書記

平成16年8月期分

管理人の無謀な独り言。とかく更新遅延気味。
急いで軌道修正中(?)。



平成16年8月26日(木)  関西吹奏楽コンクール
京都市の京都会館第一ホールで第54回関西吹奏楽コンクール全日本大会予選が行われたので午後から出向いた。“午後”からである。勿論午前から始まっているのだが、前回の都道府県レベルの大会からは午前と午後で別料金と取るのだ。料金は午前と午後で各1200円!丸1日聴くとしたら倍の2400円を出費することになるのだ。……高い。金欠になりやすい私は午前は泣く泣く諦め、午後から入場することにしたのだ。ちなみに次回の全日本になると2000円に上る!演奏のレベルと比例するという訳か…。今回前回の府大会と同様、初めて関西大会にも足を踏み入れたが、金銭面に関してはなかなか痛い思い出になりそうだ。…と、個人的つぶやきはこれくらいにしておいて…

演奏に関しては、流石に関西大会。近畿内の各府県の実力校が出ているだけに演奏が上手い上手い。学校名や曲名は知らないものが多かったが、曲のハーモニーがたまらん。高校生が演奏しているとはとても思えないような音色だ……、というのは言い過ぎか。ともあれ終了時にはもうお腹一杯である。たまにこういう演奏も聴きに行くのも悪くはないと思った。

高校の時は、コンクールとかでなく、ドラクエの音楽を手掛けるすぎやまこういち氏がじかに指揮を振るオーケストラを聴きに行ったものだった。「音源」の頁に名前だけ載せているK松という古巣の旧友からの勧誘でよく行っていた。テレビゲームの中でしか味わったことのないゲームBGMが、オーケストラという違う形で耳にすることができとても新鮮だった。特に私が小学生の時に初めて耳コピした曲がドラクエだっただけに、こういう演奏会で聴いた時は特にたまらないモノがあった。曲は違えど、たまにはこういう演奏会に出向くのも悪くはない。では次は何処ぞの演奏会に出向くか……。

最後になるが、本日のコンクールの結果は別頁に掲載しているのでそちらも宜しく。



平成16年8月25日(水)  開設5ヶ月達成
当HPを開設して以来、遂に5ヶ月経ちました。…思えば早いものであります。カウンタも毎日コツコツ増え、ここまで登るとはあの時思ってもいなかったと思われます。唯一の懸念としては、ここ最近思うように当頁の更新が進まず、頓挫気味だという点ですが……。地道に作業していきますゆえ、どうか長い目でもって応援を宜しくお願いします。



平成16年8月16日(月)  五山送り火
守口の友人であるkojikoji氏(以前掲示板に登場)とK氏(初登場)とで、京都の送り火の観賞に出向いた。京都の夏の夜空を彩る壮大なる精霊送り、大文字の送り火である。大学入学以来、毎年見に来ているのだが、今回はいつもと違うポイントに陣をはった。今までは京阪出町柳駅から北西側に走る加茂街道のほとりで最初に「大文字」を観賞、その後道なりを北側へ歩き、東の空に「妙」「法」を確認。そのまま加茂街道を北向きに歩くと、ある一点で「船形」が少し確認できた。そこから更に、北山通を西進し、鹿苑寺金閣の裏手の北山にて「左大文字」を発見。ちょうど点火が終る数分前に到着するので、何とか観賞可能だ。ただ、一つだけ嵐山の方にある「鳥居形」は遠方で観賞できないので諦め、そのまま来た道をゆっくり帰還する…といった、大移動しながらの観賞をしていた。今年は下鴨神社の西側に在する出雲路橋を(なんとなく)定位置に定めて、送り火の点火を待ったのである。

午後8時、遂に京都の東山に最初の送り火、大きな「大文字」が灯られた。多くの人の歓声の中で、闇夜に照らし出された炎で灯ったその大きな大の字は、毎年何度見ても見飽きない壮大さがある。点火の順は、「大文字」を最初にその10分後、京都松ヶ崎あたりの山に「妙」「法」が点火、続いてその5分後には、北区西加茂の山で「船形」と金閣の裏手に在す北山「左大文字」、そして8時20分、右京区嵯峨で最後の「鳥居形」が点火された。
我々一行はしばらく出雲路橋で東山「大文字」を観賞していたが、しばらくすると、背後で歓声が上ったので向くと、ちょうど「船形」が上手く綺麗に見えたのである。今まではっきりと綺麗に「船形」を見た事がなかっただけにちょっと感激である。こうなったら見れるだけみたろ、という事で「妙」「法」の見える位置に動こうとした時、西側にそびえる林の隙間から灯り火がチラチラ垣間見ている。「左大文字」である。はっきりとではないが、まさかこんな所で見れるとは思っても見なかったのでちょっと感動である。遠方の「鳥居形」は間に合いそうにないので、最後に「妙」「法」見たさに少し北上。紫明通の手前あたりで何とか両者を確認できた。残念ながら加茂川のふもとの木々や住宅地に遮られてはっきり見る事は難しかった。これらをはっきり見るにはビルや学校の屋上へ行くのが望ましいが今回は断念した。次回の観覧時には屋上からの見物を企図しておきたい。



平成16年8月14日(土)  関西ぶらり旅・流浪編
今日は以前BBSに参上してくれた、がるさりす氏と再会した。急な事だったので特に計画してなかったが、温泉と京の夜景を見に行く事にした。大阪府高槻市塚脇付近にある「美人湯」(だったと思う)というトコの温泉へ向った。やはり温泉は普通の風呂や銭湯と違う気分になれてそれもまた楽しい。勿論どこぞの温泉のように入浴剤は混入していないのであしからず。ここの湯につかると何となくだが肌が艶々感に変わる感じがする。事実、私の体には少しアザがあるのだが、入浴後は少しだけそれが引くのである。もしかしたら、ここの湯の成分が何らかの作用を及ぼして身体を治してくれているようだ。毎度というわけにはいかないが、たまにはこういう温泉巡りも悪くない。

入浴後、宇治で飯を食ってから上洛を目指した。実は夕方に温泉に行ったのだが、しばらくして雨が降り始めたのだ。温泉後に京都で夜景を見るのに降雨しててはあまり望めなさそうな感がして心配してたのだが。それでも小雨続きだったが、大降りでなくて安堵した。夜景の場は京都清水寺の裏側にある将軍塚である。実は名前は知っていたが京都の中でも遠方なので軽視していたのだ、スマソ。ただ、入口が山道のような所にあるので、最初入り方が分からず右往左往していた。何とか見つけて入ってみれば、それは暗闇の山道同然。次第に霧まで発生してきた。あまりの静けさに何か出てきてもおかしくはない感じである。ちょっと不安漂う中、何とか目的地到着。夜景スポットなようで、既に何名も先客がいた。そして、小雨が降り続く中、我々は京都一帯を一望できる場所に到達。小雨で視界が見辛かったが、夜の京都もなかなか捨てたものではなかった。清水寺の境内からも一望できるが、また違う視点で市街地を見下ろすのも趣深い。今度は晴天な中でもう一度見たいと思った。



平成16年8月13日(金)  吹奏楽コンクール大阪府大会
先月末に大阪市森之宮で吹奏楽コンクール北地区大会が催されたのだ。大阪府は北摂、北、中、南の各4地区に分かれていて、それぞれで府大会進出校が今日関西大会進出にかけるのである。我が母校は既に予選突破ならずだったが、強豪校らの腕前聴きたさに友人koroheru氏と共に今回初めて府大会に出向いた。当然前回の予選時の時よりレベルが格上げされていて、どの校も上手である。本日の結果(一部聞き逃し)は同HP上に掲載してあるのでそちらを御覧いただこう。さて、見事本大会で金賞に選ばれ次大会進出を決めた各代表校は、今月26日京都で行われる関西大会にコマが進む。関西各地の強豪が一同に対決するだけに、更に腕のいい演奏が聴けそうである。当然都合つけて聴きに行きたいところだが、入場料が1200円かかる点が少し痛手なのである(汗)。



平成16年8月10日(火)  宇治川花火大会
大学時代、私の友人等で「歩行会」(非公認)というのを組んできた事がある。その名の通り、目的地までひたすら歩く、ただそれだけである。元来は、大学が最寄駅から徒歩約30〜40分、車で約10分の遠距離であり、この際の移動手段が主にバス(片道220円)なのであるが、毎度利用してては金かかってしゃあない、というので、ケチろうとする一部の友人等と、バス利用を非常時以外は利用しない事が何となく始まり、やがて群がって徒歩移動を始めたのだ。その際、遊び半分に名づけたのが同会(友人内でほぼ死語に近し)である。卒業と同時に廃棄となったが、今回久々に復活した(させられた)のだ。

今回の活動の場は京阪香里園駅から淀城跡まで徒歩で歩くことになっていた。ところが、今日は宇治市で宇治川花火大会があることがわかったので、ゲリラ的に急遽目的地変更。同駅から宇治市内の徒歩移動が即決されたのだ。当然計画性なぞ全くないのだ。

午後2時40分香里園駅出発。まず、京阪沿線沿いを北上し、枚方市三矢付近で旧京阪国道である府道13号京都守口線に出る。道なりに北上し、京阪枚方市駅近くのかささぎ橋交差点から東に伸びる府道144号杉田口禁野線を東進。山田池公園を横目に通過し、JR長尾駅前に到着。この地点で時間は午後5時を回った。つかの間の休息をとって駅前を南北に走る府道736号交野久御山線を北上開始。この辺りから人も車も減り、周りはほとんど田んぼで歩道のない道路をひたすら北上している。まるで田舎道のようだ。やがて京田辺市に突入。宇治が東方にあるので途中の交差点で右折して東進すると、JR松井山手駅に到着。流石に道が複雑になってきたので、一度地図で確認。目的地までまだまだ遠い。しかし、ここまで来たんなら行けるとこまで突き進もうとなり、行動開始。相変わらず人気のない道を北上し続け、八幡市に突入。すでに辺りは暗くなってきており、時計も午後7時前である。あともう一息なのだがこの後に問題が起こった。そのまま道なりに進んで、木津川堤防にぶつかった。遠くでは既に花火が上っているのが見えた。その付近に木津川小橋という小さい橋があり、それを渡って久御山町に入り、府道15号宇治淀線伝いに宇治川を目指す予定だったのだが、ここ近日の台風のせいで橋が封鎖されていたのだった!この付近には別に橋は無く、近くても約1km以上西に離れた国道1号線を渡るしか術はなかった。事実上花火打ち上げ時間内の宇治市内到達は不可となった。遠方に上る花火を見ながら、無念を背にして帰路のルートを確立すべく堤防沿いに国道1号線まで西進し木津川大橋に到達。南の八幡下奈良交差点から西に府道22号線八幡木津線が走っており、この道なりに歩いてようやく京阪八幡市に到着。既に時間は午後9時前。目的未遂で終えたが、総移動距離は過去最高の約23キロを樹立。よくもまあ身体がもったもんだ、と改めて思った。次回はもう少し計画してから動く事にしよう。



平成16年8月6日(金)  広島原爆忌
今日はヒロシマで59回目の「原爆の日」を迎える。広島市中区の平和記念公園で午前8時から、被爆者や遺族、国内外の関係者が参列し平和記念式典が開かれるなどして、ヒロシマは終日、慰霊と核兵器や戦争のない世界の実現を願う祈りに包まれる。

5日夜には、同公園内を流れる元安川の川面に、「原爆ドーム」と呼ばれる前の広島県産業奨励館の姿がCG(コンピューターグラフィックス)画像で映し出された。原爆による破壊前後の姿を見て平和について考えてもらおうと、広島の待ちづくりグループが企画した。同館の写真などから画像を作成し、高所作業車2台からビデオプロジェクターで投影した。

1945年8月6日に広島、同月9日には長崎に原爆が投下され、その日以来、広島は「ヒロシマ」、長崎は「ナガサキ」となった。我が国日本は世界無二の被爆国である。平和大国かつ非軍備国家として、もっと世界に和平成就を訴え続ける義務がある。戦争経験皆無の我々世代も、もっと深く熟考すべき事実でもある。



平成16年8月5日(木)  戦艦大和
広島県呉市が来春に市海事歴史科学館(通称・大和ミュージアム)をオープンさせる。原爆で家族を失った元戦艦大和乗組員の方が、資料収集などで協力なされたとの事。元乗組員が乗船した“戦艦大和”について、簡単に挙げてみることにした。

太平洋戦争開戦直後の1941年12月、広島県の呉海軍工廠(こうしょう)で完成した当時世界最大の戦艦―――言わずと知れた、戦艦大和である。排水量約69,000t、全長263m、速力27ノット。軍艦史上空前の46センチ主砲9門を備える一方、冷暖房やエレベーターなど最新の装備を満載し、「動くホテル」とも呼ばれた。完成後間もなく、連合艦隊旗艦となった。

当時、各国の海軍では戦艦を海洋戦の主役と位置づける「大鑑巨砲主義」の考えが主流で、旧日本海軍首脳も大和や同型艦「武蔵」の就役で太平洋戦争初頭の優位を維持できると考えていた。しかし、航空機が予想外のスピードで進歩したため、機動力に欠け、大量の燃料を消費する巨大戦艦は次第に「無用の長物」となっていった。戦艦大和も例外ではなかった。

1945年4月、米軍の沖縄上陸に伴い、大和は片道分だけの燃料を積んだ「水上特攻部隊」として出撃。沖縄に着いた後は海岸に船体を乗り上げ、陸上砲台として戦う計画だったが、途中、米軍機の攻撃を受けて、東シナ海で撃沈した。乗組員3009人のうち、生存者はわずかに276人。大和は殆どその威力を発揮できないまま、短い生涯を終えたのだった。



平成16年8月3日(火)  平成淀川花火大会
第16回平成淀川花火大会が本日大阪市の淀川河川敷で行われた。私は毎年これを見に(他の花火も見るが)行くのであるが、実は夕方頃に小雨が降っていたので、私はてっきり中止かと思って自宅にいた。すると、部屋の外から何やら打ち上げ音が鳴り響き出した。慌ててその方角を見ると、遠くの空に花火が上っているのが見えた。しまったぁ―――!(心の声)。その時も小雨が降っていたのであるが、どうやら雨天決行だったようである。雨天中止と思い違えた私の早とちりだった。幸いにも、私の家のベランダから花火の方向には、視界を遮るものは何ら無かった(来年マンション建設のため景観が遮られる事に…)ので、小さいながらも花火を遠くから眺めることが出来た。とりあえず、見れただけ良しとしよう、と自分に言い聞かせたのであった。

翌日の紙面によれば、同大会へ約30万人(府警調べ)もの人が足を運んだようだ。約2万発の花火が豪快さや華麗さを競うように順次打ち上げられ、夏の夜空を彩った。…しかし、つくづく日本人は祭好きだなあと思ってしまった。無論、自分も含めて。



平成16年8月2日(月)  秘蔵の3神像初公開
世界遺産に登録されたばかりの和歌山県新宮市の熊野速玉大社が秘蔵する熊野三山の主神、熊野三所大神の神像3体が、大阪市立美術館で10日開幕する「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝〜」に出展される事が決定した。3体揃っての公開は史上初という。写真が掲載できてないのが残念だが、各像の名称は、熊野家津美御子(けつみみこ)大神坐像、熊野速玉(はやたま)大神坐像、熊野夫須美(ふすみ)大神坐像という。是非とも観光でご対面してきてもらいたい。

いずれも平安初期につくられた高さ1m前後のヒノキの一木造りで国の重文である。我が国最古、最大級の神像彫刻で、最高傑作といわれている。熊野速玉大神坐像は宝冠をかぶり、威厳と風格がある男神像。熊野夫須美大神坐像は白い顔が美しく、豊満な女神像。熊野家津美御子大神坐像は青年らしい顔立ちの男神像である。それぞれ、神殿の奥深くに安置され、人目にも触れない秘宝である。41年前に、2神像が名古屋市で公開されたことがある。尚、同展は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録を記念し、9月20日まで開催される。是非足を運んでみてもらいたい。



平成16年8月1日(日)  PL花火大会
大阪府富田林市で、本日晩に全国最大規模を誇る花火大会「PL花火芸術」がPL教団大本庁で行われる。打ち上げは午後7時45分に開始される予定。筆者は花火好きではあるが、残念にも現地までの移動距離が長く、交通費の都合上、泣く泣く諦めざるを得なかった…。後日の新聞によれば、当日は約29万人(府警調べ)もの人が夏の夜空を彩る10万発の花火を堪能したそうだ。黄、青、紅、緑の花びらが舞い散る美しさを表現した新作「葉落」など大輪の花火が次々と打ちあがり、締めくくりの「終幕スターマイン」では、幅約1キロにわたる光のスクリーンが夜空に広がった。いずれは同大会も含め、府内の花火大会を全て網羅してみたいものだ。



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