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生まれるドキュメント

子供が出てくるまでのことを記しておこうと思います。 細かいことは、ほとんどの人には関心のないだと思いますし、読んでも面白くありません。 ただ、もしかしたら、近く同じような目に遭う人もいるかもしれませんので、ご参考までに。 本とかもたくさん出てますが、なんとなく身近な人間が登場人物だと「へぇ〜度」が違うかと。

2003.11.09(Sun)1:25
予定日3日前の深夜1時、妻が「陣痛かもしれない、病院にいく」と言いました。 この日は、僕の親父の誕生日であり、 僕の母が「同じ日なんじゃないのお」などと妙な予言をしていた日であり、 普段僕が仕事で自宅にいないので、妻にとっては「旦那が自宅にいるときに陣痛が起こってくれたらなあ」と 願望していた日でした。 タクシー会社に電話しても埒が明かないので流しのタクシーを捕まえて、病院に向かいました。 狂言陣痛でした。 妻は初めてのお産で、かなりナーバスになっていました。 なにが陣痛なのか?それも分からない状態で。

母に言わせると「あーよくあること」と一蹴されました。そのときの相手をしてくれた助産婦さんが かわいいんだけど、赤いメガネで、二カーって笑うとピグモみたいで、慰められました。 ちなみに陣痛ってのは、「あ?これが陣痛かな?」なんて言ってる場合じゃないくらい痛いようです。 妻は狂言を演じたことに、とても恥ずかしがりましたが、いざ陣痛、病院に行かん!というシュミレーションが出来、少し落ち着いたようです。

2003.11.22(Sat)13:00
予定日から、10日が経ちました。予定日付近には「生まれた?」と妻の携帯にもメールがたくさん届きましたが、 段々見捨てられ始めました。 陣痛ってのは、子供が出たいと思って始まるものらしいのですが、 予定日を14日以上過ぎてもママのお腹にいるのは危険だそうです。 妻には「子供が出たいって言うまでゆっくり待とう」と言い続けました。 火曜日になっても、陣痛が始まらないようだと、陣痛促進剤を打つ、 それでも生まれそうにないと、腹きり、つまり帝王切開することを医者と決めてきました。

2003.11.22(Sat)14:00
病院帰り、妻がカツを食べたいというので、とんかつ和幸でとんかつを食べました。その前には、とんかつ屋さんを探して歩き回りました。陣痛を待って寝たきりの妻だったので、ムリにでも一駅歩かせました。途中、お腹が張って痛がりましたが、お通じと一緒で、体が活動していないと子供も出てきてくれないと思ったので。

2003.11.23(Sun)7:00
長い一日の始まりは朝の7時、起こされました。 妻が痛みを堪えています。 とんかつが効いたのか、早朝5時から陣痛が始まっていたようです。 陣痛が5分間隔になって、僕を起こしました。僕は急いで準備を始めてタクシーを捕まえました。 陣痛は段々、間隔が短くなって痛みが増して、陣痛でないときは話せますが、その痛みは男性には想像の域を 超えているのでしょう。病院に着いて、診察を受けました。

2003.11.23(Sun)8:30
まだ、産道がそれほど開いていないので、すぐには生まれない、という診断結果でした。 分娩待機室のベッドの上にしばらくいることになりました。陣痛はそれでもやってきます。 痛みが多少やわらぐという理由で妻は立ちっぱなしでした。人によって、楽な姿勢が違うようです。 5分、短いときには2〜3分で陣痛がやってきて、ほんとに痛そうです。腰が抜けそうで。

2003.11.23(Sun)11:30
助産婦さんの奨めで、妻はお風呂に入りました。その間僕は、中華屋さんでホイコーロー定食を食べました。 妻が陣痛と戦っていますが、僕にできることは隣にいることだけでした。しかも朝早く起こされたので、 隣で痛がっているのに眠くてウトウトしていました。

2003.11.23(Sun)15:00
陣痛から8時間。助産婦さんと話して、この調子だと夜中、最悪翌日朝までかかると言われました。 この状態だとそれくらいかかるだろう、と僕も思いました。産道の開きが順調でありませんでした。 この状態を長く続けるのは、もちろん母体に負担のかかることでした。

2003.11.23(Sun)16:30
などと思っていたら、産道が開いてきたので、分娩室に入ることになりました。 僕は出産に立ち会わないことを妊娠当初から決めていたので、ここから先には入れません。 いったん自宅に戻って、妻の実家に電話を入れました。 「早くて20時、遅くてあしたの朝になるだろう。生まれそうな1時間前くらいには助産婦さんが電話をくれます。」

2003.11.23(Sun)20:00
陣痛と戦っている妻の隣で僕は何もしてませんでしたが、お風呂に入って、晩御飯を食べて、 自宅でひと休憩しました。ふっとリラックスした20時ジャスト、そこへ病院から電話「そろそろ生まれますよ」。 肝心なところで妻も地力を出したようです。

2003.11.23(Sun)20:45
妻の両親と一緒に病院に到着して、待合室で待ちました。他の病室から赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきますが、 ウチの子の泣き声ではありませんでした。このとき、普通すごく心配するものなのかもしれませんが、 実は僕は全く心配していませんでした。正確にいうと、妊娠してからほとんど心配しませんでした。 薄情なのかもしれません。

2003.11.23(Sun)21:25
生まれました。妻を「よくやった」と褒めました。3500グラムという巨体に助産婦さんもやや驚いていました。 下半身の肉付きがよかったようで、それは残念ながら僕の遺伝のようです。NIKON COOLPIX4300で写真をとりました。 家に帰って、画像をサイトにアップしました。

結局、16時間かかりました。早い人では5時間くらいで産んでしまうようなので、妻はかなり味わって産んだことに なります。ただ、陣痛促進剤や外科手術をせずに自然分娩ができたのでそれで十分です、十二分です。

03.11.30

いや、どうやら16時間は最初にしては普通のようです。よく分かりません。結果的には教科書通り だったようです。


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