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家を片付ける

今は、2003年8月23日、朝の9時である。 私は今、悲壮な決意をもってこの文章を執筆している。 その決意とは、この家を片付けるという大変重要、かつ大変実現困難なミッションを 成し遂げるということである。

家を片付ける、などといっても諸兄が想像するような、 掃除機をかけるとか雑巾がけをするとか、そういったサマツで非根本的な 片付けをするというわけでは決してない。

また、あちこちに散らばったものを、端っこに寄せて、体裁よくすることでも 決してない。そのような片付けは片付けに非ず。 そのような片付けは、この腐りきった民主主義がもたらした諸悪の根源とも言ってよい 代物である。

真の片付けとはなんぞや?

それを周知するには、ひとつのよくある例を思い浮かべて頂く他はない。 よくテレビなどで見聞きするであろう、足の踏み場もないほどのもの、ゴミ、 その下に埋もれた敷きっぱなしの布団。ひとり暮らしの(不潔な)男性の部屋である。 実は、このトッ散らかった不潔な部屋には、2パターンが考えられる。

ひとつのパターンは、なにがどこにあるのかその不潔な部屋の住民も把握できていないケース。 これはもう手におえない。堕落中の堕落である。ゴキブリ以下の存在である。 このような住民には、さっさとこの地球から退散して頂く他はない。

もうひとつのパターンは、どんなに散らかっているかのように見える部屋でも、 なにがどこにあるのか住民が全て把握できているパターンである。 食べっぱなしのカップラーメンにダイビングしているゴキブリは何匹か? 賞味期限が切れた納豆が再発酵を始めたのはいつのことか? 免許証は、新聞とエロ本と競馬新聞のどこに挟まっているか?

真の片付けとは、なにがどこにあるか、それが全て把握できていることである。
なおかつ、整然と美しく配置されている状態であるこということ。
その状態を常に維持するには、毎日せっせと片付けをすることか?そうではない。
まず、なにをどこに配置するか、それを全て決めてあげること。
そしてものをポイっとそこら辺に投げてしまう時に、一瞬でも我に返ること。これを置くべき場所はどこか?

清潔な街を作り上げるのにまずすることは、街のゴミを拾って回ることではない。
ゴミを捨てる人に、ゴミをゴミ箱に捨てることを教育することである。

ものを配置する場所を決めるときのコツとして、重要なことは無理なきめごとを 行わず、段階的に配置すること。雑誌に関して言えば、これらのカテゴリーに分けて配置する。

1.今まさに読まんとしている雑誌
2.比較的長期にわたって保管する可能性のある雑誌
3.50%ほどの確率でもう手にとることはない雑誌
4.捨てることが確定している雑誌

つまり1と4だけでなく、2、3のような暫定的なものを置く場所も用意し、 手に近いところから順に、よく使うものを配置するということ。 そして、これは雑誌、本に限らず、服、カバン、靴などにも当てはまる。

さあ、私の悲壮な決意の悲壮さ加減を理解して頂いただろうか? この本質的な秩序を家全体に与えようというのだ。並大抵の決意ではない。 しかし、もしそれが成し遂げられたあかつきには、半永久的に片付けの不要な家が 維持される、といったアンバイである。

03.08.23


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