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暗闇の非常階段と母の必然

僕の田舎の愛知県のほうには、ユニーというデパートがある。
だいたいダイエーみたいなもんと思って頂ければ、大きく間違えない。
当時は、まだ妹が生まれていなかったから、僕と、姉と、兄と、母と4人でそこにいた。
妹が生まれていないわけだから、僕は8才以下ということになる。

4人で買い物をして、といっても3人もの子供を連れて母がひとり買い物をして、 きっと3人もの子供を連れて買い物をしてまわる母も、気が狂いそうになっていたに違いない。 自分は結構おとなしい子供だったのだけれど、体が弱くて、少し食べ過ぎればすぐに戻して しまうし、車に乗らなければどこにもいけない田舎なのに、5分も車に乗るとすぐに 気分が悪くなってしまう。

ふっと気付くと、ユニーはもう閉店していて、僕ら4人は店内に取り残されていた。 商品にはネットが掛けられていて、テナントごとに格子で閉められていたりした。 非常階段と外から入ってくる薄暗い光で足元はなんとか見ることができる状態ではあったけれど、 店員さんはもう誰もいなくなっていた。

自動ドアに近づいてみても、ドアは開かなかった。子供3人をそこに置いて母はあちこち 出口を探してまわってみるが、普通の出口は見つからなかった。 母は、別段慌てた様子もなく、ただ無表情に、たんたんと、ユニーから出る方法を探していた。 子供3人も別に不安になることもなく、ただ母に従っていた。

結局、出口が見つからないので、非常階段から出てみることになった。 重い扉を開けると、そこには、完全な暗闇が支配していた。 完全とは言っても、なんてことはない、ただ真っ暗だった。 母は、僕の手を取って、「ゆっくりと歩くのよ」と少しずつ僕たち3人の子供を先導した。

真っ暗であったが、子供心に怖かったということもなく、ただゆっくりと足を前に出した。
そんな完全な暗闇を経験したのは初めてだったけれども、やっぱり恐怖は感じなかった。

階段を下っていって、最後に、やはり重い扉を開いて、非常階段から外に出た。 そこは駐車場だった。当時、母が乗っていたホンダのシビックが一台だけ、 薄暗い外灯に照らされた駐車場に止まっていた。

シビックに乗り込むと、母はいつもの通りの国道にのって家に向かって運転した。 いつもの衣浦大橋を通るルートだった。 やはり誰も口を開かなかった。

確か、夏だったと思う。 デパートに4人も閉じ込められるなんてことが、 本当に現実にあったことなのか、どうも記憶が曖昧である。 そして、その日のことを姉も兄も母も誰も何も語らない。 ただ、記憶にあるのは、真っ暗な非常階段と、3人の子供を連れた母の、優しさとも違う、 苦労とも違う、使命とも違う、なにか必然のようなものだった。

03.08.17

と、ここまで書いて、一晩寝て、ふとこの不思議な体験への恐ろしい仮説を 思いついてしまった。この日、我々は、ユニーに取り残されたのではなくて、 店内に残るため潜んでいたのではないか?そして、それは生活に窮するあまりで あったからではないだろうか?僕は、その恐ろしい事件の現場を記憶していないが、 その後、その日のことを姉も兄も母も語らないのは、つまり、自分だけが その恐ろしい事件の現場を認識できなかったからではないか?

でも、もし、その仮説が正しかったとしても、僕はそれを責めるつもりはない。 やはり、それは必然であったと思う。母は常に3人の子供を抱えていた。 「火蛍の墓」の兄のような状態であったのではないかと思う。 もうすぐ人の親になるという今になって、責任を負うということの孤独を思う。 真相を知る機会はあるのだろうか?


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