書記

平成16年12月期分

修理の為更新が途絶えていた管理人の独言の間。
暫しの休息の末、更新再開開始です。



平成16年12月31日(金)  年末の降雪
ついにこの日がきてしまいました。2004年度最後の日です。もう何時間かすると2005年元旦を迎えます。今年一年も早かった気がします。それだけ年とったという事なんでしょうか。

今日も朝から年賀状を作成していました。今日は朝からすごく寒かったですが、ふと屋外を見ると先ほどまで降雨していたのに、いつの間にか雪が!あたり一面降雪の様子がみれました。ここまで雪が降ったのは一体いつ以来でしょう。いつになく軽くテンションが半音ほどあがる管理人です。昼頃にはもう止んでしまったようですが、ふと軽く近所を散歩してみると駐車している車や道の端の方や、屋根の上などに軽く雪が積もっていたのが確認できました。今年最後を締めくくるに相応しい(?)景観でした。

ところで、昨年までは毎年本日夜から外出して、友人と岩清水八幡宮でカウントダウンを迎えて新年を祝迎する、というのが恒例だったのですが、今日は天候が良くないので翌日に延期する事にしました。明日はいい天気であることを祈っています。

2004年もいろいろありましたが、来年も管理人、当HP共々宜しくお願い致します。



平成16年12月28日(火)  スマトラ沖大地震
一昨日の午前8時(日本時間同10時)ごろ、インドネシアのスマトラ島沖でマグニチュード(M)8.9もの巨大地震(後に米地質研究所がM9.0に引き上げ)が発生し、大規模な津波がインド洋沿岸にあるスリランカ、インド、タイ、インドネシア等少なくとも8カ国が被害を受けた模様です。当初は死者が26日夜時点では8700人以上とされていましたが、その後も被害が拡大しており、昨日には死者が13,000人を超え、更に昨日夜には死者が10カ国で計22,000人以上にまで増加してしまいました。日本人観光客も行方不明者が約20人おり、タイ南部の観光地プーケット島周辺で8人が、またスリランカ南部ハンバントタで12人が津波に巻き込まれた模様です。津波による死者としては、1896年の明治三陸地震(死者約22,000人)以来の規模だそうで、今後も被害が拡大される懸念があります。行方不明者がスリランカで数千人、インド、タイでそれぞれ1000人以上に上り、またインドネシア、スリランカではそれぞれ100万人規模の避難民が出ているとの情報もあります。しかし、各国とも正確な被害実態の把握が十分できていないらしく、犠牲者数はさらに増大する可能性があるそうです。

スマトラ島沖にはプレート境界があります。陸側のユーラシアプレートの下に海側のインド・オーストラリアプレートが潜り込んでいる形で、今回の地震はプレート同士の境界にたまったひずみが解放されて起きた、典型的な海溝型地震だそうで、この海溝型地震は日本周辺でもたびたび発生しています。津波は震源が海底にある場合に派生しますが、今回は地震のエネルギーが大きくて、震源が浅かったことなどが大津波につながったと考えられています。

それにしても、何故にここまで被害が拡大されているのでしょう。新聞を読んで少しわかったのですが、インド洋地域では国際的な津波警報体制が整備されていないのが現状らしいです。そのため、津波の情報が入らず、被害が拡大したと見られているそうです。太平洋地域では、1960年のチリ地震津波で各国に被害が出たことをきっかけに、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が国際会議を開催し、太平洋津波警報組織国際調整グループが設立されました。日本や米国、中国、豪州など27カ国と地域が現在加盟しており、沿岸各国の津波や地震が起こった時は、各国に警告が知らされる仕組みになっています。同様の仕組みは太平洋以外にはないが、インド洋地域の各国も設立には熱意を示していたが、まだまだ不十分な点があるそうです。また、地震自体がほとんどないスリランカや南インドでは、防波堤などの津波への備えは殆ど皆無で、自然の砂浜がそのまま集落にまでつながっているようです。今後はもう起きないという保障はありません。早急に対策を練って被害の縮小化を実現してほしいです。

本日付の紙面に書かれていたのですが、日本は古来より地震大国であり、経験も技術も蓄積されています。津波が「Tunami」として英語で通用するそうです。それほどなだけに、今まで蓄積した経験や技術を生かし、アジア諸国の津波監視や警報システムの整備にも力を貸すべきでしょう。国際貢献だけではなく、被災国の人々の基礎知識や防災意識を高めることにも貢献できるのではないでしょうか。我が国は世界有数の地震国家ですから、まずは自分の身の回りから防災意識を高めていくべきでしょう。



平成16年12月27日(月)  うめちか
所用で梅田にある大阪駅前ビルの地下街へ出向きました。かなり前にこの頁では大阪駅前第2〜3ビルの地下街(特にB2F)が格安チケットショップ街みたくなっている、というような日記を書いたことがあります。勿論今でも顧客争奪戦と言わんばかりにあちこちで戦い(?)が続いています。利用されてる方も恐らくおられることでしょう。

そんなところをブラブラしてると駅前第2ビル地下にある噴水広場のところで小さな店が作られていました。何気にのぞいてみると、最初に目の当たりにしたのは…なんと、戦前に発行されていた百円札!何だコレは…と思ってよくよく見てみると、他にも戦前に使用されていたと思われる、見たことのない絵柄の紙幣や、かなり昔の鉄道の切符(たぶん未使用)、10〜20年前と思われるアイドルのテレホンカードなど、マニアにはたまらないような品が売られていたのです。

私が興味を持ったのはやはり紙幣です。教科書や資料集で見たことのある絵柄の紙幣もありますが、まだまだ知らないものもたくさんあったのです。何より思ったのが、今の紙幣より一回り一回りも二回りも小さい事に気付きました。今ではないですが、昔は経済的に余裕がなかったときは、紙幣の片面しか刷らなかった事もありました。札が小さいのはもしかしたら余裕がなくて経費削減していたからかもしれないですね。あくまで推測ですけど。

ちょっと欲しくなりましたが、これがまたなかなかいい価格をされています。うっかり購入してしまうと、財布の中が厳しくなってしまうので、眺めるだけに留めてその場を去りました。余裕がある時に何か一つ珍しいものを購入してみたいです。



平成16年12月23日(祝)  第31回大阪府アンサンブルコンテスト
つい最近まで忘れてたのですが、今日はタイトル通り、「第31回大阪府アンサンブルコンテスト」(略して、アンコン)が夏のコンクールと同じ大阪府森ノ宮にある大阪府立青少年会館文化ホールで挙行されました。今日は私も過去に出演した高等学校の部が丸一日実施されていました。ちなみに中学校の部が先週の12月18日(土)に、小学校・大学・一般・職場の部がまとめて12月19日(日)に行われていました。今回もコンクールと同様に金銀銅三段階で表彰されますが、結果が全部わかったので後日別項で紹介しようと思います。

実は今日は朝から部屋の掃除をしていました。その中で、前に聴きに言ったコンクールのプログラムが出てきました。この前見に行ったなあ…と思いながらちょっとチラ見していたら、今後の予定欄に何とアンコンの事が書いてあり、あっしまった、今日だった!…と急遽後輩等の演奏を聴くために予定変更。そんな折に、久々に友人N氏からメールが。今日の事とは関係ないのですが、折角なので彼を招きました。N氏は大学で吹奏楽に入部するまでは音楽と無縁(かどうか不明)のクラブ活動をしていたので、生演奏を聴くのも良いぞという訳で招待しました。今日は高校生で3〜8人の少数編成による演奏ですが、上手なところは少なくてもいい音鳴らしています。私が高校生の時は金管六重奏のトランペットパートで出演しました。演奏曲目は「水上の音楽 第T楽章と第V楽章」をやりました。そのため、アンコンを見に来ると懸命に練習していた高校の時の記憶がふうーっと蘇ります。ただ、今回は去年よりも金管演奏校が少なく、木管演奏校が増えた気がしてなりません。私の母校も毎年金管と木管の2組が出場していましたが、今回は金管は理由は不明ですが出場しておりませんでした。ちと残念。また来年都合つけて見に行きたいところです。



平成16年12月22日(水)  外出日記
もう間もなくクリスマスがやってきます。繁華街では夜になると綺麗なイルミネーションが輝いています。早い所では先月からもう飾っていたところもあります。その時は流石に早すぎる気もしましたけど。私が暇潰しによく行っていた京阪百貨店守口店のガラス窓にも7〜8階分の大きさの巨大なクリスマスツリーの電飾が見られます。私の住まうマンションの中央ロビーでは、この時期大きなクリスマスツリーが置かれ、幼子を連れた家族連れが毎日そこで見かけられます。マンションのベランダにもどこぞの家庭が飾ったと思われる電飾が夜になると輝いています。しかし、あまりに高層階に在居する家庭のところだと、見ているだけで首が疲れます(汗)。家族で楽しんで飾っている分には問題無いですが、他人にも見てもらうつもりでしているなら、こういうのは遠方から眺めるのに越した事はないです。近場だと首を上げないとわかりません。商店街でもクリスマスの音楽が流れてたりします。うちの近所の商店街はソレっぽくない曲もよく流れていますが。

そんな町並みを眺めながら、特に意味は無いですが一年の締めとして年末最後の献血に挑みました。献血にも回数制限が設けられていて、ちょうど最後の1回だったのです。聞いた事があるかどうかわかりませんが、特に寒い冬は献血協力者が一年の中でも減衰するので、よく駅前で協力の呼びかけがされたりしています。案の定、今日も呼びかけがされており、常連の献血ルームも今日は客が少なめでした。寒い季節のため、外出より家にいる時間が多くなることも原因の一つだそうです。確かに外は寒くて風は冷たくて、結構辛いものがあります。なかなか難しいところですね。



平成16年12月19日(日)  皇族最長老ご逝去
今上天皇陛下のおばにあたる高松宮妃喜久子妃殿下が18日午前4時24分、敗血症のため入院先の病院で逝去されました。92歳、皇族の中では最長老の存在でした。折あしく同日は紀宮さまのご婚約内定の正式発表日だったのですが、急遽延期されました。同妃殿下は母を結腸癌で亡くしたことから、「高松宮妃癌研究基金」を創設、名誉総裁を務めながら癌制圧事業などに尽力なされてました。

同妃殿下は1911(明治44)年12月26日に誕生なされました。父は徳川幕府第15代将軍徳川慶喜公の七男慶久氏、母は皇族・有栖川宮家出身の実枝子さんの二女として誕生、いわゆる慶喜公の孫に当ります。命名にも慶喜の一字がとられています。紙面によれば、1930年の故高松宮宣仁親王との御成婚の際は公武合体といわれ話題に。天真爛漫、繊細かつ豪放で、「将軍の孫」と評されるほど積極的に活動なされていたそうです。

宮内庁では葬儀の日取りの検討を開始されましたが、先例に従って、本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は今月26日に東京都文京区豊島岡墓地で行われ、墓所は夫の故高松宮宣仁親王が眠る同墓地が予定されているそうです。同夫妻には子供はおらず、高松宮家は途絶えることになります。また喜久子妃殿下の死去によって、明治生まれの皇族はいなくなりました。

宮内庁は、喜久子妃殿下の弔問記帳は高松宮家で25日まで受付としています。私は記帳をしに東京まで足を運べませんが、この大阪の地からご冥福をお祈り申し上げます。



平成16年12月16日(木)  年賀状
どうやら郵便局で年賀状の受付が開始されたようです。街のあちこちで見かけるポストも、よく見ると「年賀状」と「年賀状以外」の2つにポストの口が変更されています(一部の地域では異なる)。私の祖母も数時間かけて今年出す予定の年賀状を書き上げてました。私は年賀状を受け取り、代わりにポストへ投函しましたが、一方で私が出す予定の年賀状はまだ一筆も進んでいません。

実は私は年賀状を毎年(正確には2000年度以降)2種類作成しています。私の身近な友人は知っていると思いますが、1つは各家庭で作るようなごく普通の年賀状です。もう1つは“楽譜付”年賀状です。このHPの「音楽」の頁を見てもらうとわかると思いますが、私は懐古ゲーム(懐ゲー、糞ゲーとほぼ同意)のBGMが好きで、お気に入りのBGMを市販の楽譜ノートに書き記す(聴音、耳コピとほぼ同意)作業を小学3年生頃からずっと趣味で続けています。一人で楽しむのも面白くないとの考えで、気晴らしに簡単に演奏できる曲を年賀状に貼って紹介したろう、との判断で始めたのがこの「楽譜付年賀」なのです。
正確にいえば、この年賀は元々古巣の友人K松が毎年くれた年賀状がヒントになっています。彼はとかくピアノが得意で、クラシックとドラクエに精通していて、更に自身で作曲が出来るので、毎年作曲してそこにくだらないコメントを添えて年賀状をくれていました。ちょうどピアノを習っていた私は将来同じように自分で作ろうと思っていました。実力がついたら、彼と合作する事についても意見交換していました。しかし、残念にも連絡が取れなくなってしまったので、実現不可となってしまいましたが。代わりに始めたのが、この“耳コピ年賀状”であります。毎年皆が知っていて、あまり有名でないゲームを1つ選択し、年賀状の大きさに収まる範囲で作れるBGMを探します。BGMを決めたら、いよいよ聴音開始です。BGMを聴きながら、基本のピアノ譜(C調)に作成します。1回聴いて終りでなく何度も重ねて聴いて徐々に完成させていきます。ピアノ譜が出来たら次は楽器別に移調させます。吹奏楽など管楽器の経験があればわかると思いますが、各楽器で楽譜の読み方が違うのです。私はトランペット担当なので楽譜はB調で、同パートの人に送る場合は楽譜を半音2つ上げます。トロンボーンはピアノと同じC調、ホルンはF調、アルトサックスはEs調…等という具合に。これがなかなか疲れるのです。

ところで、この年賀状は残念ながら全ての知人に対して作っていません。音楽経験ある人で尚且つゲームの知識がある人に限定しています。人数は限られますがほとんど手作りで、しかも楽器ごとで楽譜の読み方が異なるので、それぞれ分けて作成する為に労力と時間がかかります。ですから、大抵の場合は私の年賀状は元旦が過ぎた年明けになりがちなのが現状です。今年は元旦につくようにしたいところですが、今回選択するテーマがまだ決まっていません。さて、今年は何を作ろうか…



平成16年12月14日(火)  忠臣蔵
史実によれば、本日は赤穂浪士の討入が決行された日です。主君の無念を晴らすべく大石内蔵助率いる47士が宿敵吉良上野介を討ち取る話です。かなり前にこれに関する一ネタを「史書」の頁に掲載してあります。よろしければそちらもどうぞ。

本日晩に守口の祖母宅へ行くと、ちょうどテレビで忠臣蔵の2時間の特番(タイトル忘れた)が放映されていました。物好きな私はついつい祖母と一緒に忠臣蔵を見入ってしまいました。主役の大石内蔵助を演じていたのは、松平健、あの今をときめく「マツケンサンバ」の御方です。最近はめっきり見なくなりましたが、時代劇もなかなか奥が深いです。
ところで、日本三景、三大祭…と、有名なもの3つをまとめた言い方が色々あります。祖母によれば“三大敵討”というのもあるそうです。1つはこの「赤穂四十七士」、また1つは更に古く「曾我兄弟」、最後の1つが……実はわからないのです。祖母も昔は何度か聞いていたそうですが、最後の一つが思い出せないのです。しばらく談議が続きましたが、結局わからず。うーん、誰ぞ知る者はおらぬものか。

すっかり暗くなって帰路に着いた途中、帰りに守口市駅でkoroheru氏と再会し、そのまま近くの「天一」でこってりラーメンを堪能。寒い時にラーメンはたまりません。



平成16年12月13日(月)  更新再開
しばらくのPC修理期間の末、本日晩にPCが修理から戻って参りました。緩衝材や厚いダンボール箱を装着(?)して戻ってきた我が家のPCは、まるで遠出の旅から帰ってきた放浪人のようです。しかし、修理にかかった料金は総額約5万円也(税込)!…なかなか痛い出費です。物とはいえ、大事に扱わねばと思いました。

ところで、昨日はほぼ一日京都にいました。朝からは後にニュースにも採り上げられた「京都・観光文化検定(京都検定)」を受験しました。私の受験会場は“今出川新町”を上ったトコにある同志社大学新町キャンパスで、10代くらいの人から高齢の方まで幅広い年齢層の受験者を目の当たりにしました。
昼からは“四条室町”にある池坊学園で「歴史能力検定」を受けてきました。こちらも受験層は似ていました。

試験後はいったん大阪に戻り、晩になって改めて上洛です。目的は新たなラーメン屋開拓(?)の実施です。本日の行き先は京都“一乗寺”にあるラーメン「高安」です。京都といえば、無論あの友人、が氏が一緒です。いつものように京阪八幡市で合流して、以下ルートをあげてみます。京都の久御山から油小路〜堀川通を北上。北小路通を東進してぶつかった白川通をまた北上。北泉通を左折して叡山電鉄の線路を越え、2つ目の交差点を左折して細い道路をしばらく走ると左側に店舗が見つかりました。しかし、店内は満員でしばらく店外で待つ事に。この日はかなりの降雨であったので、雨がとてもうっとおしかったです。注目のラーメンですが、濃ゆさは普通程度と思われます。奈良京終の「無鉄砲」や寝屋川 の「一作」に比べると濃くありませんが、味に深みがあって箸がよく進みます。私は当店で「唐揚げ定食」を注文しました。何より目が光った(?)のは、ご飯の量(大・中・小)どれにしても150円なのです。勿論私は大盛りです。また、唐揚げの1個当たりの大きさがかなり大きいのです。憶測ですが、スーパー等で販売されている唐揚げの2倍強の大きさなのでは…と思いました。これでしめて税込900円也。…ここの常連となる日は近いようです。



戻る