「動機」ということについて言うと、僕の場合は大抵ネタである。 それをすることによって、人に話してネタになるか、がそれをするときの動機となる。 先日は、盲腸というものをしてみた。盲腸という病気は、世間様がなるもので、 僕のような者がかかる病気としては、身分不相応かと思っていたが、 いざ盲腸になってみると、なるほど、お腹の右下が断続的に痛んで、 確かにムヤミに痛い。医者は、「どう?手術してみる?」と半笑いで僕に聞くので、 「いえ、止めておきます、まだ時期尚早だと思うので」とやんわりとお断りを入れた。 あとは、例えば、新宿2丁目のおかまバーで、「君も?」と聞かれたので、 「いえ僕は普通の方です」と言って普通にキレられたり、上野のホモ映画館で襲われてみたり、 腰が痛くてはりを打ったり、カイロプラクティックに通ったり、 警察に捕まって取調室で指紋を採らされたり、スカイダイビング中に気分が悪くなって、 オーストラリアの地上2000mから朝食を大地に戻してみたり。 そんなネタのためになにかをする僕に対して、 世の中には、「好きだから」というだけの動機で、なにかをする人がいて、 「好きだから仕事をする」とか、「好きだから付き合って」とか、 「好きだから頑張るんだ」とか言うが、どーもその辺りが僕には理解できない。 ネタのためにする、ってことはそれほどオススメしないけど、 それ以外にも、なにかをする動機というものは、 もう少し好きとかきらいとかでなくて、他の基準があってもいいと思う。 例えば、スポーツをする、そのための練習をする、その動機は、 そのスポーツが好きだからでもなく、勝ちたいからとも違くて、 そこから何かを得ようとか、人生の暇つぶしとかいうものでもなくて。 でも、その動機によって、仕事でも、女の人と付き合うのでも、スポーツでも、 どんなにそれが好きで情熱的な人よりも、案外、結果的に頑張っていたりする。 「好きだからやる」というのは、なんだか動機としては不純な気がして、 「好きでないけどやっている」と同じくらい、あるいはそれ以上に不純だと思う。 もし、女の人に交際を申し込むにしても (僕は幼稚園時代の初恋以来、生まれてこのかた告白というものをしたことがないが)、 「好きです。付き合ってください」では、女の人はきっと喜ぶだろうけども、 愛情の表現方法としては、正確でないように思えて、 「付き合おう。そこに君がいるから」とまるで登山家のように表現する方が正しく、 付き合うのに女性が「好み」かどうかくらいの基準はあっても、「好き」という野獣の如き 直線的な感情は、やはり不純だと思う。 このような感覚は、僕の独自の調査によれば、男性ならば4人に1人くらいは 理解できるのではないだろうか?あるいは、この数字は希望的に過ぎるかも しれないが、意外に分かってくれる人がいる、と思っている。 女性については、ちょっと想像もつかない。10人に1人くらいか。 この感覚を言語化すると、「必然」とでもいうのだろうが、 なかなか正確で情緒的に表現した言葉がない。 さきほどの数字によれば、世間の8人に1人以上は理解できるのだから、 誰かこの感覚を早く言葉化して世の中に普及させなくてはいけない。 さもなくば、僕がさらに少数派になってしまう。 なにをするにも理由がなければいけない世知辛い世の中で、自らの動機を 「好きだから」とやってしまうのは、その狭い世界観を披露してしまうようで、 誠に遺憾である。 世間の短小な論理に惑わされずに、確固とした動機がなくとも、 「なんとなく」でいいのではないかと思う。 03.08.27 |