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実例1



八才から九才の間に著しい回心をした少女の生と死



 サラ・ハウレイは、八才のときにその友だちに連れられて説教を聴きにいきました。そこでは、説教者がマタイ11:13の「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い。」から説教していました。その聖句の適用で、この子は激しく目覚めさせられ、自分のたましいの状態とキリストの必要について心深く敏感にさせられました。サラは自分の状態を考えて激しく泣き、家に帰ってひとり寝室に入り、ひざまずき、泣いて、できる限り主に叫びました。そのようにしたことは彼女の目と顔を見ればすぐに判るほどでした。
 
 この子は、これで満足しませんでした。この子は自分の弟や妹を寝室に連れて入り、生まれながらの彼らの状態について話して聞かせ、彼らのために泣き、彼らといっしょに、彼らのために祈るのでした。

 この後、この子は箴言29:1の「責められることしばしばで、心をかたくする者は、突然ほろぼされて、いやされることがない。」にもとづく別の説教を聴き、これによって前の時以上に影響を受けました。そして、自分のたましいのことを非常に心配し、夜の多くの時を泣いたり、祈ったりして過ごすようになりました。ですから、この子はたましい全部をかたむけて、終わることのない火からのがれ、主イエスのごりやくを得ることを願うあまり、しばしば昼となく、夜となく、少しも休みを得られないこともありました。ああ、この子はキリストのためにどうしたらいいのでしょう。救われるために、この子はどうしたらいいのでしょう。

 この子は、みことばが説教されるところにできるだけ足を運ぶように心がけ、聴いたことを十分ゆっくり味わいながら、みことばのもとで続けて非常にやわらかい状態でいました。

この子は、よくひとりになってお祈りしました。そのお祈りは、この子の寝室のドアのところにいる人によく聞こえ、それはいつも涙に満ちた、とてもしつこいものでした。

 この子は、罪のことをことばに出して語ることはほとんどありませんでしたが、その心は今にもとけ出しそうなくらい敏感でした。

 この子は多くの時を、聖書を読んだり、「最悪の時の最善の友(副題はジェーンウェイの「地上の天国」)」という本を読んだりして過ごしました。この本により、神のみわざはこの子のたましいを非常によく促し、特にその本の終わりの方で、神と親しくなる方法について導かれました。この子がたいへん喜んだ別の本は、(ジョージ・)スワインノックさんの「クリスチャンのまねき※1」であり、これによってこの子は、このものさしで信仰を自分の務めとすることを教えられました。「霊的はち(ニコラス・ホースマン著)」もこの子が愛読した本でした。

 この子は両親に対してきわめて忠実で、両親を少しでも悲しませることをとても嫌いました。彼女が両親を悲しませるような事があったときには(それはとてもまれなことでしたが)、この子は激しく泣くのでした。

 この子は、うそをとても嫌いました。そして罪だとわかっていることに身をまかせることはけっしてありませんでした。

 この子は、時の使い方に注意深く、なまけるのを嫌いました。この子は、自分の時間を、お祈りか、読書か、弟たちを導くか、針仕事(この子はこれがとても器用にできました)をして過ごしました。

 この子は、学校にいるときは、たいへん勤勉でよく学び、温和で、控えめで、口数が少なかった。でも、この子が語るときは、いつも霊的でした。

 この子は、このようにして数年間、信仰のつとめをふみ行いました。

彼女が十四歳のころ、肺の中の血管が破れ(そう推測されている)、時々血をはくようになりました。彼女は少しよくなったかと思うと、また悪くなり、何度か危険な状態になりました。

 去年の一月の始めごろ、彼女の様態は、またとてもわるくなりました。彼女はその病のとき、大切なたましいの悩み苦しみの中にありました。彼女が始めて病気になったとき、その母親に言いました。「ああ、お母さま、私のために祈って、祈って、祈ってください。私が自分のために祈れないように、サタンが忙しく働いていますから。私はキリストも、おゆるしもなくて、あわれなままだとわかっています! ああ、私は永遠にあわれなままなんだ!」と。

 彼女の母は、娘が前はとても真剣だったのを知っていたので、どうしてこのような苦しみの中にいるのか少し不思議に思って娘にたずねました。そんなにまであなたの心の重荷となっているのは、どの罪ですか、と。「お母さま、私の良心にまとわりついているのは、何か特別な、した罪とかしなかった罪でありません。それは罪深い私の性質なのです。キリストの血がなければ、それは私を地獄に落とすでしょう。」

 母親は、あなたのために何を祈るべきでしょうか、と彼女にたずねました。彼女は答えました。「罪について、キリストについて、救いをもたらす知識を私が持つことができるように。そして、神さまが私のたましいを愛してくださっているとの確信を持てるように。」と。その子の母は、あなたのところに牧師さんが来たとき、どうしてあまり話しをしないのか、と彼女にたずねました。彼女は答えて、牧師さんから学ぶために忍耐づよく、静かにしているのは自分の義務だから、と言いました。また、彼女にとって誰かと話すのは、非常な痛みだったのです。

 ある時、彼女が発作におそわれた時、このように叫んで言いました。「ああ、私はいま行きます! でも、救われるためにはどうしたらいいのでしょう。うるわしの主イエスさま、私はあなたのみ足もとに横たわりましょう。もし、私が滅びうせるなら、それはあなたのあわれみの泉のそばでしょう。」

 彼女は、自分のたましいのことの、間違いや思い込みを非常に恐れました。彼女は自分をあざむくことから救い出してくださるように、しばしば神に向かって突然さけび出すのでした。たとえばこのようなこともありました。「偉大で力ある神さま、私に信仰を、まことの信仰をください。主よ、私がともしびはもって油をもっていない愚かなおとめでないように。」

 彼女は、よく聖書の約束にしがみついて祈り求めました。マタイ11:29は彼女がよく口にした言葉で、その心に少なからぬ安らぎを与えたのでした。彼女は何度「主よ、あなたは『疲れ果てた人、重荷を負っている人はだれでもわたしに来なさい。わたしがあなたがたに休みを与えよう。』と言われませんでしたでしょうか。」と叫んだことでしょう。

 また、ある時、父親が彼女に、もっとすぐれた父のところに行こうとしているからしっかりしなさい、と言った言葉に強く反応して、こう言いました。「でも、どうしてそうだとわかるのですか。私は確信のない、あわれな罪人なのに。ああ、確信があったなら!」 このようになっても、「ああ、確信があったなら!」というのが、彼女の大きな問題でした。この、自分の確信を乞い求めるのが、おみまいに来る人に対する彼女の大きな、真剣な、変わらない願いでした。そして、かわいそうに、彼女はまるで、この世界にはこれ以上に熱望するものがないかのように、おみまいに来た人が彼女をあわれに思うほど、また祈って助けてあげたいと思うほど、非常な熱心さをもって彼らをじっと見るのでした。あわれな被造物は、何に対してであれ、彼女が確信や神の御顔の光に対するほどに真剣であったことはありません。ああ、彼女が発したそのあわれなうめき! ああ、彼女が味わっていたそのたましいの悩み苦しみ!

 神さまがあなたのいのちを保ってくださるとしたらどのように生きたいか、と母親が尋ねました。「ほんとうに、お母さま」と彼女は言いました。「私たちはこのように、言うこともできない、いやしい心をもっています。私たちは病気のときなどによく立派な約束をするけれど、直るとすぐにそのことを忘れてしまって、愚かさに逆もどりするものです。でも、できれば、今まで以上に自分の時や、たましいのことに注意深くありたい。」と。

 彼女は両親に対する自然な愛情に満ちていて、母親が看病で疲れ果ててしまわないように、とても注意していました。母親が「あなたの兄弟のことでやっと私の目が乾いたのに、あなたとお別れするのにどうして耐えられましょう。」と言ったとき、彼女は答えて言いました。「愛の神さまが、お母さまを支え、なぐさめてくださるでしょう。お別れはほんのちょっとの間だけで、私たちは栄光のうちに、また会うと思います。」と。彼女はとても弱って、あまり話すことができませんでした。それでお母さんが「子よ、あなたに何かなぐさめがあるなら、頭をもたげてごらん。」と言うと、そうするのでした。

 彼女が死ぬ前の主の日に、彼女の親戚のものがおみまいにやって来ました。彼を知っているかと尋ねられると、彼女はこう答えました。「ええ、知っています。私は、あなたがキリストを知るために、学んでいかれるように願っています。あなたは若いけど、いつ死ぬか自分でわからないでしょ。そして、ああ、キリストなしで死ぬことは恐ろしいことです。ああ、時を大切にね! ああ、時、時、時、とうとい時!」と。

 彼に、力を使い果たさないようにお願いされると、彼女は、自分の生きている間、そしてできれば死ぬときも、自分にできるあらゆるよいことを喜んでしたい、と言いました。このことばをもとに、彼女は自分の葬儀のときには、時の尊さについて説教してほしいと願いました。ああ、今こそ若い人たちが、自分たちの創造主を覚えるように!

 彼女のところにみまいに来たある牧師たちは、彼女が勝利して死んでいくことができるように、主が彼女に何かいつくしみのしるしを喜んでお与えくださるように真剣に請い求めました。そして、同じような内容の祈りのリクエストがいくつかの教会に送られました。

 彼らの祈りに対する答えをずい分待った後、彼女は「よし、このたましいをキリストにかけよう。」と言いました。

 彼女はすばらしい忍耐をもってそのことを日々果たしました。それでも彼女は、主がもっと忍耐をお与えくださるようにしばしば祈りました。そして、主は、それに驚くほど答えてくださったのでした。というのは、彼女をおそっていた痛みと苦悩を思うと、その忍耐は奇跡ともいうべきものだったからです。「主よ、主よ、私に忍耐をください。」と彼女は言うのでした。「あなたの誉れをそこなうことのないように。」と。

 それは木曜日でした。長いこと待ち、大きな恐れと多くの祈りがあった後のこと、彼女の友人たちはみな、彼女はもう話せなくなったと思っていたときでした。友人たちみなにとってそれは驚きとなったのですが、彼女は突然うれしそうに、聞きとれる声でこのように言ったのです。「主よ、あなたはご自分のところに来る者を決して捨てない、とお約束になりました。主よ、私はあなたのところにまいります。あなたは確かに私をお捨てになりません。ああ、うるわしい! ああ、なんと栄光に満ちたイエスさま。ああ、私はうるわしく、栄光に満ちたイエスさまをもっている。イエスさまはうるわしい。イエスさまはうるわしい! ああ、イエスさまを遣わしてくださったみごとな神の愛! ああ、あわれな、滅びつつある被造物への自由な恵み!」と。

 このように彼女は、たくさんの同じようなことを百回以上も繰り返し言いつづけました。しかし、彼女の友人たちは、このように天に引き上げられるような状態の彼女をまのあたりにして、またそのような恵み深いことばを聞いて、また彼女の祈りや願いが満たされたことなどにあまりにも驚いて、彼女の語ったことの四分の一も書くことができませんでした。

 彼女のたましいがこのようにキリストの愛によって狂喜させられ、彼女の舌がそこまで大いに神をあがめたとき、彼女の父親や兄弟や姉妹たちがほかの家族の者とともに呼ばれ、彼女は、とくに彼らに、体力のゆるす限り語りました。彼女は自分の聖書をかたみとして、弟のひとりに与え、私を思い出してこれをよく使うように願い、このようなことばをつけ加えました。「ああ、あなたのたましいのためにキリストを得るように、時を用いなさいよ。駆けずりまわって遊ぶことに時を使わないように。ああ、あなたの若いうちに自分のたましいのためにキリストを得なさい。あなたが病の床につく前に、今、あなたの創造者をおぼえなさい。そうなるまで、この大切なつとめを止めないように。そのようになったら、これが実にむずかしいことだとわかるから。私の経験から、悪魔が『もう十分だ。おまえはまだ若い。なぜそんなに急ぐ必要があるのか。年をとったら十分時間をもてるようになる。』と言うことを知っています。でも、そこに、後ろの方におひとり立っていらっしゃるでしょ(それは彼女の祖母のことでした)。ほら、年の若い私の方が、あの方より先に去ろうとしています。ああ、だからあなたが健康なうちに、自分の召されたことと選ばれたこととを確かなものしなさい。でも、これがあなたにとってただ一晩の悩みだけで終わってしまうんじゃないかと恐れます。でも忘れないで。これは死にゆく姉のことばです。ああ、キリストがどんなによいお方か、あなたが知っていたなら! ああ、キリストの甘美さを一回でも味わっていたなら、あなたはこの悪い世界にとどまるより、あの方のところに千回でも行くことを望むでしょうに! 一万の、一万の世界さえも、私とキリストとの交わりに代えることはできません。ああ、永遠の喜びに向かっている私はなんとしあわせなのでしょう! 私は二万の世界が与えられてもこの世にもどりたいとは思わないのに、あなたはキリストとの交わりを得るために励もうとは思わないのですか。」と。

 このあと彼女は父の使用人の一人をじっと見てこう言いました。「どうしたらいいのでしょう。かの大いなる日には、いったい私はどうしたらいいのでしょう。その日キリストはきっと私にこう言われます。『来なさい、わたしの父に祝福された方。あなたのために用意されている王国を受け継ぎなさい。』と。そして悪者にはこう言われます。『のろわれた者よ。永遠に燃える池に入れ。』と。この地上で知る友のだれかが、あの永遠に燃える池に入れられるのを見ることになるなんて、私にとって考えただけでも嘆かわしい! ああ、「永遠」というそのことば、「永遠」というそのことばを忘れないで。私はこれらのことばをあなたに語っていますが、神さまもあなたに語ってくださらなければ、それは何にもなりません。ああ、神さまが恵みをくださるように祈って、祈って、祈りなさい。」と。それから彼女はこう祈りました。「ああ主よ。彼らのたましいに対する、あなたの御業を終えてください。栄光のうちにあなたにお会いできることは私のなぐさめとなるのですが、それはあなたの永遠の幸いです。」と。

 彼女のおばあさんが、さあもう疲れすぎるから、と彼女に言いました。彼女は「誰かのたましいを益することができるなら、そのようなことは少しも気にしません。」と言いました。ああ、彼女はその語る一つ一つのことばに、自分の心を注ぐように、なんという激しさをもって語ったことでしょう。

彼女は神聖なことばで満ち、病のときの彼女の会話はほとんどすべて、始めから終わりまで、自分のたましいのこと、キリストの甘美さのこと、他の人のたましいのことでした。ひとことで言えば、それはたてつづけの説教のようだったということです。

 このように、神さまの愛を生き生きと見出したあとの金曜日、彼女はとても強く死ぬことを願い、こう叫んで言いました。「来てください、主イエスさま、早く来てください。私をあなたの幕屋に導いてください。私はあなたなしでは、あわれな被造物です。しかし、主イエスさま、私のたましいはあなたとともにいるようになることを待ちこがれています。ああ、それはいつですか。なぜ今ではないのですか。愛するイエスさま、来てください。主イエスさま、早く来てください。しかし私はどうしてこのように語るのでしょうか。あなたの時こそ、愛するイエスさま、もっともよい時です。ああ、忍耐をください!」と。

 土曜日になると、彼女は反応がとても鈍くなり、少ししか語らなくなりましたが、その口からこのようなことばが、ときたま、もれてくるのでした。「いつまでですか、うるわしのイエスさま。あなたの御業を終えてください。さあ来てください。うるわしの、愛する主イエスさま、早く来てください。うるわしのイエスさま、助けてください。さあ、今、今、来てください。愛するイエスさま、早く来てください。善き主よ、あなたの定めの時を待つため、忍耐をください。主イエスさま、助けて、助けて、助けてください。」 彼女は、一日の大半を眠っていたので、眠りからさめているときには、このようなことばがぽつり、ぽつりと出てくるのでした。

 主の日に、彼女はほとんど何も話さなくなりました。しかし、神さまがご自分の愛のゆえに彼女にお与えくださった、そのまったき確信のことで、彼女が神さまをほめたたえるのを助けようと、先に彼女のために祈ってくれていた人々に、ありがとうのひとそえ書きを送ってほしいと強く願いました。こうして彼女は、自分のたましいに対する神の自由な愛の思いに、より十分に吸いこまれるかのようでした。彼女はそのたましいをしばしば主の御手にゆだねていましたが、その最後のことばはこのようなものでした。「主よ、助けてください。主イエスさま、助けてください。愛するイエスさま、ほむべき主イエスさま。」

 このように、1670年2月19日、主の日の朝9時から10時の間に、彼女はイエスさまの中で、ここちよさそうに眠りにつき、永遠の安息がはじまったのです。





※1非国教徒の牧師であり著者でもあったピューリタンのジョージ・スワインノック(1627-1673)は、「クリスチャンのまねき」を1661年から1665年の間に出版した。これは、Banner of Truth Trust 社により最近再版された彼の5巻ものの著作の中におさめられている。


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