人の魅力とは「あやうさ」ではないかと思う。
論理的か、表現が上手いか、主張が正当か、などもあるが、
そこに「あやうさ」がなくては人を惹くことができないのではないか、と思う。
近頃、危さを失いつつあるのではないか、と思っている。
人の親になったからであろうか?
精神が安定シテキテイルからであろうか?「これはまずい」と危機感を持っている。
ほらこれだ!「シテキテイル」などと、ちょっとカタカナを使ってみたが、そこに危さがない。わざとらしい。
なんだが技巧だけが目に付く。ちっとも不安定さを感じない。そこに精神的な危さがあるからこそ効果があるのに。
例えば、立花隆は、膨大な知識と論理的な思考で人気で、僕も好きだが、
彼の人気はどこか極端に走りすぎてしまうような、子どもっぽい無鉄砲さが人気なのではないか。
彼の「日本共産党の研究(1)(2)(3)」とか「脳死」とか読んだりしたが、言ってることは全て正しい。
全て正しいのだが、正しすぎていけない。彼も、「正しければいいわけではない」と分かっているのに、
それを言ってしまう。言わない方が全体の流れとしては上手くいくのであるが。
例えば、サッカーの中田英寿。
彼が日本代表のキャプテンとして、一皮剥けるためには、危さをもう少し演出する必要がある。
どんなに技術、体力、状況判断が優れていても、そこに危さがなければ、人がついてこない。
なんとなく日本代表が疲労困憊しているのは、ジーコが無能だからだけではない。
かつてのキャプテン、柱谷哲二は、その一生懸命さ、勝ちへの執念の表現に危さがあった。
例えば、こんな経験はないか?
会社、バイト、学校、どんな集団でもよい。初めてそこに入って、最初に魅力的に感じた人が、
あとになってみると、無責任でなんの尊敬できる部分のない人だった、ということが。
そういう人は余計なことをさも正義をもって主張する。その正義に対する姿勢はとても危いが魅力的だ。
バランス感覚のある人は、初めての君に突然、正義を主張したりしない。
一生懸命でも、論理的でも、非道でも、体育会系でも、怠惰でも、そこに危さがあれば、人を惹くことができる。
村上春樹の小説の主人公は、実際に会えば退屈な男だろうが、
その一貫性のある態度とか、真っ当すぎて真っ当でない考え方とか、社会性の無さに危さを感じて、面白く思ってしまう。
昔は、好きな天気は曇りで、好きな季節は冬だった。春になれば憂鬱になり、夏には益々出たくなくなった。
それが最近では、暖かくなると心がウキウキし、暑くなると心が舞い、天気がいいと出かけたくなった。
このサイトが近頃更新されないのは、仕事、子育てに追われているだけが理由ではない。
危さのない文章を世間に公開するのは誠に忍びないことだ。
04.04.17