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感想文 「eメールの達人になる」村上 龍 (著)

インターネットの小説を読んでいるとむず痒くなるのは、インターネットという媒体の性質と、小説というものが 本来持つ性質がなじまないからだ。正確に言うと、モニターで文章を目で追うという行為と、 小説の世界にわざわざ読者を連れてくるという行為がマッチしないのだ。 あまり正確に言えてない気がするがそういうことだ。

小説とは、言葉を使って言葉では表現できないことを作り出すものである。 これは別に僕が考え出したことではなくて、 保坂和志さんという人が「書きあぐねている人のための小説入門」という本の中で言っている。 言葉では表現できないことを表現するのだから、小説は書く人もそうだが、読む方により一層忍耐を強いる。

よって、「面白くて一気に読んでしまった!」などという小説はそれはそれで楽しくていいのだが、 別に小説でなくともいい気がするし、小説の本当の面白さとは違う。 本当に面白い小説は、何か自分の中が壊されたり、なんだか自分の中のどこかがホットホットするほど疼いたり、 よく分からんけど今日から胸を張って生きていけるようになったりするものである。

そんなことはともかくeメールの達人である。eメールの達人への道のりは長くて険しい。 僕も年がら年中失敗している。相手が気分を害したかどうかなんて分からないが、 なんだがあとで後悔するメールを送ってしまったりする。もう少しなんとかならないものだろうか?

eメールは手紙とは本質的に異なる。それは、印刷された小説とインターネットの小説くらい異なる。 手紙では、
『寒さも一段と厳しくなってまいりましたが、皆様お変わりなくお過ごしのことと存じます。 厳しい寒さが続きそうですが、どうか風邪など召されぬよう、、、、』
などと書くが、eメールではこれはジョークとしてしか使えない。これがジョークでないならば、 相当に仕事ができない奴だと思われても仕方あるまい。

気の利いたeメールを書けるようになりたいと思う。気の利いたeメールとは、
・読みやすくて、
・内容がすっと頭に入って、
・どこか言い回しが楽しい
ものである。改行の仕方、話題の順序、文章の容量など気をつけねばならぬことはいくらでもあるし、 創意工夫を幾らでも凝らすことができる。短すぎればそっけなく感じるし、長すぎると読む気が失せる。 そのわりに用件が片手落ちだと最悪である。 誰から来たeメールか分からない、それ以前のものもある。

とりあえず、僕は以下のものをeメールから駆逐する運動を一人でやっている。
・お疲れ様です
・よろしくお願いします
・お世話になっております
仕事メールでついつい連発するものばかりである。便利かもしれないが、何も伝わってこないし、 なにより意味がない。意味がない文字を追わせるという理由で、相手の目が疲労する状況に平気でいられるほど、 僕は鈍感ではない。

eメールの文法は手紙とは違う。そして、書いている人の人柄はむしろ手紙以上に出るものだと思う。 ただ、始めのころに比べて、最近このサイトの文章が長いのは仕方がない。 それでも、村上龍さんのJMMよりはずっとまとまっていると自負しているが。

04.03.03


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