書記

平成17年2月期分

相変わらずの管理人の独言の間。
寒い日がまだまだ続いて辛いところです。



平成17年2月28日(月)  開設一周年一月前
数日前に掲示板にも書いてみたのですが、あと約一月(正確には25日)で当HP開設1周年を迎える事になりました。なんだかんだと言いながら、運営続けてもうすぐ1年、――思ったよりも早く感じますね。当初は毎日更新していたんですが、いつの間にやら不定期更新になってしまったり、もう少し歴史のページを作りたかったのになかなか作れず……など、開設当初の理想どおりになかなかいかなかったりしましたが、そんな中でも今日まで運営が続けられるだけでも嬉しい限りです。自分で自分を褒めてあげたいです、……これ誰かのセリフでしたけど。是非ともこのまま2年、3年…と続けられる限り続けたいと思っています。



平成17年2月26日(土)  マテリアルスポーツ
何日か前の新聞の記事の中に、守口のあるメーカーの記事が記載されてありました。はっきりとはあまり記憶してないんですが、うっすら記憶を頼りに書き出してみたいと思います。

大阪府守口市にある「マテリアルスポーツ」という、社員4名のスキーメーカーがあります。何年か前にも同社のことがテレビで報じられていたのを見た記憶が少しあります。なぜかといえば、ここで作られているスキー板はワールドカップ(W杯)クラスの選手らが使用しているからです。女子モーグルの上村愛子や昨季のW杯男子種目別総合優勝のヤンネ・ラハテラ(フィンランド)が使っている「ID one(アイディーワン)」という板のことです。同社の社長も大学時代にスキー部に所属していて雪との縁は深く、ゴーグル販売をきっかけにスキー競技の世界に足を入れたのだそうです。スキー板製作のきっかけは1999年、上村選手が板で悩んでいたのを見て発した、「僕が作ってあげようか」の一言だとか。長野県内のスキー製作工場と契約して型枠から特注、大量生産では選手にあった板が作れないとして、心材にコスト度外視のブナの木を使用。木材は折れにくく、たわみ具合も細かな調整が可能なためです。

W杯クラスでは今季種目別総合3位のデール・ベッグスミス(豪州)ら男子は6人が使用していますが、女子では上村ただ1人。「相手の成績が良くなっては困るからライバル選手とは契約しない」と徹底されてます。「バランスが抜群でクセがない板。滑りたいように滑れる」とは上村選手の信頼をよせた言葉。ID oneを使って、ラハテラ選手は既にソルトレーク五輪で金メダルを獲得したそうです。上村選手がトリノで表彰台に立てれば、日本製スキー板の力量を示す絶好のチャンスとなります。是非上村選手には頑張ってメダルを取ってほしいと思います。



平成17年2月24日(木)  自宅の中心で悲痛を叫ぶ
セカチューこと「世界の中心で、愛を叫ぶ」がヒットしてますね。私は見てませんけど(笑)。実際世界の中心は何処なんでしょうね。どこの国の人に聞いても、そりゃうちやうちや…云々、となりそうですが。せっかくなので、今日の題目にパロッてみました。しかし、セカチューとカタカナで書かれると何となくですがポ○モンに出てきそうな名前に見えます。ピ○チュー、みたいな。

さて最近の私は寝不足気味です。それは現在私は某郵便局の深夜勤に入っているためです。元々夜型ぽい感じですから、正直きついという事はないんですが、1日あたりの睡眠時間が少し減った為、“塵も積もれば山となる”の如く、日が経つにつれて足りない時間が積もりに積もって今現在辛くなってきた感じです。お天道様がさんさんとしている真っ昼間でも遂にアクビが出始めてしまいました。そして遂に不幸(?)が訪れてしまいました。

経験があると思いますが、寝不足になってしまうと、椅子に座っていたりじっとしていたりするとたいてい眠気が襲ってきます。昨日は特に私は眠気に襲われていました。ちょうどこのページの更新をしようとパソコンに向かってネタを考えていたのです。その時、不意に急な眠気に襲われ、ついウトウトとなってしまいました。うたた寝の経験があればよくわかると思いますが、着座したまま寝てると頭部がかくっかくっとなります。ウトウト管理人も同様にふらっふらっとなっていたのでしょう。次の瞬間、大きく揺れたと思ったらそのままパソコンに直撃!

――痛…、と思っていると何やら妙な違和感が。ふとその部分に手をやると…赤いモノが。…鏡で確認すると、どうやら下唇を切ってしまい出血してしまったのです。因みにパソコンの方は幸いにも無事でした……と言っている場合ではない!すぐさま傷口を洗うために洗面所へ。いったいどんなぶつかり方をしたんだろうと思いながら傷口洗浄数分、すぐに出血は治まりました。さすがは献血で言われたとおり血小板数が一般より多いだけのことはあり、傷口が治るのが早い、と感心しながら部屋に戻りますが、さすがに出血は治まっても傷口はすぐに完治しません。今私の怪我の部分は赤くなっています。怪我をしたのが丸分かりです(汗)

幸いにも私はデジカメを所有していないので、これを撮影してわざわざネット公開する必要がないのが唯一の救いでしょうか。ただ私の美顔(激しく誇張)に傷がついてしまったのが痛いです。知り合いに会ったら確実にいじられる事この上ないです。しばらく不必要な外出は控えたい気分ですが……。本当にタイトルどおり、自宅の中心で悲痛を叫びそうなくらいでした。皮肉にも本日のネタになってしまいました。



平成17年2月22日(火)  葛城氏の中枢施設跡
今日はネコの日だそうです。“2”が三つ続いて「ニャン」×3、だからです。朝のめ○ましテレビを見ていてそう聞きました。ちなみに、ちょうど天気予報のコーナーの中で“お天気お姉さん”たるあの人が言っていました。「………。」と思いながら(ご想像におまかせします)新聞を見ていると……、一面で大きく掲載されていたのはあの記事でした。そうです、あの遺跡です。中身は以下に紹介しておきます。

5世紀代に大王(天皇)に並ぶ勢力を誇ったといわれる葛城(かつらぎ)氏の本拠地とされる奈良県御所(ごせ)市にある南郷遺跡群の極楽寺ヒビキ遺跡で、5世紀前半の大型建物跡が発見されました。床面積は225uで、5世紀代のものの中では最大級。同遺跡群や奈良盆地を一望できる尾根上に位置し、敷地の周囲に濠(ほり)を巡らせるなど厳重に区画しており、21日発表した県立橿原考古学研究所は「葛城氏の王が祭儀や政務を行った中枢施設」との見解のようです。

葛城氏は、朝廷に仕えた大臣(おおおみ;大和朝廷での最有力者)である武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫とされています。第8代孝元天皇の孫とも曾孫ともいわれており、その生涯は4人の天皇に仕え、北は蝦夷から西は筑紫にまで足跡を残しているという、かなり伝承上の人物です。武内宿禰の子の1人の襲津彦(そつひこ)が住んでいた大和葛城を名字にし、のちの有力豪族の始祖となったと伝えられています。その兄弟たちも同様に住んだ地名を名字とし、巨勢(こせ)氏、蘇我氏、平群(へぐり)氏、紀氏といった有力豪族の始祖になったと伝えられています。

さて葛城氏ですが、本拠地が大和地方では開発の最も早かった地方だったらしく、有力豪族として早くに台頭してきたようです。第16代仁徳天皇の皇后・磐之媛(いわのひめ)を出すなど大和政権で大王の外戚(がいせき)として権勢を誇っていました。此度発見された調査地は、約1`四方に祭祀(さいし)場や大型建物、竪穴住居、工房などが点在する南郷遺跡群の南端で、同遺跡群は葛城氏の勢力基盤となった「都市」とされていますが、中枢施設の発見は初めてのことです。建物跡は約15m四方のほぼ正方形、斜面にふき石を施した濠(幅約13m、深さ約1.8m)で区画された、東西50m、南北32mの長方形の敷地内で確認されました。また、正方形の2重の柱列(内側約8u四方、外側約13u四方)の西と南にさらに柱列があり、四面にひさしを巡らせ、西と南に縁側も設けた特異な構造になっていたようです。東側に広場があり、建物と広場の周囲には塀もめぐらされており、敷地内の尾根突端では物見やぐららしい建物跡も確認されました。同研究所では、一帯には王の住まいなどの施設群があったと想定され、今回の建物は『政治センター』の行政管理部門ではないか、としています。

今後付近でさらに発掘がうまく進めば、さらに天王家とならぶ勢力の葛城氏の実態に近づけるかもしれないです。今後の発掘に期待したいです。



平成17年2月18日(金)  今城塚古墳
久しぶりにこの頁で史跡ネタを記してみました。歴史が苦手な人はわかりにくい話だと思いますが、この顔(?)に免じてお許し下さい。新聞の社会欄に掲載されていたものの紹介なんで、自宅で見ればわかると思います。

17日に大阪府高槻市教育委員会埋蔵文化財調査センターは、第26代継体天皇の陵墓とされる6世紀前半の前方後円墳「今城塚(いましろづか)古墳」(同市郡家新町、国史跡、全長約190m)の後円部で、河原石を積み上げた盛り土内部の石積みから南東に延びる排水溝の存在を確認した、と発表しました。排水溝は墳丘の形を維持するための葺(ふ)き石につながっており、石積みや葺き石が一体となった排水溝を確認したのは初めてのこと。同センターは最高水準の土木技術で古墳が造られたことを示す貴重な資料との見解を示しています。

石積みは後円部を覆う形になっていて、暗きょ状に盛り土の内部を走る石組みの排水溝は、石積みのすそ部分から下方に直線に延び、墳丘底部の外周を覆う葺き石とつながっていたそうです。石積みや排水溝の一部に崩落や隆起の跡があり、伏見大地震(1596年)による大規模な地滑りがあったとみられています。これまでの調査により、石棺片3種類が出土していますが、石室は確認できなかったそうです。

今後の更なる発掘調査も期待していますが、個人的には葬られているとされる継体天皇の素性も気になるところです。同天皇は第15代応神天皇の5代の孫とされていますが、潤色の可能性があるからです。今の自分に置き換えて考えればわかりやすいかもしれません。例えば、祖父(又は祖母)の兄弟の孫――従祖兄弟(イヤイトコ)という――というと、多くの人が従兄弟ほど接触率が高くないのではないでしょうか。それが、5代前の先祖の分れの系統だとさらに交流は希薄な存在ではないでしょうか。親族・親戚と言いにくいのが普通な感じがします。古代に話を戻しますが、それくらい離れた血筋の人間を天皇直系筋が断絶(第25代武烈天皇崩御により天皇直系筋は断絶)した後の後継者に選ぶか、という話なのです。朝廷が混乱している最中に越前・近江の外部勢力が乱入して在地勢力を平定し皇位を簒奪(継体天皇は越前国三国の出身)したという見解もできるということなのです。こういう話は現在も議論が続いているようで、なかなか興味をそそらしてくれます。今城塚古墳とともに、継体天皇に関する新発見も出てきてほしいです。



平成17年2月15日(火)  ラーメン日帰りの旅・京阪国道往来記
昨日の事件のことはやはり新聞一面に掲載されていました。しかも数ページに及んでいます。何年か前の大阪府池田市内の小学校で起きた事件以来、全国各学校で安全対策に取り組んできた中での今回の事件、その衝撃は大きく対策の見直しも必要かとの記事もみられます。今後の課題は学生だけでなく教員自身の身の安全対策にも対策を講じなければならないという問題を投げかけられた感じですね。

そんな治安悪化を懸念している最中、枚方に住む大学の友人ヤシダ氏と連絡が久々に繋がったので、暇があるのでこれから会わないかとの運びとなり、夕方久々に会う事になりました。在学時代、彼は自宅の車で私や他の友人達を学校と最寄駅もしくはその他の場所との間を運び屋の如く度々乗せてくれていたので、通称“樟葉の運転手”(だったか?)とされていました。今日も彼のご好意で私の自宅近くまで車で来てくれました。彼もラーメン好きなので、案の定ラーメン屋へ行こうとの事に。しかしその前に、野次馬的発想が現れてしまいます。ここは寝屋川市内という事で、昨日の事件のあった付近の様子を見に行きました。馬鹿な発想してます、我々は。外環170号線に乗って走っていると途中で警察署を発見。やはり中継車や人でごった返しており、カメラのフラッシュもかなりたかれていました。次に向かったのはやはり現場付近。ニュース等で映ったりした正門は高校への通学路でもあります。母校の高校と小学校は隣接してますから。どれくらい人がいるのだろうと考えながら、近くにある商店街側の道路から学校前を走る道路へと交差点を曲がってみると……。これはすごい!ものすごい人の数がいます。ものすごいフラッシュがたかれていて人が群がっているように見えます。マスコミ関係者らしき人だけでなく、我々のような野次馬みたいな人もいました。後輩にあたる母校の現役高校生や近所の住民の方も見に来ています。中継をしているレポーターぽい人も見かけたので、もしかしてちらっと映るのかな…と我々で勝手に想像してたりする中、人も対向車もくるので車がなかなか進みません。小さな渋滞に遭った気分でした。もう今度からは歩いて見に行こうと思いました、……って、また行くのか?ちなみに学校の近所に駐輪場があるのですが、その脇の道路にはやたらタクシーが駐車していました。もしかしてマスコミ関係者の人達が利用するんでしょうか。

寝屋川を脱出した我々の車は京阪国道1号線にのりました。ラーメン屋はヤシダ氏が一度行ってみたいと言っていた「横綱」というラーメン屋に行ってみる事に。夕飯時でしたが次第に雨足が強くなってきたせいか、あまり客がいなかったので悠々と着座できました。ラーメンはとんこつしょうゆのような味がします。恐らく無鉄砲や一作などのこってり味に慣れた人だと、多少物足りない感があるかもしれないです。雨が強くなると困るので、早めに店を出て1号線を南下。このあと守口へ行くのでヤシダ氏は地下鉄守口駅前まで送ってくれました。またラーメンの約束を交わして別れました。そろそろこってりラーメンが恋しくなってきたので、次あたりは久々に一作あたりを予定しとくか…



平成17年2月14日(月)  傷害事件
聖・バレンタインデーです。いわずもがな、誰もが知るこのような一イベントは古来より存在する筈もなく、一部の企業による企業戦略とみるのが定説のようです。ただ名の由来であるバレンタイン氏(伯爵)はちゃんと実在した人物ですけど。そんな聖なる(?)日にまさかこんな事件が起こったなんて思いもよりませんでした。今日夕方、何気なくニュースを見ていると、番組の第一報で思わぬ光景が目に飛び込んできたのです。

それは今日午後3時10分頃に起こりました。私が現在住んでいる大阪府寝屋川市にある某小学校(一応名は伏せる)で殺傷事件が発生しました。近年小学校で事件が起こるニュースも度々見たりしますが、今回の事件では児童に怪我はなく教員3名が死傷しました。犯人は17歳の同小学校の卒業生ですが、私が何より驚いたのはその学校のある場所です。実は犯行現場の学校は私がかつて通学していた高校のすぐ隣にある小学校だったのです。ニュースで見た瞬間、うわっと思いました。まさかこんな所で事件が起きるなんて……。上空からの映像も放映されてましたが、母校が隣接しているためちょっとだけわが高校の敷地が映ってたりするんです。グラウンドやらプールやら…云々。母校が映ると一瞬懐かしさがこみ上げるのですが、すぐに画面が切り替わってしまい、地元で起きた事件なだけに何とも痛ましい思いにさせてくれます。あとちなみに、私はここの小学校卒業生ではありませんので、念のため(中学までは守口市内の学校に通学)。

恐らく明日の新聞には必ず同事件の記事があることでしょう。もう既にネット上ではニュースとして記事が掲載されてると思います。かつての思い出の地の付近でこういう暗い事件が起こると、何とも痛感な思いにされて仕方ありません。しかし、一番気がかりなのは同校に通う児童や職員の方々です。今回の事件で彼等が受けた心の傷は犯人逮捕されてもすぐ癒されるとは限りません。心のケアは適した環境と時間が必要だと思います。一日も早く安全に学校生活が送れる社会になればいいんですが…。



平成17年2月13日(日)  住民問題
現在私の住んでいる居宅は外環沿いのマンションにあります。元は工場地だったらしく、何かの工場が近く2つにあります。正確にはそのうち1つは外環とマンションの間に挟まった形でありましたが、何年か前に閉鎖され昨年(いつだったか不明)解体されました。工場が無くなり平地になったことで、家のベランダ(西側)から外環側の景色一体が眺められるようになり、都会の中ながらもなかなかの景観が見られるようになりました。特に夕方の紅く輝いた太陽の日の入りが絶景(というのは大げさだが)です。雲一つない快晴の時はすごくいい絵になりそうなくらいです。ところが、最近この景色が見れなくなりました。元工場地であるココにまたマンションが建つのです。

それは5階建てでうちのマンションより低い造りになっていますが、問題はその構造です。私のいる棟は西側にありベランダが西側に備えつけてあります。このベランダ側に建設中マンションの駐車場が面向かって作られているのです。完成したら車の出入りが毎日行われるため、まず排気ガスがベランダに入ってくる問題が起きます。現在化学物質アレルギーという症状もあるため、排気ガスによって体調をきたす人も現れかねません。また、うちのマンションは1X階建て(正直覚えていない)のため高層住まいの人は問題無さそうに見えますが、寧ろ排気ガスは風にあおられ上昇していく為に高層階ほど問題ありそうです。また低階に住む人は建物に遮られて日の光が当らなくなるという日照権の問題が起きそうです。一日中日が当らないと洗濯物がまず乾きません。幸運にも私の家は棟の端にあるため、西側だけでなく南側を除く部屋全体を覆う形になっているためまだマシなのですが……。

現在西側の棟の住民が中心になって抗議の運動が始まっています。誰が中心になっているのかわかりませんが、我が家にも反対運動の協力をお願いするのチラシが郵便受に入っていました。今後どういう動きになるか予測つきませんが、そんな今でも建設工事は続いています。完成後も諸問題は未解決のままずるずる続きそうな予感がしてなりません―――。



平成17年2月11日(金)  祝日
本日は祝日・建国記念日であります。明日土曜日が休みなら3連休の人もいることでしょう。そんな人もそうでない人も、暇の潰しにこちらを見に来ていただければ幸いです。さあ今日もパーソナリティー・ロイヤルTRD(?)がお送りする夜型人間推奨レディオ『夜型さん、ちょっとどやさ』(?)、大阪府某市をキーステーションに全国47都道府県ネットで公開していきます。………いやいやすんません、昨日ラジオ聴いていたんでついついパロッてしまいました(笑)。

ところで、ちょっと前の話になりますが、京阪守口市・天満橋両駅にエレベーターが設置されました。守口市は以前私が住んでいたところなのでよくわかりますが、駅の利用者だけでなく、関西空港行きのリムジンバスや京阪百貨店の利用者など、人の行き交いが多い割にはエレベーターが一基もなかったのです。また守口市は割りと高齢者の方が多く住んでいるので、そんな人らの利用を考える上でも早急な設置を願っていました。現在では足の悪い老人や大きな旅行カバンを持った旅客など、毎日多くの人に多用されているようです。一方、天満橋駅は中之島新線開通時に京阪本線との分岐駅になるため、駅改造工事を順次行っているようですが、その一環としてエレベーター1基の設置工事が完了したとのことです。天満橋駅は今後も開通工事がされる為、利用者に不便な点があるかもしれないですが、早く完了してほしいところです。



平成17年2月6日(日)  チャリティーコンサート
掲示板を御覧の方はわかると思いますが、Shin氏が教えてくれた「スマトラ沖地震による津波被災者の方々のための“追悼・チャリティーコンサート”」に出かけました。当日都合のついた友人N氏と共に聴きに行きました。コンサートの会場は大阪市住之江区南港にあるバイキングレストラン「アジアンサーカス」(中央線コスモスクエア駅で乗換え、OTSニュートラムテクノポート線トレードセンター前下車徒歩3分)で、最寄駅のトレードセンター前駅で待ち合わす事になってましたが、こちらの所用で出遅れてしまい、先に行っててもらう破目に陥ってしまいました。N氏、ほんまスマソ…(泣)。

さてN氏と無事合流した後、ちょうど昼で腹が減ったので、バイキングすることにしました。1200円かかりますが、基本的に食べ放題なので、N氏と食べられるだけ食べさせていただきました。食べながら演奏を聴いていましたが、まあいつものことですが演奏を見ているとむしょうに楽器が恋しくなってきます。特にトランペットが出てくる時には敏感に音色に反応してしまいます。私は現在ブランクが約1年以上あるので、すぐにいい音色が出せるまでに戻りませんが、またちょくちょく吹き始めたいですね。最近では止めて10年は経つ鍵盤楽器もまた始めたい欲望があるとです。現在注目している楽器はCMでも流れているヤマハの「STAGEA」というエレクトーン型の鍵盤楽器ですが、ある程度お金が貯まったら何か楽器を買いたいと思います。

雑談はこれくらいにして、話を戻します。当コンサートは主にジャズがメインですが、第二部の中で吟詠をはじめ尺八、二胡、三線などによる演奏もあったのが印象的でした。これらは普段なかなか身近で聴く機会が無かっただけに、聴けてすごくよかったです。ちなみに吟詠の最後は子供が1曲うたい、大きな拍手に包まれていました。

この後も、演奏は続いていましたが、残念にも最後まで聴く余裕がなかったので、キリのいい所で退場させていただきました。今回の募金、グッズやジュースの売上金はすべて被災地へ寄付されるとのことです。我々も募金したりジュースを購入したりと、少額ながら貢献させていただきました。一日も早く被災地の復興が実現してほしいです。



平成17年2月4日(金)  立春
昨日は節分でした。ニュースを見てると各地でいろいろイベントもやっていたようで。私の現地元である寝屋川市にある、“交通安全”祈願で有名な「成田山不動尊」では各界の有名芸能人が毎年同日豆まきを行っています。テレビでここが映っていたとき、漫才師の宮川大助・花子ご夫妻が豆まきしている映像が見られました。今年は他に誰が来ていたんでしょう。

昨日の節分には皆様方の自宅では何かされたんでしょうか。私は昨日の晩に守口にいる祖母宅にぶらっと行きました。祖母はちょうど巻き寿司を用意してくれており、恵方(えほう;今年は西南西)を向いて太巻(恵方巻ともいうらしい)を丸噛りするといいと番組で言っていたので、早速実行しました。今ではこれは節分の行事となっていますが、実の所は祖父母が若い頃にはこのような風習はあまり無かったそうです。これは関西のごく一部での言い伝えが元だそうで、節分の夜に恵方を向いて太巻を丸噛りすると、その年一年に幸福が訪れる、との言い伝えが知らないうちにすっかり定着していると考えていいようです。恐らくバレンタインデーのチョコと同様、企業側の戦略の一環という事でしょう…。私としては普段の生活の中でそうそうないイベントという事で、それはそれで楽しんでいますが。

さて、昨日二月三日は節分といいますが、元々は各季節の始めの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこといいます。今では2月3日の立春の前日を指す事が多いですが。また昔は日時不定で立春の前日に疫病・悪鬼を家の中から追い払う行事となっていました。旧暦での元日は現在の立春の前後に相当するそうで、その晦日の行事だから現在の2月3日ごろにやっていた事になります。室町時代以後は大晦日の追儺(ついな)に豆をまいていたそうです。追儺とは平安時代頃から始まった宮中の年中行事の一つで鬼祓いの儀式のことです。平安当時の追儺は、世のあらゆる災いや不満を擬装鬼に対し印地(石を投げつける)を行う事ではらう儀式だそうです。その擬装鬼の多くは力の弱い者達の中から選ばれ、当時市民は差別・貧困あらゆるものへの憎悪を込めて彼ら擬装鬼に石を投げ付け、災厄をはらうと共に束の間の憂いさをはらしたというらしいです。何だかすごく痛々しいです。でもそれが現在の豆まきの由来になっているそうです。節分の翌日である今日は立春、暦の上では春に入ります。しかし、まだまだ寒い日が続きます。早く温かい春が来てほしいものです。



平成17年2月1日(火)  冬将軍
今日は一日中寒くて辛かったです。天気予報でも「低温」注意報なるもの発令と、今まで聞き覚えのない注意報を聞いたくらいです、寒風吹荒れていた感じがします。昼には一時的に久々の雪が吹いていました。たださんさんと降っているのではありません、恐らく吹雪に近いくらいごうっと横殴りに吹いていました。各地でも交通網に影響が出て大学入試が遅れて開始されたり、道が凍ってスリップ事故があったり、…と色々被害があったようです。冬将軍到来です。

そんな寒い中にも関わらず、私は新年一発目の献血をしにいつもの献血ルームへ足を運んでしまいました。もういつの間にかライフサイクルの一部になってしまっています。いつものように問診を受けて、次に事前検査をするのですが、ここで珍しいハプニングが発生してしまいました。あまりの寒さで手先がもの凄く冷たくなっていたのです。実は私は生まれつき手先の血管が細いらしいのです。血管の太細などは各自個人差があるものなのですが、基本的に寒くなったり冷たくなると血管が収縮して血流が遅くなります。遅くなると、全身に血液が回るのが遅くなるので、身体が冷えてきます。私の場合は手先が細い血管のため血流が回るのがそこだけ遅いようなので、冷えやすい体質であるのです。あまりに酷い寒さだと、今では珍しい(?)“しもやけ”にかかったりすることもあるのです。もちろん防寒対策をしてれば問題ないですが、今日はちと油断していたのです。…というわけで、このまま献血しても血流が遅いので、あったかい飲み物とカイロで手先を温めてから本番に挑んだのでした。献血を始めてもう3年以上になると思いますが、こんなハプニングは初めてでした。次回からは気をつけねば…



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