未完のものがたり
それはそれは 寒い夜でした
外は季節に取り残された雪が 急ぎ足で降っているようでした
大粒の雪の結晶はふわりふわりと宙を舞いながらゆっくりと
道や車や家々の屋根に降り積もりました
漆黒の闇ははたちまち白銀の世界に塗り替えられていきました
部屋には 明るいオレンジ色のカーテンが掛けられ
ベッドには真っ白なシーツと ふわふわの羽根布団が用意されていました
オルゴールの音が静かに流れ
廊下からヒソヒソ話や笑い声が かすかに聞こえてきました
そんな夜にあなたは生まれました
ふっくらとした頬 豊かな髪の毛 しがみつくその両手
無垢な あなたの仕種の全てが たまらなくいとおしい夜でした
こんな幸せな日を いったいどんな言葉で表現すればよいのでしょう
あなたは大きく生まれたから
おっぱいを上手にたくさん飲んでくれました
そしてよく眠りました
不安だった新米母さんに にわかに自信が湧いてきました
『大丈夫。ぼくは元気だよ。 強い生命力を持って生まれてきたんだよ』
そんな声が聞こえてきました
あれから21年もの年月が経ちました
あの日、家に帰るとまだ誰も帰ってなく、私はいつもより少し早めに家に着いたことに気がつきました。
玄関のドアを開けるとまず靴を見るのが習慣になっていて、私たち4人の家族は靴を脱ぐ場所が自然に決まっていて、私はどの場所に靴が置いてあるかで誰が帰ってきているかを一瞬にして確かめる癖があります。
誰も帰っていない玄関は白い人工大理石の艶がいやに清潔で広々と感じることか。ひんやりと温もりの無い感触はなんとも物足りなさを感じるものです。
いつもと変わらぬあわただしさで着替えをし、すぐに夕食の準備にとりかかるのですが、この日ばかりは何となく、本当に何となくという以外説明できないような直感でこの閑散とした空気がいつもと違うと感じたのです。私は恐る恐る子供部屋のドアをまるで覗き見するように遠慮がちに開けました。
思ったとおり、やはり長男の荷物はきれいに運び出されていました。それはみごとにきれいさっぱりなくなっていて、その後は掃除機までかけてあり、几帳面な性格そのままの長男らしい旅立ち方でした。
そのときの私の気持ちは何と表現したらよいのでしょう。一瞬カッーと熱が内側から噴出し、鳥肌が立ち、ジワジワと汗が滲んできたかと思ったら、今度は全身から熱がさっとひきガクガクと膝が震えだしたのです。
勝手なものです。長男も就職して2年目に入り、親としてもいつまでもぬくぬくと家で甘えていないで早く独立して欲しいと思っていたのに、こうやって本当に出て行かれるとどこに居るのか、誰と居るのか、どうやって暮らしていくつもりなのかと一から十まで心配になってしまうものです。
私が仕事を始めたのは今から10年前、長男が小学6年生のときでした。考えてみればそのときから少しずつ親離れの準備がはじまっていたのかも知れません。家のことがどうしても手抜きになってしまう私に対して、長男の几帳面さは一層強まり、大きくなるにつれて自分の身の周りがきっちりと片付いているのはもちろん、ゴミ箱にゴミが溜まっていればゴミ出しをし、洗濯物がカゴに溜まっていれば洗濯を自分でするようになりました。それは、手伝いとか、家のためというのではなく単にそういう汚れが家の中にあることが嫌だったのだと思います。
私は子供たちに手伝いをしなさいとか、躾と称して仕事を与えたことはありません。自然に不便を感じる生活の中で「自分の必要なことだけは自分でやりなさい。自分が困らないように、それだけは自分でやりなさい」と言い聞かせてきました。それで、長男は自分の気に入らない家の汚れに対して自分で処理するようになったのでしょう。
あの日、そう、あの子が出て行った日も家中のゴミはきれいに出されていて、洗濯物も洗濯機の中に投げ込まれていました。それはいつもとまったく変わらない光景でした。
長男は半年くらい前から彼女ができたようでした。たぶん初恋でしょう。半年あまり超節約な生活で貯金をし、全財産をはたいて憧れの古いタイプのスポーツカーを買いました。それまでは家に居るのが好きな子でしたが、車を買ってからは外出がふえ、帰って来ない日もときどきありました。帰ってこないのは夜勤の日ばかりではないことは判っていました。その変貌ぶりにどう対応したらよいのか戸惑いましたが、気持ちはよく判りましたので、取り立てて問い詰めるようなことはしませんでした。
私も19歳の時からアパート暮らしをしていましたし、4歳年上の彼は私のアパートに入り浸りの同棲生活でした。ふたりとも就職したばかりで安給料、毎日残高とにらめっこの生活でしたが、ただ一緒に居るだけで幸せな日々でした。一緒にラーメンを食べて一緒に銭湯に行く。一緒に寝て、一緒に朝を迎える。その何もかもが新鮮で強烈な時間でした。
ある日、彼がパチンコで勝ったといって私をすし屋に連れて行き、ガラスケースの前に座らせると「何でも好きなものを頼んでいいぞ」と言ったことがあります。私はそのとき初めてアワビの味を知りました。そんなことがいつまでも記憶に残るような透明な時間を共有できる時期なのです。
それを考えれば今の長男を止めることも連れ戻すことも出来ません。この寂りょう感は私のエゴそのものです。
あの瞬間、私は平気を装っていました。夫にも話さず、もちろん長男に連絡をとるようなこともしませんでした。しかし、心の中であの子から何か言ってくるのではないかと携帯をチラチラと見てはメールの確認ばかりしていました。携帯というのはこういう時にはとても疎ましいものです。すぐにでも連絡をとれるツールをお互いに持ちながら、どちらからも繋がろうとしない。そのことが、なおさら心のうちを映し出してしまう気がします。
夕食を終えて少し落ち着いてから確かめるとタンスの中身も靴箱の靴もすべてのものが運び出されていました。こんなところもあの子らしいところで、どちらでも行ったり来たりできるようにしておけばいいと思ううのですが、あまりにもきっちりと跡を残さず出て行きました。
翌日帰ってくると次男が二段ベッドを解体していました。「もう出て行ったんだろう、荷物も何にもないんだから。ちょっとずつ運び出していたんだよ」といって、ずっとふたりで使ってきた子供部屋は一晩で次男のお一人様仕様に変わっていました。そんな次男を止めることも出来ませんでしたが、「一応、お兄ちゃんの布団が敷けるスペースはとっておきなさいよ。帰ってきても泊まる部屋がないんじゃあ可愛そうでしょう」と、やっぱり帰ってくることをどこかで期待をしてしまうのです。
それから夕食の準備に台所にいくと洗い桶に長男のご飯茶碗が入っていました。昼間こっそり帰ってきて、ついでにご飯を食べたのでしょう。外食が苦手で、外で食べてきても必ず家で食べなおす子でした。おかずがなければ納豆だけでも、とにかく家で食べたいのです。そして、家で食べるのが一番落ち着くとか、母さんの作ったものが一番うまいとか、私を喜ばせるような言葉を平気で言える子でした。
長男とは同業ということもあり、よく仕事の話をしました。共通の話題があるというのはいいものです。仕事中の失敗のことや、嫌な職員がいるとか、施設のあり方が良くないとか、私に意見を求めてくるのです。一年目の時は入居者さんから「おまえは若いからダメだ」というようなレッテルを貼られ、まったく拒否されてしまったとがっかりしていることもありました。そのたびに私は自分の経験や、気持ちのもちようなどいろいろなことを夜遅くまではなして励ましました。
出て行った前の晩も長い時間話をしていて、ただどうしても理解してもらえない一点があり、そのことで言い合いになりました。長男は自分で働いてそのお金で好きなことをやっているのだからこの家には一切迷惑は掛けていないと言い張るのです。それは、この春から家に入れると言っていたお金を一度も入れていないということからはじまりました。そして最後に「明日まとめて3ヶ月分入れます」と言い捨てて、そして次の日に出て行ってしまったのです。
長男が出て行って3日目の晩、私はメールをしました。せめて今居る場所だけは知らせて欲しいし、他人に迷惑を掛けるような真似だけはして欲しくなかったからです。しばらくして返事がきました。今は彼女の家にお世話になっていて、お金はちゃんと入れているということでした。迷惑は掛けているかもしれないけれど、仕事はちゃんといっているし、ふざけた事はしていない、彼女の親にも了解してもらっているとのことでした。そして、何より黙っていたのははじめから出来ないと言われたくなかったからで、自分のことは自分で決めて行動すると、何だか私はそんなに理解の無い親とおもわれていたのかとショックでした。
そして、はじめて長男が出て行ってしまったことを確信しました。と同時に相手の親に対する恨みというか嫉妬のようなものが沸々と湧いてきて、心が震えて止まりませんでした。逆恨みかも知れませんが、まるで長男を取られてしまったという思いです。どうして厳しく「出て行け」と言ってくれないのかと。こんなかたちで家を出て行ったことを知っているのかと。
長男に対しても猛烈に腹が立ってきました。彼女が好きで好きで、暮らしの目途さへ立たなくても、どうしても一緒に暮らしたいという止むに止まない気持ちでふたりで出て行ったのなら私は理解できたし、応援する気持ちもありました。それなのに、ただ親の依存から逃げ出し、他人様にお金を払ってなお依存している。よしよしと言ってくれるひとのところへ根無し草のようになびいていくようで歯がゆくてしかたがありません。
私はこの春、大切な友人を病気で亡くしました。ひとつ年上の友は永い闘病生活でしたが治療をしながらも仕事を続け、決して弱音を見せないひとでした。食べ歩きや旅行、買い物などが趣味も多彩で年に何度も国内や海外の旅をしていました。私から見たら自由に人生を楽しんでいる、そのために働いていると思えるような羨ましい生き方に見えましたが、彼女からは子育てに明け暮れし、毎日忙しく賑やかな家庭を持った私をまた羨ましく思っていたのです。
お互いに持ち合わせることのない人生の満たされない部分を埋め合わせるように、それでも人生は一回、ふたつの生き方は出来ないのだからお互い自分の人生を楽しもうねとよく話したものです。
私の家庭で起きたトラブルや事件、成績の話や将来のことまで子育ての悩みや不慮の出来事などを真剣に聞いてくれて、子供といい関係を保っているね、そういう育て方をしていたら絶対にいい子に育つよと言ってくれました。私はそのたびに子育ての迷いから解き放たれ、気持ちを立て直すことができました。
彼女が今、いつものようにおいしいものを食べに行こうなどというメールをくれたなら、私は迷わず出かけていって今回のことを話しているでしょう。彼女はいつもの笑顔で「大丈夫だよ、だってあなたのこどもでしょう」と言ってくれたでしょうか。今、とてもそう言ってもらいたい気分です。
ひとは皆、運命というものがはじめから決まっていて、この悲しみも別れも新たなる出会いもみな決められた運命のほんの通過点に過ぎないのだと思います。だからたとえ我が子であっても、その運命を変えるなどという傲慢なことは出来ないのです。そして、この先どう展開していくのか。「錦繍」という小説の結びに「私たちの生命とはなんと不思議な法則とからくりを秘めていることでしょう」という一説があります。ほんとうにその通りだと思います。法則もからくりも変えることはできないのですね。
二十歳を過ぎた子供が家を出て行ったくらいでこんなにうろたえる親は珍しいと笑われてしまいそうです。長男が生まれてから21年、まさに子供に育てられてここまで来ました。生まれたばかりの子供の顔を見つめながら、これから20年間逃げることの出来ない大きな責任を課せられたのだと身の引き締まる思いでしたが、過ぎてしまえばあっという間の20年でした。それぞれが新しいステージを歩むときが来たのだと思います。
いつまでも、終わらないものがたりとして・・・
2007年7月