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※このお話は、「ゆべしの章6」のつづきとなります。
孔明が出て行ったあと、趙雲は軽く掃除をして……かつては掃除ともなると一日仕事であったが、さまざまな技術のおかげで、小一時間ですべてをこなすことができた……それから身支度を整えると、見苦しくない程度に髪をまとめて、それからアコのPCで近所の床屋の所在を検索し、髪を切りに行った。
近所の床屋は午前中と言うこともあり空いていて、すぐに髪を切ってくれた。
孔明に倣って、髪はいつも高い香油で整えていたので、床屋が切るのが惜しい、と言ったほどであった。
それでも趙雲は惜しいとは思わなかった。
容姿がよい、ということは、おおむねプラスに働くものだが、いまの状況で、自分が妙に目立つのは避けたかった。悪目立ちもいけない。
周囲を見るに、この町では、自分の外貌と年齢をおなじくする男は、ちゃんと髪を短く刈り、身奇麗な格好をしている。
それにあわせて、なるべく余計なリスクを負わないようにしなければ。
まず、為すべきことは、自分を群集のひとりに溶け込ませること。
いい男だから切り甲斐があった、という床屋の主人の軽口に適当に合わせ…前髪を長く残して、耳を出し、あとは軽めに刈り上げる、といった、ごく一般的な髪型に抑えた…五橋から、その足で一番町へと向かう。
いまだ銀杏についたままの黄金の葉は、うつくしく街をいろどり、澄んだ初冬の青空によく生えて、12月の仙台は、すばらしく鮮やかに映えた。
これが『夢』の世界などと、誰が思うだろう。
悲しいことに、黄金の街を行く人々は『本物』で、器である『世界』だけが夢なのだ。
これを消滅させるなど、暴虐としか言いようがない。
以前は丸善を中心に、東北大学の学生でにぎわったという古本屋の通りを行って、藤崎に向かって歩いていくと、目当ての店を見つけた。
趙雲が目指していたのは、パワーストーンショップであった。
沖縄物産店や、アフリカの雑貨店のひしめくちいさなスペースの奥に、目的の、パワーストーンを扱った店がある。
中国直輸入、と派手な貼り紙がところどころにあり、ストラップやブレスレットが無造作に並べられている。
どれも数百円で手に入る廉価なもので、すこし値が張るものに関しては、硝子ケースに収められていた。
石こそ、自然界の霊力の結晶、と言っても過言ではない。
自然界に存在するあらゆるものに、霊力はそれぞれ宿っているものだが、石は、霊力が凝縮したものだ。
こと、古来より重宝されてきた『宝石』と呼ばれるものに関しては、その力が多く秘められている。
いまや受肉した身となっては、霊力を自身にためておくことができないので、辛うじて残っている霊力を、いまのうちに石に移しておくのだ。
とはいえ、さすがに安いだけあり、並べられた石は、ほとんどが抜け殻で、とても霊力を移せる器ではない。
霊力を移したとたん、負荷に耐えられず、砕け散ってしまう可能性もある。
本来なら、孔明が手にしていたような、純度の高い紫水晶がもっとも望ましいのであるが、これは金銭的に不可能だ。
硝子ケースに入っている石も見たが、店頭に並べられているものより、すこしマシ、という程度であった。
それでも情報を集めるため、いちばん安いものを申し訳程度に買って、店番をしている女主人に、ほかにパワーストーンを扱っている店はないかと尋ねてみた。
「エスパルの本屋の隣のはんこ屋さんと、三越の1階と…ああ、それから、最近、クリスロードのあたりに新しいお店ができたらしいわよ」
情報をたよりに、クリスロード商店街の店に行くと、たしかに店はあった。
アーケードのいちばん目立つところ、若者の集まりやすい、ゲームセンターとパチンコ屋にはさまれるようにして、開店している。
だが、その看板を見て、趙雲はすぐさま踵を返した。
店名はこうあった。
『千台パワーストーンショップ』
パワーストーンといっても、はっきりと効能がでるわけではない。
神社で買うお守りと、さほど効果は変わらないものだが、千台家の経営するパワーストーンの店は、かなり繁盛しているようである。
アコの持っていた紫水晶、アコを死に追いやった千台家、そして彼らの経営するパワーストーンショップ。
偶然だろうか?
気分の晴れぬまま、石は帰りに三越に寄っていこうと考えつつ、趙雲はインターネットカフェへと向かった。
そうして個室に通されると、趙雲は素早く周囲を見回して、だれも自分を見ていないか、そして、防犯カメラは自分を写していないかどうかをチェックした。
安全とわかると、マウスに手を触れることなく、しばらく手をかざし、画面を見入る。
すると、ほどなく、こんな画面があらわれた。
『ようこそ! アストラル専用ページへ ログインください』
趙雲はパスワードを入力すると、画面が切り替わるのを待った。一見すると、どこかの会員制のHPのようである。
たまに、うしろを従業員や他の客が通り過ぎるが、一度、ログインしてしまえば、特に人目を気にする必要もない。
店内に流れるイージーリスニングのBGMにあわせて、なんとなくソファの手すりを指の腹で叩きつつ、趙雲は画面がさらに切り替わるのを待った。
しかし…
『問題が発生しました。直接、係の者とお話ください』
「おいおいおい、困るよー!」
突然、パソコンから飛び出した賑やかな声に、趙雲はぎょっとして、ヘッドフォンをつける。
画面には、アニメの映像で、どう見ても写楽が書いたような、ひどくデフォルメされた、頭でっかちの江戸期の町人ふうの男があらわれた。
「だれだ?」
趙雲は、残りわずかな霊力を惜しみつつ、霊波に乗せて、自分の声を相手に伝える。
すると、ほどなく、ゆるい波を描くような、ここちよい波動がHPの画面上から流れてきた。
とはいえ、それは肉眼で見えるものではなく、元アストラルであったからこそ感じ取ることができるものだ。
「アストラル専用HPの管理人だよ。ニックネームはヒラッチ。よろしくな!
ええと、あんたはたしか、趙子龍だね。ほー、三国志なら俺も講談を楽しみにしていたもんだがなぁ」
「そうか」
「いやしかし、こいつぁいけねぇよ、趙子龍さんよ、あんた、アストラルじゃなくなっているだろう。そういうときは、このHPじゃなくて、アストラル緊急お問い合わせHPに行ってもらわなくっちゃ」
「あそこはいつもサーバーが混雑していて、ろくに繋がらないからな。管理人が直接出てきたのなら助かる。
端的に用件を言うぞ。いますぐ俺の住民票と戸籍を用意してほしい」
アニメ画像の町人風のヒラッチは、歌舞伎役者のように、大きく驚いて見せた。
「こりゃまた、ずばり直球できやがったね。それは、い・ほ・う!」
「違法なのはわかっている。しかし受肉してしまった以上、ここで暮らしていかなくてはならぬのだ。
昔ならばいざしらず、今日のような管理社会の中で、身分証も持たずに生活するのは困難だ」
「そいつぁ、わかるけどよ、規則ってものがあるだろう。ノアのじい様がモーセのとっつぁんと決めた、アストラルの決まりごとっていうのが。 あー? このあいだ、シーザーさんが改定したんだっけな?
まあ、ともかく、受肉したアストラルは、自分を召還したアトラ・ハシースに依頼して、ふたたびアストラルに戻してもらう。
逆にいえば、アトラ・ハシースっていうのは、召還したアストラルに対し、全面的な責任を負うから、アストラルがなんらかの事情で受肉してしまった場合、全霊力を消費しても、かならずアストラルを元の世界に戻さなければならない。
召還された世界で、もういっぺん人生をまっとうしよう、なんて考えちゃあいけねぇよ。
受肉しようがなんだろうが、あんたは世界の『ゲスト』であることには変わりがねぇ。あんたは異物なんだ。あんたの存在そのものが、世界を歪ませる危険がある」
「それはわかっている。しかし、頼みのアトラ・ハシースが、霊力が弱くなっている場合はどうなる」
「んー? 俺ってば、そういう係じゃねぇんだけどなぁ。まあいいや。俺みたいな博識な管理人と話せて、あんたツイてるぜ。
そうなった場合、ずばりアトラ・ハシースは、消滅覚悟であんたの現状復帰に全力を尽くさねばならない。
もしその努力を怠った場合は、審判にかけられ、アトラ・ハシースの霊格を剥奪されたうえに、どこにあるんだかしらねぇが、煉獄に閉じ込められて、無限の時を過ごすんだとさ」
「なんだと? なぜそんなに罪が重いのだ?」
すると、アニメ画像のヒラッチは、器用に、片方の眉だけを、大きく吊り上げて見せた。
「あたりまえじゃねぇか。いいかい、アトラ・ハシースってのは、とんでもなく強い力を持っている御仁が揃っているわけよ。
下手すりゃ、ヴァルキューレの姐さん方を凌ぐ力を持っている者さえいる。ま、滅多にいねぇけどな。それこそ、そんなのは最高府メンバー入りしてるだろうしよ。
ともかく、力が強いからこそ、さまざまな規制をかけねぇと、それこそ、大昔に、ルールを無視してアトラ・ハシースたちが真っ二つに割れて、大戦争を起こしたときみたいになっちまう。
あんたの召還者は…と、あー、最悪だね。こんなに霊格の高いアトラ・ハシースなら、煉獄確実」
「おい!」
「怒るなよ。俺が決めたんじゃねぇよ。なんとかしてくれろ、っていう相談なら、俺じゃなくって、あんたの世界のヴァルキューレにすればいいだろう。
アトラ・ハシースを召還するのは、同じアトラ・ハシース同士か、ヴァルキューレにしかできない。霊力の有り余っているヤツを召還して、霊力を分けてもらう、とかな」
「そのヴァルキューレが不在なのだ。ほかのアトラ・ハシースも全員が行方不明」
「最悪だね」
「そうだ、ヴァルキューレをもう一名、派遣してもらうように要請したらどうだ?」
「ああ、いい考えかも……って、おいおい、あんた、どっから話をしてるんだよ。あんたのいまいる世界は、渡航禁止区域になっているぜ。
最高府の官報を読んでやらぁ。
『このたび汎世界の一部において、第三勢力により、鎖国が行われております。聖剣アスカロンの力が働いているため、この世界に取り込まれると、ループに巻き込まれ、抜け出せなくなる危険があります。
アストラルの皆様は、召還された際は、行き先がどこか、よくチェックしてから召還されましょう。いくら霊格の高いアトラ・ハシースから召還されたといっても、ときには、つよい意志で、丁重にお断りすることも大切です。STOP! パワハラ! アストラル人倫委員会より』」
「……俺が召還された後の話だ」
「どっちにしろ、これじゃあ、あんたの世界にだれも行くことはできないから、助けを期待しないほうがいいな」
「だから住民票をだな」
「なるへそ。そこへ戻るわけだね。おみそれいたしやした。
まあ、本当はいけないんだけどねぇ、うーん、どうだろう、あんた、首尾よくこっちに戻って来れたら、いの一番に俺のところに来て『汎世界漂流記』の執筆の手伝いをしてくれる、っていうのは。
なあに、ちょいとしたインタビューをさせてくれるだけでいいんだ。あんたのいまいる世界は、情報封鎖までかけられているんだよ」
「情報封鎖だと? 厳戒レベルが最高ということか?」
「いま検索できるだけでも、そっちに召還されているアトラ・ハシースのレベルも並みじゃねぇ。
最悪、世界が切り離されて、アトラ・ハシース全員が消滅したら、正直、こっちの世界も被害甚大だぜ。
聖ゲオルギウスは消滅しちまったようだし…」
「冗談だろう、ゲオルギウスといえば、最強クラスのドラゴンバスターだぞ!」
「ああ、再構築には、百年かかるかもしれねぇって噂だ。
おそらく最高府としては、これ以上その世界からはじまる歪みが広がるようなら、軍隊を派遣する可能性もある」
もはや、レティクルどころの話ではない。最高府の軍隊、と聞き、趙雲は血を凍らせた。
いままでは、ヴァルキューレとアトラ・ハシースで対応しきれる問題レベルだったのが、レティクルの攻勢が思いもかけず激しいため、最高府が乗り出してきているというのか。
最高府とは、アトラ・ハシースを統括する機関のことであり、古参のアトラ・ハシースと、そのほか人外の者たちとで更正されるという噂であるが、実態はよくわからない。
たしかに存在し、強い権力を揮っているのであるが、どこにあるのかすら、わかっていないのである。
「俺みたいな日和見には、おもしろい話なんだがな、ちょっと可哀相だから、ひと肌脱がせてもらうかな」
といいつつ、アニメ画像のヒラッチは、どこかで聞いたような♪タララタッタター♪という効果音とともに、なにやら怪しげな木箱を取り出した。
「ウルトラ・スペシャル・エレキテル・ゴージャス・マークU! 略して『ヒラッチ天才!』。
これさえあれば、どんな世界の公文書もあっという間に出来上がり!」
「要するに、偽造公文書製造機か」
「夢のないことを言うなよ。さあて、あんたの戸籍を、いまそこにあるプリンタから出してやるから、ちょいと待ってな」
ヒラッチの言うとおり、ほどなく、趙雲の傍らに備え付けられた小型のプリンタより、その透かしまでそっくりそのままな、住民票と、戸籍謄本が登場した。
「助かるが…だれだ、『田中太郎』というのは?」
「趙子龍なんて名前のまま住民票をこさえるわけにはいかねぇだろうが。
そっちの世界じゃ、あんたの名前は、『三国ウヒョー』とか言うゲームのせいで、売れすぎているんだよ。ま、抗議はコーイェーとかいうメーカーにしてくんな」
「だからといって、なぜ『田中太郎』?」
「ありふれた名前だからだよ」
「そうなのか? まあ、これでよい。
ところでヒラッチとやら、もうひとつ頼みがあるのだが」
「なんだい」
「この世界に侵入しているヴァンパイアがいる。そいつが『英雄殺しの槍』を入手したようなのだ。
『英雄殺しの槍』がどの経路をたどってやつの手に渡ったか、それを調べて欲しい」
「ヴァンパイア…最悪な状況に、さらに最悪をセットにしたような話だな。ヴァンパイアの名前は?」
「青髭公ジル・ド・レイ」
「大物だな」
「ヴァンパイアや、レティクルたちが、これほどの力を持っているのは何故なのか、それを知りたいのだ。頼む」
「あいよ。こういうことならお任せだ。また俺に用があるときは、かならずこの時間にしてくんな。おれっちの上司が、ちょうど昼寝している時間だから。
おおっと、レオナルドの旦那、お目覚めのようだ。それじゃあな…」
そうして、画面は切れた。
趙雲は、ふたたびインターネットカフェ専用のスクリーンセイバーを、見るとはなしにながめつつ、状況を整理した。
この世界はループしている…それはレティクルの仕業だ。
レティクルは、この世界の消滅を狙っている…それは、この世界が存続することで、彼らの指導者の未来が危うくなるからだ。
だが、わからない。
レティクルは『人間』なのだ。
レティクルたちが差し向けてくる銀の女王『レティクル・クィーン』を中心とした銀のヘンテコの軍団は、『人間』が作り出したもの。
『人間』がいわば、『天使』を作って、本物の天使と戦わせているようなものだ。
レティクルが未来人ということはわかっているが、彼らがそこまでの技術を進化させたというのは合点がいかない。
文明がどれだけ進もうと、触れてはいけない領域というものがある。
それがまさに、アストラルとアトラ・ハシースに関する諸事項なのだ。
禁忌をおかした人類が、未来を変えようとしている。
だからこそ、憂慮した最高府が動こうとしているのだろうか。
ふっと左側に悪寒を感じ、趙雲は、油断していたことを後悔した。
気づくと、だれもいないはずの個室のマッサージチェアに、だれかが座っている。
店員か?
だが、そうではない。
そこにいたのは、透明の、黄金に輝く女だった。
…いや、黄金に輝いているのではない。
その身に垂らした長い金色の巻き毛がすばらしいので、黄金に輝いているように見えるのである。
年は二十代後半から三十代前半。
器量はさほどでもなかったものの、白いドレスからはみ出す肌は、真珠のようになめらかでうつくしかった。
そのつぶらな、しかし聡明だが狡猾そうな蒼い目とぶつかったとたん、黄金の女は、甲高い声で言った。
「わらわがそなたを助けてやろう」
「おまえ、アストラルか?」
しかし、純白のドレスを身にまとい、胸には大輪の白薔薇を清楚にかざった、黄金の巻き毛を垂らした女は、肯かなかった。
「わらわはアトラ・ハシースなる。ゆえあって、このような姿になっておるが、ヴァルキューレに最初に召還されし女王はわらわなる」
趙雲は思い出した。
最初の最初にレティクルの攻撃対象になり、消滅したというイギリス女だ。
「まだこの世界に留まっていたのか。それとも、ループに巻き込まれ、戻れなくなったのか?」
「わらわは、わらわの意志でここに留まっておる。それと、わらわのことは、女王陛下と呼びしこと。よいな?」
威張った女だ。趙雲がもっとも苦手とするタイプの女である。
「では陛下。陛下はなにゆえ、ここに留まっておられる? ずっとそこにいたのなら、俺たちの会話も聞いていたはずだが」
「それゆえ、わらわはそなたに力を貸してやろうというのじゃ。
忌々しきことに、レティクルどもめ、わらわを襲ったあげく、わが腹黒き従妹メアリを受肉させ、その手先として使っておる!」
と、金色の女王は悔しそうにレースの手袋の裾を揉みしだいた。
まさか、と趙雲は威儀をただして、女王に向き直った。
「陛下の御名をお聞かせ願いたい」
「我が名を拝せよ。七つの海を支配せし女王エリザベスなり」
「エリザベス一世か!」
「我が栄光あるチューダー王朝に泥を塗る魔女の所業なり! わらわは女王として、この野望を阻止せんとするなり。東洋の騎士よ、わらわを助けるがよい」
「…メアリ・スチュワートは、アトラ・ハシースではない?」
「ふん、斯様な愚か者がアトラ・ハシースになることなどできぬ。
あの者は、女王の地位に固執するあまり、我が王国を混乱させるだけではあきたらず、死後もなお、わらわや、おのれを見捨てた息子を呪い、怨霊として地上を彷徨っておったのじゃ。
結果として、己の血を引く子孫が英国を支配することになってもなお、あの女は、己の権威にばかりこだわって、害ばかりしか撒き散らしてこなかったのじゃ。
レティクルどもは、わらわが召還されたことで、メアリの怨霊に目をつけて、ロンドン塔よりメアリを連れ帰り、この世界にて偽のアトラ・ハシースとして受肉させ、霊力を与えたのじゃ」
よほど腹に据えかねているらしく、エリザベスは、荒々しく、床を踏み鳴らした。
「メアリ・スチュワートには誇りがないのか? なぜレティクルの手先に甘んじている?」
「わらわの功績に対抗するためじゃ。わらわは生前、七つの海を制し、英国を世界一にのし上げた。メアリはそれが妬ましゅうてならぬらしい。
それゆえ、レティクルどもの甘言に乗せられて、世界をそっくりそのまま貰う約束をしているのじゃ」
「愚かな…世界をまるごと?」
巴蜀や荊州を治めるだけでも大変だったというのに、世界をまるごと、などといったら、どれだけの苦労がのしかかってくるのやら。
想像するだけで胃の痛くなる話だ。
「事情は飲み込めたであろう? では、わらわの助けとなるがよい。魔女に鉄槌を!」
あのな、と趙雲は息を整えつつ、意気軒昂なエリザベスに向き直る。
「あんたら従姉妹同士の確執はよくわかった。
俺としては、あんたがよく、アトラ・ハシースになれたものだと感心しているよ」
「あんたとは無礼なり! わらわは女王なる! 無礼を詫びよ、アストラルめが!」
「黙れ、小娘!」
「小娘とな!」
「俺はおまえに召還されたアストラルではない。俺が従うのは召還者諸葛孔明にのみ!
命令する相手をまちがえるな。助けがほしければ、よそへ行け!」
ちょうど時間となったので、趙雲が席を立とうとすると、マッサージチェアにちょこんと座っていたエリザベスは、顔を両手で覆って、しくしくと泣き始めた。
「わらわはだだっぴろいこの世では、まるで海に落ちた片割れを探し回る水滴みたいなものじゃ。
あとを追って飛び込んだものの、誰にも気付いてもらえず、どんなに探し回っても、ただ海に溺れて自分を失うだけ。
この世は舞台、ひとはみな役者。だが裂けろ、この胸。もはや口にはだせぬ」
あまりにエリザベスが大げさに嘆くので、趙雲もさすがにかわいそうになってきた。
「おい、そこまで泣くことはないだろう。わかった。少しだけならば、助けになってやってもよい」
「まことか!」
と、顔を上げたエリザベスの顔には涙の一滴もなく、じつにけろりとしたものだった。
「さすがシェイクスピアの台詞は利くな。『不幸の時代の重荷は我々が背負わねばならぬ』。わかるな?」
「わかるか! それほど元気ならば、やはりよそへゆけ!」
「待て、短慮を起こすな。『天の力でなくてはと思うことを、人がやってのけることもある』。そなたの助けとなるであろう」
と、エリザベスが無造作に取り出したのは、手のひらいっぱいに輝く、大小さまざまな宝石たちであった。
その、星のような輝きに目を奪われ、手を伸ばしかける趙雲であるが、あわてて理性を働かせる。
「つまり、これはおまえが、海賊あがりに、そこいらを漁らせて、世界中からかき集めてきた宝石、というわけか」
「つくづく無礼な男じゃな。だが、おまえはこの石を、今この世でもっとも必要としているはずじゃ。
この石は、わらわの霊力が閉じ込めてある。わらわが消滅後も、なんとかこの世に留まっていられるのは、この石があるお陰なのじゃ。
おまえを召還したアトラ・ハシースは、聖剣にとらわれて身動きがとれず、おまえも受肉して、残りわずかな霊力の分量を気にして生活せねばならぬ。
本来ならばアトラ・ハシースを守らねばならぬ男が、なにもできずに右往左往せねばならぬ。
その忸怩たる思いを汲み取って、わらわが直々に力を貸してやろう、というのじゃ、感謝せよ」
「なぜそれを知っている」
「見ていたからじゃ。ずーっと。仙台の空を漂って、強い霊力の気配を探しておった。そこへ、東照宮方面より、強烈な霊力の波動を感じ、引き寄せられたというわけじゃ。
とはいえ、初対面であるのに、深夜にいきなりの訪問はまずかろうと思い、いままで我慢していたのじゃ。
わらわが力を貸すのである。どんと大船に乗ったつもりでいるがよい。そう、ゴールデン・ハインド号じゃ」
ほほほ、とエリザベスは得意そうに、黄金の巻き毛をかき上げつつ、笑った。
しかし趙雲は笑わない。
「言葉を思い切り返させてもらうがな、陛下。
そういうあんたも、まるでメアリと立場が逆転したかのように幽霊になっているのだが、あんたのほうこそ、この石が必要なんじゃないのか」
「そうじゃな」
と、エリザベスはあっさりと言い、きりりとした、威厳あふれる女王の表情となった。
「わらわを舐めるな、東洋の騎士。
わらわにとって、大事なのは、なによりわらわの築き上げた名声を守ることなのじゃ。
それを、あのような浅慮者に汚されてなるものか。
わらわの功績は、わらわの力のみが築いたわけではない。
多くの国民の血と汗と涙の努力の賜物なのじゃ。
その尊い犠牲を、わがまま女の気まぐれで汚されるなど、女王として我慢ならぬ!」
趙雲は、決然と言い放つエリザベスを、すこしだけ見直した。
世界の危機に、チューダーもスチュワートもないものだ、と思っていたが、エリザベスはエリザベスで、守りたいものがあるらしい。
それは女王らしい、なかなか立派な動機であった。
「確認したいが、俺が力を貸すとして、俺はなにをすればよい」
「考えよ」
「なに?」
悪びれず、エリザベスは堂々と言ってのける。
「わらわにもわからぬのじゃ。この世界がどうなっていて、ほかのアトラ・ハシースがどこへ消えてしまったのか。
わらわの目的はひとつ。魔女に鉄槌を…」
「わかった、落ち着け。となると、のこりのアトラ・ハシースは、ジャンヌ・ダルク、陳寿、羅貫中、ムスタファ・ケマル・アタチュルク、というわけか…彼らがレティクルの攻撃を受けるまえに、なんとか合流をしないと」
まずはその前に、と趙雲はインターネットカフェを出て、仙台駅へと向かった。
頭の痛いことに、そのうしろを、ふわふわと、ホロゴーストのように浮き上がりながら、純白のドレスをまとったエリザベスがついてくる。
「どこへ行くのじゃ?」
「まずは職を得る。アコもだいぶ切り詰めた生活をしていたようだが、さらに俺も金が必要になってくるとなると、確実に破産だ。
まして孔明は、まるで金銭感覚がないからな」
すると、エリザベスはひょい、と趙雲を通り越して、手にした宝石をちらちらと見せた。
売れ、ということらしい。
「気遣いは感謝するが、それは霊力のカタマリ…いわば武器だ。
武器はひとつでも多いほうがいい。それに、働いたほうが、情報が集まる」
「律儀じゃな。東洋の騎士は、みんなおまえのようなのか?」
「さてね。それと陛下。あんた暇そうだから、俺を見ている怪しいやつがいないか見張ってくれ」
「わらわを使役するつもりかえ?」
「ヴァンパイアが、あれで引き下がったとは思えない。おそらく、俺たちの動向を見張っているはずなのだ。
なにせ、向こうも俺たちも、目的はひとつ。ジャンヌを捜すことなのだからな」
「フランスの救世主か。その名は知っておる。わらわたちにとっては、魔女にも等しい娘じゃぞ」
「あんただって、生前はさんざん魔女呼ばわりされてきたから、そのあたりの苦労は分かち合えるかもしれないぞ。
さて、すこし黙ってくれ。目立つのは好かない」
そうして、世界一高飛車な、白いホロゴーストをうしろにくっつけた趙雲は、職安に向かっていった。
※このつづきは、「仙台ゴールデンポークスの章3」になります。