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理想と現実を分け隔てる

寒々しい理想の現実の境

現世では、理想と現実を分け隔てないことが一般的である。 僕のように理想と現実を分け隔てる人間は、ときに現実主義だとか、 冷酷だとか、血も涙もないだとか、心ない中傷を受けることがある。 血がなくても生きていられる人間は極稀だし、涙を流すのは僕の趣味である。 現実以外に一体なにを主義にするのか?

理想と現実を分け隔てないことは一見楽であるように見えるが、 それは馬人参のように、満たしたくても満たされない欲望と常に向き合っていなくては ならない。よって断続的な苦労の連続である。それをこそ、まさしく苦行と呼ぶにふさわしい。 その苦行については、浜崎あゆみもその歌詞の中でこう言っている。

『いつか散ること知りながら、愛されてただ美しく
まっすぐに伸びていくのはどんな勇気がいりますか?』
(first album「A Song for XX」-「Hana」より)

理想は理想で、現実は現実でそれを分け隔てることは、初めは少々骨であるかもしれない。 しかし、歯車は片方が回らなければ、もう片方も回らないことが 理解できれば、あとは自然の法則に従うまでである。 事実、理想と現実は分け隔てられている。

理想と現実を分け隔てないでものを言う人のことを、僕は「それはあなたの白昼夢の話ですね」 と言うことにしている。夢判断などのカウンセリングをしているわけではないので、 夢のことを聞かされても僕には如何ともしがたい。

理想と現実を分け隔てない人は、この世の正義が善意によって生まれ、 この世の悪が悪意によって生まれる、という夢を見るらしいが、現世はそうではない。 現世では、この世の悪のほとんどは、悪意によってではなく、想像力のなさから生まれる。 つまり、悪とはほとんどの場合、想像力のなさのことである。

僕の個人的な考えでは、この世から悪をなくそうと思うならば、 「善を説くのではなく、現世の自然の法則を説く必要がある」となるが、 現実には人間が自然の法則を理解し応用する力は大したことないので、それもやはりダメである。 結局、各論で、これは善、これは悪、とやるのがもっとも現世に則したベターなやり方なのだろう。 人はただ合理的に、、生きればそれでよいのであるが。

大抵の理想の世界はあくまでシンプルであるが、現実は極めて乱雑な状態である。 世の中を穿(うが)った見方で乱雑にすることも起こりうるが、ほぼ間違いなく現実の方が乱雑である。 武術家、甲野善紀さんの言葉である。

『矛盾を、矛盾のまま、矛盾なく取り扱う』

この姿勢が現世をシンプルに理解するコツであるが、この姿勢を貫き続けることは、理想を胸に抱き続ける 純粋な心と、現世をありのままに受け入れる冷徹な心が必要である。矛盾を矛盾のままにしておくのはツライ。 矛盾なく取り扱うことは知恵がいる。

矛盾に出会うことは、ときに身を引き裂かれる思いをするが、それで死ぬわけではない。 たとえ死んだとしても、それは如何ともしがたいことだし、どっちにしても大したことではない。 矛盾に身を裂かれても、そこから立ち直ることは、矛盾がないことより、ずっとスリリングで楽しい。 主人公が窮地に立たされて、それを乗り越えることで映画はやっとエンディングを迎える。

03.11.01


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