書記

平成18年4月期分

無事開設二年を迎えし管理人の独り言の空間。
遂に三年目突入です。ありがたいことです。



平成18年4月30日(日)  割れた!
今月初旬に我が分身(?)なる携帯がぶっ壊れたのですが、今月末にも私の所持品の中のあるモノが「割れて」しまったのです…

財布の中身を整理するために全て取り出してみると、いつもと見慣れない姿のモノがありました。問題の物は“ツ○ヤ”のポイントカード、パッと取り出したら、左半分が割れて&欠けて、今までとは違い見慣れない哀れな姿(?)に……。

その後の行動は以前の携帯の時と似た感じです。こりゃマズイと思って、その日のうちに発行元の店舗へ飛び込んで事情を説明。しかし、某店員曰く「これくらいなら問題なく使用できますよ」との言葉が。どうやら致命傷ではなかったようなのです。なんだよ、わざわざ飛んで行く必要なかったんじゃん…と思いながらもほっと一息。更に店員は言葉を続けます。「そのままでも使えますが、再発行もできますけど(要200円)」と。考えること10秒。そのままでも良いのですが、割れ方が危なっかしく指を怪我しかねない感じなので、再発行してもらうことにしました。

待つ事数分、柄の変わった新しいカードとご対面です。何でもかんでも、やっぱり新しいモノは気分がいいですねえ。ちなみに、最初に言われた200円は支払わなくても良かったようです。思えば、今月の初めと終りにはモノが壊れるという失態に見舞われてしまいました。本人はその気ないのに。来月はもう何も壊したくないです……



平成18年4月23日(火)  歩行会・天神橋筋商店街編
各鉄道では、駅前に鉄道情報誌が毎月一日発行されています。テイクフリーのため勿論0円ですが。私は最寄が京阪電鉄なので、同電鉄が発行している「K PRESS」を頂戴して読んでおります。その中に面白そうなのがありました。結論からいえば、焦点は大阪の天神橋筋商店街です。知る人ぞ知る、日本一長いといわれる商店街です、はい。

天神橋筋商店街天神橋を起点として真北へ伸び、その全長は約2.6キロあります。ちょっと昔話をすると、同商店街は平安時代頃から大阪天満宮の門前町として栄え始めました。その後、1653(承応二)年、交通の要点だった大川(旧淀川)沿いに生鮮食品を扱う“天満青物市場”が出来、それ以来「天下の台所」、大阪の中心として全国に知られるようになったとのことです。

この商店街の端から端まで歩くと約一万歩になるそうです。これを完歩できればゴール地点で「満歩状」が授与されるのです。「満歩状」は、“一万歩”と“天満宮の参詣道を歩く”をもじって命名されています。さすが大阪、ユーモア(?)がありまする。

これは久々に歩行会復活だなあとの事で、都合のついた友人N氏と共に活動開始です。まず大阪天満宮へ向かい、受付で“申告状”を貰って氏名記入し、いざ出発。ここから真北へひたすら歩きまくります。一万歩なんて考えたことないですねえ。周りの多種の店舗をチラ見しながら、ゴール地点へ向かいます。しかし、我々は今までにも観光の際でもひたすらに何キロと歩き回りまくっていたせいか、ゴール地点到着までにかかった時間はわずか25分……。思っていたよりも早くに到着してしまいました。ちょっと物足りなかったのが本音…。そして決められたお店で念願の「満歩状」を頂きましたが…。不完全燃焼ですかね。運動がてら歩いてみるのもいいのではないでしょうか。歩行会会員を自負する方々は必須項目でしょう、たぶん。



平成18年4月16日(日)  京阪電鉄ダイヤ改正
本日より、私の足として利用している京阪電鉄の新ダイヤが始まります。私の最寄駅の前ダイヤは昼時間はほとんど準急ばかりでしたからねえ……。駅で配布しているポケット時刻表を見ても、昼時間は準急を示す青色ばかり。青一色というのも何だか味気ないし、なぜ普通が無くなったのかわかりませんでした。大阪方面へ行く際、昼時間に普通は淀屋橋〜萱島間しか運行しなかったため、普通に乗り換えるには、わざわざ萱島駅で下車して乗り換えねばならないのです。それだったら最寄駅で最初から普通に乗ってゆらゆら〜っと行く方がいいに決まってます(個人的意見)。

ネット上でも、某サイトをチラ見してみたら、あまりいい評判は書かれていなかったこともあり、いつダイヤ改正するのかが気になっていたのが本音です。JRや近鉄のように毎年改正せず、京阪は数年に一度ダイヤ改正されるだけですし。…まあ、京阪に限らず、鉄道利用者の方々は利用する鉄道のダイヤに関して賛否両論あるかと思いますが、前のダイヤに関してだけはあまり納得できませんでしたね。

本日より新ダイヤへと変わり、昼時間に急行普通が復活しました。私が求めていたのはコレなのです。早く行ける電車と普通の電車が交互にやってくるのが私の理想(?)なのです。前回ダイヤに比べると今回はまだ納得できる内容です。変わりに、昼時間の準急が無くなりました。前ダイヤへの反動で消えたっていうイメージもありそうな気がするのですが……。



平成18年4月8日(土)  伏見名水スタンプラリー
本日4月8日(土)から5月31日(水)まで、伏水会主催による“伏見名水スタンプラリー”が開催されます。今日はその初日という事で、都合つけて行ってみました。普段、京都へ行くといっても、京阪電車で三条・四条駅辺りまで乗っていって、洛中でブラブラするので、伏見で観光するのは、恥ずかしながらあまりなかったのです。洛中より伏見の方が自宅から近いんですがね…。
そして、観光といえばこの御方、最近よく登場する大学の友人N氏も御同行下さいました。

簡単に申せば、同スタンプラリーは、伏見の歴史に名を刻む名水のある9箇所の場所に設置されたスタンプを収集するという、何処にでもあるスタンプラリーとさほど変わりません。“伏見”は元は“伏水”と書かれ、良質な水を利用した酒造りで有名な土地です。そんな名水巡りに因んだスタンプラリーが開始されました。
以下、9箇所のスタンプ設置場所であります。
最寄駅は管理人の“足”である京阪電鉄各駅から、管理人の所要時間を記載してます。

  • 藤森神社 不二の水――洛南の深草に平安遷都以前から祀られるとの伝承がある古社。特に勝運と馬の神社として有名で、騎手をはじめ競馬関係者の参拝が多い。当社の御神水である「不二の水」は「二つとない(おいしい)水」との意。戦国時代より勝運を授ける水といわれている。
    京阪墨染駅下車、北東へ徒歩約10分

  • 清和荘 清和の井――清和荘は墨染通沿いにある料亭旅館。「清和の井」は旅館敷地内玄関横にある。料理する際に使用する水は、すべてこの水を使用しているとのこと(同旅館スタッフ談)。
    京阪墨染駅下車、西へ徒歩約10分

  • 城南宮 菊水若水(きくすいわかみず)――平安遷都にあたり、王城の南側に守護神として創建されたといわれる。古来より方除けの神として信仰を集めているが、現在は交通安全の神としても有名。「菊水若水」は病気平癒の霊験あらたかな神水といわれており、奈良東大寺お水取りの香水は、若狭・遠敷川から「菊水若水」を通り、二月堂の若狭井に達すると伝わる。
    4月29日・11月3日には王朝風俗を再現する“曲水の宴”が行われます。
    京阪墨染駅下車、西へ徒歩約25分

  • キンシ正宗 常磐井水(ときわいのみず)――キンシ正宗株式会社本社工場内にあり、「名水百選」にも選ばれた御香宮神社に湧き出る“御香水”を源泉としている。創業地は堺町二条であるが、酒造りに不可欠な名水を求めて伏見に移転。創業地は現在、「堀野記念館」として公開されている。今でも毎時70トン以上も湧き続けている。
    京阪丹波橋駅下車、北西へ徒歩約10分

  • 御香宮(ごこうのみや)神社 御香水(ごこうすい)――862(貞観四)年、当地に清泉が湧き出し、これを飲むとどんな病気も治るという奇跡が起こり、時の第56代清和天皇より「御香宮」の名を賜ったという。または、筑前(現福岡県)の香椎宮(かしいぐう)を勧請したとも、式内社の御諸(みもろ)神社とする説もある。霊水信仰が厚く、伏見の酒造りの生命水とされる。環境省「名水百選」のひとつ。
    京阪伏見桃山駅下車、東へ約5分

  • 鳥せい本店 白菊水――「白菊水」は、久米の里の仙人・天太玉命(あまのふとたまのみこと)が育んだ白菊の露の一滴から湧き出たと伝えられている。1677(延宝五)年創業の清酒神聖、山本本家の酒造りに使われており、しなやかで飲み口のきれいな伏見の酒の源。名水百選に選ばれた“御香水”の水脈と同じ。
    京阪伏見桃山駅下車、南西へ徒歩約10分

  • キザクラカッパカントリー 伏水(ふしみず)――当敷地内から湧き出ているのが名水「伏水」。この名水で仕込んだ出来立ての麦酒や日本酒を料理と共に味わえる。無論、料理の際に使用される水は全てこの名水を使用している。
    京阪中書島駅下車、北へ徒歩約10分

  • 月桂冠大倉記念館 さかみづ――同記念館は、1637(寛永十四)年創業の月桂冠発祥地。名水「さかみづ」の名は、「栄え水」と共に古くは酒の異名。酒造りの命の水であり、隣接する酒蔵では今も使用されている。
    京阪中書島駅下車、北東へ徒歩約10分

  • 長建寺 閼伽水(あかすい)――「閼伽水」とは、仏様に供える水のことをいう。当寺の「閼伽水」は伏見の良質の地下水と同じ水脈のもの。本尊に祀られてる弁才天は、古来インドでは水の神とされており、弁財天の御堂の多くが池や川のほとりにある。
    京阪中書島駅下車、北東へ徒歩約5分


    ―――尚、4月4日の“携帯電話の乱”発生により、写真掲載はまた後日にします。
    ここの写真は携帯電話のカメラで撮影している為です。



  • 平成18年4月4日(火)  壊れた!
    本日夕方頃、緊急事態(大げさだが)が勃発しました。何気なく携帯を取り出してパッと見たら、なぜか画面が真っ黒でした。「あれ、オカシイなぁ〜、携帯の電源切れちゃったのかな〜(心の声)」と、怪談話をする稲川○二風に心の中で思って電源を入れようとすると……、つきまへん。電源がつかないのです。電源を押し続けること十数秒、とっくに画面が映っていないといけない時間なのに、うんともすんともいいません。まさか……(汗)、携帯歴約6年の私に初めてのトラブル発生です。

    これはマズイと思って、その日のうちに某携帯ショップへ飛び込み、店員に事情を説明。しばらくお待ち下さい、と店員に言われ、我が携帯はしばし持ち主の手から離れて点検され始めました。待つ事数分、店員の口から「まったくつきませんねえ…」との声が。原因を探ってみますが、特にコレといったものがありません。実は、昨日に不注意で携帯を落としてしまったのですが、それにしては目立った外傷が何もなく、その後も違和感なく携帯の使用が出来ていたので、コレも違うだろうとの事に。その後も色々と店員と話し合ってはみたものの、結局のところ、直接的な原因は不明なのです。店員曰く、恐らく携帯内部がショートしてしまったのでは…とのこと。

    さて、問題は携帯の処遇(?)です。復旧の見込みが無いので、壊れた携帯(以後、旧携帯と表記)は故障品としてそのままメーカーの元へ送られ、代わりに新しい同機種のもの(以後、新携帯と表記)と取り替えることになりました。使用し始めたのが昨年の9月、旧携帯は僅か約7ヶ月という短い生涯(?)を終えたのでした……。

    さて、新たにお目見えした新携帯なのですが、機種変更ではないので、初めての携帯デビューの如く、ほぼサラの状態です。旧携帯に入れていたデータは全て無くなってしまい、うつす事は不可能なのです……。同じ経験された方がいればわかると思いますが、電話帳も消えてしまったので、友人の誰とも電話やメールが出来ないのです。一言一句覚えてませんし。旧携帯の前の携帯(以後、前携帯と表記)があれば、電話帳を移せることも可能ですが、こんな時に限ってその前携帯が何処に置いたか判らなくなっているのです。

    更に問題なのは、ここ半年以内に機種変更した友人・知人に対し、コチラからは何の連絡も出来なくなっている事です。前携帯に残っている電話帳には、電番・メルアド変更前のものが登録されているので、コチラから連絡する手段が閉ざされてしまっているのです。
    もし、私の友人・知人で昨年9月から現在までに携帯番号及びメールアドレスの変更をされた方、当HPを拝見されてましたら、再度変更した旨を連絡していただけますよう、お願い申し上げます

    ―――ほんとまあ、今日はついてない一日やった……。



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