入試センター試験なのです。ほとんどの方が受験を経験していることでしょう。私は大学浪人しているため、センター試験は2度経験しています。が、どちらの時も今から思えば苦い思い出です。しかも、2年とも当日には雪が降っていて、もう寒いし辛いしわからないし…の三重奏(?)でした。ちなみに会場は京都大学であって、交通便に関してはかなり助かりましたね。 一度目の時は不思議と緊張しなかったです。すぐ後ろには知人が座っていたので同じ辛さを持っている仲間がいる、との安堵感があったのかもしれないですが。その人は中・高と同じ学校でしかも私と姓が同じという、まるで私の兄弟かというような知人でした。しかし肝心のテストは受験勉強をおろそかにしていたために苦手科目は痛恨の一撃を食らわされた感じでした。しかもその日は京都市内で“ハーフマラソン”(…の名であっているか不明)が実施されており、ふと窓の外を見ると交通規制をした今出川通を選手らしき人が走っているのです!…そりゃそんなイベントをやっていたら気になってしまいます。そんなこんなで、一年目は儚く散ってしまいました(泣) 二度目はさすがに受験浪人していたので学力は上りましたが、もう失敗は許されないという緊張で腹痛を起こし、試験中にトイレに行くというハプニングを起こしてしまいました(笑)。ただ、幸運にもその時の受験科目が得意の日本史だった事で、特に支障なくテストは出来たんですが。それでも辛い思い出です。 試験の翌日には当日実施された試験の問題が新聞に掲載されます。久々に受験時の自分を思い出して、ちょっと挑戦してみるのも面白いかもしれないですね。何問解答できるだろうか…… |
| 平成17年1月11日(火) TSUNAMI |
| 古今より日本にもたらされた言葉、“カステラ”や“カルタ”等のいわゆる外来語は、今ではたくさん世の中に根付いています。その一方で日本より発信された“寿司(sushi)”や“豆腐(tofu)”などと世界共通語となった和名言葉もたくさんあります。その中には先日のスマトラ沖大地震で幾度となくニュースで聞かれる「津波(TSUNAMI)」―――これも実は世界共通の言葉なのだそうです。 去年起こったスマトラ沖大地震により新聞でもよく見かけるのは周知の事実です。本日付の新聞にはスマトラ沖大地震による津波の特集が扱われていました。紙面によれば、この「津波」という言葉は海外でも「TSUNAMI」として使用されるそうです。元々この言葉が知られるようになったのは、1946年のアラスカ・アリューシャン列島で起こったモーメントマグニチュード(Mw)7.8の大地震による津波がきっかけなのだそうです。津波はハワイ到達時に高さ約8mとなり約160人が死亡する事態に。その惨状を見た日系人が「ツナミ」と口にしたそうです。その約3年後に米政府が「ツナミ」のローマ字表記を使った「太平洋津波警報センター」をハワイに設立した、という経緯があります。英語ではもともと高潮を意味する「tidal wave」と表現していましたが、津波は高潮と無関係であるため「TSUNAMI」を使用するようになったそうです。 この“Mw”とは、震源でずれた断層の面積などを基に計算した物理量のことで、地震の規模を示す最も標準的な指標なのですが、地震波全体を使った複雑な計算が必要で発生直後に行う地震規模の推定には使用できないのです。このため、日本では地震時の地面の動きの最大値から計算される変位を示す「気象庁マグニチュード」というものを用いているそうです。一例を示すと、阪神大震災の場合は「Mw6.9」、気象庁Mだと7.2となるそうです。 震源が海で海底の浅い所で起きた大きな地震は、断層運動で海底の地盤を隆起させたり沈降させたりします。こうした海底地形の変形に伴って海面が変動し、波となって四方に広がっていく――これが「津波」であります。日本には多くの断層があって地震大国でもあります、スマトラ沖大地震では現在も死者や被災者が増加の一途をたどり、衛生問題によりコレラ等の病気が蔓延する懸念がされています。日本も馴染みの深い天災なだけに他人事では済まされません。今後来るという東海大地震等への注意が必須となりましょう。 |
| 平成17年1月9日(日) ラーメン巡り旅・新春編 |
| 元日からほぼ1週間が経過しました。そろそろ正月気分もオサラバしてゆく感じですな。しかしこの週末はやけに寒いです。厚着してても顔や手が冷たい風を受けて辛がっています。んーかなんわ。 今日は朝から用事で梅田に居たのですが、夕方に曽根崎の旭屋書店に入店すると、楽譜コーナーの所で馴染みの面々と再会しました。メンバーはがるさりす氏、マキハラ氏、N氏(アルファベット順)の御三方でした。新年の挨拶をその場で行い、久々の再会であるのとちょうど晩飯時という理由で、恒例のラーメン屋での食事を実施することになりました。 本日向かったのは梅田のすぐ西に在するJR福島駅の高架下にあるラーメン「上方屋 五郎ヱ門」という所です。いつも通り(?)、徒歩で現地へ向かいました。突如“歩行会”活動の開始です。しかし大阪駅前から福島駅前までだいたい10〜15分と、以外にも早く到着しました。軽い運動がてらちょうどよい距離なのでしょうか。さて、当ラーメン屋のうりは塩味のラーメンが主のようです。またあっさりとした風味なのでかなり食べやすい感じです。私はオーソドックスに塩ラーメン+ご飯を注文です。案の定、するする喉を通り、あっという間に汁一滴残さず完食してしまいました。またココ最近はご飯が無いと物足りません。…というか、あってもまだ足りない事もしばしば。ところで私はこってり味のラーメンが好物ですが、だからといってあっさり味が嫌いという訳ではなく、寧ろこの類も好物であります。つまり結局はラーメン自体が好物という訳です。……特に熱弁する程の事ではないのでここで止めときます。 店を出た後も、同様に大阪駅前まで徒歩で向かい、ここでがるさりす氏とN氏と別れました。マキハラ氏は地下鉄御堂筋線でなんばまで向かうとの事だったのですが、乗り換えの手間を省くべく一駅先の淀屋橋駅まで徒歩移動する私に同行してくれました。どうもサンクス。そして無事帰宅した私は物足りなさを埋めるべく改めて晩飯を食べたのでした。……こりゃ太るわ(汗) |
| 平成17年1月7日(金) 春の七草 |
| 本日は七草(種)の節句です。1月7日といえば七草粥を食べることがいつの間にか風習になっています。昔は、春の七草(若菜)を入れて粥をたき、これを食べると万病を防ぐといわれていました。こんな事を知っていて粥を食べている人は果たして何人いるのでしょうか。そういう私も今まで知らなかった事実ですけど。 ところで、「春の七草」を正確に全て言えますでしょうか。古代に以下のような和歌が作られていたようです。 せりなづな ごぎやうはこべら ほとけのざ すずなすずしろ これぞ[春の]七草――――作者未詳 順に、「せり(セリ)」「なづな(ナズナ)」「ごぎやう(ハハコグサ)」「はこべら(ハコベ)」「ほとけのざ(タビラコ)」「すずな(カブラ)」「すずしろ(ダイコン)」―――以上が「春の七草」です。7つともわかっていたでしょうか。古来人々は、万病平癒を願って七草の節句の時に七草粥を食べていたのでした。その風習が今でも絶えず続いているのです。何だか歴史を感じさせられます。しかし、これらの植物が現在身近な所で見ることができないのは残念ですが。 ところで、「春の七草」というくらいですから、対比するが如く、「秋の七草」というのもありました。こちらは出所がはっきりしていて、「万葉集」の中で歌人山上憶良が作ったものです。 萩の花 尾花(をばな)葛花(くずばな) 瞿麥(なでしこ)の花 女郎花(をみなへし)また藤袴(ふぢばかま) 朝貌(あさがほ)の花――――山上憶良(万葉集) 順に、「はぎ(ハギ)」「をばな(ススキ)」「くず(クズ)」「なでしこ(ナデシコ)」「をみなへし(オミナエシ)」「ふぢばかま(フジバカマ)」「あさがほ・ききやう(キキョウ)」――――以上が「秋の七草」だそうです。全然知りませんでした。春の七草に比べてあまり回りで聞かないせいもあるかもしれませんけど。来年からは七草の事を考えながら粥を食べてみるのもいいのではないでしょうか。 |
| 平成17年1月4日(火) 義経伝説 |
| 今年のNHK大河ドラマは悲劇のヒーロー、「義経」です。今月9日スタートを目前に迫っている事もあってか、最近新聞や雑誌等でもちらほら記事を見かける事があります。歴史上の人物の中でも特に人気の高い源義経は、数多くの活躍があると同時に真偽の程が不明な伝説も多く残しています。…という訳で、時代の流れ(?)に便乗して「義経」情報の基本事項を記載することにしました。これを機に、書店でもよくみかけるようになった義経関連の本にも手を伸ばして、教養を深めていただければ幸いです。 源義経(1159〜89)――源義朝の9男として生誕。母は常盤御前。源頼朝(義朝の3男)の異母弟。幼名牛若丸。生誕の歳に起こった平治の乱(1159)で父を失い、母と共に平清盛に捕らえられたものの、赦されて京都洛北の鞍馬寺に預けられた。元服して源九郎義経と名乗り、やがて鞍馬寺を脱出して奥州平泉の藤原秀衡の元で養育される。治承四(1180)年十月、兄頼朝の平家打倒の挙兵を知ると、いち早く駿河国黄瀬川の陣に駆けつけて対面を果たす。元暦元(1184)年正月、兄載頼と共に上洛して源(木曾)義仲を討伐して京都の安定化に努めた。後に後白河法皇の院宣を受けて、西国の平家討伐に向かい、摂津国一ノ谷に籠もる平家の大軍を鵯越(ひよどりごえ)の奇襲作戦で潰滅的な打撃を与えることに成功。その後も讃岐国屋島、長門国壇ノ浦と連戦連勝を続けたものの法皇方に接近したために頼朝の不信を買ってしまう。鎌倉方の詮索から逃れるために逃避行を続けて再度平泉入りする。文治三(1187)年頼朝は義経が平泉に潜伏している情報を知り、藤原秀衡に義経の引渡しを要求したが、拒否されていた。ところが翌年秀衡が没して子の泰衡が家督を相続すると状況は一変し、頼朝の要求を拒みきれなくなった泰衡に攻められ、義経は同地で自害した。文治五(1189)年閏四月三十日、31歳の生涯を閉じた。 |
| 平成17年1月3日(月) 郷里往訪 |
| 本日午後は生誕地守口の地の上に立っておりました。守口には私の祖母が健在ですし、小中学を共にした友人も居るので、正月という事で何人か再会したのです。 予定の発端は、元日の初詣に古巣の友人kojikoji氏とぶらーっと京都へ行った時、kojikojiの御父上(以下、koji父)からの伝言でした。私はkoji父から日本史の本を数冊借りていて、そろそろ返却の頃合であるぞ、との伝言を息子を介して通達されたので、その件を受諾して本日守口に帰る事にし、あわせて友人らと新年の挨拶を交わす事にしたのでした。 守口郵便局の近くの交差点に来た時、久々にkoroheru氏と遭遇。ちょうど腹も減ってきたという事で淀工の向かいにあるラーメン屋「天下一品」に入店。こってりラーメン(+α)を平らげて舌鼓を打った後、ぶらーっとしているうちに守口市駅西口前でkojikojiと遭遇。久々に3人揃ったという事で駅前の京阪百貨店守口店内にある喫茶に入って軽くコーヒーブレイク。昔話に花咲かせながら、1時間後に出店してkojikoji宅へ。kojikojiの好意で車で自宅へ送ってくれる事に。近場のkoroheruの自宅を先に送った後、国道1号線を北上して我が家まで送ってくれました。kojikoji、感謝! しかし、最寄駅前に自転車を置いていたので、結局そこまで歩いて取りに行ったのでした。kojikoji、送ってくれたのに…スマソ。 |
| 平成17年1月1日(土) 謹賀新年 |
| 明けましておめでとうございます。新年来迎を祝し、皆々様の御清栄並びに御多幸を心より御祈り申し上げます。 昨日は年末を締め括るに相応しい最後の降雪がちらほら見受けられました。今日私は例年通り京都へ上りましたが昼間になると雪が少し降りました。京都市内は地形が盆地で一年の寒暖差が大きく、私の住まう大阪に比べると寒くて降雪しやすいようですが、それでもまるで新年を祝迎しているかのような初雪(…という程降り続かなかったが)を見る事が出来たわけで。新年早々ええ感じです。 本日上洛の訳は、無論初詣の為の神社に参拝ですが、何処でも屋台に初詣客にごった返しています。これを見ると新年を迎えた感じがします。ちょっと人は多いですけど。 今年度も宜しくお願い申し上げます。 |